第二次世界大戦の本を読んで疑問なことがありました。


・日本軍は欧米による支配を許さないために戦争をした。
・日本は植民地支配などしなかった。

といったニュアンスが必ず書いてあるのですが、
中国大陸とオーストラリアに関しては話が違うように思えてしまいます。
中国の大連に日本軍の拠点を構えたのは対ロシアに向けた措置と、
ロシアから獲得した満州鉄道(租借地)の維持だったと韓国の教授が書いており、
それなりに納得する部分はありました。

しかしオーストラリアへは何をしに行ったのでしょうか。
そして中国大陸に付いても対ロシアに向けた以外の理由があったのではないか、
と疑問を持つようになりました。

この2つについて教えて下さいませんでしょうか。

宜しくお願いいたします。
この2つについて

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id:Baku7770 No.4

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http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n10-7.htm#03
何故日本はオーストラリアと戦ったのかって、実は日本は何故太平洋戦争を戦ったのか、どう戦おうとしたのかに繋がるものがあります。オーストリアはその上で戦っておかなければならない相手というか、たまたまそこに国があるから戦わざるをえない相手だったと言えます。
太平洋戦争は米国の禁輸政策によって追い込まれた日本が局面を打開しようとして真珠湾に奇襲をかけたところから始まります。
実際に目指したのはスマトラ、ボルネオの石油資源でした。
もう一つ。フィリピンの奪還を目論んで侵攻してくる米国艦隊を待ち伏せて迎撃しようという構想を開戦前から日本は持っていました。そのためにはニューギニア辺りも抑えたい。ところが、オーストラリアが元気だと挟み撃ちにされてしまう。そのために空爆を加えたんです。

で、中国に攻撃を加えた理由でここまでで書かれていないのが、思想の壁です。
日本は朝鮮半島を日本の一部としていたんですね。ですから戦後処理で問題となったのが国籍が一時なくなってしまうんですよ。
で、現在だと北朝鮮と韓国に分かれてそれぞれが思想の壁としての役割を果たしてくれていますが、一つでしかも日本本国と一体と考えたものだから、中国の民族独立運動や抗日運動の流れが入ってくるのを恐れたいうものです。
食料については当時から国内生産だけでは不足していましたから、そっちの方が大きいとは考えます。

id:doa165

今回の何気なく疑問に感じてオーストラリアの件を質問しましたが、
まさかこれほどハイレベルな返答を頂けるとは思いもよりませんでした。
最後の食料に関する話など考えたことはあっても食料に関係するとは思いませんでした。
非常に得られるものがありました。
心より御礼を申し上げます。

2013/07/22 11:03:01

その他の回答3件)

id:dawakaki No.1

回答回数797ベストアンサー獲得回数122

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・日本軍は欧米による支配を許さないために戦争をした。
・日本は植民地支配などしなかった。

この表現が曖昧です。
欧米による支配から東アジアを解放しようとする目的があったのは確かです。
また、イギリスが得意とする三角貿易による搾取という意味での植民地支配はしていません。満蒙開拓は日本の支出(投資)超過だったというのが史実です。

日本はオーストラリアの支配は目論んでいませんでした。
日本軍がオランダ領東インド諸島を占領したのに対抗しようと連合国軍が北オーストラリアにある各基地を使用するのを妨害するために空爆しただけです。

中国大陸進出は、貿易と農地開拓のためでした。
たとえば大連は、日露戦争でロシアから租借権を譲り受け、貿易都市とするために建物の建設や鉄道(満鉄)の整備を行いました。資金は日本が出しています。
また、農地開拓では日本から農民を送り込んでおり、本国民を支配層として送り込んだ欧米の植民方式とは一線を画しています。

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id:dawakaki

韓国併合については、併合後暫くして、日本国内で朝鮮人に選挙権を与えるなど、日本政府は朝鮮人の権利保全に配慮しています。
ただ、創氏改名のような日本文化を押しつけたという点で、朝鮮人からすれば“支配”を受けたという記憶が残ってしまったことは否めません。

植民地の定義について国際標準があるわけではないので、結局、正解は出ないでしょう。

2013/07/19 13:00:40
id:doa165

なんとも明快な回答に有難うございます。
何冊か読んだ中で創氏改名は強制ではなかったと書いてあり、
しかし強制でなければ何のための創氏改名だったのか、
自分の中で創氏改名は疑問の中の疑問でした。

2013/07/22 09:25:55
id:takejin No.2

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国家の行った行為に関する記述は、眉に唾つけないとダメというのが根本です。
過去の歴史書の真偽は、政治勢力にしたがって捻じ曲げられているのが道理ですから。
(中国の史書、日本の日本書紀等、枚挙にいとまがありません)
特に、教科書をいじるのいじらないの、侵略だの進出だの、決着のつかない押し問答が繰り返されているのですから(南京事件も虐殺じゃない、事件はなかった、大虐殺だと、1世紀も経っていないのにです。)。
立場を異にした著書を、たくさん読んで解釈するか、識者に聞くかというところになってしまうわけです。(史実は一つなんですけど)

南方戦略は、大東亜共栄圏を提唱し、欧米の覇権主義から解放すると称していました。が、実は資源の少ない大日本帝国が、資源を求めて触手を伸ばしてるに他ならないわけです。中国の石炭、東南アジアの原油、太平洋の島々をたどる足場、オーストラリア・ニューギニアの大地と資源等々は、当時の日本にとっては何をおいても欲しい物だったはずです。
(というのも、一つの意見でしかありません)

侵略ではないと口では言っても、日韓併合はどう見ても植民地化であるし。満州国建設も国土の剥奪だと思うし。増える人口のはけ口と、生産性確保という命題は、島国にとっては、侵略しかないという軍部からの回答だったのでしょう。

それらを、今、どのように記述するかは、個人の見解が重きを占めてしまうようになりました。当時のことを肌で体験している人が、かなり減ってきたこともあるでしょう。また、当時のことを知っている人たちは、戦前の教育にさらされています。この要因からも、偏った記述になる可能性があるということです。

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id:takejin

植民地の定義にもよります。私の感覚では、◯◯国民と言えなくなれば植民地、と言う広い定義です。
これだと、グアムも植民地ですが。

2013/07/19 20:57:49
id:doa165

素晴らしいご意見ですね。
というのも僕は歴史書を読むだけ読んで、
例えば或る本に「日本は正しいことをした」と書いてあれば、
その或る本に従って日本は正しかった何も悪くなかった目出度しメデタシ、
というのは簡単すぎることだし無益な自己満足=時間の浪費だと思うからです。
植民地=○○国民と言えなくなれば植民地を今後の参考にさせて下さい。

2013/07/22 09:35:05
id:kyokusen No.3

回答回数824ベストアンサー獲得回数86

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 中国大陸進出(侵略)と南方作戦(オーストラリア侵攻)を同列に考えるとややこしいですね。
 
 中国大陸への進出は、まず日清戦争あたりから話が始まります。それは大韓帝国をどちらがコントロールするか、という戦争だったのですが、日本が勝利して大韓帝国の監督権(?)と中国領土の一部を得ます。後、日露戦争が始まりまして、ここでもやはり大韓帝国を巡って日露が中国や満州で交戦する訳なのですけれども、結果一応日本が勝利し、ロシアが持っていた中国領土の租借権を得ます。……こうやって書くと中国と韓国は何してたん? という気分になりますね、ええ。
 当時中国は西洋の列国が租借地を持ってまして……香港とかマカオとか有名ですが、そんなこんなで各国が喰い物にしていた感があります。そんなこんなで日本も中国進出を行っていた訳ですね。

 で。
 第一次世界大戦が発生して日本は日英同盟に沿って連合国側として参戦。主にドイツと交戦し、ドイツが持っていた南洋諸島の統治権や中国における租借権などを得ます。
 この第一次大戦において、日本は戦争地域から遠く離れた連合国への軍事物資供給工場として好景気に沸き、太平洋・中国での利権をドイツから剥奪していくのですが、ここで英国からは欧州戦線への陸軍派遣を要請されたものの、欧州の為に日本青年の血を流す事は許容されない(第一ドイツが勝つだろうから英国なんかほっておけ)という世論よりそれを断るのです。その代わり中国に陸軍を送り、中国における利権獲得に走った為に英国に恨みを買い、結果日英同盟が終了します。

 さてお立会い。
 第一次世界大戦が終結し、景気が後退した日本は米国発の世界大恐慌に巻き込まれます。その上英国や米国は敵となり……米国はその頃、日本移民によって白人が職を奪われた云々と持ち前の白人優越主義に加え、ドイツの宣伝の為に日本を敵としてみていたんですね……様々な事があった挙句に日本は更なる中国進出……満州進出を拡大していきます。それによって発生したのが日中戦争です。
 日本の満州国建設はそういう意味において植民地とは言い難いかも知れません。なぜならば、西洋諸国における『植民地』というのは、その植民地において何かを生産させ、その売り上げで自国製品を買わせるというようなものなのですが、日本の場合は国民を放り込む為の土地を得るために進出しました。イギリスのインド開拓団とか聴いたことないですよね? 日本の満州開拓団というものは存在します。

 まぁ、それはさておき。
 日本は日本人が生き延びるために、農業をするために中国に押しかけていったのですが、中国側からすればまぁ、時刻の土地に勝手に入ってきて! 我が物顔するし!! と怒り出して当然。幾つかの洒落にならないような事件が発生して後、日中戦争になるのですが、実はこの戦争十五年戦争と呼ばれるほどの長期戦争になっています。その為編み出されたのが『五族協和』というキャッチコピーで、それが後の大東亜共栄圏へと発展していくのだろうと思います。
 だだっ広い大陸の平原。いつ襲ってくるかわからない便衣兵(ゲリラ)。朝起きたら隣の部屋で戦友が首を掻っ切られて死んでいたとかあったそうです。攻め込めば攻め込むほど奥に逃げていく中国(国民党)政府。伸びる補給路に襲い掛かってくる紅軍という、もう一体何のためにこんな事してるんだ! という状況の中、戦争を継続するためにそういう事を言い出したらしいんですが、まぁ。えぇ。詳しくは『日中戦争下の日本』という本がありますので読んでみてください。


 さて。
 そんなこんなで中国の工作(南京大虐殺というのもその工作だったのではないかという話があります)もあって『中国の無垢な市民を迫害する日本討つべし』という論調に傾くアメリカと日本は戦端を開きます。これが太平洋戦争……もしくは大東亜戦争です。
 太平洋戦争については様々な話があるかとは思うのですが、それはおいといて、日本の軍部の中にも意見の相違があり、短期決戦を主張する派と長期戦を主張する派がありました。短期決戦の急先鋒はもちろん山本五十六提督という事になるかと思うのですが、そもそも戦争によって利益を目論む人々は長期戦を望むのですね。そんな中で長期戦派は南方における資源確保、将来連合国側の反攻拠点となるであろうオーストラリア方面への侵攻を企図した訳です。

 結論からすると、まぁ、アメリカは太平洋の島々を飛び石的に占領し、制海権・制空権を得て通商破壊や長距離爆撃で日本を兵糧攻めにした上で焦土とし、その上に原爆の実験台にまでしたのですけれども、まぁ、なんというか、という気分になりますね。

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id:kyokusen

なるほど、満州事変から太平洋戦争までひっくるめて十五年戦争っていうんですね。
ところで上海事変とか通州事件とかってどうなりましょうね? 日中戦争は盧溝橋事件以降と認識するか、太平洋戦争開始時と認識するかでもややこしい気はします。

2013/07/18 23:14:02
id:doa165

あまりにも新しい展開と知らない単語があったため、
どう返答しようか非常に迷いました。
満州を制圧したら何をしたかっのか、
どうも無知がゆえか分からないままでした。
でも少し気分が晴れました。
因みに満州開拓団というのは知りませんでした

2013/07/22 10:53:32
id:Baku7770 No.4

回答回数2832ベストアンサー獲得回数181ここでベストアンサー

ポイント50pt

http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n10-7.htm#03
何故日本はオーストラリアと戦ったのかって、実は日本は何故太平洋戦争を戦ったのか、どう戦おうとしたのかに繋がるものがあります。オーストリアはその上で戦っておかなければならない相手というか、たまたまそこに国があるから戦わざるをえない相手だったと言えます。
太平洋戦争は米国の禁輸政策によって追い込まれた日本が局面を打開しようとして真珠湾に奇襲をかけたところから始まります。
実際に目指したのはスマトラ、ボルネオの石油資源でした。
もう一つ。フィリピンの奪還を目論んで侵攻してくる米国艦隊を待ち伏せて迎撃しようという構想を開戦前から日本は持っていました。そのためにはニューギニア辺りも抑えたい。ところが、オーストラリアが元気だと挟み撃ちにされてしまう。そのために空爆を加えたんです。

で、中国に攻撃を加えた理由でここまでで書かれていないのが、思想の壁です。
日本は朝鮮半島を日本の一部としていたんですね。ですから戦後処理で問題となったのが国籍が一時なくなってしまうんですよ。
で、現在だと北朝鮮と韓国に分かれてそれぞれが思想の壁としての役割を果たしてくれていますが、一つでしかも日本本国と一体と考えたものだから、中国の民族独立運動や抗日運動の流れが入ってくるのを恐れたいうものです。
食料については当時から国内生産だけでは不足していましたから、そっちの方が大きいとは考えます。

id:doa165

今回の何気なく疑問に感じてオーストラリアの件を質問しましたが、
まさかこれほどハイレベルな返答を頂けるとは思いもよりませんでした。
最後の食料に関する話など考えたことはあっても食料に関係するとは思いませんでした。
非常に得られるものがありました。
心より御礼を申し上げます。

2013/07/22 11:03:01
  • id:seble
    歴史の解釈は難しいです。
    まず、動機は権力者の心の中の問題で、第三者からは伺い知る事はできません。結果を見て、たぶん、こういうつもりだったのだろうと推測しているだけだし、後の権力者が支配しやすいように世論誘導もします。
    しかも、権力者が唯一絶対という事はあまりなく、他の権力者とのバランスや側近からの誤った情報などなど、様々な要素がからみあって結果が出ますので、個別の権力者の動機はさらにあいまいになります。

    東アジアを開放するのは日本の支配下におこうとする意図が明白であり、どう支配するかという部分はさておき、開放という言葉は明らかにプロパガンダに過ぎず、実態としては支配者が替わっただけですね。
    欧米の支配を許し難いのは日本が支配したいからであり、当時の日本は今ほど民主主義でも何でもないですから、字義通りに開放しようとする意図は無かったと思います。

    植民地支配をしなかったというよりも、戦争が日本勝利で終結しなかったので植民地とするまでには至らなかっただけです。
    日本が勝利した場合に中国その他をどう支配したかは推測しかできませんが、戦時下とはいえ民間人を相当弾圧しましたから、平時になったとしても基準となる思考は同じでしょう。
    日本人を大量投入したのも、中国人を統制する事ができなかったという面もあるでしょう。
    台湾は直接の戦闘で獲得したのではないので、空気がだいぶ違うと思います。
    直接の戦闘、武力行為で支配した地域で、地元人民の協力が得られるハズもなく、それがさらに弾圧、日本人の大量投入により支配力強化という方向へ向かったのかと推測します。
  • id:doa165
    とても頷いてしまうご意見で、
    まさに朝鮮のパク・チョンヒが権力者だった頃はキム・デジュンとの目に見えない抗争があったと読みました。

    そして或る同じ解答でも解答に至るまでのプロセスが違ったりすることもあるそうだし、
    ともすれば事実の確認は容易ではないなと痛感させられました。

    ありがとうございます。

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