1917年大沢鉦一郎らと愛美社を興し1923年に愛美社は発展的に解消しています。その間3回展覧会を開催しています。また彼は「姉妹立像」で第3回帝展に入選しています。これらの作品がどうなっているのかまったく分かりません。ご存知の方が居られましたら教えてください。
また彼は夭折した万代恒志の弟で恒志の作品もあったのではないかと想像されますがこれもまったく分かりません。
なにぶん古い話で相続をした者も居りませんのでご存知の方が居られましたら宜しくお願いします。
すみませんが、伯父さまの万代比佐志さんや大沢鉦一郎さん、愛美社さんについて、わたしは存じ上げてるものではありません。(ちなみに美大出です)
はてなで果たしてご存じの方が見つかるかどうか、正直可能性は低いと思い、何かのヒントになればとこの回答を書いております。
万代比佐志さんの名前は無いのですが、愛美社さんの名前はこちらで出ていました。。2001年に名古屋画廊さんが主催されていた『宮脇晴作品集 : 愛美社の時代 : 生誕100年』という図録です。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA78537479
宮脇晴さんというご同朋の方の展覧会のようです。この名古屋画廊さんが老舗の画廊なら、愛美社さんとの繋がりの可能性も高いかもしれませんね。この展覧会の所蔵先として東京国立近代美術館がリストに上がっていますが、おそらく、愛知県下の美術館・博物館でも所蔵しているところがあると思います。
名古屋画廊さんなら、図録も保存しておられると思いますが。直接お訪ねになっても良いかもしれませんね。
http://www.nagoyagallery.co.jp/top.html
伯父さまはどちらの画廊で展覧会をなさっていたのか、はっきり分っていれば、その画廊を訪ねて当時買い上げがあったかどうかの記録をあたれるると一番良いのですが。
美術館等の買い上げになってると、すぐ見つかりやすいのですが、個人の所蔵となると、画廊さんやあるいは愛美社でのご同朋のご家族等をあたるしか無いかもしれません。
こちらは東京大学の博物館の所蔵する書籍リストのようですが、
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/umdb/BJ/list/i15.html
『みづゑ』という美術専門雑誌のNO.201が、帝展第三回特集号になっています。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/umdb/BJ/html/BJ0839.html
ここの備考欄でも万代比佐志さんのお名前は出ていませんが、実物では載ってる可能性もあります。
見ていると、『みづゑ』で地方画壇についての情報も扱っていたようです。大正16年あたりからざっと見た限りですが、愛美社の名前は、このデータベース上ではなかなか見当たりません。見落としがあるかもしれませんが。
実際に大正16年以降の『みづゑ』バックナンバーを見れたら、恐らく愛美社さんの展覧会情報や展覧会評など載ってるんではないかと思うのですが。
東大でなくても、愛知県下で古い『みづゑ』等の美術雑誌の蔵書をしているところがあれば良いですね。ミュージアム以外に、愛知芸大の図書館ですとか。あるいは愛知大学といった大きな大学の図書館でもあるいは。
ちなみに愛知芸大、愛知大学のHPを見てみましたが、部外者では蔵書の検索機能が使えなくなっていました。電話で訊いてみても良いと思います。
あった場合もその際、閲覧も、外部者が自由に出来るようになっているかどうか。それに貴重書になりますので、ご家族という事情を話された方が良いかもしれません。
また、2万円と高額な本ですが、
http://www.tobunken.go.jp/~bijutsu/publications/Taisyoubijutsu.h...
帝展の出品データが出ているだけ、かもしれません。これも図書館で閲覧出来たら、良いのですがね。
「もしわたしなら、どう探すか」で、とりあえず画廊が分っていますと画廊さん、
美術館・博物館、で、その中の図書館、
芸大などの大学図書館の書籍で手がかりがあるかもしれないし。
あと、展覧会情報を地元の新聞が取材している可能性もありますね。そのコピーが閲覧出来るかもしれませんので、県立か名古屋市の中央図書館、
といった処を先ずあたってみるかなと思います。
とりあえず、問題は個人に作品所蔵されているのであった場合。これは画廊や周辺個人あたるしか知り得ない可能性、あるのかもしれません。
また、作風が分れば、コレクターで辿れる可能性もあると思うのですが。(例えば、キュビズムだとかといった風に。)また先生がおられたかどうか。
コレクターで辿る場合、美術館の学芸員さんに尋ねてみると、当時の収集家の記録があるので何か分るのではと思うのですが。
当時の美術界での「作風の位置づけ」がしぼれると、大学等の研究者からあたれる道も開けると思うのです。
コレクター、あるいは美術館買い上げの場合もそうですが、「どういう作風だから、専門に収集していたのはここ」と、各々に専門性があります。
思い付いた事を書きましたが、
この人力の質問自体は未だ閉じず、可能な期間ずっと開いておかれると、ひょっとしたらひょっとして「出会い」が、あるかもしれませんね。
お祈り申し上げております。
詳細にわたるご返信有難うございます。
第3回帝展のリストは国会図書館で調べており載っていました。
また作品の絵葉書は残っているのですが、原画が残っているかどうかを知りたいと思っております。
教えていただいたところを調べてみます。