織田信長が死なず,日本が鎖国をしなかった場合,世界史は変わっていたか
織田信長が死なず,徳川家が江戸幕府をつくらなかった場合,
日本は鎖国をしなかったと思います。
1600年代には,大航海時代に突入したヨーロッパは,東南アジアをはじめとして,世界を植民地化していたわけですが,
鎖国をせず,海外と貿易活動を積極的におこなっていたとしたら,
日本は,世界に覇権をとなえる,列強のひとつになっていたでしょうか。
日本は,実際の歴史では,鎖国のあと,明治以後に急速に西欧化にすすめました。
世界の流れに300年遅れていたにもかかわらず,「最後の帝国主義国」のひとつになったわけですが,
それなら,鎖国をせず,海外の情報,技術を積極的に取り入れていたら,
実際の歴史よりも,有利に,世界史に関与できたはずです。
はたして,日本は,西欧以外で唯一の帝国主義列強になっていたでしょうか。
(実際の歴史でも列強にはなっていたわけですが)
微妙ですね。
信長の跡を襲った秀吉は調整型の政治家だったから周囲の利害を考えて朝鮮出兵した。
信長は冷静なパワーバランスを熟知した独裁者です。
果たして唐入りをあの時点で行ったかどうか?
無理だと思ったら退くだけの勇気を持っていた。
また、本能寺の変以降の戦いで国力はむしろ落ちてしまったはず。
また、唐入り失敗の原因に水上戦力の技術的な劣勢がありましたが、信長なら技術開発してからの出兵だったと思います。
信長の情報収集能力は秀吉のそれ以上だったと思う。
ただ、両雄とも後継の世継ぎには恵まれていません。
織田家の方は本能寺の変で三男まで逃げ遅れて討たれている。
秀吉は遺された女房が強すぎて情勢判断を誤り絶家している。
当時はヒエラルキーの社会で、トップの個人的な資質が政権の能力に直接作用した。
結論としては闇試合、泥縄でしょう。
微妙ですね。
信長の跡を襲った秀吉は調整型の政治家だったから周囲の利害を考えて朝鮮出兵した。
信長は冷静なパワーバランスを熟知した独裁者です。
果たして唐入りをあの時点で行ったかどうか?
無理だと思ったら退くだけの勇気を持っていた。
また、本能寺の変以降の戦いで国力はむしろ落ちてしまったはず。
また、唐入り失敗の原因に水上戦力の技術的な劣勢がありましたが、信長なら技術開発してからの出兵だったと思います。
信長の情報収集能力は秀吉のそれ以上だったと思う。
ただ、両雄とも後継の世継ぎには恵まれていません。
織田家の方は本能寺の変で三男まで逃げ遅れて討たれている。
秀吉は遺された女房が強すぎて情勢判断を誤り絶家している。
当時はヒエラルキーの社会で、トップの個人的な資質が政権の能力に直接作用した。
結論としては闇試合、泥縄でしょう。
歴史パロディ ~ 一粒で何度も美味しい ~
かつて(戦前の)秀才学生は、大学の授業に出ることなく、こたつに
引きこもって独学に励み、試験の暁には模範解答を記して、凡俗教授や
同級生の尊敬を集めたそうです(亡き恩師の脱線授業より)。
現代の引きこもりは、誰でも知りうることばかり学んでいるのです。
列国との競合を絶ち、独自の文化的成熟を遂げ、あたかもダムを開門
するように、西欧文明を取入れたことが、明治開化を成功させたのです。
ペルシャ・ルネサンスを開花したイスラム文化は、産業革命が未経験
だったので、敵の武器を奪った過激派だけが虚しく戦いつづけています。
…… いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そして
どこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私には、おお、神よ、
この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼
らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならないのである。
── ヒュースケン/青木 枝朗・訳《日本日記 19890717 岩波文庫》P221
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/400334491X
…… 以下は、わたしの過去はてなの、パロディ回答&コメントです。
http://q.hatena.ne.jp/1166674656#a654463(No.4 20061221 18:55:48)
三日天下 ~ 空位七日、政務十一日 ~
http://q.hatena.ne.jp/1134725325#a457863(No.18 20051223 20:00:16)
①豊臣秀吉がキリシタンを容認し、各藩にカトリック教会が建つ。
②徳川家康がプロテスタントに改宗、ローマ教皇庁から独立する。
天皇家は、日本国教会の大主教として、徳川幕府の庇護を受ける。
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③西郷隆盛が江戸城に入り、国家予算の一割をローマ法王に上納する。
大統領制を導入し、天皇家は京都のまま、徳川家は日光に退く。
南米の最貧国家なみのGNPに低迷、1$=36,500円となっている。
http://q.hatena.ne.jp/1149377765#a543528(No.1 20060604 09:03:36)
…… 初めて“いるか”がついたので、お礼にかえて一言。
織田信長が「本能寺の変」で死ななかった仮定で、わたしの設定は、
死にそこなって降伏し、佐渡島に流された、というものです。
http://q.hatena.ne.jp/1149377765(20060604 12:23:01)
質問文の「日本は,西欧以外で唯一の帝国主義列強になっていた」に
よれば、日独伊の三国同盟が、英米連合国と露中共産同盟に挟まれて、
三発目以降の原爆をものともしない状況を空想させます。
(たとえ東南アジア・朝鮮半島・モンゴル辺境を併合支配したとしても)
織田信長が長生きしたとして、彼を絶対君主とする官僚システムを構築し、常備軍を持つ中央集権国家が作れたかどうかがポイントになるんじゃないでしょうか?
織田信長自身は価値観を転換させる神がかった人物ですが、彼の取り巻きや後継者がそこまで進歩的であったかどうか?
封建制を維持したまま西洋の宗教や文物を際限なく取り込めば、他のアジア諸国と同様に、そのうち列強に食い荒らされたんじゃなかろうかと思うのですが。
織田信長が殺されたのは、西洋文明が侵略のみを目的としている実態に気付き、西洋とは一線を画して、独自路線をとろうとしたためです。したがって、黒幕はイエズス会です。
その後、なんとか侵略を防ぎ、鎖国に乗り出しすことに成功した日本も、茶の湯や国学という、実態は日本乗っ取り勢力の手先の活躍(密室による情報交換とキリスト教的価値観を取り入れた神道を利用した統幕)によって、いよいよ危なくなりました。
ついに、乗っ取りが起きたのが明治維新です。その後の帝国主義や敗戦も、日本人による主体的な活動ではなく、システムの中で与えられた役割にすぎませんでした。
こう考えると、信長が死んでもなんとか持ちこたえていた江戸時代の日本が奇跡であり、明治以降の日本は現在まで続く植民地支配の中にあるという認識になります。
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