最後に
「未来で待ってる」
という言葉で何で主人公が落ち着いたの
かわかりません。
相手は、そんな近い未来から来た子だったのですか。
そこまで理論的に考えるのは野暮でしょうか。
「時をかける少女」(2006年)を、小生は、昨夏、昨秋と、映画館で観て、7月21日のフジテレビ系放映でも観ました。
「未来で待ってる」という相手と、主人公が交わした会話。私にとって、その会話は、今回も、しびれるものでした。それでよかったと思っています。
「時かけ」(2006年)を観終わった時の後味は、尾道三部作として知られる「転校生 [DVD]」(1982年)、「時をかける少女 [DVD]」(1983年)、「さびしんぼう [DVD]」(1985年)の、それぞれのエンディングに、そういえば、近いものがあります。
尾道が映画の町として有名になったのは、架空の物語である映画のロケ地なのに現実の尾道を訪ねる若者が全国から押し寄せたからです。どうしてそんな現象が起きたのだろうか。小生は、尾道三部作の答えを探しに尾道を目指したのでした。結局、尾道を訪ねたその当時も、答えは「わからずじまい」だった気がしますが(苦笑)。でも、今ならわかる気がします。
「理論的に考えるのは野暮でしょうか。」というtanbowさんのことを、私は笑おうとする気にはなりません。
tanbowさんと同様の問いかけが、ブログやmixiでたくさん見受けられます。その答えは、いろいろのようです。おそらく、正解は1つではなく、その人その人の心の中で、回答が生まれてくるものだと思います。「時かけ」(2006年)は、上映時間の100分間で完結するものではなくて...tanbowさんのような問いを通して、自分の中で映画として結実するのだと思います。
結局、tanbowさんの問いに対する答えになっていませんが、よかったら、[[尾道三部作]]や、映画をもっと観てください。tanbowさんの問いの中に、私は「映画」を見て取りました。
http://q.hatena.ne.jp/1185206688
映画手法でないでしょうか、見る人によってとらえかたは色々なとらえかたができるようにしてるのかと思われます。
もしかしたら設定があるかもしれませんがたぶんないかと思われます。
詩のような感じですね。
なんか久々に70~80年代のアニメ黄金期の作品を見たようで良かったです。
昔ドラエモンのタイムマシンで、色々考えたことを思い出しました。こういうこと自体、楽しいとも言えるのですが。
昔のこと色々心に思い浮かぶような、ああしてればこうなってた…みたいな感じと似ていて、計算あってなくても楽しめました。売れたのもわかる気がします。
このような普通の内容をしっかり描く映画を期待します。
主人公は自分を信じたのだと思います。
自分は「未来で待ってる」という相手をきっと見つけられるはずだ、と。
それは近いとか遠いとかの問題ではなく、
いつまでも私の気持ちは変わらない、仮に姿形が変わっていても二人の心はどこかでつながっている、
という思いの強さから来る自信だったのでしょう。
野暮だとは思いません。
私は以前見た時に「この少女は自分の将来をもう決めてしまうのか、
もったいない」と思いました。
いくらその時に好きだったとしても、これから先生きていく中で
もっと素晴らしい人と出会う可能性もあれば、
かつて魅力的に見えた部分が年をとれば欠点にさえ見えてくる、
そんなこともあるだろうに…等と。
でも別の見方をすれば、いつまでも純粋でいられる素敵な二人ですね。
http://q.hatena.ne.jp/answer ←ダミーです
私も左脳的には「?」と思ったのですが、右脳直感的には、「なんかいい言葉だな~」と感じました。
師弟関係などの年の差カップルとかには、いい響きかもです。恋愛は刹那的な方が美しく残るものですね。それを追うと、美しくなくなるときもありますね(笑)。
「時をかける少女」(2006年)を、小生は、昨夏、昨秋と、映画館で観て、7月21日のフジテレビ系放映でも観ました。
「未来で待ってる」という相手と、主人公が交わした会話。私にとって、その会話は、今回も、しびれるものでした。それでよかったと思っています。
「時かけ」(2006年)を観終わった時の後味は、尾道三部作として知られる「転校生 [DVD]」(1982年)、「時をかける少女 [DVD]」(1983年)、「さびしんぼう [DVD]」(1985年)の、それぞれのエンディングに、そういえば、近いものがあります。
尾道が映画の町として有名になったのは、架空の物語である映画のロケ地なのに現実の尾道を訪ねる若者が全国から押し寄せたからです。どうしてそんな現象が起きたのだろうか。小生は、尾道三部作の答えを探しに尾道を目指したのでした。結局、尾道を訪ねたその当時も、答えは「わからずじまい」だった気がしますが(苦笑)。でも、今ならわかる気がします。
「理論的に考えるのは野暮でしょうか。」というtanbowさんのことを、私は笑おうとする気にはなりません。
tanbowさんと同様の問いかけが、ブログやmixiでたくさん見受けられます。その答えは、いろいろのようです。おそらく、正解は1つではなく、その人その人の心の中で、回答が生まれてくるものだと思います。「時かけ」(2006年)は、上映時間の100分間で完結するものではなくて...tanbowさんのような問いを通して、自分の中で映画として結実するのだと思います。
結局、tanbowさんの問いに対する答えになっていませんが、よかったら、[[尾道三部作]]や、映画をもっと観てください。tanbowさんの問いの中に、私は「映画」を見て取りました。
ご回答にいやはや脱帽です。ありがとうございます!
過去のことを悔やみがちな人間の心をうまく描き共感を呼び起こし、かといって
「頑張れば未来も過去も変えられる」という(過去は成功した今の状態につながってたという意味で)安っぽいメッセージで締めるのではなく(実際そうはならないし)、でも、それでも未来をガンバローみたいな微妙なニュアンスを映画で描いたということ…。
とまとめられるような安っぽい言葉の羅列ではない+αのものを感じたのは確かです。
尾道はラーメンの町ではなかったのですね(笑)。映画は時間見つけて見てみます~。
映画はここ最近ずっと離れていますね。いい映画があればぜひ伺いたいです。なんとなくわけわからん系が多々氾濫しておる昨今ですので。
urlは特に関係無いです。
主人公への励ましの言葉だと思いました。
主人公が勘違いしてはいないか?とか思ったので
そんな事は無いと、ちゃんと「未来で待ってる。」と
言ったのだと思ったり。
後、「待ってられない夏がある」とか、劇中での主人公の走る様
が多く描写されているので、それのまとめのような意味も無いかな
と思います。タイムリープを駆使して走り続けて来た少女の夏は
また走り続いていくのだった。みたいな締めになるかとも思います。
遠い未来から来てる事には、考えすぎという気もしないでもないです。タイムリープで来たなら、千昭はおじさんという事になってしまうけど、普通に若者として会話してたのでそう遠くない未来かとも思えます。そう遠くない未来、危うい世界になってしまうかもしれない、でも今からなら変わっていける・変えられると言うメッセージ的な意味もあったりなかったりするかもしれません。
恋愛物は人物の関係だけ考えて、タイムリープなどは劇的な出会いの演出だと思って見た方がより恋愛面では感動できるのではないかと思います。
考えるんじゃない、感じるんだ。という風に。
なんか否定でも肯定でもない良いセリフですね~。
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/
前述回答にもあるように
「答えは人それぞれの中に」という形なのでしょうが、
以下は私なりのもので。
恋愛小説で
「生まれ変わっても、好きになる。
何処にいても必ず見つける」
という表現がよくあります。
仏教の輪廻転生概念と愛を結びつける上記表現も「時空を越えている」形です。
「愛した人を信じつづけられる。
けど、理由も裏付けもなく見返りも求めないもの」
この切ないけど、純粋な、プラトニックなものが
「時をかける本当の力」というのが私の考えです。
恋愛小説で
「生まれ変わっても、好きになる。
何処にいても必ず見つける」
という表現がよくあります。
…
なるほど~。
みなさん文学的レベルお高いです!
また見たくなってきました。
http://Time waits for no oneダミーです
time waits for no one
いろんな捉え方ができるとおもいます。
素直に未来でどんなかたちでもいいから待ってるという意味。
真琴が絵を守り、未来でその絵を観れることを待っている(お前のこと、信じてるぞというと言う遠喩)
照れくさくストレートに「好き」だといえない千昭が遠回しに告白したと解釈
魔女おばさん(芳山和子)との対比でもあると思います。
(この映画でもなにげなく意味はつかめますが、原田知世版映画「時をかける少女」を観るともっと深く感じさせられます)
青春くさくてなんだけど、どんな意味のとりかた、生き方も
間違いではないよ、すべてが意味のあるものではないでしょうか?
time waits for no one
たとえば、失敗したから時間を戻したとしても、失敗した経験は私から消えることはない。
どんなに周りの時間を巻き戻せても、それを体験している私がいるのならば、私の時間はその後戻りさえも私の時間のレールの延長線として刻んでしまう。
私が私として存在している限り、時間は止まることはない。
今を大切に生きること、それが一番大事。
魔女おばさんの方も見てみます。どちらも音楽いいですね。なんか良回答ばかりで、、ありがたいです。
ちょうど昨日のダイアリーにそのことについての自分の考えを書いたところhttp://d.hatena.ne.jp/yukodokidoki/20070723#1185201448
だったのですが、なかなか言葉で充分には書ききれませんでした。
tanbowさんも何かしら感じたものがあったのでこの質問を立てられたのだと思います。その想いの中にtanbowさん自身の答えがあるのではないでしょうか?
クリストファー・リーブの「ある日どこかで」なんかもそうだったけど、タイムリープは恋愛のせつなさを引き立てる為の手段であって、タイムリープそのものを見せる為の物語ではないんじゃないのかと。
そして、それと同時に、それまでの過去の失敗や欲望を満たす為にのみタイムリープを使っていた、(つまりずーっと後ろ向きだった)真琴が初めて未来に向けて踏み出す決意表明でもあるのよね。
…というブログ内容も読み応えありました~。
このような良いファンが集まるのも最近では稀有な映画ですね。
わたしもテレビ放映を見て、うーんと考え込んだひとりです。
千昭はかなり遠い未来から来たように感じましたし。
千昭がどういう意味で言ったのか?
ということはわかりませんが、真琴はずっと将来を決められずにいたけれど、千昭の一言で自分のこれからやるべきことを見つけた、と感じたから落ち着いたのではないでしょうか。
魔女おばさんが言っていた、
「あなたは待ち合わせの相手が遅れたら、走って迎えに行く人でしょ」
という言葉であらわされるとおり、真琴はただ時間が過ぎて千昭に会えるのを待つ性格の女の子ではありません。
「未来へタイムリーぷできる装置」
を作り、千昭に会いに行くという明確な目的ができたため、
真琴は晴れ晴れとした表情になったのではないかとわたしは思いました。
突飛な説かなぁ・・・。
http://www.yahoo.co.jp/←ダミーです
その手がありましたか…(笑)。
お互いのことを思えば、別れなきゃいけない仲なんだけど、お互い心が通じてる感がする、すがすがしい言葉ですね。
一回はマコトのためにチアキが犠牲?になり、
そのマコトを救うために今度はマコトが頑張った。その結果会えなくなってしまったけど。
その二人にはぴったしの最高の言葉だったかもしれません。
この泥臭い世の中で、ここまですっきりしたもの(偽善やわざとらしさなく)を描けた監督はいったいどんな人なんだろ?と感心しております。
ご回答にいやはや脱帽です。ありがとうございます!
過去のことを悔やみがちな人間の心をうまく描き共感を呼び起こし、かといって
「頑張れば未来も過去も変えられる」という(過去は成功した今の状態につながってたという意味で)安っぽいメッセージで締めるのではなく(実際そうはならないし)、でも、それでも未来をガンバローみたいな微妙なニュアンスを映画で描いたということ…。
とまとめられるような安っぽい言葉の羅列ではない+αのものを感じたのは確かです。
尾道はラーメンの町ではなかったのですね(笑)。映画は時間見つけて見てみます~。
映画はここ最近ずっと離れていますね。いい映画があればぜひ伺いたいです。なんとなくわけわからん系が多々氾濫しておる昨今ですので。