必要ないからだと思いますが・・・
やや強く やや弱く F 強く P弱く
つまりその間は普通だから表記なしだと思いますが・・・
例えば強弱があってその間にいちいち中と表記しないのと同じことだと思います
ピアノの話になってしまいますがドッビュッシーの楽譜には 「~をイメージして弾いて下さい」とありますが、それは必ず楽譜の最後に表記されいます。
理由はそれを見て演奏者が必要以上に先入観を持たせないためらしいです。
それはドッビュッシーだけではなくほとんどの作曲家たちが楽譜に必要以上の指示を書き込むのはよしとしませんでした。
それは演奏家の個性で表現理解して欲しいという作曲家の意図なんじゃないかと思います。
だから余りに細かい表記は避けてるんじゃないですかね。
mfやmpの表示は、開始位置であって、終了位置がしめされない限り、どこからデフォルト位置か分からないので、この疑問を持っています。終了位置は演奏者なり、指揮者が勝手に決めると言うことでしょうか??
fff
ff
f
mf
mp
p
pp
ppp
これだけありますがまだ不満ですか?
あくまで感覚的なものであり、デジタルのように割り切った数値などがある訳ではないので、これで充分です。
それ以外に
poco(少し)を付けてもいいし、
あまりないし強さを直接表す訳ではないですが、言葉で注釈も付けられます。
cantabile (カンタービレ)
espressivo (エスプレッシーヴォ)なんかはよく見ます。
http://www.wepkyoto.co.jp/~se/kigou.html
mfとmpの中間だったら何の表現でもないのであまり意味もないと思います。
何らかの表現をするのが音楽であって、何でもない、どちらでもない、というのはそぐわないかと・・・
mfやmpの表示は、開始位置であって、終了位置がしめされない限り、どこからデフォルト位置か分からないので、この疑問を持っています。終了位置は演奏者なり、指揮者が勝手に決めると言うことでしょうか??
一番の理由は、手間省きです。音楽に限らず、標準の操作や値には記号や注釈をつけない事が多いです。例えばハ長調とか、URLの国記号はUSAはつけない等。
特に楽譜などはかなり省力化されています、書くほうも読むほうも高速になるように。私は音楽の規定値(デフォルト)が分からない部分が多いので何がなんだかわからないことが多いです。
mfやmpの表示は、開始位置であって、終了位置がしめされない限り、どこからデフォルト位置か分からないので、この疑問を持っています。終了位置は演奏者なり、指揮者が勝手に決めると言うことでしょうか??
楽譜には素人で僭越ですが、論理的に考えれば、 mp=(最小限に)マイナスα mf=(最小限に)プラスα 従って 中庸=ニュートラル=何
の+もーも無し 故に何の記号も無し ということでは? んなこた承知って場合はごめんなさい!http://www.eakumhouself@mac.com
mfやmpの表示は、開始位置であって、終了位置がしめされない限り、どこからデフォルト位置か分からないので、この疑問を持っています。終了位置は演奏者なり、指揮者が勝手に決めると言うことでしょうか??
2回目失礼します
>mfやmpの表示は、開始位置であって、終了位置がしめされない限り、どこからデフォルト位置か分からないので
ようやく質問の趣旨がわかってきました
僕の話はどうしてもピアノの楽譜を前提にした話になってしまいますけど・・
基本的に楽譜の頭についてる記号が全体を支配すると考えるのが普通ですね。
全ての曲に当てはまるわけではないけれど、例えばソノタ形式で書かれている曲で考えてみると最初に提示部から入るのが普通ですがそこでFと書かれていたら全体的に強めに弾くのが普通です。展開部に入ってPに変わったらどこまでそれが続くかは提示部との流れで自分で判断するものだと思います、もちろん再現部に入った時に何の指示もなかったら最初のとおりFに戻して弾くように解釈するのが普通だと思います。
あとは曲もいくつかの主題で構成されてるものもあるので、それは主題ごとの表記がその主題全体を支配してると考えていいと思います、途中に出てくる記号はその主題全体の構成と比較しながらどこで切り替えるかは演奏者のセンスになってくるんでどこからがデフォルトみたいなはっきりしたものはないと思います。
CDなんか聴いても演奏してる人が違うと全然違うとこでaccelしたりFFFになったりしますから。
余り細かく考える必要はないと思いますよ。
演奏は常にアナログの世界ですから。
私はアマチュアの合唱をやっていて、気の利いた指揮者は必ずフレーズごとに自分の意図を歌う者に伝えますが、そうでない指揮者も多く、一々注文するのも僭越で、「fはここで終わり、中庸のダイナミックに戻す」という記号があったら便利なのに、何故ないのか??という、素朴な疑問です。アンサンブルでは、楽譜と指揮者が頼りですから。
私はアンサンブルをほとんどやらないので外しているかもしれませんが…
人間の聴覚は、音量の絶対的な大きさよりも音量の変化にはるかに敏感に反応するようにできてますよね。
fならこの強さ、pならこの強さという基準があるわけではなく、実際の強さはその記号が現れるコンテキストによって変わってくるはずです。「直前に比べてどのくらい大きい|小さいのか」を示すことが第一義で、それに曲全体を大局的に見た場合の相対音量のニュアンスを重ねて音量記号がある、と考えたらどうでしょうか。
そう考えると、まず「中庸のダイナミック」というもの自体があるのかどうかという疑問が出てきます。物理的には、曲全体の音量を平均した強さというのは計算できて、それに一致する強さで演奏されている箇所があるでしょうが、演奏者・聴者の感覚はあくまでもその前後に対するその箇所の相対的なダイナミックですから、「前よりソフトに、しかし後でもっとソフトになるからあまり急には落とさずに」というような感覚で考えこそすれ、「絶対的なレンジで今真ん中である」、とは考えないのではないか、と思われます。
また、ある期間一定のダイナミクスでずっと続ける、という表現は特殊じゃないでしょうか? たとえ楽譜の最初にfとあってそれ以降指示がなくても普通は表現を工夫しますよね。次の指示記号が出るまで同じ音量という考えも疑問です。
指揮者がいる場合は指揮者の解釈が第一でしょうから、奏者としては「指揮者が何も言わない以上、(個人のテクニックは別として、アンサンブル的には)指揮者が聴きたい音が出ているのだ」と思って奏するしかないように思えます。(そこまでの信頼をおけない指揮者に当たってしまったとしたら…不運ですね)
参考: http://en.wikipedia.org/wiki/Dynamics_%28music%29 ("Relative loudness" のセクションの中に、「ダイナミクスは相対的なものであり絶対的なものでは無い」から始まる説明があります。) 日本語版はあまり詳しくないですが: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%BC%B1%E6%B3%95
懇切な見解をありがとうございます。
演奏者の音楽感性の中での、自由裁量と相対感覚に任せている、
と私も思っておりましたが、アンサンブルの場合は、指揮者が、
奏者、唱者にその思いをつたえられかどうかにかかっているようですね。
mfやmpが開始位置にあると盛んに書かれていますが、演奏を開始するときの「気持ち」です。最初がいつも標準(中庸)とは限りません。たくさんの記号(fff~pppまで)を書かれていた方がありますが私はpppやfffは知りませんがピアニッシモpsやフォルテシモfsがあったような気がしますが、どうでしょう。
ちょっとおっしゃりたいことが分かりません。
アマチュアオケをやっています。たしかに、開始位置については明確に示されますが、終了位置はいまいちはっきりしないことが多いですね。その曲がもともと持っている雰囲気とかもあるでしょうし、クラシックの有名曲だと「この曲のこの部分は通常このように演奏される」といった類の付帯事項が多いです。そういったことを勘案しながら、指揮者(=オーケストラという「楽器」の演奏者)が自分の解釈を加えて演奏者に指示を出すというのが一般的です。
フォルテとかピアノという記号も、絶対的なものではなく、相対的にとらえるべきです。ベートーベンではffまでしかないですが、時代が下ってマーラーとかになるとfffはざらで、ffffなんてのも出てきます。しかし、チェコで活躍するある著名な指揮者の話ですが「ベートーベンはffまでしかないのだから、p→f、f→ffの音量差は極端につけて欲しい」と言われました。
mfやmpの表示は、開始位置であって、終了位置がしめされない限り、どこからデフォルト位置か分からないので、この疑問を持っています。終了位置は演奏者なり、指揮者が勝手に決めると言うことでしょうか??