玉音放送並びに戦争終結の日がお盆にあてられたのは単なる偶然でないことは想像に難くありません。
仮に連合国軍側または日本政府内にお盆に戦争を終結させるシナリオを描いた人物がいたとして、8月6日広島、8月9日長崎への原爆投下を始めとする終戦に向けたスケジュールを8月15日前後に戦争終結宣言を引き出すために逆算して進められていったのではないかと想像します。
そこで質問ですが、この様な持論や事実を述べた書籍(フィクション、ノンフィクション問わず)や、同様の主張をしている人について教えてください。
>連合国軍側
質問者の fmht7 さんご自身がコメント欄で調べられているように、連合国側では降伏文書調印が行われた9月2日が対日戦勝記念日ですので、「お盆に戦争を終わらせる」というこだわりは感じられません。
>日本政府内
一方、日本側は今日に至るまで8月15日に強いこだわりを見せています。
佐藤卓己氏の『八月十五日の神話 ~終戦記念日のメディア学~』(p149~p151)では、数日間という範囲ですが「お盆に戦争を終結させる」ように当時の日本政府が微調整した可能性が指摘されています。
八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)
- 作者: 佐藤卓己
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/07/06
- メディア: 新書
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佐藤氏は、第一回目の御聖断(8/10)があった後、『木戸幸一日記』8月11日の記述に、この日天皇のラジオ放送の準備が出来ていたことが書かれていることを指摘し、玉音放送の録音&放送日が微調整された可能性は無視できないと主張しています。
(ただし、国体護持の確約をとるためバタバタしている11日時点で玉音放送がはたして可能だったのかは微妙ですが→終戦の聖断)
さらに同書で佐藤氏は、戦前において既にお盆が戦没英霊を祀る日として確立していたことを指摘しています。
1933年には8月13日から15日までの3日間、満州事変に伴う戦死者の霊を迎える「盂蘭盆会法要」がラジオで全国放送され、これが玉音放送を経て今日の「8・15戦没者慰霊行事」の古層になっていると述べています。
(ただし、meefla氏のコメントにあるように、お盆と言えば8/15の他に7/15もあり、戦前・戦中の戦没者慰霊「盂蘭盆会法要」ラジオ放送も、7/15と8/15の両方で行われていたとのことです)
『八月十五日の神話』の目次や関連記事については、拙ページもよろしければ参照下さい
詳細な回答ありがとうございます。
『八月十五日の神話 ~終戦記念日のメディア学~』は私もコメントに書いた
ことを調べている時に見つけ気になっていました。一度読んでみたいと思います。
http://blskweb.nichibun.ac.jp/lapis/detail.do?id=170 でも佐藤卓巳氏が
メディアが8月15日を後世に終戦の日とするキャンペーンを行った旨話がありました。
何故8月15日が終戦の日とされたか?については
http://d.hatena.ne.jp/mame-tanuki/20100815/Reading815 に書かれている
の一文で腑に落ちました。
「9/2を記念日にすると国民がずっと負い目を負わなくてはならなず、後の代の国民に直接の責任はないから記憶に留めておけば充分」といった配慮がなされたのかもしれないと感じました。
終戦にいたる歴史はもう少しつっこんで理解を深めていきたいと思います。
8月15日に降伏をせまる明確な意思はなかったとしても、何がしかの思惑が
働いていた可能性を否定するには至らないのかなとも思います。
(今晩のNHKスペシャルでもそのあたり取り上げられていましたが、途中で寝落ちしてしまいました^^;)
終戦にまつわる歴史や人々の思想について理解を深めることができる書物など情報あれば、この後の回答やコメントでお寄せいただけるとうれしいです。