人口は既に森林を伐採しすぎていますので、地球環境は行き着くところまでいっており、もう何をやっても無駄かもしれません。いっそ何もしないで座して死を待つのが最良の対応策かも。
人類は、地球をまるごと自分たちのものと勘違いして、所有権なるものを設定ましたが、これがそもそもの間違いの始まりであったといえます。
(1)土地所有権は勘違い甚だしい。いったい、いつどこで誰がこのような法律を作り、どうしてそれが世界に広まったのでしょうか。
(2)この勘違いした法体系を、改めさせる方法はないでしょうか。(過ちを改むるに、憚(はばか)ること勿(なか)れ、ですからね)
(3)一方で江戸時代の入会権のように、所有権を認めなかった民族もいたように思います。人類文明の中で、野生動物と共存する法体系を構築した文明、自然の生態系を人類が破壊することをきつく禁じた文明があったら、教えてください。
(1)土地所有権は勘違い甚だしい。いったい、いつどこで誰がこのような法律を作り、どうしてそれが世界に広まったのでしょうか。
自分の縄張りを自分の物だと主張するのは人間に限ったことではありません。
問題なのは「環境破壊行為」なのであり、土地所有権自体が勘違いということでは無いと思います。
(2)この勘違いした法体系を、改めさせる方法はないでしょうか。(過ちを改むるに、憚(はばか)ること勿(なか)れ、ですからね)
同様に、土地所有権は環境破壊に直接繋がる問題ではありません。
昔、幕府が行った「生類哀れみの令」みたいなものが実行されれば、土地所有権を維持したまま環境破壊を止めることが出来ると思います。
例えば、草食動物は自分の縄張りで草木を食べますよね。
それが問題にならないのは本能に従った行動のみだからであり、人間は本能と関係ない部分で環境破壊をしているから問題なのです。だから食以外の用途で生物を殺すことを禁じれば環境破壊を止めることが出来るでしょう。
ですから縄張り(土地所有権)を法律化することは決して悪ではないと思います。
(3)一方で江戸時代の入会権のように、所有権を認めなかった民族もいたように思います。人類文明の中で、野生動物と共存する法体系を構築した文明、自然の生態系を人類が破壊することをきつく禁じた文明があったら、教えてください。
上で挙げた「生類哀れみの令」がそれに近いと思います。
(1)土地所有権はちゃんと決めておかないと必ず争いが起きてしまいます。
人間は縄張り争いにより何度も戦争を起こしています。
もちろんそれは人間に限ったことではなく、動物でも殺し合いに発展することが少なくありません。
それを人間はその知能により、法律という形で管理することで争いを避けることを選んだのです。
(2)最近ではだいぶ改められてきていると思います。
環境保全に関する国際法はいくつもありますよね。
といっても保護されている地域は本当に地球上のごく一部だけですが、徐々に増えているのは間違いありません。
日本でも世界遺産に指定されている湿原があり、そこでは生態系の維持が行われています。
(3)江戸時代の入会権は環境保護のためにやっていたわけではないはずです。
環境や生態系の保護という概念が現れてからまだ100年も経っていないでしょうから、過去の文明で環境保護をしたというのは無いと思います。
人間が生態系の問題に気付いたのはほんの数十年前の話です。
(生類哀れみの令も環境保護目的ではなく、動物好きの人が自己満足で作った法律です)
人類にとって、人類だけが偉くて、他の動物の生命や生存は、はじめからどうでもよいものだったのでしょうか。
アメリカインディアンやアイヌの神話のように、動物を神様としてあがめて、自分たちの行動に制約を加えようとした例はなかったのでしょうか。
法というものは、生まれたときに、すでに間違えていたのでしょうか。
仏法という法に照らすならば、人類が何千年と使ってきた法体系は、すべて勘違いの賜物であり、最終的には自分たちの生存すら脅かすことになる、破綻した思想の表れであったということになりませんか。
(1)土地所有権は勘違い甚だしい。いったい、いつどこで誰がこのような法律を作り、どうしてそれが世界に広まったのでしょうか。
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/roppou/kenpou_hougaku/syoyuk...
所有が社会に立ち現れたのは、社会に国家的な要素が「萌芽」として現れるのと時を同じくしており、…中略…文献等から所有権の発生史を跡づけることは難しい。
略
明確な土地所有権概念をもつ農耕社会、それがあいまいな焼畑農耕社会、土地所有権が存在しない遊牧社会と狩猟採集社会
上記、書籍の紹介ページを読むと、法律が成立するような時代(ローマ時代とか秦の始皇帝の時代)以前にすでに土地の所有権の概念があり、むしろそれをはっきりとさせるために時の支配者たちが法律を作ったのではないでしょうか。
なので、土地所有権というのは人間が農耕や牧畜を始めたときに生まれ、その広がりとともに広まった、という感じでしょうか。
(2)この勘違いした法体系を、改めさせる方法はないでしょうか。(過ちを改むるに、憚(はばか)ること勿(なか)れ、ですからね)
ユネスコの世界遺産(自然遺産)にあらゆる地球全てを登録する…とか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E9%81%BA%E7%94%A...(%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3)
環境問題対策として
現実的には、土地の所有者に対して環境破壊・汚染をしないような強制力のある条約が国連でできように運動することですかね?
ただ、途上国の農業とか工業とか開発は、先進国の資本が入り、それがないと現地の人たちも生きていけないという世界経済的な事情も大きいと思いますので、大変だとは思いますが。
キリスト教的発想だと、人間は神から自然や動物を管理するように言われているそうですから、誰の所有物でもない、というのは難しそうですね。
(3)一方で江戸時代の入会権のように、所有権を認めなかった民族もいたように思います。人類文明の中で、野生動物と共存する法体系を構築した文明、自然の生態系を人類が破壊することをきつく禁じた文明があったら、教えてください。
少なくとも、文明が、人が生きていくため、
自然とたたかう・自然に手を加えていく上で生まれた以上、
為政者が法律まで整備して「自然を破壊するな」と言った文明はないと思いますが、強いて言えば、老子(老荘思想)とか墨家とかですかね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%AD%90
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E5%AE%B6
http://www.taishitsu.or.jp/publish/19-3d.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0726.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0817.html
あと、ネイティブアメリカンの教えとか。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/250-759045...
言挙げせよ日本-欧米追従は敗者への道- 松原久子
驕れる白人と闘うための日本近代史 松原久子
これ読んでみると面白いかもしれません。
欧米諸国と日本の考え方の違いが書いてあります。
環境へのアプローチも考えさせられます。
これを読んでそのまま鵜呑みにするのも危険な気もしますが。
このはてなは、自分の知らないことを教えてもらえるのが、たまらなくいい。
松原久子さんのこと知りませんでした。
教えていただきありがとうございます。
ほかに、どなたか、自然法思想の不自然さについて教えてくださいませんか。
天武5年
676年 日本最古の森林伐採禁止令
http://www.kikori.org/ken-betu/nippon/h-nippon.htm
http://www.minnanomori.com/data/info02/frame01.html
全世界で植林を考えたのは日本だけかもね。で、瑞穂の国。
そんなに早く森林伐採禁止令がでていたのですか、知りませんでした。植林も早くからやっていたのですね。
実は、昨日、青森県の三内丸山遺跡にいっておりました。
日本は縄文時代以降、なにか特別な霊感のようなもので、森林の重要性と、人間による造林可能性を、理解していたのかもしれませんね。
(今はどうかな?)
サルと人間の違いは、「毛が3本(人間が多い)」といい伝えてきましたが、これとて、DNAの塩基配列の比較をしたところ、チンパンジーと人間は98.9%同じであることがわかったわけで、DNA研究以前にそれを「毛が3本」と言い切ってしまっていた、日本の知恵には恐れ入ります。
http://joumontn.com/mori&hito/011.html
現代の生物にとっては絶対に必要な酸素さえも、
かつての地球の生物にとっては猛毒でした。
シアノバクテリアや藍藻という生物が海に大量に発生し、
猛毒である「酸素」を大量に作ってしまったために、
それまで繁栄を誇っていた生物達はほぼ絶滅に追い込まれてしまいました。
これは一番端的な例だと思いますが、
人間に限ったことではなく、どの生物だって、地球は自分達だけの物という前提で活動をしています。
ただ、現代にいるような多くの高等動物は、環境や他の多くの種を左右できるほどの力を持っていないだけです。
もし、ツボカビや、上で挙げたような古代における植物のように、
人間も、制限無くその力を振るってしまえば、環境破壊はこんなものではないと思います。
人間は人間だからこそ、法体系というもので、自らの力を縛り、
その強大すぎる力を抑えて、環境の変化も抑えようとしているのだと思います。
(法体系(容赦)の無い、他の動物がこれほどの力を手にしたらとっくに地球は滅んでます。)
もし、人間による環境破壊に問題点を見出すとしたら、
僕は、その手にした力が強大すぎることだと思います。
でも、僕らはその恩恵を受けているわけで、方向性としては今のように、
なるべく人間らしさを生かして、自分達の力に制限をかけたり、
(リサイクルなんかもそうですよね。本来無限に(リサイクルより)簡単に物を生み出せる力があっても、それを制限しようとするものだし。)
その力を環境を守る方向に向けていく、そういう意識をもっと高めていくことが一番大事だと思っています。
たしかに環境破壊行為が問題なのですが、それを許す法律があったから、その行為が行われたと考えられないでしょうか。
生類哀れみの令は、すごい法律だったのですね。興味深い。調べてみます。