標記の通り「あなたの人生を変えた他人の一言」を教えてください。
いつ、誰から、どんなシチュエーションで掛けられた一言で、
それによって自分がどう変わったのかも教えてください。
よろしくお願いいたします。
本を開いていて見つけた”人生は壮大な暇潰しである”
ですね。生きる目的が分からず探すと人のためだなんだの綺麗事ばかりでうんざりしてた時に発見してショック受けましたね。開き直って「自分の人生だからとことん楽しんでやろうじゃないか」と思いましたよ。
日本の大手コンピュータ会社から外資系コンピュータ会社にソフトウェアエンジニアとして転職したはじめの頃の話です。メールは英語が基本、米国への出張や米国エンジニアとの会議などよくあると聞かされ、当時英語がとても苦手だった私は、こんな自分でも将来この会社でやっていけるのかどうか、カナダに留学経験のある英語が非常に堪能な上司に相談したことがありました。彼は、「十分なエンジニアスキルがあるのだから英語によるコミュニケーション能力はいまは気にしなくてもよい。この会社でエンジニアとしてスキルを磨いていれば英語は自然と身につくから心配するな。」と言ってくれました。この言葉が自分にとって目に鱗で、今後も仕事を続けていく自信がつきました。お陰で8年前から米国本社で働くことになり、多くの貴重な体験を毎日楽しんでいます。当時その上司からその言葉をもらわなければ、数年で他の日本企業で日本にいたかもしれません。
「自分自身が好きか?」
数年前、自己矛盾に悩んで自殺を考えていたときに言われてハッとしました。
自分を信じてもいいんだって、楽になりました。
嫌いな自分に対して自分で嫌がらせをして、不幸になったことを喜ぶ自分。
それを棚上げして、自分に降りかかった不幸を、嫌がる自分。
喜びと嫌悪を同時に抱くのは、正常とは言いがたい。
正常とは言いがたい状態から、はっきり異常と言える状態になるまではそんなに苦労しない。
十年くらい前のテレビ番組、エヴァでも言及がありましたね。
リアルで見ていたときは気にも留めなかった言葉だったんですけど…。
ナポレオンヒルの本には、こういうものが載っていたので、ちょっと驚いた。
「アイゼンハワー元大統領はこう言った。『人生に望むものが安全性だけなら、刑務所の独房で過ごせばいい。それ以上の安全性は存在しないのだから』」
人生においては不安なのは当然だし、安全性を求めたって、どうしようもない。なるほどと思いました。
また、人生においては決断力の早さが何よりも大切だそうです。
それで、私は不安もなく安定を求めない楽観的な人間になり、あらゆることを積極的に挑戦しようという姿勢に取り組むことができましたし、決断力の早さで成功までは言わないけど、全体的に良い結果が取れるようになったなと思うことがありました。
かつて若いときに反戦運動に関わり、機動隊に石を投げて逮捕されました。留置場に2週間ほどいました。そのときに面会に来た教師から言われたことがあります。「思ったことを行動に表して闘うこともいいが、長い年月を生きていくときに必要なのは静謐な生命の燃焼である」ということを言われたことがあります。
せっかちな性向である自分の弱点を鋭く衝いた言葉のように思えました。当座の思いだけで行動したいたという自分に気づかされました。機動隊に石を投げることは簡単です。が、抗議をしていくことは石を投げるだけでは解決しません。粘り強く、思い続ける、派手ではなくしっかりと行動していく。地道に努力して生きていくことの大事さを知らされた一言です。「静謐な生命の燃焼」はなかなかできないことですが、今でも生きる糧となっている言葉です。
学ぶの語源は「真似ぶ(まねぶ)」
他人の良い所をマネするようにしたら、仕事の上達が早くなった。
仕事の上司に教わった言葉。
まずはその人の仕事術をまねびました。
恩師の条件 ~ 先生も負けないぞ ~
社会人となって訪れた二人の教え子に「いかに君たちがエラクなって
も、やっぱり先生と呼ばれるよう、私も負けないつもりだ」と励ました
高校教諭は、やがて客員教授として、アメリカの大学に招かれた。
センテンスの長い名講義で、悪ガキどもを寄せつけなかった先生との
遭遇で、危機的な一年間を支えられた。映画化された小説のモデル説が
あるほど校内きってのダンディズムが、決断の正装であることを知った。
迷っている者に対して、くどくどと長々しい説教は、効果がない。
ふだん考えていることを力強い一言にまとめて、おのずからの勇気を
引きだすテクニックが重要だと悟った。(↓のちに知った序言)
── Heaven helps those who help themselves.
Smiles, Samuel《Self-Help: With Illustrations of Character,
Conduct, and Perseverance, 1859 London》
これらの先生たちに出会わなかった人生を想像することができない。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041010
兄事 ~ 一に音楽、二に絵画、三に文字 ~
仕事を辞めた年、ニューヨークで語学研修に短期で行っていた時のこと。
そこの語学学校は、音楽などを真剣に学びたいという学生がかなり集まっていました。どうやら、その音楽学校などで、英語力足りないと、「ここの語学レッスンに行け」と言われる仕組みらしく(もちろん金は別途かかります)。
そこで、数人の日本人の方々に、私が前にやっていた専門があまり好きではなかったこと、でも時代は就職氷河期、就職のため仕方なくその学部に行った、再就職を考えているが、本当は今からでも自分の好きなことを学びたいこと、などを愚痴りました。
そうしたら、音楽を真剣にやりたいと思っていた、数歳年下の人に言われました。
「やったらいいじゃないですか、好きなこと」
ただ、その人はお金があるからこそ高いところで音楽留学できるわけだし、随分簡単に言うなぁと思って、お金がないから無理だとその時は言いました。
しかし帰国後、私はすぐさまネットで、「行きたい学部があり編入学等できる大学」を一応調べました。
そうしたら、はなっから無理だと決めつけていた私がバカだったことが判明しました。
しかも、その年の受験に間に合う時期でした。
お金も、留年覚悟で働きながら頑張れば行けることがわかりました。
それからパートと勉強に明け暮れ、翌年4月、私は大学生になっていました。
その方の一言がなかったら、人生が無味乾燥なままだったかもしれません。
がんばれば好きなことはできる、運命は自分で何とかできる。人生が明るくなりました。
軽い一言だったのかもしれませんが、本当にありがたかったです。
仕事が順調にいってる時に病気になってしまい会社を辞めなければならなくなって
今まで頑張ってきたのはなんの為なんだろうと思い、ふさぎこんでなにもやる気にならなかった時に
「自分が苦しい時に何をするかでその後の自分の人生が決まるんだよ」
と父に言われて、今自分にできることをしよう!と思えました。
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