まじめに、考えてくださる方。
そういうある種の超能力者が存在するとするならば、その人だけではなく他にも超能力者がいると考えられます。
他の人間を助けることに能力を使う超能力者に助けを求めればいいと思います。
例えが古いですが、黄泉に襲われたらバビル2世に助ければいいです。
この質問がある種の寓話ならば、自分自身だけで対処しようとは考えずに周りの強い人に助けを求めるべきです。
真面目に考えました。
逃げるしかない気がします。
麻原のような凶悪犯罪者ですからこちらが良心的な心を持っていても無理に思われ。
唯一可能性があるとしたら、相手の目的が幸福への報復なら、
自分自身の不幸体験を心の表に最大限出して標的にされないように心掛けるぐらいでしょうか。
でも、逃げるほど、追い詰めようとするでしょうね。不幸な人間は、確かに狙われないような気がします。
でも、最悪のストーカーのために、不幸でいる訳にも・・・自分自身の人生である以上、そうは生きたくはないでしょうね。
まじめに、考えてくださって、ありがとうございました。
筒井康隆の小説「七瀬ふたたび」っぽい設定ですね。
悪役が全員を思い通りにして世界を滅ぼすなら、
へたくそな紙芝居にしかならないです。
恨みや悪意といったモチベーションを
継続するというのもなかなか才能と努力がいるので、
1対1ならそのうち人格が融合するなりして
折り合う(その向けられた人にとって
望ましいものではないとしても
それなりの恒常状態にはたどり着く)と思います。
現実には夫婦とかでよくあることだと思います。
人の適応力がそれに類似した現象をおこします。
普通の人の念に頼らない行動(洗脳とか)だけでも
最強すぎて手に負えないと思いますよ。
うちなんか夕食のメニューが配偶者に勝手に決められちゃっても
不愉快を不愉快とも思わなくなってます。
そうですね。いくら思い通りにできても、世界に自分しかいなくなるということは望んではいないはずです。念の力で、欲をかなえてくれる人間がいなくちゃしょうがない・・・
でも、確かに、念の力ではなく、心理学で、毎日使うものの位置を、わずかずつずらしておいたり、数人の者から、シーンを変えて、具合が悪そうと言われれば、本当に気分が悪くなったりいうこともあるそうです。
自分が物を考えられない状態になる道を選びます。一番単純な方法で自殺でしょうか。
思念さえ読まれなければ逃げ道もありそうですが、読まれてしまえば逃げようもなさそうなので。
自殺という答えは想定していましたが、善処するということで。
けれど、ストーカーなので、殺しはしないでしょう。念の力がなければ、あるいは、凶行に及ぶということはあるでしょうけれど、念の力でいくらでも、追い詰めることはできるのです。
逃げはできないので、けれど、ある人間にそうした超能力がついたなら、追われている人間にも、そうした力が芽生えることもあると思います。
自殺する →確率35%
可能ならそいつを殺す →確率25%
慣れるように努力する →確率15%
逆に洗脳して利用する →確率10%
ドラッグを常用する →確率8%
何も考えない →確率5%
その他 →確率2%
ストーカーなので、自殺はさせないでしょう。ぎりぎりまで、苦しめたとしても。その他の2パーセントが気になるところですが、
確かに、死ね!死ね!の争いには互いになりうるでしょうね。
逆に洗脳はできるかもしれないですね。
とりあえず機嫌だけは損ねないよう、とにかく気を遣います。
彼のチカラを利用して、自分の望みを叶えたり、また逆に被害が拡大しないようにコントロールしたいと考えた場合でも、とりあえず命がけで油断無く、機嫌取りします。
やり合ったって敵わないんだから、どーせ。
恨みで動いている、邪念ストーカーですから、自分の思い通りにいかないと、やめないでしょうね。それに、追われる方でも、自分の人生と、信念があるので、機嫌をとりつづけるわけにもいかないでしょう。要求はどんどんエスカレートしてきますから。世間でストーカー被害にあった女性も機嫌をとりつづけるなら、殺されなくてすんだということでしょうか・・・
こっちの力しだいですが、普通の一般人の通りなら警察とかに相談し、駄目なら逃げまくるかな。
ただ、ヒーローのように立ち向かうことを考えるなら、まずは能力の量や生活を調べると思います。
例えば人の言動ならデスノートみたいに書き留めておけるのか、それともテレパシーみたいな感じだけど1回で1人だけなのか、それとも複数人数あやつれるのか。
思念も自然現象も同様に影響範囲を考えますね。
そう考えていくと、質問者の状況でも突発的な多人数の一斉攻撃に対応できないなら何とかなるかと。
また、行動パターンの観測から、例えば毒を盛る隙があるならそれも一つの手ですよね。
そうした、悪心の超能力者は逆に自分の手駒も増やしているかもしれないので・・・例えば、一般の人を、手駒として操る場合は、簡単なところでは目先の欲をかなえるなど。(金、女、酒、ギャンブルなど)
集団も操れますが、何かに集中すると、他は手薄になるなど。
けれど、人の本心までは、操れないようです。表層意識だけらしいです。
多分、相手も人間なので、
何らかの方法でそれ以上の力を身に付けて撃退するでしょう。
自分ができなければ誰かそういう人を味方につけるとか。
こんなので良いでしょうか?
そうですね。明快な答えをありがとうございます。
まさに、人間というところが、ポイントです。超能力はもともと、人間に内在する力だといいます。被害にあっている者も、同じ人間だから。
まず始めに、そんな念の力を持つ相手が存在するのであれば、自分も超能力者になって戦うことを考えます。
相手にとても立ち向かえないのなら、有能な弁護士を探して裁判で争います。でも、現在の法律は超能力の存在を認めていないので、まず勝てないでしょう。
そうなったら、もうどうにでもしろと無抵抗になります。
相手が飽きて去る可能性に賭けます。
今の日本には、それほど強い念の持ち主は知られていません。おそらく、一部の者が知っていたとしても、隠蔽して、自分たちのために念を使わせようとするでしょうね。いないことになっていないと、都合が悪いので。悪質な超能力者は執念深いので、飽きるということはないでしょう。
超能力は、他人に貸し借りもできるらしいです。
面白い設定ですね!チャレンジしてみます。
幸福な人間を苦しめることを目的に、その念の力を使う
ということなので、「ひょんなきっかけ」は私を「幸福」だと史上最悪の超能力者(以後超Aと略)認識した時だと仮定します。
興味がない相手ならすんなり殺されているか、スルーされているでしょうから、
一応興味を持ったということですし、幸福な人間を苦しめるのが目的なら、幸福でない人間には興味がないでしょう。
といっても「ひょんなきっかけ」なので、私は超Aがどうして私をロックオンしたのかわかりません。
まず超Aは自分の存在と力を誇示してくるでしょう。
私を「幸福」と認知したきっかけが「家族がいて楽しそう」だったら、
まずプライベートなことを私や家族から読み取り、家族を操って不和にしようと目論むでしょう。
多分、私は違和感を感じつつも、超Aの存在にはまったく気づきません。
とりあえず家族を失った私が失意に沈みます。
でも意外に友達に助けられて立ち直ってしまうかもしれません。
いや、立ち直らないと「つきまい」にならないでここでストーリーは終了しちゃいますから、
立ち直っておきましょう。
今度は友達の周りでおかしなことが起こり始めます。
あくまで迂遠に事を起こしてじわじわと苦しむのを超Aは楽しむでしょう。
私はもしかして自分が貧乏神なのでは、と考え始めます。
とりあえず私は死ぬしかないか、と考え始めます。
ところが超Aとしては死なれてしまうと楽しみがなくなってしまうので、
つい私を「死なないように」操作してしまいます。
「…おかしい」
巻き込まれストーリーの主役の条件は愉快なほどのドンくささです。
今頃何かおかしな力が自分の周りにあることに気がつきます。
反撃です。
ディバッグと自転車だけになって各地を転々とする日々が始まります。
宿を貸してくれようとしたおばさんにわざと無神経な態度をとってみたり、
話を聞いてくれたホームレスのおじさんに「全部忘れて!」と叫びながら雨の中に消えていったり、
日本海の雄大な夕暮れを観ている幸福感を嵐で邪魔されたり。
そんなことを繰り返しているうちに、私は超Aの能力の詳細を理解していきます。
例えば同時に二人を違う思念で操ることはできなかったり、
影響範囲は半径二キロ以内だが、障害物がある時はその限りではなかったり。
そして私はネットカフェに入っては奇妙な道中をブログに書き込んでいくようになります。
その中に同じ超Aに不幸のどん底に陥れられた仲間がいました。
その頃には私も超Aの本当の名前を知っています。
仲間はその「言ってはいけない名前」を符丁にして集まり始めます。
しかし、その集まりも超Aに感知され、仲間たちは散り散りになってしまいます。
私は仲間が残してくれた「ブラックボックス」という名の、超Aの思念派が届かないシェルターで沈思黙考の機会を与えられます。
けれどこの場所に長くはいることができません。
いずれ超Aもここへやってくるでしょう。
どうする、私。
超Aがやってきました。
仲間が残してくれた装置で私にはわかるのです。
私はシェルターの扉を開けて超Aを招き入れました。
はじめて超Aの戸惑いが伝わってきます。
私はすでに失うものは命以外なにもなく、無心だったからです。
そして私は超Aの背後でシェルターが閉じる音を聞くのです。
私を操って扉を開けさせようとする超A。
けれど私は純粋に開け方を知りません。
「自己犠牲か。反吐が出るな」
「○○」
落ち着いた私の声に超Aが意外そうに見据えます。
私は言いました。
「ここには二人だけ。でも不思議。あなたと二人でいることが幸せだと思える」
私はこれまで超Aがしてきたことと、私が感じてきたことを訥々と語り始めます。
「いい加減にしろ!」
気味の悪さと苛立ちに声を荒立てる超Aに、私はありったけの思念を超Aにぶつけました。
「あなたがここにいてよかった。私はあなたがいるから幸せです」
これが私の答えでした。
了。
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こんな感じでどうでしょう?
すごいですね!!!あなたが超能力者のようですね。けれど、ちょっと違うのは、やはり、ストーカーは追われている者にしてみれば、反吐の出るような存在で、むろん随時、思念を読み取ることのできるストーカーにはわかってしまうのですが。
それは、幸福論で解決のつかないことなのです。私の想定は、その超能力者の遠隔で思念を読む能力は数百キロに及びます。
それから、実際には、それだけ執念深く念を向けられれば、多くの者に何らかのかたちで影響はでます。
けれど、前半は、ほとんど、その通りです。けれど、それだけ悪質な超能力であれば、むしろ、自然の力が歪めようとする者を、放ってはおかないと思うのです。未知のエネルギーは宇宙に多数存在しますから。
>その念の力を使う、史上、最悪の超能力者ストーカーに、ひょんなことで知り合い、つきまとわれたら、あなたはどうしますか
どうしようもないですよ。
だって、もう操られてしまうのですから
ところが、念の力は強いほど、念を
放った本人に返ってくるらしいです。日本では、昔は陰陽師というそうですが、人を呪わば、穴ふたつ・・・よほどの決意がないとできないことです。また、念の力を悪用すると結局、念を使った者の魂が救われなくなるとか。それは、心霊の世界に、話が入ってしまいますが・・・
あいつ(ストーカー自身)が一番シアワセな奴だよな、何でも思い通りにできるんだもんな、それに比べたらオレなんて、なーんの力もないし、隣の○○ちゃんは○○で大変な思いしてるし、親戚のおじさんは○○で超ツイテネーし、田舎の○○くんは台風で畑が大変だったし、あー、世の中って不幸だ不幸だ。
という思念を発し続けたいと思います。
そうですね。幸福そうな笑顔を奪うというのもストーカーの目的のひとつですから、確かに、幸せになってはいけないというメッセージは、常にストーカーから発せられているでしょう。
でも、思い通りになっても、決して本人は、幸福になれない。
相手の本心ではなく、自分が操って、そうさせて(言わせて)いるのだと知っているから。
避ける事ができないのだとしたら適応するしかないですね。
その人を理解しようとします。
自分の生活に相当なウェイトを占めるので無関心と言うわけには行きません。
関心を持たれたのなら逃げることは不可能でしょう。
しかし、無視されているのではないので糸口はあります。
全知全能というのは全てに押し潰されるということです。
もし私がそのような能力があれば毎日がプレッシャーだらけで疲れるばかりでしょう。
そのあたりから攻めて後は運を天に任せます。
それ以外には事態を好転させる方法が無いというのではありますが、度胸を決めます。
超能力者も、全能ではないでしょうね。結局、全能なら、ストーカーになる必要もなく、自身に幸福になるよう念を使えばいいだけで。
TVに登場するような、一種、宗教の教祖として、生きるようになるんでしょうか。もし、自分に力があれば、世のため、人のためという、正しい目的をもたないと、存在意義を、見失ってしまうかもしれないですね。
アフリカに移民し,魔術をマスターして抵抗する。
面白いですね。確かに・・・アフリカやバリ島など、悪鬼を祓うということでは、思念を読むと言うことを、分断させるには
ハードな音楽を聴くのも有効かも。バリの音楽などには、悪魔祓いの音楽などありますが、民俗学的な呪術など、あながち、迷信ではないかもしれないですね。インディアンの世界観など、興味深いものが、多いです。
(ポイント不要)
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素朴な疑問ですが。
その「能力者」は、眠らないのでしょうか?
(または、眠るときでも、その「能力」は途切れないのでしょうか?)
また、
普通の人が1度に考えること/対処できることは限られていますが、
その「能力者」が1度に考えること/対処できることは
「無限」(?)なのでしょうか?
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(1)もし、「睡眠中は能力が途切れる」ならば、
それをチャンスにして対処する。
また、「一定時間中の対処能力は常人程度、または、常人よりやや良い程度」ならば、
物量で攻めることで対処する。
(2)もし、「能力が途切れる時間はないし、無限の対処能力もある」ならば、
こちらがやれることは何もありません。
(まぁ、「苦痛に慣れる努力をする」、って手もあるかも知れませんが、
その能力者のことだから、私が苦痛に慣れてしまわないよう、
いろいろ手を打ってくるでしょう。
ですから「慣れる努力をする」って案は、今回は提案しないこととしましょう)
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小説やマンガで(1)ような設定って、いかにもありそうですね。
また、(2)であれば、訓話的なお話し、
(「…… その「悪魔」は意地悪をしつづけたが、
その若者はいやがることもなく、普段通り暮らしを続けた。
飽きた悪魔はやがて若者のもとから去っていったとさ」とか)
または、ホラー的な話し(っていうのかな?こういうのは?)、
(「…… その「悪魔」は、若者を苦しめ続け、
そして、若者が死ねばよみがえらせ更に苦しめ続け、
そして、それは繰り返し繰り返し行われ、
ついには宇宙が消滅するまで続いた」とか)
になりそうですね。(またはいっそ、宗教/哲学の論題に、とか?)
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さらに素朴な疑問ですが。
「言動は操れる」という前提ですが。
「心情は操れ」るという前提でしょうか?
「心情が操れる」のであれば、その「能力者」は、あまりややこしいことをせず、
単に、私に対し「苦痛を感じろ!」と能力を発揮すれば、それで済みますね。
(苦痛を感じながら生き続ける、世界中の何十億の人々と、
その全世界の人々の苦痛が「楽しくてしょうがない」という一人の能力者。
うぁぁ、かなりイヤな世界だ…)。
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その「能力者」が「人間である」という前提ならば、
たとえ「能力が途切れる時間はないし、無限の対処能力もある」という場合でも、
その「人間である」ところを突いてみるのも面白そう。
と言っても、そこをどう突くのか、は、私にはわからないが。
「何でも出来ちゃう。何でもわかっちゃう」
「でも、心は人間なんです」
ってことを逆手に取って、何か出来そうな気が…。
「心理学SF小説」的なハナシにならないかなぁ。
(でも、もう、既に誰か書いていそうな気もする…)。
多くの方から、回答をいただきました。ありがとうございます。
この問題をつきつめていくと、かなり、気持ちが悪いですよね。
すみません。ストーカーであるということと、悪心の超能力者、おぞましさのダブルパンチです。
もし、現実にそんな人間がいたら、安全で平和な国、日本の常識が覆されてしまいます。普通のストーカーなら、半径、200メートルは近寄らないようにという、警告ができますが、超能力に対して、取り締まる法律は、はっきり実証されないかぎり、また、裁判官に対しても、念をつかって、信じないようにと洗脳するかもしれないですね。
私が、考えていた超能力者は、
・・・・なぜ、そんな超能力者になってしまったのか。
設定
・・・・私生児として生を受ける。母親の憎しみや恨みのエネルギーをたたきつけられ、瀕死のじょうたいから生き延びたときに、思い通りにする不思議な力が身についていたということ。自分を捨てた男や、愛や信頼につつまれて、生きている人を、悲惨な状況に落とし込んだり、あらゆる辱めを受けさせたりするために、不思議な力を母親に気がつかれた時点から、今度は母親の欲を叶えるために、子供時代は他の人間と、関わらせず、洗脳された男という設定です。
けれど、表面的には、怪しまれないため、他の人間より良い人間という仮面をかぶっている。母親から、かぶらされた仮面という意味でも・・
また、自分に念を向けられないために、他の(幸福な人間をストーカーの対象とすることで、母親の、他の人間を不幸にしたい欲と、自分がその男の人生を搾取している事実に気がつかせないために、できるだけ長くストーカー行為を続けるよう洗脳している。また、念の力は人に移るので、母親も、ある程度の超能力を身につけている。)
眠っているとき・・・力は弱まるが、他の洗脳した者を使う。電磁波を送り、眠らせないなど。
一度にできることは・・・限られているが、順次新手の嫌がらせをくりだしてくる。ストーカーの男は、思い通りにするのになれているので、人並みな努力も苦労もしていない。思い通りにならなければ、怒り、念をたたきつけてくるタイプ。
飽きることがないよう、できるだけ苦痛や恐怖を長引かせるよう洗脳されている。
人の本心や、強い信念は変えることができない。変えるには、その周囲の気の弱い人間や、困るような事柄をひきおこし、徐々に、じわじわと心境を変えるよう念を使う。
でも、心は人間だから・・・それで、表面的に思い通りにいったとしても、何の達成感も、ストーカー自身は、真の喜びを味わうことはない。
人間であるから、ストーカーは幸福にならない。
やはり人の心は、喜びや愛や、光に向かうものだと思うから。
超能力があっても、ストーカーに使うよりは・・・TV世代の自分は、世のため人のため、というヒーロー意識をもたないと、むしろ、つらいかな。自転車操業のように、次々に欲望をかなえていっても、
欲求は限りがないし、それを追っても不毛ですよね。
また、仏教のように六道輪廻、因果応報の世界があるとすれば、(私は生まれ変わりの人の話を、身近で聞いたことがありますが、霊魂の世界は信じています。あまりにも、見たという人や、不思議な事実に遭遇したこともあるので。)そんな悪霊の魂は淘汰されるような気がするのです。
だから、超能力があっても悪いことに使うといずれ、本人が大変な目に遭うというのも、あながち脅しではないと思うのです。
FBIなど、捜査協力で活躍している超能力者は凄いと思います。一般の人には理解不能な力です。日本では神通力というのでしょうけれど。
幸福な女性、信頼や愛を
ありがとうございます。まさに、正論ですね。
日本では、超能力者の存在があまり知られていないようですが、実は
思っている以上に、そうした人がいるようです。
TVなど、マスコミに登場する人は、ごく希な、とても正義感の強い能力者か、それほど、力のない人達らしいです。