あの英雄は生きていた!

史実ではないが俗説などで信じられた生き延び伝説を教えてください。できれば、出典つきで。

こんな感じのものです。
・源為朝は琉球へ落ち延びて、舜天王の父となった。
・源義経は平泉で死なず、蝦夷へ逃げた(ジンギスカンになった)。
・明智光秀は生き延びて、天海僧正になった(史実ではありません)。
・豊臣秀頼は大阪城から落ち延びて、九州へ逃げた。
・西郷隆盛が実は生きていて、日露戦争の時にロシア軍とともに攻めてくるという噂が流れた。
・ニコライ2世の皇女アナスターシアはロシア革命を生き延びた。

日本史・世界史問わず、本当は死んだのに生きている説が流れたものを教えてください。

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  • 終了:2008/06/25 09:45:54
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id:nofrills No.7

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ジャンヌダルク

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8...

ジャンヌは実は王家の私生児であったという説もある。この説によると、ジャンヌはシャルル6世の妃であったイザボーと、義弟ルイ・ドルレアンとの間に生まれたとされる。イザボー王妃の息子フィリップは1407年11月10日に死去し、ルイ・ドルレアンは同年11月23日に暗殺されているが、このフィリップこそがジャンヌのことであり、男の子が生まれたが死産した、ということにして密かにジャック・ダルクの元に預けられた、というのである。ジャンヌ私生児説を主張する者たちの中には、この女性こそ王家の私生児であった本物のジャンヌであり、処刑されたのはジャンヌの身代わりであるという、ジャンヌ生存説を唱える者もいる。だが、研究家たちにはこれらの説は否定的に見られている。

ジャンヌ・ダルクの神話 (講談社現代新書 (642))

ジャンヌ・ダルクの神話 (講談社現代新書 (642))

  • 作者: 高山 一彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 新書

この本の読者レビューから引用:

本書はこのジャンヌ・ダルクの生涯そのものを描くのではなく、この悲劇のヒロインに関する後世の人々による多様な解釈や作家達が描いてきたさまざまなジャンヌ像を紹介することを主眼としている。歴史研究の中では、火刑を逃れたという生存説や、彼女が王室の血をひく皇女であったという説まであるという。


チャンドラ・ボース

http://www.indjpn.com/indnews0605.html

インドの反英独立闘争指導者で、1945年に台北空港での墜落事故で死亡したとされるスバス・チャンドラ・ボースの「生存説」を検証していた印政府の調査委員会は、台北の事故は「偽装」と結論づけ、ボースの「ソ連脱出説」に含みを残す報告書を発表した。これに対し印政府は同日、「報告書の内容には同意できない」とする声明を発表。これまで通り、台湾での事故死を認める立場を示した。……

※ソースは2006/5/1, 日本経済新聞の記事(インド独立指導者の生存説めぐる調査委「事故は偽装」)


ジム・モリスン(ザ・ドアーズ)

http://www.museumofhoaxes.com/hoax/weblog/comments/2181/P20/

http://www.roadrunnerrecords.com/blabbermouth.net/news.aspx?mode...

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116883...


下記は、検索したら出てきたというだけで、私にはどのような方なのかまったくわかりません。

日露戦争秘話 杉野はいずこ―英雄の生存説を追う

日露戦争秘話 杉野はいずこ―英雄の生存説を追う

  • 作者: 林 えいだい
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

満州事変あたりから終戦直後にかけて流れたという「杉野兵曹長生存」の噂を、地道な取材で追った1冊である。(読者レビューより)


お市の方にも「生存説」があるんですね。

http://www.samuraism-japan.com/column_13.html


藤堂平助(新撰組)にも。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82%E5%B9%B3%E5%8A%A...

昭和55年「歴史と旅」11月号、谷春男執筆の「油小路の藤堂平助」によれば、藤堂は九死に一生を得て包囲網から脱出したとされている。その後、経緯は不明だが横浜に居住しており、どういう繋がりかはわからないが、藤堂の親戚の娘が嫁入りした関係か、小田原の万福寺にちょくちょく遊びに来ていたという。……


藤村操

http://www.onlinecasinowisdom.com/2004052202.html

哲学的自殺を貶めようとしてか、「生存説」「失恋説」が登場しました。いずれも根拠がありません。

上記URLでは詳しいことがわからないのですが、「生存説」の背景を調べたら興味深いかもしれないですね。


あと、「イエス・キリストは磔刑にされたときに死んだのではない」という説があります。(青森の説にも関係しているのかもしれませんが。)

http://en.wikipedia.org/wiki/Swoon_hypothesis


最後に、おまけです。

本気での「生存説」ではなく、コラムのタイトルとしての「生存説」。

「ジェイムズ・ブラウン生存説」

http://www.bounce.com/article/article.php/3246/ALL/

id:matsunaga

たくさんありがとうございます!

生存説と並んで貴種説も浮かんできましたね。

チャンドラ・ボースの生存説はつい最近まで検証されていたんですか。まあ、生きていたらもっと目立つところに出てきていると思いますが。

杉野兵曹長、お市の方の生存説は知りませんでした。

藤堂平助の生存説はちょっと無理だと思うんですが、説はあるんですね。

藤村操生存説はひどい(笑)

イエス・キリストの説は、「実は仮死状態だったのが3日後に蘇生した」として、聖書の記述を理解しようとする試みのようですね。どちらかというと非神秘的発想による合理化のように思われます。

最後のジェイムズ・ブラウン生存説は笑いました。

2008/06/20 01:14:24

その他の回答10件)

id:story-designer No.1

回答回数381ベストアンサー獲得回数23

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ヒトラー生存説

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B...

ヒトラーの遺体が西側諸国に公式に確認されなかった上、終戦直前から戦後にかけて、アドルフ・アイヒマンなどの多くのナチス高官がUボートを使用したり、バチカンなどの友好国の協力を受け、イタリアやスペイン、北欧を経由してアルゼンチンやチリなどの中南米の友好国などに逃亡したため、ヒトラーも同じように逃亡したという説が戦後まことしやかに囁かれるようになった。戦後アルゼンチンで降伏した潜水艦「U977」のハインツ・シェッファー艦長は、ヒトラーをどこに運んだかを尋問されたことや、当時の新聞でのいい加減な生存説の報道ぶりを自伝の戦記に書き残している。アメリカやイギリスなどの西側諸国もこの可能性を本気で探ったものの、後に正式に否定されている。

それらの噂には、「まだ戦争を続けていた同盟国大日本帝国にUボートで亡命した」という説や、「アルゼンチン経由で戦前に南極に作られた探検基地まで逃げた」という突飛な説、果ては「ヒトラーはずっと生きていて、つい最近心臓発作のため102歳で死去した」という報道(1992年。フロリダ州で発行されているタブロイド新聞より)まで現れた。この生存説を主題にした作品の1つに落合信彦の『20世紀最後の真実』がある。その他、TO諜報機関のアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコの証言の中に、「ヒトラーは自殺せず、ボルマンに連れられて逃亡した」と言うものもあるが、信憑性はきわめて低い。

俗説と言われているが、晩年のスターリンが「ヒトラーが生存しているのではないか」といううわさが立つたびに、自宅の裏庭から木箱を掘り起こし中の頭蓋骨を確認して埋め戻したとされている。

id:matsunaga

最後の段落がいいですね。

こういう感じでお願いします。

2008/06/19 17:14:08
id:kanan5100 No.2

回答回数1469ベストアンサー獲得回数275

id:matsunaga

あんとく様といえば諸星大二郎ですね。

いずれも興味深いです。

2008/06/19 17:19:49
id:albertus No.3

回答回数81ベストアンサー獲得回数8

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個人的におすすめは、「イエスは生き延びて青森にたどり着いた」でしょうか。

http://www.inv.co.jp/~baba/aomori/krist.html

青森県のサイトにも紹介があります・・・

http://www.net.pref.aomori.jp/shingo/07sight/sight-christ.html

突っ込みどころ満載ですが、スケールは上記のものと対等ではないかとおもいます。

id:matsunaga

あー、これもありましたねえ。竹内文献が根拠ですから昭和になってから作られた話ですね。

2008/06/19 18:03:21
id:london2008 No.4

回答回数72ベストアンサー獲得回数0

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http://ja.wikipedia.org/wiki/セックスピストルズ

なんとナチス高官のマルチン・ボルマンが戦後も生きていてピストルズの映画に登場!

id:matsunaga

リンクがうまくいってなかったので

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B...

ピストルズはともかくボルマンはいろいろ話がありますね。

2008/06/19 22:17:21
id:Britty No.5

回答回数78ベストアンサー獲得回数0

ポイント50pt

まだ出ていないようなので。割とすぐに真実性を否定されましたが、同時代には短期間とはいえ広範に信じられました。

偽ディミトリー1世

http://www002.upp.so-net.ne.jp/kolvinus/Douran/rosia2.htm

偽ピョートル3世(プガチョーフの乱)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A...

それぞれシラーの『デメトリウス』プーシキンの『大尉の娘』の下敷きになっています。また偽ディミトリー1世はそもそもディミトリー1世の偽者だったわけですが、非業の死を遂げたあと、彼自身の生存説もその後長く流布したそうです。

id:matsunaga

ロシアは混沌としてますね。

どうでもいいですが、ピョートル3世が死亡したとき「前帝ピョートル3世は持病の痔が悪化して急逝、エカチェリーナ2世はこれを深く悼む」と発表されたというのは、死因としてはかなりいやなものがあります。

2008/06/19 22:27:24
id:kanan5100 No.6

回答回数1469ベストアンサー獲得回数275

ポイント75pt

大物では明の2代皇帝建文帝ですかね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E6%96%87%E5%B8%9D

鄭和の大航海の裏の目的は南海に逃亡した建文帝の捜索、という説もあります。

護良親王にも生存説が。

http://windbird.hp.infoseek.co.jp/rekisi/oasobi/hutinobe.htm

あとは山本五十六とかジャンヌ・ダルクとかにも生存説がありますね。

だいたい非業の死を遂げた英雄や幼帝には生存説がつきもののような気もします。

id:matsunaga

鄭和が出てくると壮大な話になりますね。

護良親王とか、後南朝の話になると、明治以降の自称南朝天皇の話にもつながってきますね。

山本五十六生存説はどこかで聞いた気がしますが、何か文献ありますか?

ジャンヌ・ダルク生存説は初耳でした。

もっと生きて活躍してほしかったという思いが生存説を作り出すのでしょうね。

2008/06/20 00:27:35
id:nofrills No.7

回答回数874ベストアンサー獲得回数159ここでベストアンサー

ポイント50pt

ジャンヌダルク

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8...

ジャンヌは実は王家の私生児であったという説もある。この説によると、ジャンヌはシャルル6世の妃であったイザボーと、義弟ルイ・ドルレアンとの間に生まれたとされる。イザボー王妃の息子フィリップは1407年11月10日に死去し、ルイ・ドルレアンは同年11月23日に暗殺されているが、このフィリップこそがジャンヌのことであり、男の子が生まれたが死産した、ということにして密かにジャック・ダルクの元に預けられた、というのである。ジャンヌ私生児説を主張する者たちの中には、この女性こそ王家の私生児であった本物のジャンヌであり、処刑されたのはジャンヌの身代わりであるという、ジャンヌ生存説を唱える者もいる。だが、研究家たちにはこれらの説は否定的に見られている。

ジャンヌ・ダルクの神話 (講談社現代新書 (642))

ジャンヌ・ダルクの神話 (講談社現代新書 (642))

  • 作者: 高山 一彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 新書

この本の読者レビューから引用:

本書はこのジャンヌ・ダルクの生涯そのものを描くのではなく、この悲劇のヒロインに関する後世の人々による多様な解釈や作家達が描いてきたさまざまなジャンヌ像を紹介することを主眼としている。歴史研究の中では、火刑を逃れたという生存説や、彼女が王室の血をひく皇女であったという説まであるという。


チャンドラ・ボース

http://www.indjpn.com/indnews0605.html

インドの反英独立闘争指導者で、1945年に台北空港での墜落事故で死亡したとされるスバス・チャンドラ・ボースの「生存説」を検証していた印政府の調査委員会は、台北の事故は「偽装」と結論づけ、ボースの「ソ連脱出説」に含みを残す報告書を発表した。これに対し印政府は同日、「報告書の内容には同意できない」とする声明を発表。これまで通り、台湾での事故死を認める立場を示した。……

※ソースは2006/5/1, 日本経済新聞の記事(インド独立指導者の生存説めぐる調査委「事故は偽装」)


ジム・モリスン(ザ・ドアーズ)

http://www.museumofhoaxes.com/hoax/weblog/comments/2181/P20/

http://www.roadrunnerrecords.com/blabbermouth.net/news.aspx?mode...

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116883...


下記は、検索したら出てきたというだけで、私にはどのような方なのかまったくわかりません。

日露戦争秘話 杉野はいずこ―英雄の生存説を追う

日露戦争秘話 杉野はいずこ―英雄の生存説を追う

  • 作者: 林 えいだい
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

満州事変あたりから終戦直後にかけて流れたという「杉野兵曹長生存」の噂を、地道な取材で追った1冊である。(読者レビューより)


お市の方にも「生存説」があるんですね。

http://www.samuraism-japan.com/column_13.html


藤堂平助(新撰組)にも。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82%E5%B9%B3%E5%8A%A...

昭和55年「歴史と旅」11月号、谷春男執筆の「油小路の藤堂平助」によれば、藤堂は九死に一生を得て包囲網から脱出したとされている。その後、経緯は不明だが横浜に居住しており、どういう繋がりかはわからないが、藤堂の親戚の娘が嫁入りした関係か、小田原の万福寺にちょくちょく遊びに来ていたという。……


藤村操

http://www.onlinecasinowisdom.com/2004052202.html

哲学的自殺を貶めようとしてか、「生存説」「失恋説」が登場しました。いずれも根拠がありません。

上記URLでは詳しいことがわからないのですが、「生存説」の背景を調べたら興味深いかもしれないですね。


あと、「イエス・キリストは磔刑にされたときに死んだのではない」という説があります。(青森の説にも関係しているのかもしれませんが。)

http://en.wikipedia.org/wiki/Swoon_hypothesis


最後に、おまけです。

本気での「生存説」ではなく、コラムのタイトルとしての「生存説」。

「ジェイムズ・ブラウン生存説」

http://www.bounce.com/article/article.php/3246/ALL/

id:matsunaga

たくさんありがとうございます!

生存説と並んで貴種説も浮かんできましたね。

チャンドラ・ボースの生存説はつい最近まで検証されていたんですか。まあ、生きていたらもっと目立つところに出てきていると思いますが。

杉野兵曹長、お市の方の生存説は知りませんでした。

藤堂平助の生存説はちょっと無理だと思うんですが、説はあるんですね。

藤村操生存説はひどい(笑)

イエス・キリストの説は、「実は仮死状態だったのが3日後に蘇生した」として、聖書の記述を理解しようとする試みのようですね。どちらかというと非神秘的発想による合理化のように思われます。

最後のジェイムズ・ブラウン生存説は笑いました。

2008/06/20 01:14:24
id:masanobuyo No.8

回答回数4617ベストアンサー獲得回数78

ポイント50pt

以下の歴史Wiki - 生存説というサイトには,

一覧がございますので,ご覧ください。


http://hiki.cre.jp/history/?SeizonSetsu

id:matsunaga

まだ出ていなかった人物だと、以仁王、石田三成、真田幸村、原田左之助あたりですね。

ここで紹介されていた『逆転の人物日本史』(中江 克己)はいま注文しました。

2008/06/21 10:54:54
id:casanovastyle No.9

回答回数1ベストアンサー獲得回数0

ポイント50pt

新撰組では原田左之助にも生存説があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%B7%A6%E4%B9%8...

鳥羽・伏見の戦い、甲陽鎮撫隊まで新選組として戦いその後、永倉新八と共に靖兵隊結成。だが、なぜか江戸を離れてから用を思い出したと江戸に戻って彰義隊に加入、上野戦争の際に負傷し、その傷がもとで明治元年5月17日に死亡する。享年29。しかし、何故か隊の名簿に原田の名は載っていなかった。

馬賊伝説

異説があり、日清戦争のときに松山で昔語りをする老軍人がいて「私は原田左之助だ」と名乗ったと伝わっている。原田は上野、新潟、下関、釜山を経て大陸へ渡り馬賊の頭目になったという。

明治40年頃の新聞で報じられたが真偽は不明。

ちなみに原田左之助は『るろうに剣心』の登場人物である相楽左之助のモデルであり、相楽左之助も最終的にモンゴルに渡って馬賊になります。あまり関係ありませんが。

id:matsunaga

新撰組も最期がよくわからない人が多いので、いろいろと話が出てくるんでしょうね。

2008/06/21 10:56:40
id:v2hawks No.10

回答回数13ベストアンサー獲得回数0

ポイント50pt

島清興(左近)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B7%A6%E8%BF%91

関が原の合戦後も首がみつかっておらず、目撃説も多くあったとのこと。

立本寺にある「妙法院殿島左近源友之大神儀」の墓によれば没年は寛永九(1632)年六月二十九日。

戒名の「~院伝」号は大名や寺の建立者レベルの号なので、本当に左近の墓なのかも知れません。

 

原田左之助(新撰組)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%B7%A6%E4%B9%8...

上野寛永寺の戦いを生き延び、大陸で馬賊になったという有名? な話です。

日清戦争のころに左之助を名乗る老人がいて新聞記事にもなったとか。

 

エルヴィス・プレスリー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A...

偉大なスターだったせいか生存説が絶えないそうです。

「エルヴィスが生きているという確実な証拠には300万ドル〈約3億4000万円〉が支払われる」

……誰が払ってくれるんでしょうか?

id:matsunaga

島左近も生存説がありましたか。

エルヴィスには生存説があっても、ジェームズ・ディーン生存説はないんですね。

2008/06/21 11:01:02
id:sakichan No.11

回答回数7ベストアンサー獲得回数1

id:matsunaga

新出は松平信康、平教経、川島芳子ですか。

東洋のジャンヌダルクこと川島芳子にも、本家と同じように生存説があったのは興味深いです。

2008/06/21 11:08:01
  • id:nofrills
    思い出したので追加:
    夢野久作のエッセイに、フィクションですが、ある人物の「生存説」があります。
    (それが誰なのかを書くとおもしろくなくなってしまうかもしれないので、人物名は伏せておきます。)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2132_21892.html
  • id:kanan5100
    2回答えてしまったのでコメントで追加。アメリカではこんな人たちに生存説があるそうです。
    John Wilkes Booth(リンカーン暗殺犯)
    http://en.wikipedia.org/wiki/John_Wilkes_Booth
    Jesse James(世界初の銀行強盗)
    http://en.wikipedia.org/wiki/Jesse_James
    Butch Cassidy(最後のガンマン)
    http://en.wikipedia.org/wiki/Butch_Cassidy
    John Dillinger(銀行強盗)
    http://en.wikipedia.org/wiki/John_Dillinger
    なんか犯罪者ばっかりですね。
  • id:albertus
    追加です。さっき思い出したので・・・

    この中ではイエスの話よりも、もう少し由緒正しい?ものがありました。それは、ローマ皇帝ネロです。
    彼は、32歳(紀元後68年)に死ぬのですが、その後も「私はネロである」という人が現れています。

    (出典:スエトニウス『ローマ皇帝伝』下巻(198ページ)国原吉之助訳(岩波文庫440-2))

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