1561095274 「柳営婦女伝叢」の 164/280 コマ目の「深心院殿」の項目の所の漢文を現代語に訳して教えてください。


(↓)この「柳営婦女伝叢」という資料の 164/280 コマ目のページの「深心院殿」の項目の所の漢文を、現代語に訳して教えて欲しいです。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945825

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945825

(↑)この“柳営婦女伝叢”という資料の164/280コマ目のページの“深心院殿”の項目の部分の漢文の現代語訳を教えてください。




http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945825
(↑)この“柳営婦女伝叢”という資料の164/280コマ目のページの“深心院殿”の項目の所の漢文を現代語に訳してください。

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こんな感じでしょうか。

深心院殿

於梅(譜牒、歴世、以テ貴シ)於久(譜略)
源三君・宗尹卿ノ母堂

京都處士谷口長右衛門正次ノ女 新十郎正乗ノ姉
元禄十七年三月、紀伊殿ニ奥勤ス 一ニ曰ク、和歌山城ノ奥 淨圓君ニ奉仕ス
享保元年丙申、御本丸ニ御供シ其ノ後 御内證之方ト稱ス
同六年辛巳十月七日、死ス、御法號記十一月十一日、年二十二、
上野凌雲院ニ葬ラル、深心院慈潭性水大姉 御法號記 慈涼ト任ズ



深心院殿

「お梅」又は「お久」とも。
源三・宗尹の母。

京都の民間人、谷口長右衛門正次の娘(新十郎正乗の姉)。

元禄17年(西暦1704年)3月、紀伊殿(8代将軍徳川吉宗)の奥勤をする。
(和歌山城の奥である浄円院(吉宗の母)に仕えたと言われる)

享保元年丙申(西暦1716年)、(浄円院の)御本丸(江戸城)移動に御供して、その後「御内證の方」と称する
同6年辛巳(西暦1721年、辛丑の間違い?)10月7日に死亡(御法号では11月11日)、22歳であった。
上野の凌雲院(現在の国立西洋美術館のあたり)に葬られる。
法名は深心院慈潭(御法号では慈涼)性水大姉。

id:kennosukekun

ありがとうございました。

よくわかりました。

2019/06/28 11:07:13

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