この歌の以下の歌詞の内容を「ひぐらしのなく頃に解」に当てはめると、どのキャラクターにとって、どういう意味になりそうですか。
1,亡骸に土をかけることが禁止されていること
2,純粋なまなざしの快楽に誘惑があること
3,「どうして罪 and 罰 があるのだろう」の罪と罰の内容について
4,「何もかもがあざやかにみえてすぐに消えてしまう」の意味について
複数の解釈がありそうならば、自由に記載してください。
「対象a」とは元々フランスの精神分析家ラカンの用いた語で、基本的には「欲望の原因としての対象」と規定されます。2の「純粋なまなざしの快楽に誘惑があること」は、おそらくそれと関連を持たせているということでしょう。
ラカンのよれば、「まなざし」には、それ自身の中に「対象a」を含有しているのです。「対象a」は「欲望の中心にある欠如の代理」として作用します。代理。すなわち本体は失われているということです。その欠如を象徴的に表す記号が「a」なのです。
「解」における最も大きな欲望は、何度同じ時を繰り返しても変えられない運命からの脱出です。この願いは当然純粋なものであり、そのまなざしは願いの中心に常に深く注がれていますが、逃れられない運命の輪を断ち切るすべが見えてこない。ここに欠落した本体の代理としての「a」があるわけです。それを少しずつ少しずつ真実で埋めて、「a」を実体のあるものに置換していく。その切っ掛けを、梨花たちは今やっと掴みかけているわけです。
そのへんを踏まえて考えると、
1,亡骸に土をかけることが禁止されていること
「亡骸」は、何度と無く繰り返される雛見沢の運命と考えることが出来るでしょう。「土をかける」とは、変えられない運命の輪から逃れるのを諦めることです。すなわち「対象a」を永遠に本質の代理として固定してしまうこと。真実を欠如させたまま放棄することを意味します。
それをやってしまえば、永遠に地獄が繰り返される。しかし、いっときでもそれを忘れていられたら、それはたとえようもない甘美なひとときとなります。
2,純粋なまなざしの快楽に誘惑があること
「純粋なまなざしの快楽」とは、「対象a」を永遠に「対象a」のまま放置する快楽です。断ち切れない運命の繰り返しを知り尽くしていた梨花は、常に運命から逃れたいという欲望と、それを忘れたひとときの快楽の間を彷徨っていたことでしょう。
3,「どうして罪 and 罰 があるのだろう」の罪と罰の内容について
これには二通りの意味があるでしょう。ひとつは、雛見沢症候群という不可抗力によって繰り返される罪と、その恐るべき結末。
もう一つは、なぜ梨花が、そして雛見沢が、逃れるすべのない地獄の運命という「罰」を受けねばならないのかという叫びです。この因果の元となる「罪」については、「解」の現段階では明らかにはされていません。
4,「何もかもがあざやかにみえてすぐに消えてしまう」の意味について
これは繰り返される雛見沢の運命でしょう。部活メンバーと過ごす楽しい日々。皆それぞれに個性的な仲間達。まさに青春真っ直中といった日々が続きます。昭和58年6月、綿流しの祭りの夜までは・・・・。
そんなわけで、この歌は主に梨花を歌ったもの、と考えることが出来るでしょうね。梨花はまず「おやしろ様」にとってかわり「神」として君臨しようとする三四の強い執念に打ち勝たねばなりません。しかしそれを果たした後には、普通の女の子として生きていきたいのです。梨花が本当に見つめている中心はそこ。
仲間の力を信じることで、梨花は今ほんの少し、この歌のような状況から逃れていくすべを見いだしつつあります。いつか本当の運命の夜明けを迎えられた時、今まで何度となく繰り返してきた惨劇が全てその日に帰結する。なに一つ失うことなく、新しい未来への扉に歩を進められる。その時、心の底から「にぱ~☆」と微笑みたい。二番の最後は、そんな言葉のように読み取れます。
TomCatさんお久しぶりです。そして、とても素晴らしい回答をありがとうございました。(*^_^*)にぱ~
まさに完璧な回答だと思います。
ところで、1つ聞き忘れた歌詞の意味がありました。
「骨の尖はあまりにも白く 無限につづく闇をさそった」
の「ひぐらしのなく頃に解」における意味です。
特に「骨の尖」とは何の意味かが捉えにくくて困っています。
以後回答してくれる方は、この追加の質問を考慮してくれると助かります。