前回からの発展系です。
次のような考えを推し進めていきたいと思います。
ひとつお力を貸してください。
・冷蔵庫 → コンビニとスーパーでその日いるものだけ購入
・本 → 本屋・図書館・マンガ喫茶
・パソコン → ネットカフェ
・就寝場所 → マンスリーアパート
むむむ、こうなってくると、果たして人はクレジットカード一枚で生きていけるのでしょうか。
まじめな議論、ネタもありです。
> 果たして人はクレジットカード一枚で生きていけるのでしょうか。
昔の偉い人は言いました「人はパンのみに生きるにあらず」
ただ、出来る人は出来るでしょう。特に若い頃は
ただ、私のように年を取ってくると愛着のある品物、愛着のある土地
他人にはシェアさせたくない代物や時間が存在します
ある程度のシェアはあり得るでしょうけど、各人によりシェアの限界があるはずです
例えば、上着のシェアはOKだが下着のシェアは無理でしょう
もう一歩進めて誰が使ったか判らない歯ブラシのシェアなど論外でしょう
そして、シェアできない代物は使い捨てのものでなければ
思い出と共にかけがえのないものとなっていきます
例えば
母親以外の女性から初めて貰ったプレゼントのマグカップとか
明日が試験にも関わらず読みふけった小説とか
セーブが無かったファミコン時代の復活の呪文とか
振られたときに一晩中聞き明かしたカセットテープとか
危うく出席日数が足りなくなるほどやりこんだゲームとか
マジ泣きしてしまった某エロゲとか
私には個性があり、個性は私の歴史でもあります
その歴史の一部がプライスレスな上記の品物であり、私の一部です
ありがとうございます。
> 果たして人はクレジットカード一枚で生きていけるのでしょうか。
昔の偉い人は言いました「人はパンのみに生きるにあらず」
ただ、出来る人は出来るでしょう。特に若い頃は
ただ、私のように年を取ってくると愛着のある品物、愛着のある土地
他人にはシェアさせたくない代物や時間が存在します
ある程度のシェアはあり得るでしょうけど、各人によりシェアの限界があるはずです
例えば、上着のシェアはOKだが下着のシェアは無理でしょう
もう一歩進めて誰が使ったか判らない歯ブラシのシェアなど論外でしょう
そして、シェアできない代物は使い捨てのものでなければ
思い出と共にかけがえのないものとなっていきます
例えば
母親以外の女性から初めて貰ったプレゼントのマグカップとか
明日が試験にも関わらず読みふけった小説とか
セーブが無かったファミコン時代の復活の呪文とか
振られたときに一晩中聞き明かしたカセットテープとか
危うく出席日数が足りなくなるほどやりこんだゲームとか
マジ泣きしてしまった某エロゲとか
私には個性があり、個性は私の歴史でもあります
その歴史の一部がプライスレスな上記の品物であり、私の一部です
内容はあれなんですが文章が格調高くてすてきです。
人生にクレジットカードは不要です。
私は、いつもニコニコ現金払い。
プロバイダや携帯電話料金は銀行引き落とし、通販の決済も銀行振込やコンビニ受け取りにすればよろし。
家電量販店で「現金払いするからポイントを弾んでたもれ」と交渉するのも、いとをかし。
dev_zer0 さんが仰る「思い出と共にかけがえのないもの」というのは、私にもあります。
以前にも回答したとおり、基本的に、「他人から頂いたモノはとっておく」方針です。
ただ最近思うのですが、瞼を閉じて思う浮かぶモノが、本当にかけがえのないモノなのではないかと――。また、モノが少ない方が、他人様に頭を下げてモノを借りる方が、若いときの気持ちに戻ることができるような気がします。
そんなこんなで、昔は捨てられなかったモノ(自分で買ったモノ)を、徐々に捨てています。
あと、モノじゃないんですが、家族については絶対にシェアできません。
こればかりは、神様が貸せと仰っても、お貸しできません(笑)。
ありがとうございます。
何のためのシェアなのでしょうか?
冷蔵庫 → コンビニとスーパーでその日いるものだけ購入
・就寝場所 → マンスリーアパート
これらは、割高になってしまいますが?
ものを所有しない、という流れです。
まくらがかわると寝れないので,私にはムリですねぇ
保守的?なのでしょうか
ただ,若いときは自分の領域に他人が入り込むことは,家族であってもイヤだったのですが,ある人(当時の恋人)には,どこまで入り込まれてもイヤになりませんでした
物理的に(下着や靴など),あるいは倫理的に(箸や歯ブラシなど)共有できないものは別として,あとは気になりませんでしたね
ただ,揚げ足を取るつもりではないのですが,クレジットカードを作るには住所がいるので,マンスリーマンションで寝泊りしてると,作れなくて,現金だけならできるかもしれませんね
むむむ。それは気がつきませんでした。
箸も歯ブラシも使い捨て、なんてのはいかがでしょう。
常に誰かと、何かとシェアをするということは=自分の持ち物が無くなる。
人はどこか常に執着を持ちますね。
執着の行き場が無くなるとどうなるでしょう。
全て自分所有のものが無くなるということは・・・
どれにも執着をすることが出来なくなる。
常に自分のものは誰かのものであるということになりますね。
自分のものは他人のもの、他人のものも他人のもの。
ということは・・・
自分の命は?
そんな人が増えていくと、ついには、自分という存在さえも、その価値も・・・
消えていく過程を辿るかもしれません。
むむむ。
どきり。
日常の同じような毎日の生活ならばカードだけでも可能でしょう。
ただし、そこから一歩でも踏み出せば現金でさえ信用度を量られる世界が広がっているという事を忘れないでください。
過去の日本の例でも「預金封鎖」とかありましたし、砂漠では現金よりも「金」だったりします。
日常でもカード決済には費用が発生しますので、店舗によって対応が違います。
具体的にはカード払いだと「つけ」を利かせるやり方なので、使うだけで個人的な信用度が落ちる場合もあります。
自動販売機も通信機能付きでないとカードが使えないので相当の扱いがある機械でないとカードを使えるようにしたら赤字でしょう。
同じ事はリアル店舗全てに共通します。
日常生活でトヨタの看板方式のようなやり方を考えておられるようですが、非常に難しいと思います。
トヨタの場合は多くの下請けが努力して看板方式を支えていますが、個人の日常を支えるのは本人と配偶者くらいです。
裾野の拡がりが限定されるので、どうしてもリザーブが必要になります。
何かあっても無しで済ませる事が可能な範囲があまりにも少ない。
あなたという個人を直接支えているのは、あなたが所有する物であり、食べる物、着る物、眠る場所などなどです。
それらを必要になる、その都度、リザーブを作らないで最低量だけ購入する。
しかも、それを支えるのは絶対的に数十年に一度は必ず機能不全になるシステムだということになります。
「危なすぎる。」と感じます。
何かあったら、例えば食料無しで何日生活できるか・・・サバイバルです。
ありがとうございます。
まあ、あくまで仮定の話ですが・・。
いっそマンスリーマンションじゃなくてネッカフェ泊まりとか、テント暮らしにしちゃえばいいと思いますよ。
でも、やろうと思えば誰でもできると思うんですが、好きこのんでホームレスになる人なんていないと思いますよ。
物を所有して定住する場所を得るっていうのは普通の人の普通の欲求だと思います。
ありがとうございます。
クレジットカードに、携帯、免許は必要ですかね?
つい最近までどれも持ってない社会人の人いましたよ。身内にもいますしね。
ないと便利悪いかもしれませんが、どれもなくても生活できます。
さすがに銀行の引き出しカードは必要でしょうが、ATMで並ぶのがいやで通帳で引き出してる人もいますしね。
ありがとうございます。
自分の命はシェアか所有か。
自分自身が自然の一部ととらえれば、それはシェアと呼べるでしょう。
自分を主体で考えればそれは所有と呼べるでしょう。
家も車も万物も大きな視点で考えれば、それはシェアしてるし、
小さな視点でとらえれば、所有と呼べるものになりうると思います。
人が完全に全てをシェアする生き方をしようとすれば、
きっと農耕が始まる前の時代、もしくは狩猟を行う前の時代まで
さかのぼる必要があると思います。
自分で道具を作らない、自分で食糧を作らない。
ただあるものを食って生きていく。
でもきっと、自分一人だけそういう生き方をしたならば、
窃盗罪か何かで逮捕される事になると思います。
「全裸の男、スイカ畑を荒らして御用」みたいな。。。
いいですね。はてなならでは。
こんにちは。
>果たして人はクレジットカード一枚で生きていけるのでしょうか。
図書券とネットカフェのカードは必要ですよ(^_^)o
…冗談はさておき。
これはこの間 私が読んだ本です。ライトめの小説。
主人公の詩羽は、現金を持たない生活をしています。住居なども持っていません。
代わりに、数百人の知り合いの家に代わる代わる泊まっています。
それだけあてがあれば泊まるのはせいぜい年に数回なので、知り合いの側からしても大した負担にならないのです。
彼女はある街を舞台にして、いろんなヒトが持っているいろんなモノを、
交換したりつなぎ合わせたりワラシベしたりして、つなぎ合わせるコトで生活してます。
駆け出しの漫画家と、儲からないレストランの店主をつないで、
レストランのメニューの絵を描いてもらう代わりに、レストランでまかないをもらう、みたいな感じ。
それは小説の中だけの究極のシェアの姿に見えるかもしれませんが、
実は彼女はだれかの「所有」にすごく依存しているんだなあとは感じます。
私はそれでも彼女の生活にちょっとした憧れを感じますが、それは私が「所有」にこだわりがないから。
もしもid:WORRYDOOLさんが「所有」そのものから離脱したいのだったら、
彼女の暮らしはあんまり参考にならないかもしれませんね。
「所有」と「共有」は対極にあるのではなくて、「共有」はやっぱり「所有」の上に成り立つモノなのかも。
ろくに経済学も勉強したコトないし、こういうコトについて時間をかけて考えたコトもないので
ちょっと薄っぺらいかもしれませんが書き込んでみます。
これから本屋に行ってみます。
あ・・所有になりますね。
内容はあれなんですが文章が格調高くてすてきです。