※社会的に損害を与える自殺は除きます。
ご両親、友達、知り合い、皆を悲しませますし、皆、自分がこうしていれば死ななかったとか後悔をします。
その点から、絶対にして欲しくないこと(悪いこと)だと思います。
なぜ悪い事だと思うのでしょうか?
その答えが、あなたにとって悪い事の理由かもしれません。
個人的に思うには、親しい人が居れば彼らに精神的苦痛を与えるので悪い事でしょう。
または、宗教上、社会上許容されなければ自分の来世や周りの人へ悪影響を与えるため悪い事でしょう。
社会的損害(影響も含めて)を考えないのであれば、そう悪い事とは思えません。
基本的に、生きる権利があるのと同様、死ぬ権利もあると思います。
自殺は悪いことです。なぜなら1人の人は、必ず他の1人以上の人を救える/助けられるようにできてるからです。
ちょっと縁起わるくてすみませんが、たとえばyamada_1221さんが自殺してしまったとします。そうすると、yamada_1221さんがいたら立ち直れたはずの人が、元気を出せずに一生を終えてしまうかもしれません。yamada_1221さんがいてくれるからこそ、仕事を頑張る気力が沸いて、1万人の人に貢献できたはずの人が、働く意欲が湧かなくて、多くの人を困らせたままにしてしまうかもしれません。
人には必ず欠けと出っ張りがあって、欠けを誰かに補ってもらいつつ、出っ張りで他の人を助けて、やっと社会がうまく回るようになっています。なので、自殺=他の誰かを窮地に陥れる、やってはいけない事です。
余談ですけど、最近はよくTVで自殺特集をやってますよね。残された親御さん達が、自殺するほどの悩みがあることは、娘はまったく話してくれてなかったとか、「なぜ自殺するような子育てをしたんだ」という嫌がらせ電話が来たとか言ってました。残された方が地獄ですね。
その人が死んでも悲しむ人が誰一人おらず、火山口の溶岩に飛び込むなどして死後の遺体処理も不要で、お葬式などの費用も発生しない、などなど、、、自殺者以外は誰にも何の影響もない、という場合なら、どうしようもないというか、自殺してもいいとは思いますが、未来は誰にもわからないのに自ら命を絶つというのは、善いこととは思えません。悲しむ人が一人でもいたり、誰か一人でも迷惑がかかるような自殺なら、やめた方がいいというか、悪いことだと思います。
精神論的観点から答えさせていただくと、自殺することによって誰かが悲しむのならそれは悪いことだと思います。
天涯孤独、誰とも交流を持たないという人なら、別にいいんじゃないかなとも思います。
どちらかハッキリさせていないと 回答になっていない答えかもしれないのですが、
私は善い事でも悪い事でもない …というか、善い・悪いのどちらとも言い切れない考えの人間です。
残された人にとっては「悪い」場合の事の方が多いでしょうし、少なくとも世間的・常識、宗教によっては…等で考えれば悪いのかもしれないのですが、
どうしても私には善い・悪いと言い切れないです…
家族が悲しむということと,後処理に手間とお金がかかるということを除けば悪いことだとは思いません.
苦しすぎる状況の中で,これ以上生きられないという経験をする方もいるだろうと思います.生き続けて行く事が死ぬ事より辛いといった思いを毎日している方にとって,死の選択が悪いことだとは思えません.
世の中を恨んでいる人にとって,自殺をする事と無差別殺人を犯す事は同意だと考えますが,その点でいっても自殺はよりよい選択なのではないでしょうか.
ただし,私自身10年程前に強い自殺願望があったのですが,現在充実して幸せな生活を送っているので,あの時死ななくてよかったといつも思っています.
人に迷惑をかけないならば、OKでしょう
冷静に考えてみれば、迷惑をかけないと言い切ることはまず無理でしょう
今までの人生の中で、人と関わって生きてきていますし、たとえ両親や友人がいなくても
なんらかの影響はあると思います。
自殺幇助罪などがありますので、日本においては法的に自殺(を助けること)は悪いこととされています。
法理論上の自殺が悪い理由はいろいろと議論されていて、自殺そのものは悪くないという説もあるようですから、宗教的なことを抜きにすると「全く他人が関与せず、誰も悲しまず、社会的に損害を与えない自殺」なら悪いことではないのかもしれませんが、そもそも「社会的に損害を与えない自殺」というシチュエーションが現実には極めて限られているように思います。自宅内で自殺すれば普通は警察が調べに来てしまうわけで、その時点で社会に迷惑をかけていますから。
不毛の疑問 ~ 云いっぱなしと聞きっぱなし ~
法律は、善悪を裁定する手間を省いて、行為に対する刑罰を定めます。
万引きが善か悪か、そのつど議論しないためです。
現代日本では、自殺行為を罰する法律は存在しません。
したがって、いかなる意見の持主も、自殺者の名誉を尊重すべきです。
ただし、家族や親族に自殺者が出ると、いくつかの問題が生じます。
兄弟や子孫の就職・縁談などの差別が指摘されています。
また、保険金を目的とするなど、第三者の利害を乱す点が嫌われます。
宗教団体が自殺を禁じるのは、第二に信者が教義を裏切るからです。
第一は信者の数とともに、献金収入が減るからです。
国民としては、教育+勤労+納税の三大義務を放棄するので、国家に
とって損失です。おなじく教育+生存+参政の三大権利を放棄するので、
集団の秩序を乱します(とくに低所得者の自殺は経済効果に乏しい)。
質問者の意見も、なにかの拍子に豹変するのではありませんか?
たとえば、つぎの状況が変わった場合に、どうでしょうか。
あなたの親族知人に自殺者はいますか?
自殺した肉親・友人・知人が居る。22.5 %
/居ない。33.5 % /分らない。44.0 %(推定)
http://q.hatena.ne.jp/1135097532
あなたの自殺に対する態度を、いくつか選んでください。
http://q.hatena.ne.jp/adlib/questionlist?word=%E8%87%AA%E6%AE%BA
自殺は悪いことではないです。
生きたくても生きれなかったということです。
そこにいたるまでに、本人はとても苦しんだと思います。
孤独で、どうしようもなかったとか、人により理由はいろいろでしょうが。
少なくとも日本においては教育をはじめとする様々な社会保障サービスを受けてる訳だし、
一般的には親が育児の為に金と時間をつぎ込んでるはずだし、
新入社員とかなら新人育成の間の教育コストを払ってるかもしれないし、
その辺の投資を回収出来てない限りは「社会的に損害を与える自殺」となるでしょう。
ということは大抵の自殺は悪いことになりますね。
また新薬の治験や臓器移植にも活用出来る健康な肉体を無駄にするのなら、
それもまた「社会的に損害を与える自殺」でしょう。
個人的には、『遺族や友人が受けるショック、影響を完全に把握し、その結果をフォローする準備が完全な場合』以外、自殺は悪いことですね。
自殺した人の葬儀で見た、遺族の泣き喚きっぷりは頭にこびりついてます。
そして自殺した人に対する「あの時彼にああしてやれば良かったかもしれない」という後悔も全然消えてないです。
自殺を実行する方は、そういう後の事も考えれないケースがほとんどです。
死が問題解決の唯一の方法かのように勘違いしていくからこそ、自殺してしまうのでしょう。
そういう『勘違い』『選択間違い』という意味で、自殺は悪いことだと思います。
仮に『本気で後先や損得を考え抜いた末に行う自殺』だったら、まあ悪くはないとは思います。
ただ人間そこまで考えに考え抜けるのかは甚だ疑問ですが。
とりあえず悪いことにしておかないと、
この社会では人を自殺に追い込む間接殺人が
まかり通ることになるから、私は悪いと言う。
死ねるほど人を追い詰めておいて、死にたくはなくとも、生きてゆけないほどにしておいて、自殺したヤツは、「死にたかったから死んだんだろ」と何の問題も無かったかの如く放置されてゆく。それはたとえば差別のような形で社会に温存されてゆく。
差別はイジメと同根であり、被差別民が絶えれば無くなるものではない。イジメを快楽と感じる人間が存在する限り、誰かがもっともらしい理由をつけられてイジメ(差別)され続ける。
だから、ともかく前提として、自殺は悪いこととしておくべき。
もちろん、客観的にみて自殺が合理的であり、賢明な判断だと言える事例が希にはあるかもしれません。しかし、そんなレアケースが存在することを理由に、自殺が悪いことではない…と言ってしまうことは問題だと言っておきたい。
誰にも迷惑をかけなければ、悲しむ人がいなければ、自殺してもいいのではないか。…そんな事を言ってしまえる人間がこれほど多いからこそ、年間3万人もの人間が自殺に追い込まれていても、誰も「この社会にこそ問題がある」などといった考えには及ばないのでしょうね。
悪いことと断定はできないです。
自殺願望があった時期もありましたが、結局痛みや苦しみを考えたらできませんでした。
それでも自殺にいたってしまう人の精神状態や悩みは多分生きている人には分からないものなのだろうと思います。
それでも生きろというのも酷です。
ただ、残された人のことを考えるとそう簡単なことではないです。
公共の場で死んだら後処理の迷惑もかけると思いますが、そういった迷惑よりも家族や友人の心の悲しみの方が大きいと思います。
そういった友人がいたのですが、その友人はとても自分の人生に影響を与えてくれていたので本当に悲しかったです。
なんで何も言ってくれなかったのだろう、逆に聞いてあげなかったのだろうと後悔と少し怒りも感じました。
どれだけ自分が人に必要とされているかは自分では分かりませんが、意外と大切に思ってくれている人はいるかもしれません。生きているうちは恥ずかしくて普段そんなこと言わないですし。
友人はどうであれ家族は確実に悲しみます。
そのことを考えると自分ひとりで死んでしまうことは良くないです。
とにかくそういた選択をする前に誰かに助けを求めて欲しいです。
でないと周りが永遠に後悔します。
悪いこととはいえないのではないのでしょうか
生きるからには死ぬことも含まれているということと、
誰にもわからないことなのでしょうが
生きるということの意味がわかりませんし、死ぬということの意味も良くわかりません。
ごく自然な形で生きる権利と同様に死ぬ権利もあるのだと思います。
”自殺=悪いこと”って考え方もわかりますが
自殺した人がわるいんではなくて
自殺した人のいる状況、悩みがあっても相談ができない
自殺するしかないと思わせられた環境が悪なんだとおもいます。
(陰湿ないじめや、社会って意味です)
”自殺は悪いこと”ではなく、どちらかというと
”自殺は悲しくて、つらくて、やりきれないもの”ではないでしょうか。
正直にはまじめに考えるほど
自殺を悪とする理由がなくて困ります
誰にも自殺してほしくないのですが・・・
追:身近に自殺した人間がいるものとしては
残された人に残る純粋な感情としての”かなしみ”
この重さを伝えたいです。
状況にもよります。
しかし、中学生のとき、もし友達Aさん(とします)が「Bさんが死んだら、悲しいけど死に方が自殺だったら許せない」
と、いいました。
理由は、「自殺するまで苦しんだなら、わたしにたよってほしいから」
ということです。
もし、わりと元気な友人が、突然死んだら、必ずその残された人は悲しみます。
しかし、自殺だと、「どうしてそんなになるまで我慢してたの、自殺して残された私は、自殺したBさんが許せないよ」となるわけです。
人間が人間とかかわりを持って生きている以上は、自殺は残される人間が、責任を感じ、中には許せないという感想をゆうひともいます。
人間が人間とかかわりを持って生きている以上は、残される人間がいる。
その残される人間は、自殺する人間に、思いやりが少しでも、生前の付き合いが義理だとしても、悲しみややるせなさを残すと考えます。
だから、自殺は、残される人間が苦しんだり悲観したり、なにか負の感情をもつのなら、よくないこと、つまり、悪いことになると思います。
そのため、そんなことは全くないのなら、誰ともかかわりがない状況なら、悪いことにはならないのかも知れません。
自殺は悪い事・・・私は悪い事だとは思っていません。生きていくのが辛すぎて死んでしまったほうが楽な場合もあると考えている人この世の中沢山いると思っています。
死んで無になれるのか、それとも この世にいた時期 悪い事とかしたら その罪を 死んで体はないけど、その人自身何かの形で償うのかよくわかりませんが、生きるのは大変な事だと思います。
私自身 正直生きていたくありません。鬱でも宗教とかもありません。いたって普通です。
でも家族がいる、私がいなくなったら 悲しむわが子もいる、と考えると 自殺とかはできません。
私は悲しむ人がいるから 生きています。
人間あせらずともいつかは皆死にます。
悲しむ人がいる以上 自分から命は絶たない方がいいと思います。
でも生きる事ができない人は自殺もしょうがない事、なくならない事なのではないでしょうか。
正直にお答えさせて頂きますと、一言で「悪い」とはとても言えません。なぜなら、自殺する人は、好き好んで死を選んでいる訳ではなく、これ以上は生きていくのが辛すぎる、この状態から脱出するためには死ぬしか他に方法がないと思い込んで死を選んでいるからです。 親より早く自死すれば親不孝といえるでしょう。友人がいたなら、その人を深く傷つける事にもなるでしょう。 でも、自殺してしまった本人が、「死を選ぶ」程苦しんでいた事実は間違いないのです。 私自身6年間鬱病を患って、死にたいと何度も思いました。しかし、夫や、親友(親には言えませんでした)の支えに助けられ、何とか死を選ぶ事なく病を克服しました。しかし、私を支え続けてくれた夫が今、鬱病で通院しています。私もPTSDで同じ病院に二人で通院しています。夫は、実際に自殺未遂を何度か起こしています。心中も考えました。(子供もおりませんし) そんな私なので、苦しんで苦しんで、その先の人生さえ失って、尚「悪い」と咎められるのは、あまりにも死んでしまった本人が浮かばれないと思うのです。 遺された者は、「これで楽になれたんだよね?」と事実を受け止め、成仏を祈るしかないのかもしれません。
宗教によっては罪ですね。キリスト教では教会が葬式を出さないところもありますし、イスラームでは自殺未遂は逮捕、という国もあります。(これは正気を取り戻したときは執行されない場合が多い、ということなので、一時的な心神喪失状態の際に自傷行為を行わないように保護する、という意味合いが強いかと思います)
が、近年自殺というのは自殺企画という病気の症状である、とも認識され、カトリックなどでは病死ととらえる人も多いようです。
鬱などの患者にとって希死念慮というのは絶ちがたく、それを禁止されるというのは本当につらいことです。死んでも構わない、と禁止されない、というだけで、患者はかなりの部分救われます。それでかえって死なないかといえば、やっぱり死ぬ人は死ぬのですが、それでも精神障害者が取れる数少ない選択肢を奪わない、というだけでもとても救いになるのです。
そういう意味では自殺はその人のものであり、死ぬ権利は留保すべき、という気はします。
幼子などを抱えた人は、罪のない子供、まだ手のかかる子供の生活、将来のことを考えると死ねない、と思うかもしれません。
が、そのために生きる希望が出ればいいのですが、必ずしもそうではないかも知れません。むしろ自分に罪悪感を抱き、生と死の間で苦しみぬいている人もいるかもしれません。
そういう人に対して死を禁じることは、個人的に大きな疑問をもっています。死んでもいい、と言い切ることは、なかなかできもしないのですが。
反面、仏教などでは即身成仏が非常に尊敬されています。また、ベトナム戦争の際は多くの仏教僧侶が抗議の焼身自殺を行いました。
江戸時代でも心中は禁止でしたが、即身成仏を実行した人を取り締まらなかった(取り締まれる理由がなかった)という例もあります。
こういう自殺の方が私は戸惑います。
正気でなおかつ苦痛に打ち克った末の死、ということで、高い精神性を持った死として賞賛されているのでしょうが、上記、特に前者には模倣者も出たと思います。
彼らは本当に死ぬ必然性があったのか、と考えると、わからなくなります。
病気の末の自殺にも必然性はあるのか、と問われると、ないのかもしれません。が、自分のリアルな感覚からすれば病気の際の自殺は禁じるべきではない切実さがあり、抗議の自殺は、そのリアルさを感じることができない、ということなのかと思います。
人によって何がリアルかというのは異なってくるので、なかなかこういう感覚は理解しあえないものがありますが、機会を見て少しずつ表していくのは必要なことかもしれない、と思います。
他の人のたくさんの考えを拝見していて、他の人に迷惑がかかるからという考えがあまりに多いことにちょっとびっくりしました。
人ってけっこう生きてるだけで周りに迷惑やお世話になって生きてると思うんだけど、最後に一回多く迷惑をかけることがそんなに悪いことなのかな。
別に自殺を肯定するわけじゃないけど、自殺が悪い理由って他者との関係性以外に無いの?って思うわけ。
自分は自殺しないけど、それは他の人に迷惑がかかるからじゃなくて、生きたいし知りたいことがたくさんあるから。
苦しいときは回りに迷惑をかけてしまうのは仕方が無いことだし、後で少しでも返せればそれでいい。
周りの為に生きているなんてこれっぽっちも思ってないし、他者が自分の為に生きることも望んでないよ。
仮に死ぬほどの苦痛や苦悩で自殺しようとしている人を目の前にして、私たちが自殺は悪いことだってはたして言えるのかって思うわけ。
だって、私を含めここで回答している人たちは自殺してないのだから、死ぬほどの苦しみなんて知らない。
私たちが想像できないような苦しみって必ずあるし、死ぬほうが周りに迷惑が掛からない例だってある。
だから自殺の全部が全部悪いっていうのは言えないと思う。
自殺した人の一つの選択なのだから周りがとやかく言うことではないのかもしれない。
ただ、実際には安易な自殺っていうのがあって、たいした理由もないのに自殺する例もある。
苦しみっていうのは自殺した本人にしかわからないのだから安易と決め付けることはできないけれど、
芸能人が自殺したりしてマスコミで大きく取り上げるたびに自殺する人が増えることから、
安易な自殺っていうのもやっぱりあって、それに関してはみなさんの言うように周りに迷惑しか残さないと思うね。
だいぶ出ていますので、既出の回答への返答の様な形で書いてみたいと思います。
なにかのヒントになれば幸いです。
・あなたが死ぬことで悲しむ人がいるのでやめた方が良い
反対に、あなたが死ぬことで助かる人、ほっとする人もいるかもしれません。
大部分の人間は、自分がいじめられていたらいじめている人にはいなくなって欲しいと思うでしょう。
悲しむ人がいるのと同様に、喜ぶ人もいるでしょう。数の上で同じ、とまでは言いませんが。
・迷惑がかかるのでやめた方が良い
・誰にも影響を与えないのなら死んでも良い
これも上と同じ様なパターンですが、生きているだけでそもそも人は誰かに迷惑をかけ、影響を与えています。
完全に、誰にも、そして何にも影響を与えない自殺というのは不可能です。
ぼくの意見としては、その影響や迷惑が限りなく小さくする努力をするならば自殺も許されると思います。
葬儀費用云々だって、どうせ人間はいつか死ぬんですし。遅いか早いかの違いでしょう。
・それまでのその人の人生にはなにかしらのコストがかかっているので社会的な損失となる
これもすべて上の論理でカヴァーできてしまうのですが、やはりその人がずっとマイナスの影響を与え続ける可能性はありますよね。
今ホットなニュースである八ッ場ダムもそうですが、ある程度の金をかけたので、完成まで持っていかないともったいない、という考え。
しかし、やはり「途中でやめる」決断も必要でしょう。これ以上は無駄だと考えるのなら、きっぱりとやめることも必要だと考えます。
・遺伝子を維持することに貢献しない
生物学的見地、とでもいうのでしょうか。文系なのでよくわからないのですが。
ただ、コメント欄でも出ている通り、「自殺する」遺伝子は自殺した方が次へつながらないので良いというロジックがひとつ。
また、自然界では劣悪な種は淘汰されますが、人間の世界だけは別です。
なにか自分の身体に欠陥があろうとも、生きることができます。また、自然界ならとっくに死んでいるような年齢や身体になっても、「生きてしまう」ことができます。
あるいは、「生かされて」いるともいえます。
人間の寿命は際限なくこれからも延びていきそうです。そういった特殊な世界である以上、自然界の理を持ち出すのはいささかナンセンスな気がします。
以上の返答からもわかるとおり、僕は自殺に反対しません。むしろ、賛成です。
ただひとつ、子供の自殺だけは反対です。
彼らにはまだ大人とは比べ物にならないほどの「未来」(選択肢)があるわけですし、なにより熟慮という言葉を知りません。
ニュースで大人が自殺したという話を聞いてもなんとも思いませんが、まだいたいけな子供が自殺したというのを聞くとぼくは本当に心が痛みます。
大人は、すべての選択肢や、これから起こりうるであろう自分の未来について検討することができます。
そういった全てを見通したうえで、選択肢の中の一つとして自殺を選ぶのなら、それは間違っていないと思うのです。
遺族や親しい人へのダメージも、遺書等々で軽減させることは可能です。自分が死んだ後のことを想定して、なるべく滞りなくことがすむよう取り計らうこともできます。
しかし、子供にはそういったことができません。
子供だって、「死にたい」と思うことはあるでしょう。そして、その時の感情はいたって真剣であるでしょう。
しかし、彼らはまだ物事が見えていません。おとなになれば、あの時「自殺したい」と強く願った感情はなんともちっぽけなものに映るでしょう。
というわけで、まとめると
・自殺は基本的にOK
・ただし子供の自殺は除く
というわけでした。
先日、私の親戚も自殺で亡くなりました。
自殺は「みっともない」と世間では捉えるようで、葬式なんかもできません。
いわゆる密葬です。火葬の際も遺影を飾れない。お別れ会も開けない。遺骨も墓に納められない。
なんだか寂しいことばかりでした。成仏できませんよ。
自殺は、ただの行動であり、善悪の判断は存在しません
「福田首相のモノマネしま~~す!」
この行動に善悪をつけようとするのと同じことになります。
状況によって何もかもが変わるからです
友達との宴会の席ならいいですが
上司に向かっての一言となればもうー・・個人的には聞いてみたいですがw
本題に入る前に前提です。
死=悪は社会を守るための方式でしょう
この質問では社会的に損害を与えるものを除くということで、
社会的観点はないものとして考える必要があると思います。
さて上記を踏まえたうえで
自殺という行動について私見を述べます。
"行動"を考えるに当たり、「欲しいものが得られるか」
といった観点から考えました。
自殺に興味がある人の欲しいものとは何なのでしょうか?
それは今の状況からの「逃げ」です。
怠惰、絶望、悲しみ、痛みなどの状況からくる「逃げ」です。
そして本当に欲しいものは「死」ではなく
苦しみなどからの「開放」や、
憧れなどの「実現」です。
また自殺という行動は何かを考えます。
起こる事象は、「開放」と「可能性の損失」
得られるものは「何もない」
それはそして感じる本体がなくなると考えられるので
「何も得ない」唯一の結果であるという推測です。
明かされることのない「未知の結果」を含みます。
また、周りに与える「結果」は大きいことが多い。
これら、「得たい結果」と「自殺という行動からの結果」の2点を踏まえたうえで
いろんな善悪、是非がよりいい形でわかると思います。
まとめると
自殺は、悪いと全く関係がありません('Д')b
自分の家族、親戚、まわりの友人やお世話をしてもらった人々のことを考えてください•••••
自殺をすると、悲しみが出てきます。
自分は、自殺は悪いことだと思います。
自殺は悪いか。まずは「悪い」を誰が(何が)決めるのかをはっきりさせる必要があります。
まずは「悪い」を決めるのが「自殺者本人」である。社会や世間ではなく、あくまで自分自身です。
もちろん、自殺者本人は自殺後には生きていないので、自殺前に善悪を考えます。
その場合に自分の善悪をどう判断するかは、人によって様々だと思います。
家族や恋人、友人、その他自殺に関わる人にに、自分の自殺によって悲しむことや迷惑を被るなど、
影響があること。もしくは得をする人がいること。
宗教上のこと。
自分の思考が世間を気にかけるか、社会上の通年をどれほど気にかけるか。
そうして、自殺する理由はどれほど切実なものであるか。
そのような沢山のことを自分で考え、善悪の判断を下すことになると思います。
(ふらっと、自殺をしてしまうこともあるかもしれませんが)
次に、他人の自殺を、自分が「悪い」と決める場合。
この場合、(自殺者が自分と関係ある人でなければ)他人が自殺しようが自分には
直接的に何の影響もないため、いいも悪いも何も関係ないはずです。だから悪いわけではない。
いいわけでもない。
ところが、そんなに淡白に考えない人も多くいます。
宗教で自殺を禁止している場合もあるでしょうし、
自殺してはいけないという風潮や他人の意見に思考が影響を受けているかもしれません。
また、生物としての生存本能か、死自体に対しての拒絶反応がある場合があります。
生物として同種の人であり、自殺者が日本人であるならさらに同種意識は高くなります。
同種の人が死ぬことは自分の命が脅かされているという感覚を、無意識的に受けかねません。
関係の無い人なので、自殺をよしとする理由は(まあ普通は)ないと思いますが、
自殺を悪い理由(感覚)は、いくつかあるように思います。
つまり、特異でない思想や考えを持つ人であれば、実際のところ単の自殺に大していいも悪いもない。
しかし、思考や、感覚は、まわりの環境や、生存を目指すこと、において、
自殺を悪いことだと考える理由が存在する。
自殺を悪いと考えない場合には、その辺にとらわれずに考えていると思います。
(といっても、建前上自殺を悪いという人もいる気がします)
続いて、自殺に対する世間などの大きなところでの考えです。
まず、国としては、国民は守るべき対象なので(安楽死でもない限り)自殺をよしとはするはずがありません。
現実に絶望してたひとは、自殺してもかまわない、ということは国はするはずはないでしょう。
世間に関しても、自殺する奴が悪いんだとか、どうでもいいとか言う人はいますが、
大半は自殺に関しては否定的なを持ち、それが多数はだと思います。
論理的に自殺の善悪を考えているひとは多くは無いでしょうし、先ほどの他人の自殺に対する個人の
考えのところで書いたように、自殺は悪いとする側に倒れがちになるとおもいます。
質問者の、質問にずばりと答えていませんが、最後にまとめてみます。
個人が、自殺について考えるときに、自殺が悪い、と考える明確な理由は(多くの場合は)ないが、
生物的、世間的には悪いと考える要因があり、それはそれでまっとうである。
自殺が許されるケースは極めて希だと思います。
状況によるので、このケースに関しては何とも言えません。
私個人的には殆どのケースで自殺は悪だと思います。
理由は人間社会は全て相互依存で成り立っているからです。人は自分の気づかないような色んなところで色んな人と相互に関わり合っています。
生きていると誰かに迷惑をかけていることもあれば、誰かの助けとなっていることもあるでしょう。
誰かに迷惑をかけている という部分は人間である以上、いや、全ての生物がそうだと思うので仕方のないことだと思います。ここの所はどうすることも出来ません。
食事一つにしてみても他人の労力と他の生命を犠牲にしています。自分が稼いだ金で食ってるんだ と言う方がいるかもしれませんが、この世に人間が貴方一人なら、貴方が稼いだお金は白い御飯一杯すら生み出しません。
問題は誰かの助けとなっているだろう という部分です。人間どこでどう誰かの助けとなっているか本当に気づかないものです。
例えば誰かが若くして何らかの障がい者になり、死にたくなったとしましょう。
その人の父親は、今までだらだら仕事をしていたのに、その人の為に一生懸命働くようになるかもしれません。
これだってその人は父親の支え、助けになっています。
話はいくらでも広がります。勿論理論的にです。
その人の父親が一生懸命働くようになった為、会社の業績は僅かかもしれませんが、上向くでしょう。そうすればその会社に関わる人にほんの少しですが利益がもたらされるでしょう。
そのおかげで、この不景気のご時世、給料が1000円アップしたために救われる家族がいるかもしれません。
話を広げすぎだ と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし私が言いたいのは
・人間社会は極めて密な相互依存で成り立っていて、自分がどこでどの様に誰かの助けとなっているかは、自分の知るところを超えている。
つまり自分もどこでどの様な関わりで誰かの助けを受けているかも、同様に自分の知るところを超えている。
・人が生きている限り誰かに迷惑をかけているのは、人に限らず全ての生き物に共通。そしてこのこともよくよく考えてみれば、最終的に相互依存に行き着く。
つまり結論として
自分で極めて客観的に自殺という選択肢を選んだつもりでも、自分が実際、社会とどの様に関わっているかは、自分の知るところを超えているので、そもそも客観的な判断が出来る訳がなく極めて独りよがりな判断。
よって私は自殺は悪だと思います。
ですので自殺を考えている方には、自分の殻に閉じこもらず、もしくはある一つの問題に固執せず(本人はそのことに気づいていないことが多いので)もっと自分と社会との繋がりに目を向けさせると良いと思います。
生まれてくることだけ考えてみても両親がいたから生まれてくることが出来た訳です。
例えろくでもない両親であっても、貴方はそこら辺の石ころから生まれてきて自分一人の力で育った訳ではないと、言い聞かせるのも良いかもしれません。
しないに越したことはないです。
ただ難しいのは、どこからが自殺かと言う線引きが現代の医学でできて居るのか?と言う疑問はあります。
極限の感情状態+極限の疲労が組み合わさった場合は、人間の脳はクールダウンするための行動を無意識的に取ろうとして、その中に自殺。もしくは自殺のきっかけとなる事は十分あるのではないでしょうか?
人間の脳の解読速度以上に、人間の脳に入り込む瞬間情報は増加していく気がします。
社会的・道徳的に、学校で悪い、やっちゃいけない事と
教えられてきましたが、
何故かをつきつめていくと、上のように悲しむ人がいるからとか
漠然とした理由を誰もが答えるような気がします。
上の意見でたくさん答えている回答を見てみると、
悲しむ人がいるから=社会的に迷惑
ぢゃあ、喜ぶ人がもっといたらOKなのでしょうか・・。
莫大な資産があって、死んだらお金を寄付します。
なんて場合はむしろOKなのでしょうか。
今生きてたら、のちのち幸せになる
・・・なんてよく言われますが、
果たして全員幸せになっているのでしょうか・・。
のちのち幸せになった人より、一生つらい人の話のほうがよく
聞きます。
個人的には人生で幸せな時間より
つらい時間の方が多いと僕は思いますね。
体が不自由になったりして、
家族に介護させたりして、嫌な思いをさせてる人もいるかも。
お互いがつらいなんてこともあるんぢゃないかと・・。
ただ、悪くないと認めてしまったら、
別にどっちでもいいんぢゃん的な教育を学校が教えてたら
自殺者が増えて
社会的に問題になり、いろいろ経済が悪化などするかもしれません・・。
秩序が乱れるかもしれません。
だから、結論的に悪い。としているんだと
僕は思いますけどね。
結局、悪いか良いかなんて、個人の考え次第です。
誰にも決定する権利はない。
しかし、民主主義なんで大多数の意見をとり入れて悪いと
いうことにしときましょう。
いったい誰に他人に対して生きることを強要する権利があるというのでしょうか。
そう考えれば、少なくとも一般解として「自殺は悪いこと」などと言えないのは明らかです。
自殺をしてほしくないのなら、自殺をしようなどと思わないような環境をつくればいいのです。
それもせずに(あるいはできずに)自殺をする人間を悪く言うのはいかがなものか、と思います。
21世紀仏教の旅より
ブータン、ロポン・ペマラ師の説法
抜粋しますと
「母親は十ヶ月もの間、子供をおなかの中で育み、とても苦しい思いをして出産する。さらに、産んでから後も苦労してその子を育てるものだ。成長したわが子が誰かを殺すとか、みずから命を絶つような恐ろしいことが起こったとき、母はどれだけ悲しむだろう。それは、生きながら心臓を抜かれるような苦しみにも等しい。
仏教の教えでは、たとえわが子を殺されたとしても殺された者に仕返しをしようと考えてはならない。仕返ししなくても、殺人を犯した者にはおのずと、その報いがあるからだ。
人をひとり殺せば、その人の死後、五百回は人間として生まれ変わる事ができず、五百回ころされつずけることになる。
仏教の教えの中で、「命を奪う」ということは、最も大きな罪の一つである。
仏教では、人間の生活は、愛と慈悲と幸福で成り立っていると考えている。
愛のなかには、例えば親子の愛がある。
動物の親子でも同じだ。動物の親が、どれほど子を愛することか。
私たち人間は、その様子を見て学ぶべきだろう。
私たちは、生きるものすべてを愛さなければならない。それは、誰もが過去において自分の親だった可能性があるからだ。
そしてまた、慈悲の心というのは、誰かが病気になったり、死を迎えるときにも大切なものである。
そんなときに、その苦しみを一緒に味わおうという気持ちが慈悲だ。
慈悲について考える時には、自分のこととして考えなければならない。
また逆に、もし、あなたが誰かに針を刺そうとするときは、自分の体にその針を刺すとどんな痛みがするかを考えるべきだ。
それが想像できれば、あなたは他人に痛みや苦しみをあたえようとはしないだろう。
それが、慈悲の心である。
殺人が起こるのは、人と人とのあいだで、愛と尊敬の気持ちが希薄に成ってきているからだろう。」
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人間に生まれてきた以上、自殺は悪いことです。お金や、他人・肉親がどうこうではなく、あなたが人間である以上、自殺は悪いことです。
人間に生まれたことは、奇跡なんです。そして人間に生まれることには、何かしら自分自身には窺い知れない理由=天命があるのです。
自殺はそれを放棄することなので、悪いことです。
社会が許しても天が許さないです。天とはすなわちあなた自身でもあります。
自殺とは、永遠に許しの無い世界に行くことだと思います。
自殺は、そんなに悪いこととは、思っていません。
yahoo!で、「死にたい」等を検索すると、予防センターが出てくる事を知ったので、質問しました。