※日本でも海外でもOKです。
伝説の域を出ませんが、村上義清の「白米伝説」はどうでしょうか。
北信濃東部の要所である砥石米山城で武田信玄を迎え撃った村上義清。
村上方は信玄の攻撃を良く防ぎ、信玄は大変苦戦しておりました。
そんな中、砥石城は武田方によって水の補給路を断たれてしまいます。
兵糧米の備蓄は豊富にあるものの、水がなければ人間は生きていられません。
そのことを信玄に悟られれば不利になると考えた義清は一計を案じます。
まず武田方から見える位置に軍馬を引かせました。
そして備蓄の白米を桶に満たすと、それを軍馬の背に流しかけました。
その様子は遠目にはまるで豊富な水で馬を洗っているかのように見えたと言います。
これを見た武田方は、
馬を洗えるほどに豊富な水があるとすれば、兵糧攻めも効果が薄い
と考えて、撤退を始めました。
以上、「砥石崩れ」と言われる信玄の敗戦時のエピソードとして、地元に伝えられている話です。
羽柴秀吉の「水攻め」なんていうのは、有名すぎるので他のを。
戦国武将の淡河定範は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の弟・秀長と対陣した際、
敵陣に向けて牝馬を放ち、敵の牡馬が反応した混乱に乗じて敵を破ったという話があります。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ougo_ak.html
http://8.health-life.net/~susa26/zakkityo/nihongaisi/no.12/mouri...
たしかに以外ではあるんですが、最近テレビで見たんだよなぁ~・・・。
でも、ありがとうございます。
ジャスパー・マスケリンはいかがでしょうか?
テレビでも紹介されたのですが、手品でドイツ軍と戦ったことで有名です
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%9...
これはちょっと有名かなぁ~・・・。
でも、ありがとうございます。
http://clubstay.jp/kanrinin-yasen3.html
河越夜戦。
8万の敵に囲まれた3千の兵を救いに8千の戦力で出陣。敵が攻撃を仕掛けてきたら退却を繰返し
敵に戦意なしと油断させておいて、一気呵成に攻め立てた。その際、鎧兜は脱ぎ捨てて戦ったと伝え
られています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A...
厳島の戦い
まず敵方の江良房栄が「謀反を企てている」というデマを流し、本人の筆跡を真似て内通を約束した
書状まで偽造し、敵の手で江良房栄を暗殺させます。
次に宿老であった桂元澄に「陶軍が厳島に上陸して宮ノ尾城を攻撃すれば、元就も渡海して救援に
駆けつけるだろうから、その間に毛利の本拠、吉田郡山城を占拠する」と約束させ、敵のスパイが
潜り込んだ会議の席で「厳島に宮ノ尾城を築いたのは失敗だった。もし陶軍がすぐに攻めてきたら、
ただちに落城してしまうだろう。救援を送るには軍船の数が足りないし、城の普請が完成するまで
陶軍の来襲がないことを願う」と発言して、陶軍を厳島にひきつけます。
当日は嵐で大荒れの海を明かりもつけずに渡海。一方、別働隊は援軍に来たと偽り堂々と正面から
上陸しています。
鎧兜を脱ぎ捨てて戦った・・・っていうのは良いんですけど、もうちょっと意外な感じがほしいなぁ・・・。
ありがとうございます。
妙林尼なんかいかがでしょうか?
女性が大将で戦に勝ったという珍しいケースでもありますし
珍しいケースではあるんですが、策略的に意外な感じがしないような気がします・・・。
でも、ありがとうございます。
空城の計 三国志 諸葛亮 威信があればはったりでも兵は動く。
わざと城門を開き、何か計略があると思わせ、敵の判断を狂わせるという計。以下は原文の訳。
「劣勢のときは無防備に見せ、敵が疑心暗鬼になるようにする。剛と柔が対峙したときは奇策が奇策をうむのである」
実戦での使われ方
第一次北伐で諸葛亮が敗北し撤退した際、小城に籠もった。司馬懿はそれを追撃して城に迫ったが、諸葛亮は城門を開放し、城壁の上で琴を弾き始めた。これを見た司馬懿は疑心暗鬼に陥り兵を引いたという。
諸葛亮は有名だからなぁ・・・。
でも、ありがとうございます。
諸葛亮の場合はwikiに載ってないようなもので、意外なものだったらいいんですけどね(^o^;)
でも、ありがとうございます。
有名なものしか知りませんが・・・。
淡河定範の牝馬と同じ路線で有名なものなら、源氏の木曽義仲が倶利伽羅峠で使った火牛の計でしょうかね。
牛を火で煽って敵陣へ向けて暴走させる計略です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%B6%E5%88%A9%E4%BC%BD%E7%BE%8...
正確にはこの話は後付で、元ネタは斉の田単だと言われています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8D%98
地味な路線だと、徳川家康が三方が原で武田信玄に敗れた後に用いた空城の計。
絶対的に不利な状況下で、城を開け放って無防備な状態を晒し、逆に敵を警戒させて撤退に追い込む作戦です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E5%9F%8E%E8%A8%88
諸葛孔明が魏に敗れた時に用いた作戦としても有名ですね。
近代戦になりますが、日本海海戦で秋山真之が考案した丁字戦法も当時は意外だったかと。
敵艦隊に横腹を晒す代わりに、こちらは全艦の全砲台を敵正面に集中できるという、攻撃を重視した捨て身覚悟の戦法です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E5%AD%97%E6%88%A6%E6%B3%9...
おまけで神話ですが、オデュッセウスがトロイ攻略の際に提案したトロイアの木馬。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%A...
いっぱい出していただいたんですけど、どれも有名だったり、意外性に欠けたりしますねぇ・・・。
でも、ありがとうございます。
伝説の域を出ませんが、村上義清の「白米伝説」はどうでしょうか。
北信濃東部の要所である砥石米山城で武田信玄を迎え撃った村上義清。
村上方は信玄の攻撃を良く防ぎ、信玄は大変苦戦しておりました。
そんな中、砥石城は武田方によって水の補給路を断たれてしまいます。
兵糧米の備蓄は豊富にあるものの、水がなければ人間は生きていられません。
そのことを信玄に悟られれば不利になると考えた義清は一計を案じます。
まず武田方から見える位置に軍馬を引かせました。
そして備蓄の白米を桶に満たすと、それを軍馬の背に流しかけました。
その様子は遠目にはまるで豊富な水で馬を洗っているかのように見えたと言います。
これを見た武田方は、
馬を洗えるほどに豊富な水があるとすれば、兵糧攻めも効果が薄い
と考えて、撤退を始めました。
以上、「砥石崩れ」と言われる信玄の敗戦時のエピソードとして、地元に伝えられている話です。
こういうのいいですね^^
ありがとうございます。
僕が三国志を好きだからなのかもしれませんが有名ですね(^o^;)
でも、ありがとうございます。
1.楠木正成
自身の篭もった千早城に鎌倉幕府軍が攻め寄せた際、様々な方法で寄せ手を迎撃しました。
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2009/02/post-9fcc....
ある日、正成はわらで作った武者人形を20~30体用意、夜のうちに城外の山の麓に人形を並べておきます。
やがて、白々と夜が明けるところを見計らって、後方から一斉に鬨(とき)の声を「わぁ~~」っと・・・長期の籠城に絶えられなくなった兵が、決死の攻撃に出たと思った幕府軍は一斉に雨あられのように矢を射かけます。
しかし、当然の事ながら、いくら矢を射かけでも兵(人形)は倒れず、やがて、矢が底をついてしまい、更なる攻撃をと敵が前に殺到したところで大石を投げ落とす・・・これで、敵兵は300人が即死し、500人が負傷、しかも、正成は、新たなる10万本の矢を手に入れる事ができた・・・
なかなか落ちない千早城に業を煮やした幕府軍が、京都から5000人の大工を呼び寄せ、幅4.5m長さ30mのハシゴを造らせ、これを向かい側の山から城壁へと渡して、新たなルートを確保・・・そこから一気に城内へ攻め寄せようとしたのです。
これに気づいた正成は大量の水鉄砲を用意し、その水鉄砲の中に油を仕込み、ピュッピュ、ピュッピュとハシゴに向かって噴射!
たっぷりと油がしみこんだハシゴに、今度は燃え盛る松明(たいまつ)を投げつけ、ハシゴは一気に炎に包まれます。
驚く前方の兵の足は止まりますが、「一気に進め~!いてまえ~!」と指示されている後方の兵は止まらず、押し合いへし合いになったハシゴの上は大混乱!
しばらくして、中ほどから焼け落ちるハシゴとともに、兵は谷底へ・・・
どこかで聞いた話だなぁと思えば、「三国志」で諸葛孔明が取ったと思われる策なんですね。まぁそういう逸話が作られるくらい、正成が智恵を絞って幕府の大軍から城を守ったということなんでしょう。
ほかに押し寄せる敵兵を巨石・大木・熱湯・糞尿!をもって撃退したという話があるそうです。
http://homepage3.nifty.com/aming/dai-nankou-1.htm
2.三国志時代の後、晋(東晋)時代の名将・祖逖の取った奇策
http://iwakitakayuki.blog119.fc2.com/blog-entry-64.html
簡単に書かれたURLが見つからなかったので要約すると、長引く篭城戦の中で祖逖は一計を案じます。
麻袋に土をつめて兵粮に見せかけ、1千余人を動員してそれを運ばせる。また、別に数人を使って本物の米を運ばせた。
それを目撃した敵軍は、自軍の兵糧の少なさに戦意を喪失した上に、補給部隊を待ち伏せされて兵糧を奪われ、撤退することになったということです。
3.国士無双と呼ばれた漢の名将・韓信
「背水の陣」が有名ですね。ほかにこんな詭計も。
渡河しようとする漢軍に対して渡し場を封鎖して待ち構える魏軍。
これに対し、韓信は実に柔軟だった。
河水に船を多数並べ、力押しで渡ろうとしていると見せかけて、裏では密かに別軍を派遣し、夏陽から渡河させていたのである。
しかし、大規模な軍事行動は即魏軍に察知されてしまう。
数千人分が渡河するための民船を徴発したりすれば、敵に作戦が筒抜けとなってしまう。そこで、韓信は独創的な案を出した。
民間から木の桶を徴発し、それを縄で繋ぎ合わせ、その上に板を乗せて船の代わりとしたのだ。
夏陽から密かに渡った別働隊は、蒲坂で韓信本隊と対峙している魏軍など無視し、一気に魏の首都安邑を衝き、すぐにこれを占領した。
「魏都占領される」の報は瞬く間に広まり、魏豹を激しく狼狽させた。
前に韓信、後ろに別働隊。いつの間にか挟撃され、首都は奪われているのである。
魏豹はまるで悪夢でも見ている気持ちであったであろう。
3は、ちょっとおもしろいですね^^
ありがとうございます。
こういうのいいですね^^
ありがとうございます。