みなさんは自分の親についてどのように思っていますか?
私は最近自分の親の馬鹿さ加減が目についてかなりイライラしてしまいます。
子供の頃はもう少し賢い親だと思っていたのに実はうちの親はこんなに馬鹿だったのか、と思って腹がたってきます。
DQN親だったというわけではなく、多分平均的な親なのではないかと思うのですが、
教養や見識の無さ、馬鹿さ加減に苛立ってしまい、
育ててもらったことに対して素直に感謝の念を抱くことができません。
そういう自分が人として終わってるのではないかという気もしてきます。
そこでみなさんの両親に対する思いを教えていただけないですか?
私に迎合するような回答をする必要はありません。
素直な気持ちを教えていただけないでしょうか?
ぼくの母は、昨年の11月に脳出血で倒れて以来、
寝たきりで喋れなくなってます。
言葉は少しわかるみたいです。
ぼくが描いた絵や、写真や、玩具を見せたら笑います。
その前は、母と二人暮らしでした。
ぼくが自分で買った服が可愛すぎるので、
もっと男らしい服を着なさいと言われてました。
ぼくが撮った写真や、ぼくが描いた絵を見るのは好きでした。
母と二人でテレビを見てる時には、
かっこいい人が出るたびに、あの人誰なのと言ってはしゃぐ癖があったのですが、
その事を注意された事は無くて、母も楽しそうでした。
そして、ぼくが別の部屋にいた時は、
トム・クルーズと、ディカプリオと、猫と、カエルと、珍しい動物と、星と、漫画家などがテレビに出てると、
呼んでくれました。
テレビを二台重ねていて、二人ともそれぞれ好きな番組を見ていましたが、
年末のジャニーズカウントダウンをは、二人とも好きなので、
両方とも同じチャンネルにしてたら、違うの見なさいと言われて、ちょっと喧嘩になってました。
それで、一台は、二番目に面白そうなチャンネルにして、
二人ともジャニーズカウントダウンの方を見てました。
二人でタイタニックを見てた時は、二台とも同じチャンネルでしたが、
その時は何も言われませんでした。
ぼくが見ている番組に、歌手が出て歌っている時は、母がぼくと同じチャンネルに合わせてました。
ティッシュはいらないのに、かっこいい人が配っていると、つい貰ってしまうのですが、
母は、ぼくがティッシュを持って帰ってきた時は、笑ってました。
ぼくが机に入れてた化粧品が無くなった事は無いです。
二人ともチョコレートが好きなので、数が少ないと取り合いになってました。
迎合しているわけではありませんが、おっしゃることわかります。
子供のころは、親は有能だと思っていたものですが、小学校高学年や中学生あたりからは親よりも自分の方ができたり、理解できたりすることが増えてきて、親に対する意識もかなり変化しました。
具体的なことはプライベートなので書きませんが、今思うと、親の勝手な気分で、ひどいこと言われたり、されたりしてきたな、ということはあります。当時はそう思ってはいませんでしたが、今思うと虐待といえるかもしれません。
それでも、食事とか習いごととか、人並みのことはやってもらっていたし、うちの親も世間的にいえば、平均かそれ以上だとは思います。
はたからみると、むしろ恵まれていると思われるかもしれません。
親を尊敬する、と言える人が羨ましいです。
>子供のころは、親は有能だと思っていたものですが、小学校高学年や中学生あたりからは親よりも自分の方ができたり、理解できたりすることが増えてきて、親に対する意識もかなり変化しました。
やはり多くの人はそういう経験があるのですね。
その先にどういう感情を持つかは人によって違うのかもしれないですね。
小学校高学年~中学の頃に、そういった感情をいだいていたのを覚えています。
両親のことは好きでしたし、まあもちろん自分より教養も見識もあったのですが
完璧を求めてしまい…反抗期のはじまりのようなものだったのでしょうね。
その後、父が他界して家がかなり大変な状況になりました。
もとから父親っ子だったので、父に対してはそういった感情は消えました。
母に対しては、いろいろな面で感謝・尊敬しつつも
一般的な家庭で「母」という立場にある人が与えてくれるような種類の
愛情を与えてくれないことに対しては不満をもち続けていました。
大学に入った頃からは、精神的に親離れができ
あまりそういった感情を持たなくなりましたね。
一個の人間として彼女を見ることができるようになり
今ではなにかあっても「まあそういう人だから」と思うだけで
失望したりはしませんね。つまりは期待をかけていないということかも。
>今ではなにかあっても「まあそういう人だから」と思うだけで
失望したりはしませんね。つまりは期待をかけていないということかも。
自分の場合それが出来ていないということなのだと思います。
子供のころはそうは思いませんでしたが、
最近ほど、
自分が大人になるほど、疎ましいと思うようになりました。
そういう自分が人として終わってるのではないかという気もしてきます。
違います、
親が悪いんです。
親が悪人なのです。
ご意見ありがとうございます
今生きている事が親が存在しているた証。
どんなにくだらない親でも、頭が悪くてもその親がいたから今がある。
5歳未満の子供に一人で稼ぎ食べていくだけの度量があるか??
今生きていられることこそ感謝すべきで、頭がいい悪いはその親が単に不勉強なだけ。
腹立たしいなら自分が親に出来ることをしてない証拠。
仰りたいことは分からないでもないが、親がいないとこの世にさえいなかったのだから。
感謝しろとはいいませんが、世の中には自分の親よりももっと色んなひとがいますよ。
>腹立たしいなら自分が親に出来ることをしてない証拠。
そうなのでしょうか。この部分だけは少し理解できませんでした。
他はまさに仰っている通りなのだと頭ではわかっているのですか、感情的に割りきれない自分がいます。
両親共に貧乏でしたが、学歴は父の方が母より上です。
父は働きながら学んだ口ですが、
その自負もあってか、父は知識・教養があるという自信があり、
母は働いたお金は一銭たりとも自分の懐に入らなかったので
当然そうした就学さえもできなかったコンプレックスがあり、
父(他の人)よりも知識・教養がないという自覚がある。
…そう思ってました。
中学生くらいまでは。
ところが、母は非常に読書家で、新聞も隅々まで読むし
小説もフィクションからノンフィクションまで幅広いジャンルを読む人でして、
小学校・中学校の勉強や試験程度であれば、
父親の知識や教養がすごい、と思えたのですが
事その実生活での応用や一般的な知識・教養となると、
母の足元にも及ばないことをじわじわと知りました。
多分、この時期、尊敬していた分父親を軽く見るようになり
逆に今まであまり頼る相手ではなかった母親の株が上がったと思います。
そして社会人にもなると、完全に父、母、私の
「得意分野」が確立しました。
人には得手不得手がありますので、
事柄により、相談する、される側、そして関わらない立場
という三角形が構成されました。
(実際にはもっと他の親族も複雑に絡んできますが)
小難しい事から、くだらない事まで割と話す家族なので、たまに侃々諤々の議論にも発展します。
そういう時に、父親の根拠のない自信や、
母親の消極的な考えにイラっとする事はありますが
それはその事柄に関してのみの話で、
人物そのものや、それ以外の事柄に波及する物ではないし
すべきでもないと考えています。
自分の場合両親の方が学歴(正確には学校歴ですが)は上なのですが、
その割には普段会話をしてても全然尊敬できるようなことがなく、
Im_Meさんの中で父親と母親の印象が大きく変わったということが、
自分の場合は両親に対して共に起きたということなのだと思います。
>父親の根拠のない自信や、
母親の消極的な考えにイラっとする事はありますが
それはその事柄に関してのみの話で、
人物そのものや、それ以外の事柄に波及する物ではないし
すべきでもないと考えています。
本来はそうあるべきなのだと思います。
割り切れればいいのでしょうね。
私も親にイライラするときがありますね。
ですが、自分の視点をいったん外して考えてみると、親に良いも悪いもないということに気付きます。
1.親の育ってきた時代背景
2.子供にとって親とはどういうものであるか
3.なぜイライラするのか
1.親の育ってきた時代背景
・時代が違う
・時代の進むスピードが違う
・社会集団と個人の関わり方が違う
人は自分が正しいと主張してきた価値観を覆すことは難しい。自分自身を否定することにつながる。
そもそも文明が発展しているという前提に立てば、子供が親より賢い(正確には現況に正しく適応する)のがあたりまえ。
2.子供にとって親とはどういうものであるか
そもそも馬鹿も利巧も比較の問題で、馬鹿だろうが利巧だろうが人は子を産み育てる。
子供に尊敬されなければ親業は難しい。子供が保護されるべき期間に親は保護しているのだから、成人まで保護されるという事実だけで、子供のときは親を尊敬して当たり前。
成人してみたら子供の時に親に感じた全能感はなくなって当たり前。
3.なぜイライラするのか
「イライラしてしまう」というのは自分の中の「尊敬してきた親像」もしくは「人間はこうあるべき」という価値観を守りたいということ。
結局、自分の価値観が原因でイライラしている。
その価値観も、自分の子供から見たら「馬鹿に見える」。
まあこんな風に、親のありようをそのまま眺めている感じです。
>「イライラしてしまう」というのは自分の中の「尊敬してきた親像」もしくは「人間はこうあるべき」という価値観を守りたいということ。 結局、自分の価値観が原因でイライラしている。
まさに仰る通りです。自分の親にはもっと賢くあってほしいという思いが根っこにあるのが、
こういう感情を抱いてしまう原因なのだと思います。
自分の場合、親も一人の人間であるということを忘れて完璧さを求めすぎているのかもしれません
小さい頃は、私も今より断然反論する口さえ持っておらず 不満だと思って居た事にも私自身気づかないこともあり
ある程度大きくなってから 親の言う矛盾が目に付くようになり 一時は何でも奇麗事にしか感じなくなっていた頃もありますが、
他の親を垣間見た際に、うちの親は良い親と言われる部類かもしれないと思ったり、
知り合いや友達等に、「いいな~」と言われる様なことが幾度もあり、
良いことだけは、当たり前に思ってしまっていた自分に気づき、
総合評価としては、十分感謝しても間違いではない親だったのだと感じる様になりました。
なので、今現在は 親自身が色々な事情を抱えつつも、責任をもって育ててくれたことに感謝できております。
どこをどのように探しても 何でもかんでもカンペキに対応してくれる親などこの世にはきっといないのだという事に気づいたことは 私にとって大きかったと思います。
未だに、ここがこうならいいのにというのはもちろんありますけど^^;
>総合評価としては、十分感謝しても間違いではない親だったのだと感じる様になりました。
私も冷静に自分の家庭環境を鑑みると多少は恵まれていた方なのではないかと感じてはいるのですが、
少なくとも今現在は、y_u_n_oさんのように両親に対して感謝の念を抱くことができません。
それがとんでもない親だったなら、「感謝できないのは当たり前だ」という一応の言い訳はできるのでしょうが、
特にそうでもないのに感謝できないのが、人としてヤバいのではないかと思えてくるのです
うちの母は私が高校1年の時にいきなり精神病になりくるってしまいました。それまでは一般的ないい母、料理や裁縫が得意な母でした。それから私は高校中退して料理、洗濯、寝たきりの老人2人の世話、17歳になったばかりの私に父はさせていました。その頃そんな両親が大嫌いでした。遊びたい年頃なのに・・
母のような人生は同じになりたくないといつも思っていました。
両親の事を尊敬しているという人がうらやましいです。
こういうことを言うと失礼なのだと思いますが、
harumi2さんの家庭環境と比較すると自分は随分恵まれていたのだなと感じます。
それでも親に感謝できないことに対して自責の念が出てきてしまいます。
私も随分前に質問者様と同じような感情を持ちました。
親の欠点が見えてきたんですね。
自分が社会に出て色々な人間を目の当たりにして来て、
物事が分かって来たからでしょう。
でも同時に長所も分かってきました。
自分の親も人間です。
世の中には色々な人間がいますよね。
その中の一人です。
今はそんな風に思っています。
質問者様もご自身で平均的と感じてらっしゃるのですから
ご両親はごく平均的な方なのではないでしょうか。
いつの日かご両親の悪いところも良いところも
受け入れられるご心境になることをお祈りいたします。
>いつの日かご両親の悪いところも良いところも
受け入れられるご心境になることをお祈りいたします。
自分もいつかそういう日がくればいいなと思います
私は現在、父のことは鬼畜だと思っています。
母のことは鬼畜を好きになって結婚した人だと考えています。
私が両親から生まれて来たのは事実ですが、一般における親という認識はありません。
私が物心ついたころには、私が指をしゃぶったくらいのことで、父は包丁を振り回して「お前の指を切り落とす」と言って脅していました。
私が6歳のときには漢字を間違えたり、算数の計算を間違えたくらいのことで頭を拳で、たんこぶができる程の強さで父に殴られていました。
母は知っていながら止めようとさえしませんでした。どこにも相談しようともしませんでした。
父は他人には厳しいくせに自分には大甘で、毎日5合の日本酒を飲み、子供の目の前で、おかまいなしにアダルト雑誌を読んでいました。
子供を殴るとき、ほとんど泥酔していました。
私が中学生の頃には成績の順位が下がっただけで「お前はうちでは手に負えないから、戸塚ヨットスクールに入れる」と言われていました。
当時、私の成績はトップクラスで、素行に何も問題はありませんでした。
友達とは父の許可なく遊ぶことは許されませんでした。父に言っても許可されるのは年に数日です。
私は家族と話すことも、友達と電話で話すことも禁止されていました。
電話をかけることどころか、かかって来ることさえだめだと言うので、私は友達には「家に電話をかけないで」と言うしかありませんでした。
中学生のとき、白地に水色のヨットの絵が描かれたTシャツを「不良の着る服だからだめだ」と父は言いました。
コンサートは「不良の行くものだから」という理由で禁止でした。
家族同士のプレゼントは金の無駄遣いという理由で禁止でした。
「東京ディズニーランドは高い遊園地だから金持ちしか中に入ってはいけない」という理由で、日帰りで行って来れる距離に住んでいながら行くことを禁止されていました。
私が中学生、高校生の育ち盛りの頃、食事のお替りは禁止でした。
食事を全部食べれば「お前のような出来の悪い子供が飯を食っているのを見ているだけで頭にくる」と罵倒され、
食事を残せば「お母さんの作った飯を残すのは、親に対する感謝の気持ちがないからだ」と罵倒されました。
睡眠時間は4~6時間しか許されていませんでした。
私が大学生の頃でさえ、友達と遊ぼうとするのを父は玄関の前に立ちふさがって止めていたのです。
自分でアルバイトして稼いだお金も「まだ経済的に自立していないお前に自由に金を使う資格はない」と、好きに使うことはできませんでした。
大学を卒業した後、私は鬱病を発症しながらも働いていたのですが「精神病患者に自由に金を使う資格はない」と好きなようにお金を使わせてもらえませんでした。
朝、体調が悪くて落ち込んでいると「何馬鹿面してんだ!」と罵倒されました。
普通の家庭では、反抗期に子供が親を見下すようになるということがあるかと思いますが、我が家では子供が成長する程に親が狂っていることがわかり、また、ますます親は狂っていったのです。
私は鬱病と不眠で19年間苦しんでいます。6年前からは5年後生存率50パーセントという肉体的な病気も患っています。
こんな言い方が適切かはわかりませんが、質問者様の御両親が私の親より異常ということは考えられなくて、小さなことで悩んでいるように、私には思えてしまいます。
絶句してしまいますね。
>質問者様の御両親が私の親より異常ということは考えられなくて
仰る通りです。だからこそ親に対して感謝や尊敬の気持ちがあるのがある意味当然の状况でありながらそれができないことに対して悩んでいるのです。Gleamさんから見れば私の悩みがくだらないことのように見えるのは当然だと思います
ドラえもんのエピソードに
親への不満が爆発したのび太達が
親を交換する、という話があって
最後にのび太は「(親は)神様じゃないんだもんな」ってセリフを言うんですよ。
子供ながらにすごく感銘を受けて
大人になった今、
親に不満をもったりイライラすることはあっても
その言葉が頭に浮かぶんです。
わかってるとは思いますが親も人間で完璧ではありませんし
我々だってそうでしょう。
親が賢くないのであれば自分がしっかりして
支えてあげよう、って考えてみたら少しは
イライラも減らないでしょうか?
自分の頃の古い知識を基準にしていたり、
深く考えてないのに色々役に立たないアドバイスしてくるので無視したいのですが、
親としてのメンツを保つ為に黙って聞いておくフリをしているのもイライラしてしまう原因だったりします。
親に対する自分の意識の変化に親が全く気付いていないらしいということも
苛立ってしまう理由なのかと今思いました。
では、母についてはどういう感情を持ってらっしゃいますか?