個人的な仮説をまず書きますのでそれに対しての反応でも良いです。
①ボーイズラブと言うジャンルがありますが、あれは女性が見るのに女が出てこないですよね?あれの男版なのではないかというものです。女は嫉妬心が高く出てくる登場人物の女性を排除したがるので男しか出てこないやおい本などに生を出しますが、男も草食など言われて女化しており、同じ現象が理屈から男性の登場人物を受け入れられないような流れになっているのではないか?
②あるいは、男性の登場人物が描かれる事で発生する緊張感の排除が現実世界に無い要素を生み出したのかもしれない。80年代90年代はまだオタク化した人間が少数派だったため、オタクの世界に女という構図は現実には少ない夢の世界だったが、今となっては女も総オタク化してしまったため、恋愛的部分がどこにでも身近にあるストレスになってしまった。
恋愛と向き合わなくて良い世界へ憧れがでているのではないか?
などいろいろ考えてみたんですがやはり結論が出ません考えをお聞かせください。
「けいおん!」はあのゆるふわな世界観とキャラクターを楽しんで癒されるもの、だと認識していたのですが。
そんなに難しい事はあまり考慮されていないと思いますよ。
仮説1 「制作と品質」
先ず「京都アニメーション作品」であることが大きい。
「ハルヒ」や「らきすた」のブーム後で京アニ作品自体に対する期待の下地があり、
クオリティ的に京アニもそれに品質で答えている。
仮説2 「メディアミックスの魅力発揮」
ガールズバンド作品のため、音楽でのクロスメディアマーケティングができた。
加えて、テーマや歌詞が合ってもいない楽曲を売り込む道具にアニメを使うという近年大量生産された駄作に比べ、
実際に演奏までできる音楽経験のある声優というキャスティングで、
楽曲クオリティも一定以上のレベルだった事で高感度が高い。
音楽産業が縮小しアイドルやタレント楽曲が低迷する中、
ニッチなアニソンであった事を武器にオリコンで1位、2位という売れ方も話題になり注目を集める事に成功した。
仮説3 「狙ったアニメの敗北」
深夜アニメがエロ含む萌えとバトル作品だらけになり、流石にヲタ達も飽きた。
逆に「けいおん」はごく一般的なユルい日常を描写する方に力点を置いた事が新鮮だった。
キャラクターも圧倒的な強さを持ったり、特殊な能力を持つ超人や天才はいない。
所謂ジャンプマンガみたいなものにライトオタクも飽きた。
ギャグも不条理系など極端なものがあふれ返りすぎ飽和。ベタな擽り笑い程度の温かみが快適だった。
ユルい萌えギャグ4コマの「あずまんが」「ひだまりスケッチ」などが浸透の下地として働いている。
大きくはこの3点かと
なんだか、消去法で選ばれた感がありますね。
確かに作品的にも積極的にこれだ!と言う感じの内容ではありませんが。
マーケティング戦略でクオリティー勝負ができる(金を掛けられる)規模の最大公約数の
解答がゆるふわだったのでしょうか?
赤松健先生が語る「萌え系の終息」を表す3つの現象
http://temple-knights.com/archives/2010/08/moe-boom-end-3reasons...
3つの現象は「男性主人公の不在」「男性の購買力の低下」「男性視聴者が、女性キャラに感情移入できる技術を持つに至った」。特に最後の点ではキャラを性欲の対象として全く見ていない男性ファンが増えているとしている。
確かに近年は『けいおん!』『ストライクウィッチーズ』『咲-Saki-』『とある科学の超電磁砲』『ひだまりスケッチ』『らき☆すた』と女性主人公とほとんど女性キャラしか出ないアニメが人気となっている。
言われてみれば確かにと思いますね。
そのサイトに百合がテーマになっていると書いてありますが。
ニコニコ動画とかで男性主人公が出ると「イラ☆」と言うコメントが見られますが。
これはボーイズラブを描く腐女子が女性ヒロインを排除したがる感情に似ているなと、
感じたので仮説①の根拠としたところです。
もっといえば、男の草食化とかネット社会による男性的行動の抑制が関係しているの
ではないか?と言うところもあるのかもしれませんね。
アニメ好き向けの「とっとこハム太郎」
かわいい女の子(女子高生)というくくりに、
「こんな感じの性格やしぐさは可愛いよね」という理想というか期待をいろいろ当てはめ、
そういったキャラクターがいろいろやる様子を愛でる。
ここでポイントとなるのは、従来の男性主人公がモテモテな作品のヒロインと違い、
「かわいい女の子、という "生き物" 」として愛でているという点だと思います。
(女性蔑視などの他意はありません)
従来も、長編作品の中の箸休め的な「○○の休日」といったエピソードで、
このような内容はありましたが、言わばそれを全編でやっているような構成です。
柱となる大きなエピソードが無い事の利点は「かわいい」が描きやすい事です。
正確には逆の視点の話で、大きなエピソードがあると、かわいいを描きにくいのです。
※ここで言う「かわいい」は、けいおん!、あずまんが大王、らき☆すたのような、
どことなくのんびりというか能天気系のかわいさです。
回答1の返信にあった「次第に規模を拡大してきているのか」の理由は、
こういった、キャラクターの愛で方が浸透して来た事が大きいと思います。
けいおん!がヒットした理由単体としては、制作会社、楽曲販売による相乗効果もありますが、
やはり何より、「かわいい」を描く点にかなり力が入れられており、
小さな仕草を徹底的に描いた細かい動きや、類型的なディフォルメ崩しではなく、
それ単体だと醜くも見えるような表情も描くといった絵的な部分、
キャラクターの感情・反応に重きを置いた脚本・演出と、それらを王道かつ大げさに描きつつ、
嫌味にならない程度に抑えた話的な部分などが成功している事が大きいと思います。
※まあ嫌味に映らないのは、
あくまで、アニメによくある類型的なキャラクターに慣れた人に限るとは思いますが
たしかに、愛でる事に重点を置くアニメが勢力をもってきたんでしょうね。
このまま愛でる専用のツールになってしまうのか?
それとも愛でる以外の要素が注目されるのか。
なぜ愛でることがこれほどまで重要視されるのでしょうかね?
設定もさることながら、まずアニメーションとして楽しめるという大前提があると思います。
・絵的に見栄えのする映像
キャラクターから背景まで、すべてが丁寧に描きこまれています。可愛いキャラクターたちがしゃべって動いて、生活して、それを眺めているだけで満足できるという層の人たちを唸らせるだけの作り込みがなされていたということではないかと。
・キャラクターにオーラがある
作中の登場人物から、個性といえばいいか存在感といえばいいか、ともかく「なんかいいなー」と思わず印象に残ってしまうようなキャッチーさが感じられます。
・テーマが明確
出会いと別れという芯の通ったテーマが作品の基礎を固めている。
その上でいつか終わることがわかっている満ち足りた日常を描いているので、これといった派手な事件はありませんがストーリー的に見応えがあります。
男キャラがいないというのは、女性の生活に楽園を見出しているのかもしれません。
男性が草食化したというよりも、今のオタクはセーラームーン以降の流れのなかで、たとえ男性であっても女の子主人公に感情移入できるように訓練されているので、その延長で女性だけのゆる~い学園生活にもはまっているように思われます。
個人的には女性キャラに感情移入するような作品が主流になることと草食
化が無関係とはいえないと思うんですけどね。
「けいおん!!」のについて語られている掲示板などをみているとこのゆる
い世界が終わる事に過去に無いほどの苦痛を味わっているような感想を述
べている人が非常に多いことに新鮮な驚きを覚えますね。
いまならはっきり分かります
今日でも人気のある漫画作品がアニメ化されることはよくある。
中には「何故すごく人気があるのにアニメ化されないのか?」という作品もあるだろう。
そうした作品は、作品の善し悪しよりも、商品展開が容易であるか否かでアニメ化されるかされないかが決まっているのである。
http://blog.livedoor.jp/tak_tak0/archives/51483508.html
相原(キャラ化する日本、講談社現代新書191、講談社.)によると、キャラクターが提供する精神的機能には以下の8 つがある。
やすらぎ、庇護、現実逃避、幼年回帰、存在確認、変身願望、元気・活力、気分転換。
調査結果によると、7 割の人がキャラクター商品に「やすらぎ」を求めており、生活にいわゆる「癒し」を求める層で、そうでない層よりキャラクター商品所有率や所有個数、キャラクター愛着度が高いことを指摘している。
ただし、「癒し」以外の動機もキャラクターの愛着と関係しているようである。
上の方でsome1 さんもおっしゃてますが、
今やアニメファンに置いては『京都アニメーション』と『シャフト』が萌え系作品における
二大ブランドとなっています。それだけで、あまり無茶な実験(ハルヒにおけるエンドレスエイト)や
手抜き(シャフト作品で平行スケジュールが一杯一杯の時など)をしない限りは
ヒットはかなり約束されています。
『京都アニメーション』制作という音楽の演奏シーンの描写や背景設定の美しさ、
キャラの可愛さに定評のあるブランド力とメディアミックスという要素に加え、
京都アニメーションの作品では、忠実なロケ地再現といったご当地的な要素も大きいと思います。
いまや、舞台である豊郷小学校は観光地化してますし。
更に付け加えると演じてる声優の人気も無視できません。
しかし放送開始当初は『スフィア』も結成前で、豊崎愛生、寿美菜子にしてもほぼ無名に近い存在でした。
女子高生バンドを描くというのも敷居が低い要素だったのではないかと。
キャスト達も必死に楽器を練習してライブで披露して見せたということも人気に繋がりました。
①の仮説ですが、今期にしてもストライクウイッチーズ2やセキレイなどは女性がほぼ中心要素というか、
女性only的な作品でクオリティが前作より高いという評判でもブームにはなりえていません。
男性の草食化や百合嗜好といった括りだけでは説明できない点です。
結局TBSがゆるふわ系な萌え作品『ひだまりスケッチ』のような下地を作ってたことと
全国ネットに近い放送媒体を得られたのも大きいかと。
前にあげた2作品はニコ動でも無料放送はされてはいますが。
ハーレムもので『イラッ☆』というコメントがニコニコ動画などで見られる代表格は
『祝福のカンパネラ 』がありますが、カルト的人気はあってもブームにはなりえていません。
結局のところsome1さんもおっしゃってるように、バトル要素が絡んだものはクオリティが高くても
飽きられてるのではと思いますし、カンパネラのようにバトルはなくてもハーレム要素が
強いエロゲー原作・萌え要素のみのアニメにしても然りです。
②はかなりいい線行ってると思います。バレンタインデーに後輩がチョコあげる相手は
先輩という女子高的要素がふんだんに発揮されたのも今回の話でしたし。
90年代には『萌え』という概念は存在すれど、一般的には広まってはいませんでしたが、
コミックマーケットは盛況でしたし、潜在要素は結構眠っていたように思います。
ストーリーでいえば、日常からの逸脱より、終わりなき日常を描いたモラトリアム的な
作品のほうが最近、人気でる傾向があります。もっとも同じ話を若干視点やイベントを変えて8話も
放送してしまったエンドレスエイトのような極端な終わりなき日常だと、敬遠されてしまいますが。
「バトル要素とエロを排除して作品を・・・」と言うスローガンを耳にしますが。
この二つは作品を作る側としては容易に興味を視聴者や読者、ユーザーの目をひきつ
けられますよね。
人間が生きている限り、セックスと戦争は興味注がれるの最たるものである状況
はむしろ健全であると思うので、永遠にこの傾向は受け継がれるとも思います。
しかし、エロもバトルも「なぜエロが発生するのか?」とか「なぜバトルになるのか?」
と言う部分をいい加減に取り組むと脳をごまかす瞬間即効性の麻薬と同じ作用しか現れ
ないんでしょうね。
いっちゃなんですが、自分が経験した、或いは出来なかった青春を追憶・・・・・・または妄想しているのでは。
ああいう青春には興味がなく、けいおんも好きではないのでそう思います。
たとえ、製作する側は結果論や経験論で導き出した答えだとしてもその理由は必ず
あるはずです。
女子だけで戯れるタイプのアニメには 「あずまんが大王 」「かみちゅ!」「らき☆すた」などの流れがありますが、それが社会的に見てなぜ受け入れられ次第に規模を拡大してきているのか?
と言う点に興味があるのです。