これからの日本は「所有」から「共有」の時代に向かうのでは・・。
・さて質問です。
全くのシロでも、ややグレーでも構いません。
そんな時代、あなたが「所有を手放してもいいものと考え方」を教えてください。
◎ 例
・ 書籍 → あれは図書館に預けてあるんだ
・ 新刊本 → あれは座って読める本屋に置いてあるんだ
・ マンガ → あれはマンガ喫茶に置かしてもらっているんだ
・ 雑貨 → あれは100円ショップに預けてあるんだ
緊急ならばコンビニから調達するんだ
・ 外付けハードディスク → あれはネット上にスペースを借りてあるんだ
・ DVDなど → あれはレンタル店に預けてあるんだ
・ クルマ → タクシーを雇ってあるんだ たまにしか使わないけど
などなど。ネタも歓迎します。
★お店は、じぶんの倉庫である。
しごと柄、ジャスコや梱包を扱うホールセールショップや有隣堂に行きます。無駄な買い物はしません。じぶんとしては、お店やさんにあるものは、すべてじぶんにとって必要かもしれないもので、お店は倉庫だと思っています。必要なときに、お金を払えば、その場で手に入れられる。いつも、じぶんが必要だと思うものを、ここでは預かってもらってあるんだ。ありがたいことに、お金さえ払えばいくらでも手に入る。そう思えば、衝動買いやポイント溜めたさに買い物はしなくなります。
★車は価値が下がるだけのもの
きちんと動いて、事故がなければ、多少の傷をつくったって、全然、気にしません。買ったその日から資産価値が下がって行くので、高級車には乗ろうと思わないのです。だから現金で買います。価値が下がるものなのに、高い自動車税を払って、メンテナンスコストをかけていくものなのに、ローンにするのは無駄です。5年で10万キロ近く乗ってしまうので、がたがくるので、また手ごろな新車を見つけます。車はお金を払って自己所有にしていますが、実は、「5年で10万キロを安心して乗れる」という事実を借りているような気がするのです。
★住居
分譲マンションは無駄です。ローンを組まされながら、固定資産税を払い、30年近くなれば、建て替えの負担金がやってきます。交通至便なところで、借りている方が楽です。ライフスタイルなんていつ変わるかわかりませんもの。持ち家にするなら、その分、現金で持っていたほうがいいと思います。持ち家といっても、家賃は、固定資産税という形で、国に払っていると思うようになりました。
例がかなり充実していたので驚きました。
思いついた範囲内で。
・服→親子で。女性では結構あるようです。男性でもサイズがあればスーツとか。
・各種年会費有料会員権→仲間内で権利をシェア。
・新聞→ネットでの閲覧(購読)でペーパー型の購読はやめる。
消費者目線ではうれしいですが、
企業側は一段の消費節約ということで厳しいですね。
節約のパラドックスみたいにならなければいいのですが、と思ってしまったりします。
ありがとうございます。
欧米は日本よりも年収がかなり低いのに社会的インフラが整備されているとか。
そうですね、これからの時代「所有」せずに「共有」やレンタルでたいていのことができる時代であるかもしれません。何でも「共有」できる時代、あえて「所有」に拘る物ってどういうものがあるのか考えてみます。
家や車の高額の商品は、自分で働いて稼いだ結果なので、愛着も一入。これは借家やレンタカーでは決して味わえない所有感や達成感をもたらしてくれます。ただ、ファッションやブランド品など見せ掛けの高級感は「所有」に拘らなくてもレンタルで十分だと思えます。かえってレンタルのほうが種類も多くいろいろな商品を取り替えられるので「共有」向きでしょう。また、同じ車でも仕事で使う車などは実際にレンタルの方が購入するよりもリース料や諸経費を考えると安くつくことがあります。
家族や恋人など、代用の利かない物です。家族の共有なんてと思われるかもしれませんが、実際、キャバクラやソープなどの風俗は「共有」の恋人と言えると思います。また、風俗に限らず年寄りが暮らすグループホームなどでは、擬似的な家族の役割を持っています。これからの時代、親が自分の子供を育てることもしなくなり、自分の子供が親を介護することもなくなるかもしれません。そうなってくると家族というものが曖昧となり、子供や老人はコミュニティが育て介護するなんて、家族の「共有」なんてことも。この場合でも、自分の本当の家族、自分だけの恋人という「所有」に拘ってなんらおかしくはないと思います。
これを「共有」すると資本主義ではなくなります。
クレジットカードを「共有」することはできないですし、戸籍を「共有」することは、何でも「共有」できる時代であっても不可能であると思えます。また、安全に個人情報を「所有」し続ける為には、強固な認証技術が必要になってくるのでその分野での技術躍進を期待します。
個性は個人に帰属しつづけなくてはならないというのが私の考えです。無個性な人間が多い時代自分の個性を「所有」し続けることは意外と難しいことです。ある程度の大きさのグループに属しグループで個性を「共有」することに流されてしまうことになるでしょう。例えば、大企業に勤めているAさんは、その大企業に勤めているという「共有」された個性が優先されて、Aさんが本来持つ優しさとか「所有」された個性は無視されがちです。Aさんは自分の個性を見失ってしまうことでしょう。自分のアイデンティティを「所有」し続けることは大切なことですね。
とてもていねいな回答にお人柄を感じます。
お金はどうでしょう。
僕は一文もないけど、頼もしい友人たちがしっかり稼いで持っていてくれるから安心なんだ。
といってみたいですね。
鳥や獣のように、お金を一円も稼がないで、毎日音楽や詩や絵を描くことに熱中していたら、本当に必要なときに、天下の回り物としてお金が回ってこないでしょうかね。
そういえば、はてなでかつてこんな質問がありました。
そうですね。
実は家に関して、いま、とりあえず家族の持ち家ですが、「賃貸はいい」とつくづく思うのでした。
★お店は、じぶんの倉庫である。
しごと柄、ジャスコや梱包を扱うホールセールショップや有隣堂に行きます。無駄な買い物はしません。じぶんとしては、お店やさんにあるものは、すべてじぶんにとって必要かもしれないもので、お店は倉庫だと思っています。必要なときに、お金を払えば、その場で手に入れられる。いつも、じぶんが必要だと思うものを、ここでは預かってもらってあるんだ。ありがたいことに、お金さえ払えばいくらでも手に入る。そう思えば、衝動買いやポイント溜めたさに買い物はしなくなります。
★車は価値が下がるだけのもの
きちんと動いて、事故がなければ、多少の傷をつくったって、全然、気にしません。買ったその日から資産価値が下がって行くので、高級車には乗ろうと思わないのです。だから現金で買います。価値が下がるものなのに、高い自動車税を払って、メンテナンスコストをかけていくものなのに、ローンにするのは無駄です。5年で10万キロ近く乗ってしまうので、がたがくるので、また手ごろな新車を見つけます。車はお金を払って自己所有にしていますが、実は、「5年で10万キロを安心して乗れる」という事実を借りているような気がするのです。
★住居
分譲マンションは無駄です。ローンを組まされながら、固定資産税を払い、30年近くなれば、建て替えの負担金がやってきます。交通至便なところで、借りている方が楽です。ライフスタイルなんていつ変わるかわかりませんもの。持ち家にするなら、その分、現金で持っていたほうがいいと思います。持ち家といっても、家賃は、固定資産税という形で、国に払っていると思うようになりました。
本当にその通りだなあと思います。
ちょっと違うかも知れませんが、セフレも共有の現われかも
所有ではないが、彼氏、彼女というのは、独占欲の現われでしょ
「彼氏を捕ったとか、捕られた」と言われるんだから
彼氏、彼女はいないけど、セフレなら居るよって若い子って増えてる気がするがどうでしょうか
ただ、自分がと言われると、うーんと答えになってしまいますが・・・
キャバクラやソープの発展系かもしれないですね。
自分が・・となるとしんどいですが、ある意味ありかも。
レンタル社会学 ~ 借捨て傘・乗捨て自転車・通勤タクシー ~
繁華街の傘屋は、にわか雨が降ると忙しい。
ふだん並べている安物を引っこめて、かわりに高級傘を店頭に出す。
通りがかった不運な客は、しぶしぶ高めの傘を買っていく。
小学生の悪ガキどもは、自転車を共有している。
夜中に団地の駐輪場で、目ぼしい部品を探しあてて、取りかえる。
校内や駅前の駐輪場で、目ぼしい自転車を見つけて、乗りかえる。
平日の通勤道路には、一人づつが四人乗り自動車を走らせる。
休日の観光道路には、一家四人が四人乗り自動車で出かける。
盆暮の高速道路では、一家四人が四人乗り自動車に閉込められる。
レンタル傘やレンタル自転車を実現した自治体は、少数例がある。
ヒトラーの国民車構想で、ポルシェがフォルクスワーゲンを開発した。
ワーゲン(甲虫)は、のちに華美なスポーツカーに発展していった。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041207
↑横車の人々 ↓コロナの女
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19661108
ありがとうございます。
四季の草 ~ Memories of seasons ~
扇風機、扇子に日傘、金魚鉢。水着に浴衣。風鈴、花火。
http://q.hatena.ne.jp/1185509972#a741805
「お客さん、あいにく手前どもでは、お預かりいたしかねます」
笄町の四季 ~ 遠くの親戚より近くの他人 ~
青年社長が「日本の新しい美術工芸をめざし」日新美術工芸社を設立。
橋本くんと与太郎が、臨時に雇われ「自衛官募集」の看板を制作した。
ふたりは、月末に賃金を受けとりに向った。
すると青年社長は、センプーキをぶら下げて出ていった。
十数分後に手ぶらで戻ってきて、ふたりに、数枚の紙幣を渡した。
「とりあえず今日は、これだけな」と云った。
年末に訪れると、センプーキの代りにオンプーキが回っていた。
またもや青年社長は、オンプーキをぶら下げて出ていった。
十数分後に手ぶらで戻ってきて、数枚の紙幣を渡した。
楽天楽団 ~ クラシックからジャズまで ~
幼いトットちゃんは、質屋をクリーニング屋だと教えられて育った。
母のチョッちゃんが、ヴァイオリニストの父が演奏会を終えるたびに、
「さぁ、またここで洗ってもらいましょうね」と連れていったからだ。
NHK交響楽団首席奏者の燕尾服は、しばしば家計の帳尻を助けた。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060816
チョッちゃんが逝った ~ 黒柳家の人々 ~
上海のダンスホール・バンドは、ステージが終ると、全員まっすぐに
質屋に向った。ギャラの前借を advance から転じて「バンス」という。
いつも借りつくしていたので、各々の楽器を質入するのが常だった。
── 深作 欣二・監督《上海バンスキング 19841006 松竹=テレビ朝日》
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17952/index.html
── 串田 和美・脚本・監督・出演《上海バンスキング 19880313 自由劇場》
── 昭和天皇は、つねづね「雑草という草はない」と語っておられた
そうです(略)分類学では“雑草という概念”は不必要なのでしょうか。
われわれの身辺に“雑種”の犬や猫が、いくらでも存在するのに……。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2731758.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2772749.html
♪ 草いろいろ おのおの花の 手柄かな ── 芭蕉《更科紀行留別吟 1688》
いいですね。これからもお願いします。
「所有を手放してもいいものと考え方」
「友人」
これは、手放してはならないものに見えて、手放すべきものと感じています。
どういう意味かというと・・・
それは冷酷な意味ではなく。
必要なときに必然に現れるものと考えています。
昔は無意味にも沢山の友人がいることに自己満を感じていました。
そして友人の数が減ると、焦りと不安を覚えたものです。
しかしあるとき、思いました。
そして全てを手放してみました。
手放すことで、本当に沢山消えていきました。
でも、どうでしょう。
手放したのに、離れていかなかった者もいました。
自分が必死に捕まえていたものほど、必要の無い者だったのかもしれません。
そのとき初めて自分にとって、本当の友人を知りました。
今でも大事な友人です。
本当の友人は手放しても、そこに在るものだと知りました。
よく子どもたち、「友達を作りたい」っていいます。
あの言い方、変だなあと思っています。
若輩者で恐縮なのですが自分は本(漫画)ですね。
なんと言うか漫画のよさと言うかを伝え?たくて実際に週間少年ジャンプ、週間少年マガジンは学校に毎週持っていってみんなに回してあげてますね。
あと、自分の持っているもので詠んでみたいと言ってくれたものは誰でも貸してあげています。
その見返りと言ってはなんですがみんなからはよく漫画を貸してもらっています。
学校のロッカーはいつも漫画でいっぱいです。
短くてスイマセン
いえいえそんな。
はてなは年齢とか関係ないですよ。
いい学生生活ですね。
こんにちは。
「所有」と「共有」については、まだ見通しよく考えたりできません。
ひとまず、所有を手放してもいいものと考え方を挙げてみます。
・本
ほとんど図書館を利用しています。
図書館に置いてないような本は、実は私はほとんど読まないのです。
・音楽
こちらもほとんど図書館かレンタルです。
案外 最近のJ-POPなども図書館にあるコトを知らないヒトは多いですね。
・リラックスして何かを書いたりする環境
ここ数年でカフェに行くようになりました。
まあそんなにハマったりしてるわけではないですけど、
ここでしかできないコトがあるなあとやっと気づくようになりました。
・音楽の好み
こういうアーティストを好きなヒトは、別のこんなアーティストも好きなのでは?
って提案を、インターネットはたくさんしてくれますね。
そういう風にして知るようになったアーティストはたくさんいます。
そうやって考えてみると、たとえば服の好みはディスプレイに教えてもらったモノかもしれませんし、
あらゆる選好が共有されてるモノなのかな?って気もしちゃいます。
どうかなあ? この辺は自分の中でよく分からないです。
知は共有されていて、好みは共有されてないのかな? うーん。
逆にどうしても共有じゃ嫌なのはどういうモノなのか、考えてみてもいます。
まだアイデアはあまりないですが、ひとつだけ今 具体例を挙げられるモノがあります。
・感動
だれかといっしょに夜明けの空を見て感動したとしたって、
その感動はいっしょにいただれかとは絶対に異なる、ユニークな感動だと思うのです。
それを「共有した」とか、私は言いたくないなあって思います。
ありがとうございます。
下着 → 洗濯と集配の効率的なシステムが安定して稼動しているならです。
もちろん、かなり安くて済むならです。
幾つかの選択肢があるシステムなら問題無いと思う。
まさか、性病の感染は、洗濯済みの下着からは無いでしょう。
本 → これも検索(ネットや携帯だけではなくて図書館や行政機関などからのアクセスも欲しい)と集配(メール便などが想定されます)
の費用分担や作品評価のシステムが安定して稼動していなければならない。
できれば新刊本の全てが即座に借りれるシステムが欲しい。
もちろん、有料で。
最近また「貸本」が増えましたね。
本当にその通りだなあと思います。