現在の大学の医学部試験は健全な医者の育成をはかる上で、なんら寄与するものがないと感じていますが、何を目的にあれだけの「偏差値的な成績」が必要なのでしょう?


ミスが許されないからですか?長時間集中する体力と知力が必要だからですか?
(最近、東大医学部は偏差値エリートに辟易して入学後、適正のないものは転部をすすめているそうです。)


メディカルスクールが設置されている米国などはどうなっているのでしょうか?また、戦前はナンバースクールから案外すんなり入れる仕組みだったのでしょうか?

よろしくお願いします。

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  • 終了:2007/11/20 03:40:03
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回答4件)

id:shincyan_98 No.1

回答回数34ベストアンサー獲得回数1

ポイント23pt

きっと、偏差値エリートと創造力のある人物を取り違いしているのでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/shincyan_98/

凡夫とはこの男なり、でしょう?

id:tanbow

まあ、もう少ししっかりとゆっくりと他のこともしながらなって入学してほしいですね。あれだけの学習を早期教育とは言え、10代に詰め込むとなるとどこかに弊害が出てくることもあるでしょうね。入学後もさらにハードで、ますますペーパーテストマシーン化するのですから。

病院に試験技術のある人ばかり集めてもしかたないかと。学校ではないのですから。

2007/11/15 07:10:44
id:kappagold No.2

回答回数2710ベストアンサー獲得回数249

ポイント23pt

医学部経営の立場から考えると、学校の評価と言うものが非常に大切です。

そして、医学部を評価する重要な要素の一つが、医師国家試験の合格率です。

当然合格率が高い学校は、人気が出ますし、合格率が低ければ敬遠されます。

偏差値的な成績の上位の人を入学させた場合と、偏差値的なものを排除して性格テストで選抜した人を入学させた場合とでは、前者の方が医師国家試験の合格率を高くなることが期待されます。(性格テストで選抜ということ自体が差別ということで非難される可能性もあります。)

これは、超有名校には当てはまりませんが・・・。


また、偏差値的な評価というのは、個人の能力及び目的に対する努力に対して、一定の評価を下せるものですので、入学後の教育についていける人間を選抜するためには非常に有効です。また、一度に低コストで大量の選抜を行なうにもよい方法です。

上記の点から選抜法として偏差値的評価を取り入れていることと、医師という職業の人気が高さがあいまって、必然的に偏差値的な評価の重要性がアップしているだけという考え方も出来ます。

(偏差値的評価以外に、低コストで大量の選抜を行なえる方法が出てくれば、今後は変わっていく可能性があると思います。)

http://q.hatena.ne.jp

id:tanbow

国家試験予備校化してて、臨床の技術なし、患者との対話力なし、仕事の段取り力なし、リーダーシップ、運営力なしとないないつくしのようですね…。

数学と物理、化学は基礎重視にして、もう少しバランスの取れた科目配分すれば

いいのではと思います。チームワークを必要とする部活経験必須など。

あとは、器用さを見る実技試験取り入れてほしいですね。歯科医は特に。。

少年犯罪事件も医系受験者が多かったように思います。。


アメリカのような形もなかなかいいと思います。

2007/11/15 06:29:28
id:sunbu No.3

回答回数14ベストアンサー獲得回数0

ポイント22pt

個人的な考えですが、

  • 医学部卒業者以外には医師免許の受験資格がない
  • 医学部の定員は政府の方針によりなかなか増やせない
  • 医師免許があれば就職上困らない(結果、浪人も集まる)

そんなわけで、少ない定員に対して人が殺到して、必然的に偏差値が上がってしまうということだと思います。おまけに、医学部以外の学部もある国立大学では医学部だけのために新たに問題を作るのが面倒なのでたいてい他学部と同じ問題を使い、しかも狭き門となってしまうため点数が異常なまでに必要とされてしまいます。改善策としては、入学試験→卒業試験→国家試験という両端だけでなく、中間でももっとチェックをかけていって、生徒をふるいにかけていくことが考えられます。

これは余談ですが、医師としての適正を見るために面接を行う大学もあり、実際点数はあったのに面接で落ちた人の話も耳にしています。

http://q.hatena.ne.jp/1194892564 (ダミー)

id:tanbow

短い時間の面接で、人格がばれるとは相当ひどかったですかね。

東大は入学後にふるいにかけるようにしたため、面接をなくしたようです。

アメリカの大学院に入るときに推薦状を何通か必要とするというのは

いい仕組みだと思います。

昔、医師になろうという人は小さいころからなぜか明確なビジョンがあって、あらかじめ強い意志を持ってその道を決めている「天職系の人」が多かったような気がします。

最近は、なぜか間違って入る人多いかと。大学入学人口が増えすぎた結果ですね。

お金だけでよくがんばれるなあとも感心しますが。やはりおいしい所あるんでしょうね。

昔: 医師になりたい+本人の素質あり→一生懸命勉強する(先生や地域、周りの協力、貧しさの中で精神的な糧も得る)→普通にしっかりした医師

今: 偏差値届きそう+他学部よりお金儲かる→素質ないけど予備校いけばなんとかなる(塾、予備校は生徒をお客扱いかつ、ビデオあるいは人間関係のない講義)→よくわからない医師(元々、才能なく容量オーバーで無理して入るので勉強の過程で人格が犠牲になる場合もあり。)

といった感じですか。偉そうに書いてしまいましたが。

昔は昔で、いいかげんなこともしていたと思いますが。

2007/11/15 08:34:42
id:kaiton No.4

回答回数260ベストアンサー獲得回数34

ポイント22pt

すでに出ている回答で、現在も医学部の偏差値が高いと思われる理由は出尽くしていると思いますが...

  1. ニーズ(受験希望者)が多いから>医学部は元々人気がある上に、不景気のため余計に
  2. 医師国家試験が難しい>それに合格できないレベルは卒業(進級)させない

京都大学の学生数を見ると、1年104人(4人が留年?)、2年105人(9人が留年?)と留年も多いようですね。

実際、基礎の解剖学・生理学・生化学あたりで覚える知識量や、正常解剖で精神的な重圧のため、ついてけない学生がいるといった話を聞いたことはあります。

なので、高い基礎学力とモチベーションがないと医学の勉強は続けられないのが現実ではないでしょうか。

医師国家試験に特化した予備校や授業(特に私立)もあるようですが、それはそれで偏差値重視より違和感を感じます。


偏差値偏重といわれながら、昔と変わっているところ

  1. 推薦入学や地域枠が増えてきている
  2. 学士入学(編入学)も増えてきている
  3. 入試で面接が増えた(面接ができる人数に限りがあるため第一段階選抜「足きり」があることが多い)

これで、少しでも幅広い人材が医学部に入学できるようになっていくのではないでしょうか。

最近は成績を本人が開示請求できるので、面接で落ちたというのはわかるかもしれないですね。


参考サイト

医学部(Wikipedia)

医者になる方法

医学生ブログランキング


すでに調べられていると思いますが、アメリカも医師になるのは難しいようですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%A...

http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2003dir/n2519dir/n2519_14.h...

id:tanbow

いろんなブログありますね。寄付金で入る2世は、生徒の通学用に外車がたくさん並んでる大学もあったりして、平民には理解できない面も多々ありますが、試験で人格を壊してない点、ある意味バランスのとれた子も時々いるかも?

アメリカ事情詳しく見てみます。ありがとうございます。

平均的な医療はこちらが日本が普及してるかもですが

野球選手が手術のために渡米するのは、何か違いがあるからでしょうね。本来、細かい仕事は日本人の専売特許のような気もしますが…。



医者になる方法

のサイトの医学会の裏の面や文系出身者の編入可能な話など

たいへんためになりました。じっくり読んでみます。

医師=すばらしい人という甘い幻想は捨てないとだめかもですね。

2007/11/19 05:07:45
  • id:kaiton
    #3の回答に「中間でももっとチェックをかけていって、生徒をふるいにかけていくこと」とあるのは
    臨床実習に入る前に共用試験CBTが行われています。
    http://www.cato.umin.jp/05/0101kyouyou_gaiyou.html
  • id:tanbow
    ありがとうございます。kaitonさんイルカのはずですした。すいません。
    昔厳しかった初等教育がなくなり、豊かになって、余計に新たな仕組みが必要になってきてると感じます。患者の話をしっかり聞けるようにPCでトレーニングをする教育をしている大学もあるそうですが、そういうことは以前は小中学校で培った能力ではないかと感じています。



  • id:U-tan
    僕は渦中の医学部受験生です.
    偏差値30の医者なんていたら人を殺しまくりでは?
    偏差値30はないとしても,医学部受験ぐらい通過できないとさすがにまともな医者にはなれないだろうとは思いますよ(医学部受験を通過したらまともな医者になれるという意味では決してありません,そんな選抜があったら文部科学省に提案してはいかがでしょうか).医者が知っていなければいけない知識量を考えたらしょうがないところです.kaitonさんも指摘していますが,もしお暇でしたら大型書店の医学書コーナーで,解剖学・生化学・外科・内科・公衆衛生あたりの入門書(分厚いやつです)に目を通すと実感になると思います.6年で学ぶ量は10000ページはくだらないかと.これは大学受験に必要な量の10倍ぐらいは少なくともあります.くわえて診療技術等もまともな(!)人なら自ら磨きます.
    偏差値が高いと人格の壊れ方に正相関があると思われているようですが,(僕は割合そういう部分がありますけれど)そうでもないと思いますよ.二世等の話はよくしりませんが,およそtanbowさんの見解は偏見じみています.
    低偏差値だと医者にはなれないということにたしかに一片のデメリットはありますが高偏差値の集団(!)が医者になるということは日本の国益となっていると思います.
    現行システムの擁護の観点からかきました.
  • id:tanbow
    コメントありがとうございます。

    日々医学部学生と接する機会がありますので、まともな人もいます。
    反面、お金だけとか、権威だけとか、全く病人を治す気のない貧しい
    精神の子が多くなってきてるのも確かです。
    そしてインターネットの普及に伴って、罹病患者より知識のない
    場合も恥じないですね。結局試験を通るためだけの勉強をしているからでしょう。

    偏差値30は極論だなとは思いますが(笑)メディカルスクール構想も医学界は反発していますが、いい案だと思います。入ってからの全人的なバランスのとれた教育の仕組みもいいと思います(これはいろいろと仕組みはあります)。専門科集団であるため、組織腐敗を防ぐための経営管理者育成も必要と感じます。受験に際しては、学問だけでなく、スポーツや他の面も評価してほしいですね。最近、小学校のころから、勉強漬けの生活で入る人が多いみたいですが、それはどうなのかと思います。成績と実際の仕事は全く違いますから。おっしゃる通り、現状の試験すら簡単にパスできない人は医者になるべきではないと思います。全人格を犠牲にして、勉強しないと受からないといけない能力なら人の命に関わる医師になるべきではないと考えます。(もちろん私はないです。)

    今の医学は臨床重視ではなく研究重視の明治期以来のドイツ医学の流れに偏っている感がありますので、そこのバランスを取ってほしいところですね。

    立派なお医者さんになってくださいね。


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