身分や格の差、権利の有無を取り除いた意識で、
という意味での線だと考えます。
「上から目線」「何目線」という発言を耳にすることが
ありますが、大体うえの三つの意味を捉えて使っています
まあそういう文字面の意味よりも
「えらそうにすんな」という不快感の提示、
「相手の立場を考えて」という他者の思いやり
ということが「相手の目線にあわせて」というような
表現の意図する示唆ではないかと思います。
やはり相思相愛一目惚れが相手の目線に合わせての一番いい例でしょうかね。ビシッ!バシッ!と飛び交う線ですね。合わせてというよりも合っちゃったぶつかった、ですけど。
私はそのような線にはとんと出会わないのが残念ですが。
こんなんでいいのでしょうか?
「線」=「高さ」と考えてはいかがでしょうか?
例えば小さい子供やベット上の病人と話すときは、
大抵、腰を落として(しゃがんで)話しかける筈です。
そういう人たちに対して立ったまま話しかけると、
相手に対して見下ろしたような印象や威圧感を与えてしまうでしょう?
続けざまに失礼!
「線」=「立場」「基準」という考えです。
例えば、
他人とのコミニけーションに於いては、
自分ばかりを基準にして物事を推し進めると決して上手くいくことはないと思います。
そこで、相手の立場・状況に合わせて物事を進めたり、時に相手にも自分に合わせてもらったりしてというバランスがあって、
はじめて成り立つものでしょう。
これはいわゆる「心の琴線」というやつでしょう。
昔から「目は心の窓」などと言います。相手の目線に合わせるということは、単に窓の外に同じ景色を見ようということじゃないんですね。その「窓」の内側にある「心の琴線」を、自分の側から相手に合わせて調律し、共鳴させてみようとする。これが「相手の目線に合わせる」ということなんです。
これが成功した時、それぞれの目から見える世界観の違いを乗り越えて、お互いに理解し合っていくことが可能となってくるわけです。
したがって、「目線を合わせる」=「心の琴線を共鳴させる」ということでしょう。あまり信用しないでください(笑)
単純に目線の「線」じゃないでしょうか?
ネットで検索してみても、本当に相手の目線の高さに
自分の目線を落として見るみたいなので。
相手の目をみて離すと同意なんじゃないでしょうか?
普通に解釈すると、相手の立場にたって考え行動するです
けど、ネットで検索した限りではそういう意味ではなさ
なさそうに思えます。
子供と目線を合わせて話すという意味と同意だと。
しゃがんで子供の目線をあわせて話すというやり方ですね。
スラング(slang) ~ 仲間うちの俗語・卑語 ~
メは訓よみ、センは音読みなので、いわゆる“重箱よみ”ですね。
新村 出・編《広辞苑 19711118 岩波書店》に“メセン”はもとより
“モクセン”も見あたりません。
いまや“メセン”と入力すれば一発変換できますが、もとは俗語です。
── 1. め‐せん【目線】(映画・演劇などで用いる語から)視線の
こと。「―が合う」「―をそらす」── 《大辞泉》
おそらく、映画スタッフが、業界用語として常用したのでしょう。
ラブシーンの撮影は、みんなが照れくさいので、隠語が便利なのです。
「はい、そこで目線を合わせて、三つかぞえる」というふうに使います。
一方が視線をそらしたりして、観客の想像にゆだねることもできます。
あるいは、TVスタッフの誰かが「出発」を「デッパツ」と誤まって
読んだのがもとで、面白がって普及したような事情も連想されます。
もとは、インフォーマル(非公式)な、くだけた表現だったのです。
また、舞台スタッフが「水平線(horizon)」をわざわざ「ホリゾン」
と英語で云いかえるような、やや気どった意識にも通じます。
さらに、漫画の技法で、視線を点線で描いたのも有力候補でしょう。
横目で見ている先を矢印で示すと、たいがい滑稽なモノに当ります。
要するに、相手しだいで失礼・無礼な表現になる可能性があります。
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