ふと自分の感性が世間様とどの程度ズレているのか知りたくなりました。
そこで質問ですが、太宰治の『人間失格』の中で一番印象に残っているシーンを教えてください。
※24日(日)の夜にオープン予定です。
多分、後半の「女のひとは、死にました。
そうして、自分だけ助かりました。」の部分ですね。
特に、淡々と語られているところが印象的でした。
その他にも印象的だった部分もあるのですが、それは、
「その時、自分は、みずからすすんでも死のうと、
実感として決意したのです。」というところ
(自殺志願者の心境が分かっていなかったので…)と、
これは絶対世間ズレしてると思われるかもしれないけど、
はしがきの、「人間は、こぶしを固く握りながら
笑えるものでは無いのである。」という部分…
実際にこぶしを固く握りながら笑えるかどうか気になり、
読みながらこっそりと試してしまったのですが、
結構、「やったー!」って感じの笑顔だと、
こぶしを固く握りながらガッツで笑える自分が
いるんですよコレがw
そしたら、その直後に「猿の笑顔だ。
ただ、顔に醜い皺を寄せているだけなのである。」と
書かれていたので、
Σ( ̄ロ ̄lll)<エエー!?)と思いましたw
一番、と書いてありますが、どうしてもどちらかに絞れないので2箇所挙げます。
まず一つ目は、最後(「あとがき」の直前)の一文、「自分はことし、二十七になります。」
シーンというより、「一言」になってしまうのですが、私にはとにかく衝撃的でした。
あまりにも濃く重い半生が語られていたので、終盤あたりは、「主人公は今40~50歳ぐらいじゃないか」という勝手な思い込みで読んでいたのですが、まだたったの27歳だったなんて!
もうひとつは、その一文に続く「あとがき」の部分です。
(念のため注記しておきますが、単行本に付記されている解説文の類ではなく、『人間失格』の本文の最後に出てくる「あとがき」です。)
正直、私はこの「あとがき」を読んでずっこけました。
「二十七になります」の衝撃が大きかったせいもあると思うのですが、「あとがき」直前の部分で生まれた余韻が、一気に冷めてしまったのです。
どうしてこんなものをつけてしまったのか。どうして主人公を「神様みたいないい子でした」と評してしまったのか。蛇足とすら思いました。
しかし改めて考えてみると、この「あとがき」は主人公への一種の救済の役目を果たしているのかもしれない、とも思います。
なにげなくした質問でしたが、自分と同い年と知ってビックリ!
本棚から引っ張り出して該当箇所を読んでみたら地元の船橋が出ていてビックリ!
himeichigoさんの記憶力(というよりは読解力ですかね)が羨ましい限りです。
最初に読んだ時は小学生だったと思います。ご飯を食べることへの疑問の箇所に共感したのをよく覚えています。
口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう ~中略~ これも一種の儀式のようなもので ~中略~ 食べたくなくても無言でごはんを噛みながら
新潮文庫 人間失格 太宰治 P.11より
親が共働きで、毎朝食パンを一枚食べてから行くように、とのノルマを言い渡されていたのが子供心に辛くて。飽きて飽きてもう嫌でしたね。まずいと思うから余計唾液もでないしぱさぱさして無理やり飲料で流し込んで。そんな頃図書館で読みました。子供なので難しい意味はわからなかったと思います。
図書館で一人『人間失格』を読む小学生--畏怖の念すら湧いてきます。
『はれときどきぶた』を読んでいた小学生の頃の自分に説教したくなりました。
『恥の多い生涯を送って来ました』
ここが一番印象に残りました。
この文章から、どんな人なのか、どんな生涯だったのか、それが気になってドンドン引き込まれていくという感じでした。
冒頭の所ですね。
登場人物に興味を持てるかどうかは重要ですもんね。日本でもっともキャラ読みされた小説かも。
多分、後半の「女のひとは、死にました。
そうして、自分だけ助かりました。」の部分ですね。
特に、淡々と語られているところが印象的でした。
その他にも印象的だった部分もあるのですが、それは、
「その時、自分は、みずからすすんでも死のうと、
実感として決意したのです。」というところ
(自殺志願者の心境が分かっていなかったので…)と、
これは絶対世間ズレしてると思われるかもしれないけど、
はしがきの、「人間は、こぶしを固く握りながら
笑えるものでは無いのである。」という部分…
実際にこぶしを固く握りながら笑えるかどうか気になり、
読みながらこっそりと試してしまったのですが、
結構、「やったー!」って感じの笑顔だと、
こぶしを固く握りながらガッツで笑える自分が
いるんですよコレがw
そしたら、その直後に「猿の笑顔だ。
ただ、顔に醜い皺を寄せているだけなのである。」と
書かれていたので、
Σ( ̄ロ ̄lll)<エエー!?)と思いましたw
後半の文章で思わず吹いてしまいました。絵が浮かぶ浮かぶ……。四コマ漫画にして欲しいぐらいです。
『文学少女』シリーズのスピンオフ企画で誰かこのネタ描かないかなぁ。
どアタマのここです。
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その男の(以下続くが略)
まず三葉の意味がわからなかったです。
三回ということだと思ってました。
それで「一葉は」と来るので、樋口一葉もいることだし、「一葉」という人が出てくるんだなぁと…。
第一の手記に入っても、「私」=「一葉」と思ったまま読み進める始末。だんだんに変だぞ?と思い、中盤ほどで「私」=「大庭葉蔵」ということに気づきました。
最初に読んだとき(中一かな?)の誤読と誤解が今でも印象に残ります。
「人間失格」と言われると冒頭の「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」と思ってしまいますね。(笑)そして誤読と誤解を懐かしく思う、という。
主人公の名前も葉蔵ですし、
「お父さん「葉」ってなに? 主人公の名前?」
「なんだ『人間失格』かぁ。なつかしいなあ。そうそう『葉ちゃん』なんて呼ばれたりしてな」
という会話がかつてどこかの家庭で行われていたかもしれませんね。
後半の文章で思わず吹いてしまいました。絵が浮かぶ浮かぶ……。四コマ漫画にして欲しいぐらいです。
『文学少女』シリーズのスピンオフ企画で誰かこのネタ描かないかなぁ。