しかしながら,実際にはその逆の使い方をされているように思います。つまり「α係数によって尺度の同質性を語る」ということです。私は何かそこに奇妙なものを感じてしまいます。すなわち,「同質であるからこそα係数を算出することができ,それは尺度の物差しとしての信頼性を語るときに使うべき値なのに」と思うのです。
もちろん,何か理解が間違っているのは私のほうであり,世間一般が正しいのだと思います。私の理解はどこが誤っているのでしょうか。統計にお強い方,教えて頂けないでしょうか。よろしくお願いします。
正論であり、その考え方が違っているとは思いません。
「必要条件」「十分条件」という考え方で、逆も真なりと証明されていないときに、逆を使ってしまっている状況だと思います。
世間一般では、そのような厳密なことを考えないのが普通なので、たまに違うことがあったとしても大体が逆も真なりということなら、認めてしまう傾向があるので、ご質問のような状況になっていると思います。
日本での数学教育の問題でしょうかね。
>尺度の信頼性が高いというのは「測定誤差が少ない」ということと思います。
合っています。
>その程度を表すのが「信頼性係数」だと思います
合っています。
>そして信頼性係数を推定した値として,スピアマンブラウンの修正式やα係数があると思います。
合っています。
>尺度を構成する項目がそもそも同質のものでなければならないと思います。
合っています。
>同質であるからこそα係数を算出することができ,それは尺度の物差しとしての信頼性を語るときに使うべき値なのに
α係数は同質であることの必要十分条件です。
すなわち、同質であるからα係数を導くことができるができると同時に、α係数が存在していれば同質であることの証明にもなるのです。
信頼性係数はふたつのデータ(回答結果)の相関係数ですから類似しているかどうかを表すのみです。
例えばふたつに分けた設問が前半と後半で全く違う内容だった場合に信頼係数がたまたま高い数値になった場合を考えれば明らかです。
http://www4.ocn.ne.jp/~murakou/reliability.htm
α係数はその尺度内での一貫性を表す指標なので,極端な話,全く同じ項目を二つ並べるとα係数は1になってしまいます。つまり項目数が少なくても,非常に似通った項目を作れば,α係数は高まってしまうのです.この点には特に注意する必要があります。現実の問題として,心理学の構成概念のような曖昧なものは,一つや二つの項目で測定できるものではありません.少しずつブレのある多数の項目を用いて,初めて測定できるものです.つまり非常に似通った少数の項目を使って尺度を構成したとき、確かにα係数は高まるかもしれませんが,それでは測定しようとする構成概念を測定できない,言い換えると妥当性の面で問題が生じる可能性があります.
コメント(2件)
今までと同じ条件ならば今後はどうなるかを予想するのが目的です。
それも時系列順に並べてのラインを予想します。
しかし、細かい変動は始終起こりますし、前提条件の変化も変数として組み入れるには大き過ぎます。
現実との差を縮める為に挿入する変数として様々な手段がありますが、所詮は前提条件が変わらない場合の変数です。
色々なフェーズを統計的に処理して前提条件を変数として表現できるなら、確率的に未来を予想できると思います。
そして、予想との差を解析すれば、どのようなバイアスが掛かっているかを計算上は表現できると思います。
ラプラスの魔には負けますが。
そうですよね,統計技法の多くは,実際には集めることができない無限性のある母集団について予測を立てることだと思います。
そして信頼性係数も,無限回の測定という実際には実施が不可能な母集団の分散を仮定し,実際のサンプルの分散がその分散とどの程度一致しているか,割合で表した数値だと思います。
私が奇妙に感じるのは,ところが現実を見れば,α係数は尺度の信頼性を語るためではなく,尺度の内的一貫性を語るために使われている点です。そもそも「尺度が同質の項目で構成されている」という大前提があるからこそ,折半法を用いることができ,信頼性係数の推測値を求めることができるのだと思います。
なのに,その大前提の正当性を示す値として信頼性係数を用いるというのは,まるで循環論法なのではないかと思ってしまうのです。
私の理解のどこかに何か誤謬があると思うので,そこを指摘して頂ければありがたく存じます。