この間彼と話をしていて、彼がピーター・ドラッカーをまったく知らないことを知りました。
聞いたこともないそうです。
バブル入社組みにはホゲホゲ君みたいな人が多いのでしょうか。
42歳のホゲホゲ君は別にドラッカーはじめ、他のビジネス書を読まなくても
今後もエリートであり続けられるのでしょうか。
私の知る30歳以下のビジネスマンで、ドラッカー先生を知らない人はいません。
ドラッカー先生を基準にしているわけではありませんが、有名するぎるほど有名だと思うので。
先日は20歳の学生にカール・ポラニーの本を紹介されました。なのにホゲホゲ君ときたら!
この驚きが、この質問をするにいたりました。ホゲホゲ君が普通ですか?
「ドラッカーを知らない」ということを「知らない」うちから、その方の資質に「?」であるならば、疑問を抱かれる通りかも知れません。
逆に、「ドラッカーを知らない」ことを「知った」後に、その方の資質に「?」となったならば、そのこと自体大きな問題ではないのかも知れません。
「エリート」の定義は曖昧なので何とも言えませんが、その方がそのポジションにいるには、評価の前提があるのではないでしょうか。(もちろん単に年齢だけ、もしくは消去法的な必然性という場合もあるでしょう)
学生時代を思い出すと、参考書を大量に持っていても、成果を出せなかった人もいますし、授業や教科書以外使わないで難関大を突破した人もいます。最終的に差がつくのは「ドラッカーを知っているか」という知識の量よりも、判断力や洞察力などの資質かと思います。
また、「ドラッカーを知っている」人の中には、「名前は知っているけど実際には読んだことがない」人も多数含まれる…ような気がします。例えば、『源氏物語』のように。そう言う意味では、バブル期に限らず、知らない人(読んだことのない人)は案外いるのではないでしょうか?
そういう教養本を読んでいる暇がないほど、お忙しかったのかも知れません。その本を読むのにもある程度の時間がかかりますが、その時間にご自分の専門の本を読んでいたか、仕事で忙殺されていたのかも知れません。
しかし、エリートとしては、教養も身につけておいて欲しいものです。教養というのは、実務や専門の知識に比べて出世には無関係だし、直接、役に立たつものではありませんが、長い目で見ると役に立ったり、人生を豊かにしてくれるものです。
それに、今まで教養本を読む余裕がないほど、精一杯やってきたとしたら、これ以上の負荷がかかった時、持ちこたえられるかどうか不安にもなりますね。また、彼のように、その教養を疑われて、鼎の軽重を問われることともなりかねません。
普通かどうかは特定条件の人を対象にアンケートでもとってみないとわからないと思います。
エリートであり続けられるか否かでいうなら、エリートから転落しそうな理由を一生懸命探してもそういう(私の主観として)どうでもいいようなネタしか見つからないなら、その方はエリートであり続けると思います。
なにしろ20年近くそれを知らずにエリートであり続けたわけですから、その方の経歴というか業績には影響を与えない知識であることは疑う余地がありません。
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深読みしすぎかもしれませんが、質問者さんはこの方に感情面での何かをお持ちではないですか?
もしそうなら、はてなで質問されるよりストレス発散に適した場所を探した方が精神的によろしいかと思います。
勘ぐりすぎならゴメンナサイ。
「普通ですか?」の答えは「普通です」
この類の物は全く読まない人や、あえて避けている人、嫌っている人がたくさんいますからね。
売り上げ的には結構な方ですが、もう死んでますし、古い人間なんですよ。
ビジネス書を読まないエリートなんて腐るほどいます。
ビジネス書を愛読する低所得者も腐るほどいます。
個人的にはこの人の本は何の価値も無いと思いますし、ビジネス書も自己啓発や宗教の類だと思っています。
ドラッガーを知らなくても、これまで世の中を渡ってこれた彼の知恵が良かったのではないでしょうか。
本にたよらず自らの知恵で道を切り開いていく能力があったのだと思います。
もしくは、その都市銀行の人間教育のたまものではないでしょうか。
日本人の多くは、どんな事でも”どこかに回答があるはず”と考えるのが普通だそうです。
選択肢があって、いずれの場合にも死が待っているのに、回答があるはず。と考えるのだとか。
これは、必ず回答と採点者のいる受験教育を過ごした青年時代のたまものだそうです。
日本では、HOWTO本がバカ売れするのもそれが起因しているようです。
しかし、人生には回答のない事の方が多いように思います。
にもかかわらず、日本人の多くは、ビジネス書に”回答”を求めて本を開きます。
しかしその助言は乗っていても、その読者の人生の回答はのっていません。
そういった意味では、ほげほげ君は、本にたよる事無く、自分で考える事で
脳に汗かいて、知恵を使って人生を切り開いてきた、すばらしい哲学者なのかもしれません。
ただし、今後彼がドラッガーに触れる機会があるかどうかは私にはわかりませんが、
あったとしても、”助言”として受け止めるだけで、それがドラッガーのものかどうかは
彼にとってはどうでも良い事になるように思います。
現在学生で経営学についても勉強していますが、表立って習ったことはありません。「民営化」や「知識労働者」の作成者だそうですが、少なくともこの人の名前を覚えていなければいけない人の中にはこの人の名前はなかったです。
ちなみにその本にはポーター、アンゾフ、テイラー、ファヨールなど基本的な人は出てきました。
ピーター・ドラッカーの本を使って何か出来ましたか。
生産性があがりましたか。
その人がそれを知っている必要があると思われますか。
ピーター・ドラッカーより優れた経営学者はいないのですか。
ピーター・ドラッカーを知っている人は優れているんですか。
普通ってなんですか。
そもそも小馬鹿にしてる相手が友人なんですか。
優越感を味わうための物に過ぎないんじゃないですか。
なるほど。つまり、低学歴者はドラッカー先生を読むということでしょうか。
私は個人的に時代もあるかなと思っています。
なお、30前後以下の友達、知り合いも、ホゲホゲ君と同じ高学歴であることを付け加えないといけませんね。
まあ、答えるのも面倒な質問かもしれませんがよろしくです。