ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼツは「過去に目を閉ざすものは将来に向かって盲目である。」という言葉を残しています。
また、その理由としてはアメリカのジョージ・サンタヤーナがこんな言葉を残しています。「過去を思い出せない者は、それを繰り返す運命にある。」
例えばヒトラーの呪縛はとても悲惨な過去であったが、その過去は過去に生きていた人々の苦しみ。それを体験していない私たちはその苦しみを真に理解することはできない。真の理解は不可能だが、繰り返してはいけないものと現代に生きる人々も認識せねばその過去の悲惨な出来事を私たちは再び繰り返しかねないだろう。つまり、何故その出来事が悲惨なのか、何故起こってしまったのかを知らなければそれは繰り返されるものだから私たちは歴史を学ぶ必要があるのだと思う。
私の見解ですが、参考になればと思います。
見ざる、聞かざる、言わざる ~ 習わず、学ばず、考えず ~
── 自伝について「昔の私を書かなければ、いまの私を書けないわ」
完成された対話術。このような天才は、とりとめない無駄話の愉しみ
を知らないのではないか。(ジェーン・フォンダ自らを語る)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19371221
輝石の女 ~ 何がジェーンを生んだのか? ~
http://q.hatena.ne.jp/1293088772#a1051694
はてな回答抄 ~ わたしの拾読文庫より ~
http://q.hatena.ne.jp/1278649036#a1026213
時の風景 ~ わたしの本棚より ~
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1805071.html (No.5)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5837121.html (No.1)
論語の行方 ~ 論語学よりも論理学を ~
──(通釈)愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。(ビスマルク)
──(私釈)たった一度の史実よりも、いくたの経験に学ぶべきである。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7227114.html (No.12)
それは歴史は事実だからです。
小説のあらすじを暗記することの意味は無いでしょう。
所詮誰かが作った作り物です。
でも歴史は違います。
歴史は実際に起こったことをできるだけ正しく再現した物語です。
つまらないありふれた話だと思っても、それが実際にあったことだと思って読むとぜんぜん違います。
第二次世界大戦では鉄の戦艦を海に浮かべて実際に戦闘をしました。
それはゲームやアニメとは比べものにならないすごいことだと思いませんか?
そして歴史を学ぶことにはもう一つとても大事な意味があります。
人間の歴史というのは戦争の歴史がほとんどです。
戦争が繰り返されるたびに多くの人の命が無意味に失われた歴史を学ぶことで、
そこから反省し自分達の未来を作ることができるのが人間であると思います。
ロシアの諺に、「昔のことを覚えている者は、片目が飛び出す。忘れる者は両目とも」というのがあります。
歴史(英語のhistory = hi-story, フランス語では歴史とお話はともにhistoireです)は、言葉情報であるので、それがいったいどこまで正しいのかということを確かめなくてはなりません。
歴史を学ぶというのは、なんでも片っ端から読んで、信じるのではなく、何が正しいかを考えながら学ぶ必要があります。
だから権力からもうとまれて、「片目を失う」のでしょうね。
しかし、歴史に学ばない人たちは、命を奪われます。
福島の原発が爆発したときに、チェルノブイリで何が起きたか、政府がどう説明したかを知っていた人は、日本政府の枝野官房長官の言葉を、話半分か嘘だと思って聞いていたわけです。
おかげでひどい被曝をしなかった人もいると思います。
学校の学ぶ教科としての歴史ではなく、広義として歴史として回答しますね。
「愚者は経験に学び,智者は歴史に学ぶ」はビスマルクの言葉。
人間は愚かであり、繰り返し何度何度も同じ間違えをします。人の経験、知識の集まりである歴史から学ぶ必要があるということ。
何千年経っても戦争を繰り返しおこしているのは人の愚かであり、業の深さです。賢くありたいですね。
ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼツは「過去に目を閉ざすものは将来に向かって盲目である。」という言葉を残しています。
また、その理由としてはアメリカのジョージ・サンタヤーナがこんな言葉を残しています。「過去を思い出せない者は、それを繰り返す運命にある。」
例えばヒトラーの呪縛はとても悲惨な過去であったが、その過去は過去に生きていた人々の苦しみ。それを体験していない私たちはその苦しみを真に理解することはできない。真の理解は不可能だが、繰り返してはいけないものと現代に生きる人々も認識せねばその過去の悲惨な出来事を私たちは再び繰り返しかねないだろう。つまり、何故その出来事が悲惨なのか、何故起こってしまったのかを知らなければそれは繰り返されるものだから私たちは歴史を学ぶ必要があるのだと思う。
私の見解ですが、参考になればと思います。
こんな話があります。
2012/03/15 08:51:52友達が「歴史とか勉強する意味ねぇよ。過去じゃん」と言ってきた。
僕は迷わず彼の右頬をぶん殴った。友達は半泣きになりながら「何すんだよ!」
と叫んだ。
僕はもう一度拳を振り上げる。咄嗟に防御の姿勢をとる友達。拳を下ろしながら
僕は言った
「そうやって防御できるのも過去を学んだおかげだろうが!」
ハッと何かに気付いたように、友達は涙を流し謝ってきた。
僕はテキトーな事を言ったのに何コイツ泣いてるんだと思った。