調べてみました。
「近松」という名前は1685年まで世に出ていません。大阪・道頓堀の竹本座で「出世景清」(かげきよ)が上演され、浄瑠璃作者として世間に認められた34歳のとき、初めてペンネーム「近松門左衛門」を名乗り、世間に知られたそうです。ひっかかるのは「世間」の範囲です。「ちょっと」の受け止め方が人によって違うように、今と昔では「世間」の捉え方が違うはずです。近松も「551の豚まん」だった可能性は非常に高いでしょうね。
シンプルな回答ありがとうございます。できれば「嘘です」と証明できる根拠を知りたいのですが。
調べてみました。
「近松」という名前は1685年まで世に出ていません。大阪・道頓堀の竹本座で「出世景清」(かげきよ)が上演され、浄瑠璃作者として世間に認められた34歳のとき、初めてペンネーム「近松門左衛門」を名乗り、世間に知られたそうです。ひっかかるのは「世間」の範囲です。「ちょっと」の受け止め方が人によって違うように、今と昔では「世間」の捉え方が違うはずです。近松も「551の豚まん」だった可能性は非常に高いでしょうね。
調べていただいてありがとうございます。どの程度で「知られていた」とするかは微妙な問題ですね。
近松は当時の慣習をやぶって、作者名をきちんと出していたので、
都市部のひとたちや、芸能通には知られていたと思いますけど。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/aisurukai/kokosaka1.2-.htm
↑これの「坂田藤十郎(9)」あたりを読むと知名度のニュアンスわかるでしょうか?
ただ江戸時代って、農民が8割の時代なので、全国どこでも知られていたとは言えないです。
滑稽本みたいに広く流通する本を出していないし。
小谷野さんのブログ見てましたが、文脈上はまあまあ正しいこと言ってると思いますよ。
ご丁寧にありがとうございます。これだと、明治以前は知られていなかったというような書き方は言い過ぎのような気もしますが、ニュアンスの差でしょうか。
調べていただいてありがとうございます。どの程度で「知られていた」とするかは微妙な問題ですね。