「正直」だったとすれば虚栄心の問題になり、「勇気」があったとすれば権力の問題になり、この逸話の意味が変わってくると思います。
ちなみに私の解釈は前者で、子供はがんばって勇気を振り絞ったのではなくて、何も考えずに見たままを口に出しただけ(=ただの馬鹿正直)と思いました。王様の服を褒めた民衆は、権力を恐れてのことではなく、「裸に見える=自分が馬鹿である」ことを認めたくなったことから、服が見えると嘘をついたのだと思いました。
反論や別の解釈があればよろしくお願いします。
質問の趣旨とは違いますが、私は以前から裸の王様の物語に疑問があります。どうして「バカには見えない服を着る」なんて事が出来るのでしょうか?。
少し考えれば誰にでも分かることですが、「バカには見えない服を着る」ということは、その服を着れば「バカに対しては裸を晒す」ということです。たとえその服が自分には見えていたとしても、バカな他人には透明なわけですから。
特に、王様自身にとって見えていない以上、王様は「周囲の人間がすべて自分と違いバカではない」という確信がなければ着られないはずなのです。何しろ自分の目には透明に見えるのですから、自分と同等以上のバカにとっても同じであるのは確実なわけで。
もちろんこれは王様だけでなく周囲の臣下も同じです。自分が見えている・いないに関係なく、誰か一人でも仕立屋に「その服を着た姿はバカにはどう見えるのか」という簡単な質問をすれば被害は避けられたわけですから。
これはつまり、王様も臣下も結局は、この程度のことも思い至らなかったバカであるということで、そう考えると実はこの「バカには見えない服」は実在していて、単に王様も臣下も国民も一人残らずバカであったという解釈も成り立つのではないでしょうか。
私もただの馬鹿正直と思います。こちらの本の「第2巻第5章恐れと大胆さ/いかなる状態の時大胆か」にいい例え話がありました。
●弁論術 (岩波文庫) [文庫] アリストテレス (著), Aristotelis (原著), 戸塚 七郎 (翻訳)
※参考URL
http://d.hatena.ne.jp/rsc96074/20110425/1303682189
それから、民衆の行動については、「アッシュの同調実験」を思い出しました。
●psycho lab. : Learn to Psychology! : 心理学の基本 : 文化や社会と心
・子供はただの馬鹿正直
・民衆の行動は、アッシュの同調である。
なるほど。
民衆の行動はただの虚栄心だと思ってましたが、アッシュの同調という解釈もあるんですね。
勉強になりました。
服を褒めた民衆は権力を恐れてのことだと思います。
誰だって死ぬのは怖いですから。
・民衆は権力を恐れて褒めた
・裸だと言うと死刑になると思った
もしそうだとすると、子どもは罰を受けるはずなのですが、どうして子どもは処刑されなかったのでしょうか?
私も子供は正直に見たままを素直に言っただけだと思います。大人達についての解釈ですが
大人は色々なものにしばられています。黒を白だといわなければいけないこともあります。
なのでこの物語は、大人は権力や世間体に縛られていることを表現していると思います。
・子供は見たままを言っただけ
・大人については、世間体や権力など要因は複合的である。
子供については、やはりそうですよねぇ。
質問の趣旨とは違いますが、私は以前から裸の王様の物語に疑問があります。どうして「バカには見えない服を着る」なんて事が出来るのでしょうか?。
少し考えれば誰にでも分かることですが、「バカには見えない服を着る」ということは、その服を着れば「バカに対しては裸を晒す」ということです。たとえその服が自分には見えていたとしても、バカな他人には透明なわけですから。
特に、王様自身にとって見えていない以上、王様は「周囲の人間がすべて自分と違いバカではない」という確信がなければ着られないはずなのです。何しろ自分の目には透明に見えるのですから、自分と同等以上のバカにとっても同じであるのは確実なわけで。
もちろんこれは王様だけでなく周囲の臣下も同じです。自分が見えている・いないに関係なく、誰か一人でも仕立屋に「その服を着た姿はバカにはどう見えるのか」という簡単な質問をすれば被害は避けられたわけですから。
これはつまり、王様も臣下も結局は、この程度のことも思い至らなかったバカであるということで、そう考えると実はこの「バカには見えない服」は実在していて、単に王様も臣下も国民も一人残らずバカであったという解釈も成り立つのではないでしょうか。
・そもそも物語がおかしい
・実は本当に「バカには見えない服だったのだが、全員バカだったから裸に見えた」
すごい!
新しい解釈ですね!
しかも筋がとおってる。
解釈は色々ですが、
例えば、馬鹿という言葉もそのようなニュアンスがあります。
正確なソースは分からないのですが、
秦の始皇帝の時代、宦官が権力を持っていてその見せしめに、
鹿を持ってきて馬といったそうです。それで「鹿」といったものを
処刑したそうですよ。
http://gogen-allguide.com/ha/baka.html
ここでの意味は、
権力をもって押し通すという意味での「馬鹿」なので、
今の意味とは違うんでしょうね。
さて、裸の王様は、権力を恐れてという話だったと思います。
ただ解釈として、裸に見えるといって自分が馬鹿なのでは?と思われることも、
含めた意味でこちらは解釈していました。
「裸の王様」がいて、「どうだわしの衣装は」といったとき、
「冗談?」「衣装はないけど、どうしたんだ?」「何か心的な病?」とか
色々思ったかもしれません。
それを発展させれば、「裸といったら馬鹿と思われるのか?」となって、
「他の人はどう見ているだろう」的な、自分ではなく他人がどう思うか、
いわゆる空気読みをした可能性もありますね。
解釈は色々出来ると思うので、正解はないと思った上での回答です。
?
質問者に同感です。
ただ馬鹿正直というよりも、ソレしか考えられなかったのでしょう。
オトナのように紆余曲折した理解が不可能であった!
これがまた、いいところなんです。
別の言い方をするとコドモは天使だとか、無邪気だとか、純粋だとかもいいます。
いうならば世間知らず(=無知)なだけですが。
・ソレしか考えられなかったのでしょう。
・オトナのように紆余曲折した理解が不可能であった!
・これがまた、いいところなんです。
なるほどなるほど。
子供のよい一面に着目ですね。
子供は見たままを素直に言ったのだと思います。
小さい子供が犬をみて「わんわん」と言ったり、蝶をみて「ちょうちょ」と言ったりするように、見たままをそのまま口にしたのだと思います。
大人は「他の人には見えているのに自分には見えないのは恥ずかしい」「人と違うのは恥ずかしい」と思ってしまったのではないかなと思います。
ちょっと違う考え方かもしれませんが、子供は「馬鹿には見えない服を王様が着ている」という事を誰からも聞いていなかったかもしれないなとも思いました。
何も情報が無い状態で裸の王様をみて、裸なのにみんなは着てない服を褒めたりしているので不思議に思うのと、その状況がおかしくて「王様は裸だよ」と言ったのかもしれないなと思いました。
・子供は見たままをそのまま口にした
・大人は、羞恥心から嘘をついた
物語中の子ども自身は正直に言っただけだと思いますが、
この物語から得られる教訓としては「虚栄心」と「権力」どちらもではないでしょうか。
まず物語の前半部分で「虚栄心」を、後半部分で「権力」という問題を扱っているのだと思います。
もちろん物語中では「バカには見えない衣」という設定があるので、
王様や家来一同、バカだと思われたくない一心で、見えないことを告白しなかったということになっているわけですが、
この物語が言いたいのはそれだけではなく、むしろ一番重要なのは、
「間違っていることを間違っていると言えない」という状況についてだと思います。
問題は、その状況を作り出している原因が何なのか、ですが、
それは「バカには見えない衣である」ということ(これは主に「王様が見えないと言わなかった」ことに反映されている=つまり虚栄心)、
そして「相手が王様だということ」(こちらは民が言わなかったこと=つまり権力)の2点とも原因になっていると思います。
また、仮にこの物語が「虚栄心」のについてだけ言いたいものだとすると、王様という設定が無駄になってしまいます。
もしくは、王様が商人から見えない衣を買った、という時点で完結しても成立していると思います。
しかしこの物語のエンディングはそうではなく、あえて「王様のパレード」というシチュエーションまで描いているわけですから、
そこに「権力」という問題を提起していることは明らかだと考えます。
それから、よく政府の中や会社組織の中などでも、
トップ(総理や社長)が間違った事業を推し進めているのに、周りはそれに気づきながらも何も注意しない、
という状況のことを、「裸の王様状態」などと比喩することがありますよね。
ああいった場合明らかに「権力を前に正しいことが出来ない」ということを言い表しているものだと思います。
・子供は正直だった。
・物語の教訓としては「虚栄心」「権力」両方の問題が含まれている
・王様が、服を見えるといったのは虚栄心が原因
・庶民が、服を見えるといったのは権力が原因
なるほどなるほど。しっくり理解できました。
納得のいく解説をありがとうございました。
・そもそも物語がおかしい
・実は本当に「バカには見えない服だったのだが、全員バカだったから裸に見えた」
すごい!
新しい解釈ですね!
しかも筋がとおってる。