行かせてくれた=本来行かなくてもいいのに、子どもが希望して親が承知した
というイメージです。
親も進学は当然と考えていたとしても、子どもだけ親に感謝すべきなのでしょうか。
当然という感覚が理解できません。祖父が東大銀時計組の孫が東大に行くのは当然ということと同じですか。
不毛の三高(年収・身長・学歴)論 ~ 聞いてどうするのか ♪ ~
http://q.hatena.ne.jp/1516425272#a1266123(No.1 20180120 22:44:11)
…… 大卒は、学歴に一流・二流・三流があることを知って社会に出る。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8241984.html(No.3 20130830 12:26)
…… 泣いて どうなるのか 捨てられた我身が みじめになるだけ(略)
誰かうまい 嘘のつける相手 捜すのよ ♪ 内山田 洋とクールファイブ
── 千家 和也・詞/浜 圭介・曲《そして神戸 19721115 RCA》
https://www.youtube.com/watch?v=fg1Y1Bifw0I(20071231 NHK紅白)
…… 16歳のとき、ファーストフード店でアルバイトをした。高校を出
て現場作業員になったが、29歳のとき700万円を借金して大学で学んだ。
年収1000万円に達したが、2年前に解雇された。借金は500万円も残った。
30年前の店で、部下一人の店長に戻った。(20071219 IT時代の転落)
https://twitter.com/awalibrary/status/963807286610214912
── 岩谷 時子・詞/宮川 泰・曲/東海林 修・編曲/The Peanuts・唱
《ウナ・セラ・ディ 東京 Una Sera di Tokio 196311‥ キング》
…… 哀しいこともないのに なぜか涙がにじむ ♪(19691231 NHK紅白)
https://www.youtube.com/watch?v=MhsLuvDD79g(02:37)
…… 金も要らなきゃ、女も要らぬ あたしゃ も少し背がほしい ♪
https://www.youtube.com/watch?v=6YD5GeJgAVI(20140902 07:31)
二葉 しげる@玉川カルテット「1996年お正月番組」アダチ宣伝社
http://q.hatena.ne.jp/1512251554#a1265547(No.2 20171204 06:34:14)
五大劣等感 ~ ハゲ・デブ・チビ & 身長・学歴・収入 ~
私の両親は高校教師でした。
私が物心ついたときには、一流大学に入ることは決定していました。
経済的には赤貧で、成長期にも1日2食、1回100円程度の食事しか与えられませんでした。
母が腐った醤油を布でこして使っているような経済事情の中、父の小遣いは月5万円で、そのほとんどを酒に費やしていました。
誕生日も祝ってもらえず、旅行にも行かず、友達とも自由に遊ばせてもらえず、小遣いは全額参考書を買うためのものとされていました。
1日15~16時間の勉強しても、前より成績が下がったときは、父に頭をごぶができるほどの強さで10発程度も殴られました。
時には出刃包丁で指を落とされそうになったり、プロレス技のようなものをやられて、体調を私が崩しても、骨折が疑われるときでさえも、
「お前なんか死んでも構わない」と言われて病院にも行かせてもらえませんでした。
私が反撃したことは1度としてありませんでした。
父の暴力について母は、
「お父さんが暴力を振るうのは学校の先生をやっているための職業病だから、そういうお父さんに養ってもらっている家族は暴力に耐える義務がある」
などという詭弁を言うだけで、1度とさえ子供を助けたことはなく、くだらない理由で夫婦喧嘩をすれば、子供を置いて母だけ実家に帰ってしまいました。
高校生になっても、昼食代として渡されるのは100円玉1つだけで、クラスメイトの白い視線が憂鬱に感じ、図書室にばかり行っていました。
そんな事情の中、私と弟は1流とはいえないものの、理系の4年制大学に、私は現役で、弟は一浪して入学しました。
父は49歳のとき、大量飲酒が原因の可能性の高い病気になり入院、3年間の闘病後、苦痛で発狂したようになって、死亡しました。
父の死後、母は子供に父の遺産を渡すのが嫌で、家の全財産を持って行方をくらませました。
私は21歳でうつ病を発症後、数十年が経過した現在でも通院治療中です。
弟は30歳のとき、統合失調症で、自殺しました。
私の場合、大学に行ったのは、まだ何も知らない幼少期に親が決めたことなので、行かされたとしか思っていません。
両親に対して、例え殺しても晴らせない恨みを抱えながら、今後も生きていくでしょう。
ぼくの、父方の祖父は大学の先生で、
母方の祖父は牧師でした。
父と母は、二人とも、九州大学を出ていて、
父は法律関係の仕事をしていて、
機械の修理も自分でしてましたけど、
小学生の時にいなくなって、
その後、母がピアノの先生になりました。
ぼく自身は、音楽の才能は無くて、
勉強も出来なくて、
高校まででした。
小学時代に、ローマ字を読めるようになった時に、
家にスペイン語の辞書があったので、
カエルのロボットにラナという名前を付けて、
漫画を描き始めたという、出来の悪さです。
スペイン語で、カエルはranaと言います。
高校の時に、友達がフランス語を習い始めた時に、
ぼくの家にフランス語の辞書があったので、
フランス人キャラが出る時に、フランス語の辞書を見ながら漫画を描くようになって、
社会人になってからは、
英語が得意な人が、交通事故で亡くなった後は、
英作文は、ぼく自身が、自分で書けた方が良いと思って、
漫画は、原案を英語で書いてから、
日本語の漫画にするようになりましたけど、
ぼく自身が、英語をちゃんと勉強していたなら、
事故の後も、日本語だけで漫画を描き続けていたはずです。
母の知り合いの人は、
ぼくが大学に行ってないと聞いたら、
驚く事が多かったです。
これっぽっちも「感謝すべき」ではないし、どうでもいいことです。あなたが、感謝していると思ったら感謝すれば良い。思っていないなら、する義務も必要もない。それだけのことです。
親としては、どうでしょう、自分の親並みのことはしてやれてよかった、という感覚に近いでしょうね。まだ大学の学費を支払っていないのでなんとも言えませんが。
子側の立場としては経験あります。
子どもが精神的に十分に、たとえば大学生に相応しい知見を有するほどに、成熟した時点で、行かせてくれた、ありがたい、と思うようになります。
その日が訪れない子もいます。
ただのおばちゃんcorrect-me
子ども側としての感想ですが、親に対する感謝は人並み程度ですね。
※両親が大卒共働き。男二人兄弟、兄は現役でブロック大。弟は一浪して旧帝大。弟が書いてます。
東大や京大など難関大学に入るのは自分自身の努力が一番大事です。
どれだけ親から資金・教育的な援助を受けても子どもが頑張らなければ入れない。
感謝というか褒めるべきは受験を頑張った自分自身だと思っています。
そして大学生になってバイトを始めるとお金を稼ぐことの難しさ、厳しさを知るようになります。
入学金から授業料、生活費の援助までしてもらっているのならば大変な支援を受けていると感じます。
ここは親が高学歴だから~とかは関係ありません。他人のお金で学ばせてもらってるのだから当然感謝します。
前提条件が「高学歴」だけだと大学に入れた感謝とかは関係ないと思います。
親が「低収入」の場合は学費や生活費の問題が出てきます。苦労をかけて大学に行かせてもらってると感じるのでもうちょっと感謝の気持ちが大きくなるかもしれません。
あと、親からしてみれば子どもは資産です。資産価値が高まれば自分の環境も良くなる可能性が高まります。
そういう意味では親が子どもに対して「良い大学に入って、稼ぎの良い会社にはいってもらいたい。そして願わくば自分の介護もしてもらいたい」。こう考えるのは自然です。わかりやすい損得勘定が働いています。
少なくとも日本においては学歴と年収には相関関係があるので、それを知った上で高学歴になってほしいのでしょう。
とりあえず良い大学に入ってくれたなら、親は子どもに対して感謝していると思いますよ。親にとってのメリットあるんでね、やっぱり。
話がおもいっきりそれている気がしたのでちょっとまとめると
親も子もお互いに感謝すべき。ただし、子が必要以上に親に感謝する必要は無い。
コメント(1件)
本当に高学歴高収入で現在も余裕のある親ごさんだったら「子供にも行ってもらえてよかった(行けば楽しいとわかるだろうから楽しんでおいで)」となるでしょう。