むかし 同人誌っぽいものを購読していたのですが
すごくきれいなものがありました
いま思えば空白がおおいものでした
好きな授業がありました
いま思えば 間の取り方が絶妙でした
読んでいて
快適なはてなの回答があります
やっぱり空白です
ポイントは基本的に均等です
気に入ったら上乗せします
おねがいします
空白、ダイスキです!イラスト的にも好きです。
きれいな同人誌の話が出ていましたが、
チョット別の話ですが、
昔年賀状で
真っ白なはがきの真ん中に 赤い字で、
a
happy
new
year
って書いてあって、それが日本の国旗に見えるようにしてあったので面白いなと思った事があります。
いけばな等も空間だと思います。
床の間にしても、あの間にちょこっと花と掛け軸があるのを楽しむんだと思います。
全面に花があるより、間があるから趣がある。
詩にしても文章にしても、床の間と同じように、
間は二次元的な芸術を生み出すんじゃぁないかと思います。
それとこっちの方が実は本題だけど、
間があると、
読むスピードがゆっくりになって、
とってもほっこりしたり、
安心して読めたりすると思います。
なんか、間にも何か心遣いを感じたりして。
そういう意味では、結構ひらがなも好きだったりするな~。
空白、ダイスキです!イラスト的にも好きです。
きれいな同人誌の話が出ていましたが、
チョット別の話ですが、
昔年賀状で
真っ白なはがきの真ん中に 赤い字で、
a
happy
new
year
って書いてあって、それが日本の国旗に見えるようにしてあったので面白いなと思った事があります。
いけばな等も空間だと思います。
床の間にしても、あの間にちょこっと花と掛け軸があるのを楽しむんだと思います。
全面に花があるより、間があるから趣がある。
詩にしても文章にしても、床の間と同じように、
間は二次元的な芸術を生み出すんじゃぁないかと思います。
それとこっちの方が実は本題だけど、
間があると、
読むスピードがゆっくりになって、
とってもほっこりしたり、
安心して読めたりすると思います。
なんか、間にも何か心遣いを感じたりして。
そういう意味では、結構ひらがなも好きだったりするな~。
たまに むすめがもらってくる学年通信とか
みた瞬間に読む気力がなくなります
ひらがなもいいですね
ちょっと前に立ち読みした「ひらがなで考える」とか
そんな本がありました
ついでに言うと
句読点ってない方がきれいな場合もありますね
余白の楽しさが語れてうれしかったです
良く言われる、「間の取り方が大事」というものも、
考えてみれば「間(ま)」―つまり空間を大事に取れ―という訳ですから
古来から日本人は空間というものに重きを置いてきているのだと思いますね。
そうですね
よく分からないですけど
絵とかでも
西洋画はびっしり書き込んであるような気がします
気のせいかな
ありがとうございました
楽譜も、休符を如何に歌うか(もちろん声じゃなく、表情とか、それこそ「間の取り方」の世界ですが)が大事です。
日本語は、もともと分かち書きをしない言語ですし、隙間がなくなると、本気で詰まってしまいます。
密な文章であっても、かたまりごとに、
そうじゃないなら、なおさら、空間そのものに美を見出すのは必要なことでしょう。
音楽でもそうなんですか
ありがとうございました
空白いいですね。
読みやすい文はいい感じに空間がありますよね。
空白で意味のまとまりを隔てたり
それがある程度のテンポを生みますよね。
それが心地いいんですよね。
>西洋画はびっしり書き込んであるような気がします
日本の文化は「察しの文化」と言われるような国でしたから。ある程度「空白」でも通じるというような事があったんだと思います。
そうですよね
ぱっと見たら いくつかのかたまりですね
ありがとうございました
空白や余白があると読みやすいですが美しいとは思いません。
しかし、“間”には圧倒的な美しさがあると思います。
“間”は、意図的に何かを入れていないところです。
そこは、受け手が好きに使える気がします。
上手な話し手は“間”を取ります。
そこで、聞き手は自分なりの言葉で理解ができます。
上手な絵には空“間”があります。
そこに、絵に描かれていない何かを想像できます。
上手な文章には行“間”があります。
そこを、補間して書かれていない物語を楽しめます。
ただ空いてる。ただ余ってる。
そういう白いイメージはあまり好きではありません。
100%が決まっているより、少しだけ自由にできる。
そんな感覚が美しいと思います。
間が過ぎて、沈黙が続くのは苦痛ですけど…
ありがとうございました
相手にゆだねる 間 はいいですね
ありがとうございました
究極の美学 ~ 空白:余白=静寂:沈黙 ~
もっとも高貴な瞬間、「第一章・静寂」にはじまる格調高い楽理入門。
── 芥川 也寸志《音楽の基礎 19710831 岩波新書》
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4004140579
鳥のさえずりが聞こえない、沈黙の春がきた……。鬼気迫る警告。
── Carson,Rachel Louise《Silent spring 1962‥‥ America》
♪(音声注意)サウンド・オブ・サイレンス(沈黙の音)
http://yama-tabi.net/omou/silence2.htm
── Simon and Garfunkel《The Sound of Silence 196.‥‥》
── 映画《卒業 1967 America 19680608 Japan》
なだ・いなだ 作家 19290608 東京 /精神科医師/籍=堀内 秀
── nada y nada:スペイン語で「何もなくて、何もない」の意。
◇
── 美は人を沈黙させる、とはよく言われる事だが、すぐれた芸術作
品は、かならず言うに言われぬものを表現していて、これに対しては、
なすところを知らず、僕等はやむなく口をつぐむのである。
── トルストイは、やがて「クロイチェル・ソナタ」を書いて、この
奇怪な音楽家に徹底した復讐を行つたが、ゲエテは、ベエトオヴェンに
関して、たうとう頑固な沈黙を守り通した。
── 小林 秀雄《モオツアルト 194612‥ 創元》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710708
レコード・サロン① ~ Paper Concert ~
ありがとうございました
コメントがいただけると うれしかったかも
私が同人誌作りをする時には、予算にさえ余裕が有れば、必ず表紙と裏表紙の内側に、何も印刷されていない「遊び紙」を挟んで製本します。表紙をめくってすぐ本文ではなく、1枚の空白が挟まれる。読み終わった後にも1枚の空白。ここに余韻を感じてほしいんです。
原稿を書く時も、私は印刷されてからの空白の効果をけっこう意識します。テンポ良く読み進んでもらいたいところには、わざと改行が多用できるセリフを挟んで、紙の下が広く空くようにします。
プロの作家さんでは、あかほりさとるさんが、改行による空白を多用してますね。あかほりさんの場合は本の下半分を切り取ってメモ帳に出来る、なんて言われたりもしていましたが(笑)
詩の美しさも、空白を活かした紙面があればこそ、っていうのがありますよね。改行と、そして段落間を空ける空改行。これが無ければ、詩の表現は成り立ちません。
私は以前は、はてなの回答も、
こんなふうに改行を多用した
空白の多い書き方をしていました。
その方がずっと読みやすいと思ったからです。
でもリニューアル後の新しい画面になって
それをやめました。
画面がサイドバー付きになって
横幅が狭くなってしまった結果、
へたをすると予期しない所で行が折り返されて
とても見にくくなってしまう恐れがあったからです。
空白を自分の自由に使えないメディアへの書き込みは、
文章表現の幅を狭めます。
そういえば以前、真っ白な紙の中心に一つだけ点を打った、宇宙という題の書を見たことがあります。どこかの大学祭の出品作だったと思いますが、これは、やられたーと思いました。空白は、空間なんです。それが宇宙の広がり。真ん中の点は、たとえば真理。あるいは地球。もしくは自分自身なのかもしれません。ま、これは極端な例にしても、書道もまた、空白を積極的に活かした芸術ですよね。
私には、生活の中の空白も大切です。何もしない、ぽっかりと空いた空白の時間。余暇ではなく、空白。趣味もしない何もしない時間が宝物だったりします。
学級通信とか
紙面ぎりぎりまで書く人って
それだけ熱心なんでしょうけど
読む方は疲れます
とても参考にあるご意見
ありがとうございました
やはり、日本の文化では、間の取り方に美を見いだす方向で発展してきたことと関係があるものと思われます。
間は、あってもなくても良い、というか悪いというか。
「間延びしている。」「間が足りない。」
日本家屋の和室には、床の間があるものでした。最近、消えつつありますが…
間はいいですね
わたしの部屋は散らかっています
これじゃいけないな
ありがとうございました
たまに むすめがもらってくる学年通信とか
みた瞬間に読む気力がなくなります
ひらがなもいいですね
ちょっと前に立ち読みした「ひらがなで考える」とか
そんな本がありました
ついでに言うと
句読点ってない方がきれいな場合もありますね
余白の楽しさが語れてうれしかったです