私の通っていた小中学校には暴力教師が何人もいました。最初に殴られたのは小学校2年生のときです。5年生のときの担任は夜中にまで終わらない量の宿題を出し、やってこない子供を相当強くビンタしました。中学校のときにも体罰は当たり前で、私は塾へ行くために部活を休んだら張り倒されました。高校生のときは生徒同士のリンチがありました。私が初めてしたアルバイトでも仕事でミスをすると頭を殴られました。心優しかった弟は親の無茶苦茶な暴言や暴力が原因で精神病になり自殺しました。文字数の関係で暴力のことしか書けませんが、それでも昭和はよかったですか?
私は昭和の最後に学生時代を過ごしました
中学時代の担任は宿題を忘れた生徒は床に正座をさせて
30センチくらいの長さの竹の棒で生徒を叩くような人
誤解の無いように説明すると、叩くといっても痛くない程度ね
しかし時代は体罰教師が新聞やテレビで取り上げられて引退させられる
そういう過渡期で成人式の頃にはPTAの突き上げで辞職させられたと聞きました
で、辞職後は教育委員会に入ったそうなんですがw
一方、モンスターペアレンツと呼ばれる人種が登場したのもその頃で
教師は保護者の顔色を伺うばかりで威厳が地に落ち
本当に悪い生徒に注意もできないそんな風に変化したと思っています
どっちの状態が良いのか悪いのかってのは一概に言えないと思うんだ
実際クラスのツッパリ共は担任に一目置いてたしね
そんなわけで暴力も程度問題なんだと思うけど
それ昭和と関係ないよね。
書き方はちがいますが、質問のタイトル、末尾に書いてあると思います。
的外れな回答以外、私は全てコメントを返しますから。
書いてないように見えます。
昭和は戦争で始まり、平和で終わりましたから、全体とすれば終わりよければ、という論調になるのでしょう。
しかし、当然ながら無駄死にした当人にとっては何も良い事はありません。
個別に見れば好悪逆転するのは致し方なし。
ただ、あなたは昭和の半分も生きていないと思います。単純に昭和は、というくくりにしてしまうのと同様に、評価の方法が違うと思います。
あなたの住んでいた地域に問題あるのでは?
私の地域は暴力刑事ばかりで、逆らうと殴る蹴る、割り竹の上に座らせる・・・w
質問のタイトルにある「昭和の時代はよかったと思っている方へ」の対象者は「昭和ってよかったよね」と発言しているとき、戦争の頃まで含めて言ってないと思います。
戦争の頃が大変だったというのは常識だからです。質問を「戦後の昭和」に限定すればご満足ですか?そうだとしたら私の質問文の書き方が悪かったです。
昭和という時代、非常に広い範囲の一般論と、個別の学校や自宅のDVを混同するのは良くないですよ、という事です。
基準のまるで違う問題ですから、同一の俎上に上げる事はできないのです。
>心優しかった弟は親の無茶苦茶な暴言や暴力が原因で精神病になり自殺しました。
こんなの、普通にある事じゃないですよ。特別な事例であって、それを一般論へすり替えるのはおかしいです。
私は昭和の最後に学生時代を過ごしました
中学時代の担任は宿題を忘れた生徒は床に正座をさせて
30センチくらいの長さの竹の棒で生徒を叩くような人
誤解の無いように説明すると、叩くといっても痛くない程度ね
しかし時代は体罰教師が新聞やテレビで取り上げられて引退させられる
そういう過渡期で成人式の頃にはPTAの突き上げで辞職させられたと聞きました
で、辞職後は教育委員会に入ったそうなんですがw
一方、モンスターペアレンツと呼ばれる人種が登場したのもその頃で
教師は保護者の顔色を伺うばかりで威厳が地に落ち
本当に悪い生徒に注意もできないそんな風に変化したと思っています
どっちの状態が良いのか悪いのかってのは一概に言えないと思うんだ
実際クラスのツッパリ共は担任に一目置いてたしね
そんなわけで暴力も程度問題なんだと思うけど
>どっちの状態が良いのか悪いのかってのは一概に言えないと思うんだ
大変鋭い視線だと思いました。ありがとうございます。
>そんなわけで暴力も程度問題なんだと思うけど
我が家では明らかに程度を超えていました。
あなたの思う「昭和の時代はよかったと思っている方」とは、
「小中学校の暴力教師」であり、「リンチをする生徒たち」であり、「あなたを張り倒したバイト先のボス」であり、そして「心優しい弟を殺したあなたの親御さん」なのではないですか?
もちろんこの人たちが、今の時代に生きていたら、このような暴力は許されなかったと思います。あなたの親御さん以外は。
暴力はいついかなる時も許されないことだ、という今の風潮は歓迎すべきことですよね。前の時代は、教師だから、親だから、上司だから、仕方がない。殴られるお前が悪いのだという空気が確かにありました。私自身は「良い子」でしたから、親以外から叩かれたことはありませんが、小中高時代、同級生が教師やクラスメイトから暴力を振るわれるのを何度か見たことがあります。自身が暴力を受けていなくても、その現場を見るだけでも本当に嫌な気持ちになりますよね。
「昭和の時代はよかったと思っている方」とは、「昭和の時代に生きていきやすかった人」なのだと思います。もっといえば体罰を良しとしない今の風潮に戸惑っている、時代の変化を苦々しく思っている古い人間だと言うことです。
私もほぼ昭和の人間で、概ね今の方が良い時代だと思っていますが、実を言えば、今の風潮で苦々しく思っていることもあります。若い頃は良かったと美化しやすいのは、年を食った人間の宿命なのかもしれません。思い出補正という言葉もあるくらいですから、私も含め年寄りは、昔の過ちや嫌な記憶は思い出さないようになっているのです。
最初の段で、あなた親御さん以外は、と書きました。親から子への暴力というのは、学校や職場でのことと異なり、家庭という密室で行われることが多いです。だから体罰は絶対にダメという今の風潮をもってしても、親から子への暴力はなくなりません。他人の目というストッパーが働かないからです。子供と大人では経験値や知力含め力差があり、親に生存の基盤を握られていますから、子供からの告発は本当に困難です。体罰なしでしつけや教育をする方法など、メディアなどでも広がっていますが、それでも、家庭内虐待で亡くなる子供の痛ましい事件は無くなることがありません。
あなたの文章からはほのかに怒りを感じられますが、いちばん怒りを感じているのは、親御さんに対してではないですか?昭和という時代の空気が親御さんの暴力を許してきたと思っているからではないですか?
ありがとうございます。
あなたの書いていることは何も間違っていないと思います。
私は昭和でなく、自分の体験を憎んでいる感じがします。
良かったかどうか、とその時間を過ごした人に質問をすると結果みな「よかった」と言うと思います。
なぜならば、よくなかった人は質問に答えられる場所にいない可能性が大きいからです。
おおよそそんな結果が出ることは考えるまでもなく質問を返してもらえそうな対象に質問をするということで予想はできているのではないでしょうか。
すると、昭和がよかったという人間にたいしてどうしてよかったのか、よいわけはないはずなのにそれを良かったと評価するのかという断罪を行いその発言を突き付けられた人物が何らからの自身に不利で質問者に有利な回答を望んでいるのではないでしょうか。
予想としてほしい反応はかつて不利であった過去を経験としてもっているということを根拠にその当時に良いという感想を持っている物へなんらかの補償や賠償を期待していたりする場合があるのではないでしょうか。
悪かったことという事柄が過去にあったとしても、結果それを過ぎて現在その影響からはなれている場合多くの人は災難であっても「よかった」ということができるものでしょう。
そのうえで、よかったという感想をお持ちのかたに「よかった」という感想以外にどんな発言を求められているのでしょう?
また、よくなかったという感想を持たれている方についてはどういった言葉をかけようと考えているのでしょう?
よかったかどうか、ご質問をうけると私の回答は「よかった」です。
回答ありがとうございます。
昭和は戦争はもちろん、様々な場面で死ぬことが多かったのは事実です。
それでも、よかったと思うのは個人の自由です。
あなたの書いた長文に、私は同感できかねます。
私も同じく各個人に価値観や考え方があると思います。
同意や賛同についてもそれぞれなのであるかと思います。
私は、よかった以外の感想がある場合それを良い材料として二次的に利用しないのかという考え方でした。
よくないものであった場合、つたえない、忘れる、忌避する、現在には利用できない、とされるものになるのではないかと思った次第です。
過去あったことを現在はそれを繰り返さないために知識としてつかえる「あってよかった」という過去ではないか、そうでないなら捨てられ伝えられない情報となってよくなかったという情報は残らされないようにされていくのではないかということでした。
説得や同意をさせようとしているわけではないので、私は意見を述べることができて、さらに感想をいただけてありがたいです。ありがとうございました。
>どっちの状態が良いのか悪いのかってのは一概に言えないと思うんだ
2019/05/09 10:59:52大変鋭い視線だと思いました。ありがとうございます。
>そんなわけで暴力も程度問題なんだと思うけど
我が家では明らかに程度を超えていました。