今テレビなどで話題になっている中学生・高校生の自殺に関する考察(学校や教育委員会、家庭の責任等について)も併せて回答いただけると有りがたいです。
あくまで空想ですが。
万引き犯を捕らえるために私服警官を泳がせる、という発想から学校に同じ年齢くらいの調査員を生徒として派遣する。
誰がその派遣された人なのか生徒間でも分からない、となればむやみにいじめる側も手出しはできないし先生がいじめを発見するよりリアルタイムで状況がつかめそうだと思います。
学校や教育委員会はいじめの実態をつかもうと思っても多分無理でしょう。把握する数が多すぎると思います。
そのあたりで実態を把握しようと思えば一クラス2から3人の割合で職員を配置しないと難しいと思います。
家庭はといえば、最近はいじめの自殺も増えているので我が子の事を関心を持って見ている親は増えてきているのではないでしょうか。
最近自殺した子供の両親も子供の異変に気づき学校に相談しているぐらいですから。
問題なのはいじめる側の生徒の親みたいですね。
学級崩壊を招いている生徒の親に限って保護者会などに出席しないといった実例も報告されているみたいですし。
相談相手が居ない・学校には『絶対に』行かなきゃいけないという視野狭窄から抜け出す道を示すこと。
学校に入った方が良い。それは確かです。
ただ、命を天秤にかけるほど重要かというと、そうじゃない。
命の重さを、充分に判らせる教育……学校だけじゃなくて、家庭で、地域で、放送で。
そういうことが必要なんだと思います。
回答、ありがとうございます。
どうやって、"命の重さ"を分かってもらえばよいでしょうか。
家庭の責任等について私的意見。
今の親達は良いことは自分達、悪いのは周り・学校・社会、幼いころから子供の頭をなでるのがあたりまえ(あなたは常に正しい)のように育てる環境(日陰)を作り、いざ、波(苦難・ひなた・現実社会)をうける(あびる)と自拒回避(自殺等)に至らしめてしまう。日陰を当たり前にするといざひなたに出ると暑くて我慢できない状態になるのは当然だと想います。さらに、親が子供の前で学校・先生を悪く言うと子供達は学校・先生を見下してしまいます。自分は子供の家庭訪問に来られる担任の先生に叩いてでもいいから悪いことは悪いと教えてくださいとおねがいしていました。それをガラス戸一枚を隔てて子供が聞いていたようです。自分はそれでよかったと想います。また、こどもが先生の事をあれこれ言うと真剣にしかってくれる先生で良かったね、幸せね、と逆に子供に言い聞かせました。親が学校・先生を敬う心がないとこの問題は解決しないとおもいます。それには、一部の心ない先生達には聖職者としての自覚・自尊心に欠けておられるとおもうので自ら職を辞していただけたらと強く願います。少し長くなりましたが私的意見です。
回答有り難うございます。
家庭・生徒・教師の信頼関係、重要だと思います。
何よりも、両親が気づいてあげて、そして、それを受け止めてあげられる環境を常日ごろ作っておくのが大事でしょうね
親子のコミュニケーションの少なさも原因のような気がします
誰にも話すことが出来ずに死を選ぶ子供。
両親の責任でもあると思うのです
回答、ありがとうございます。
「両親の責任でもあると思うのです」、同感です。ただ、私には子供がいませんので、親子のコミュニケーションについての難しさが分かりません。
僕と僕の親との関係を考えると、確かにコミュニケーションが少なかったような気がします。
それにしても、自殺する子供はなぜ親に相談しないのでしょうか?
教育機関専門の治安組織をつくり常駐させる。
・誰も邪魔しないから喜んでいじめる。
・誰も助けないからあきらめて自殺してしまう。
回答、ありがとうござます。
「治安組織」とは、スクールカウンセラーのようなものでしょうか?警察とは違う?
その子どもの両親が、全身全霊を賭けて子どもの命を守る。
守るべきものは、命であるから、子どもが道徳的に良くないことをした場合は、ぷん殴っても構わない。
いわゆる一つの、教育的指導という奴だ。
これをやらないから、今のガキんちょは、アムロみたいになっちゃうんだよ。
「ヒドい。トーサンにだって殴られたこと無いのに。」
もっとも、その子どもが敬意を抱けない両親の場合、問題は複雑ですがね…
回答、ありがとうございます。
アムロというのは、ガンダムに出てくるアムロでしょうか?(よく知らなくて...)
守るためには、子供のことを常日頃から知ってなくてはいけないですね。
特効薬は有りません。いじめは一旦始まると固定してしまい、いじめる側では数を頼んで既得権益を守ろうとする心理が働きます。
私案ですが、担任教師に父兄や生徒との連絡用のプログを持たせて、少なくとも炎上させないよう管理させる、というのは有効でしょう。しかし担任の人材が不足する可能性があります。
もうひとつ。
情報公開が不可欠ですが生徒のプライバシーを盾に学校側の抵抗が最も強い部分です。
さらにもうひとつ。
いじめの起きないようクラスを管理する部分を教師の業績として評価するシステムが構築できれば有効でしょう。どれも学校側の対策ばかりですがそれでも相当の困難を伴います。
生徒に対する対策は、あまり良い物が無いですね。
いじめを主導した生徒に勤労奉仕でもさせますか。
昔流に「もうしません」とノートに百回書かせるとか掃除当番とか。どうしても他人に行動を強制する事を実演してしまうので、匙加減が難しい部分です。素直に罰当番を受けるような子ならいじめなど主導しないでしょう。義務教育では停学とか留年など法改正が必要ですし。
最後に最低でもこれだけはというので。
いじめを主導あるいは誘発した教師は処分されるべきです。現在の管理体制は甘すぎます。
回答、有り難うございます。
「どれも学校側の対策ばかりですがそれでも相当の困難を伴います。」そうですよね。良い対策ないですよね。
転校するか、もしくは学校に行くのをやめたらいいと思います。
家でも勉強はできます。
高校生だったら大検だって受けれます。
勉強ができなくったって死ぬよりゃマシです。
生きている限り何度だって立ち上がれます。
学校の対応は…はっきり言ってふざけてると思いますね。
毎年どの都道府県でも、虐めによる自殺者0報告って
もうね、生徒をナメてんのかと。
そして私はこれは学校や家庭の問題というより、社会全体の問題だと思います。
文句を言うことすら認められていない弱者を無責任に踏みにじり続け
こういった問題が起こるまで放置する。
それどころか問題が起こり続けても放置する。
だいぶ前から虐めによる自殺と虐めという名目での殺人はありましたよね。
それなのに社会全体で放置し続けた。
それどころか、マスコミは一時期自殺した人間に
「虐められるほうが悪い、自殺するほうが悪い」という論調をぶつけていた。
だから今回の事件について大騒ぎをしていても、何を今更…って感じですね。
小・中・高校生の自殺については…。
私が思うに、社会全体のうすら甘い風潮が彼らを自殺に導いていると思います。
皆が虐めてたから自分も虐めても構わない。
責任がとりたくないから責任をとらなくてもいいように立ち回る。
俺は(私は)○○だからこういう事をしても(言っても)構わない。
責任をとりたくないから見てみぬふり。
全て信念もプライドも無い自己を律する事ができない甘い人間の考え方です。
自らにとことん厳しく、他人に優しく。
人間には自らの身を引き裂いてでもやらなきゃいけない事や守らなきゃいけない事柄がある。
そしてやっちゃいけない事がある、言っちゃいけない事がある。
それを教えたり覚えたりすべきです。
回答ありがとうございます。
「人間には自らの身を引き裂いてでもやらなきゃいけない事や守らなきゃいけない事柄がある。
そしてやっちゃいけない事がある、言っちゃいけない事がある。
それを教えたり覚えたりすべきです。」
誰が教えるか。僕も教える人の一人になりたい/ならなくてはならない。
「転校するか、もしくは学校に行くのをやめたらいいと思います。」という部分、僕が考えていたことに近い回答です。
"逃げること"を覚えた方が良いと思う。また、容認することも必要ではないかと思う。
そもそも自殺について報道しない。これが一番の解決法。
連鎖自殺と言って、自殺が報道されて当人をヒロイックにもてはやすと、それを見た意思が弱い人間が追従する事が欧米では知られています。そのために自殺に関する報道について規制する国もある。
相手が自分であろうと、人殺しをもてはやすバカな報道をいますぐ止めるべきです。更に効果を引き出すには自殺した人間をおもいっきり辱めるような報道が効果的です。周囲に迷惑をかけたと両親に土下座させ、本人がいかに落ち度があったかを根掘り葉掘り探してダメ人間である事を暴き出す。
死んだら損だとおもえば、TVをみて自殺するような単純な人間はすぐに考えを改めます。
回答、有り難うございます。
自殺の動機として「TVをみて自殺する」というのは、どの程度の割合であるのでしょうか?
つられて自殺してしまう、といった方が良いかもしれません。
死んだ人に聞けないから、正確なことはわからないのでしょうけれど...。
生まれてきたという「奇跡」を実感できる体験を教育に取り入れます。
これ、各地の助産師会などがだんだん取り組みはじめているんですが、たとえば小学生に対しては、子宮に見立てた袋の中に児童が入るんですね。中には羊水に見立てたふわふわのクッションが敷いてあって、そこで児童はまず手足を縮込めて、胎児の気分を疑似体験するんです。トク、トク、と母胎の心音も聞こえてきます。
さあ、生まれるよ、という合図があったら、児童は頭の上にある細いトンネルをくぐり抜けていきます。しかしこれが布で出来ていて体にまつわりついたりして、障害物競走みたいな感じで、なかなかうまく外に出られない。もぞもぞやっているうちに、見ている友達から「頑張れ!!」「あと少し!!」なんていう声援もかかるようになります。
トンネルをやっと抜け出すと、誕生おめでとうの声と共に友達みんなの拍手が待っています。
と、こんな感じで、生まれてきた時のことを疑似体験させるようなことを通して、命の誕生というのがどういうことなのかについて、まず興味を持たせていくわけですね。
そしてゲストとして招かれた妊婦さんや、クラスのお母さんの代表などが、妊娠、出産の体験などを話しを聞き、一人の人間が生まれてくるまでに、どれだけの困難なハードルがあって、それをどれほどの強い愛情で乗り切ってきたかを知る、といったカリキュラムです。
ま、これはあくまで一例ですが、とにかく人一人の持つ尊厳の大きさを知れば、それを理不尽に踏みにじるようないじめも少なくなるでしょうし、自分の命も尊いものなんだという理解が芽生えれば、何があっても自ら命を絶つという選択だけは避けなきゃいけないという自覚も期待できてきます。
そういう「命を見つめる教育」。これをどんどん研究して高めていって、子供たちにぶつけてみる。そこからきっと、大きな変化が生まれて来ると思うんですね。
さて、学校や教育委員会、家庭などの責任についてですが、私はここで特に教育委員会の責任を取り上げたいと思います。
いじめに伴う自殺は、学校という閉鎖環境以外に子供の居場所がない、子供にはどこにも逃げ道がない、ということが大きな原因だと思うんですね。
しかし教育委員会は、学校教育だけでなく、社会教育も所管しているわけです。子供の居場所を、社会教育の場にも用意していく責任が、教育委員会にはあるはずなんです。
たとえば児童館などと呼ばれる施設は18歳未満の児童生徒のために設置されている社会教育施設ですが、これがほとんど活用されていないんですね。だから子供たちは何かあっても、学校の保健室くらいしか逃げ場がないんです。
そういう役目の場所を社会教育の分野でも用意してごらんなさいって。どれだけ子供たちの抱える閉塞感が解消されるかわかりませんよ。
そう言う指摘は以前からあったはずなのに、何もしてこなかった教育委員会、そして政府を含めた行政の責任は重大です。まず政府と地方公共団体の猛反省が必要です。国民の声をまともに聞いてこなかった腐った政治のツケが、今ここに来て一気に出始めています。
回答、ありがとうございます。
「いじめに伴う自殺は、学校という閉鎖環境以外に子供の居場所がない、子供にはどこにも逃げ道がない、ということが大きな原因だと思うんですね。」
その通りだと思います。この問題意識が、今回の質問に回答頂く鍵になると思います(個人的な感想です)。
児童館/児童クラブ/学童保育所については、地域によって質に差がありますよね。
政府や地方公共団体をあてにしていたら、対策が遅れると思います。
■学校に行きたくないと思ったら、行かなくて良いと思います。
■そして、親は無理に子供を学校に行かせない。
■児童相談所に行っても、そこの教員と愛称が悪ければそこにも無理をして行かなくてもいい。
死ぬよりは、嫌な事からとことん逃げて、落ち着いた後でこれからを考えてみるといいと思います。
極端ですが、学校に行かなくても生きてはいけます。
回答、ありがとうございます。
「■学校に行きたくないと思ったら、行かなくて良いと思います。」そのとおり!五味太郎的で好きです。
いじめられている子供には、五味太郎の本を読ませてあげたい!
勝手にコメント付けていますが、これから回答頂く方、自由に回答下さい。
家庭の外の社会において学校以外にも居場所がある子は、ひとつの居場所でいじめに遭ったからといって自殺という道は選ばないのではないかと想像します。
趣味のサークルでもよし、学校に行けなくなってしんどいならば同じ悩みを抱える人の集まりでもよし。
よく言われることですが、「学校での自分」がすべてだから、その学校で存在を否定されると社会全体から否定されていると思い込み、生きていけなくなってしまうのではないでしょうか。
いじめに限らず、不登校の子どもは「学校に行けない」ということで簡単には癒えない心の傷を負っています。自分の存在が非常に価値の低い、生きるに値しないもののような自己認識を持ってしまう子も少なからずいます。
親を信頼していたとしても(むしろ、信頼していたとしたら、ということもあるもしれない)「いじめられている」と打ち明けていろいろと力になってもらうのは相当なエネルギーが要りますし、ただでさえ消耗しているのにとてもそんな気力は湧いてこないというのが正直なところだと思います。
また、教師は教室という密室の方向性を決める存在なので、いじめを誘発させることは非常に簡単です。潜在的に捌け口を求めている子どもは多いので、たとえ教師が意図せずとも、特定の子どもに対する何気ない言動で教室全体の方向性が定まり、その子に対する「特別扱い」が正当化されるというムードができあがってしまう場合があります。
ここに注意できないような感性の鈍い人間は教師をやるべきではないと私は考えます。
しかしもちろん、すべてのいじめが教師の誘導によって始まると言っているわけではありません。
友人は、見ていても何もできませんし、あるいは何もしません。
とりあえず加担することもあります。
そこで良心の呵責を感じる子もいるにはいますが、しかし、やはり何かできるわけではありません。
多数派の側にいる限りは安全であり、下手に被害者に関わると今度は自分が危ないということをよくわかっているからです。
これはごく一般的な処世術で、子どもはそれを遵守しているにすぎません。
大人がしないのに、なぜ子どもに異なることを要求できますか。
誰の責任か、ということを論じるのは非常にナンセンスで、何も生み出さないように思います。
特にご遺族は、後追い自殺もしかねないぐらいに追い詰められていらっしゃる場合があります。責任追及という行為は、そういう人をさらに逃げ場のないところへ追いやる可能性があります。だからあまり簡単に責任論を振りかざすものではないとも思います。
回答、有り難うございます。
『よく言われることですが、「学校での自分」がすべてだから、その学校で存在を否定されると社会全体から否定されていると思い込み、生きていけなくなってしまうのではないでしょうか。』その通りだと思います。
この世代の悩みは同世代でないと、結局分からないところがあります。
でも、おとなが関与できるところもあります。
漫画を挙げてしまいましたが、真面目な話、この話のように生徒の身になって話を聞いてくれる先生や、頼りになれる強い友人が誰かいれば、ずい分と解決になるのではないかと。
また、先生や親御さん以外=学校と家庭以外に、第三者的な大人が相談に乗れれば、とも思います。西欧諸国では神父さんや牧師さんのようなヒトがそういうことをしていたりするようですし、カウンセラーの利用が一般的だったりもしますが。
学校にいるスクールカウンセラーだけではなく、もちろん、警察などでもなく。児童館といった施設にも可能性はありそうです。
いずれにしても。大人が子どもたちにきちんと伝えなくてはいけないことは、少なくとも4点あるでしょう。
子どもは社会が育てます。どんな大人でも関わりを持っていると思います。
無関心が子どもを殺すような気がしてなりません。
回答、有り難うございます。
「いずれにしても。大人が子どもたちにきちんと伝えなくてはいけないことは、少なくとも4点あるでしょう」、重要だと思います。
いじめは今に始まったことではなくずっと昔からあります。日本人に特有という話も聞いたことがあります。したがって根絶することはきわめて困難と思います。いじめはおとなの社会であれば強要、脅迫、恐喝、暴行といった犯罪になります。ですから学校でも容赦なく罪に問うことにしたらという意見も聞いたことがあります。子供のすることだから何もそこまでというのなら、被害者のフォローをしっかりするというのはどうでしょう。家庭がしっかり子供を見ていないなら子供はちゃんと学校内でSOSを出すと思います。保健室を強化してカウンセラーもいいでしょうが、できる限り年齢の近い、しかもちょっと強面の卒業生を何人かたむろさせておくという案はどうですか?
回答、有り難うございます。
「したがって根絶することはきわめて困難と思います」、その通りだと思います。
もっと死ぬのが怖いという心理を持たせるようにすればいいと思います。
嫌な事が合ったら死ねばいいという考えには正直腹が立ちます。
でもいじめは本人にとってつらいと思うので、嫌なら学校に行かなければいいと誰か1人でも言える大人がいたらいいと思います。
別の逃げ道を作る方法を学校・家庭が考えるべきです。
回答、有り難うございます。
「なら学校に行かなければいいと誰か1人でも言える大人がいたらいいと思います」、賛成です。保護者以外の大人がそう言ったらいいのではないでしょうか。
うじうじしない子供に育てることだと思います。
いじめにあっている人の大半は静かでうじうじ
している人が多いです。何かいわれても言い返せないと
標的になる確率は高いですね。
回答、有り難うございます。
「うじうじしない子供に育てることだと思います」、興味深い回答です。
家族以外の人も"育てる"ことが大切だと思います。
テレビのお笑いやバラエティー番組の中で、弱いものいじめが行われることがとても多いと感じております。
低年齢な視聴者ほど、影響を受けやすいのです。
視聴率さえ取れれば番組の品位なんてどうでもいいという制作側の姿勢を早急に改める必要があると思います。
全てのテレビは公共の電波です。現在は監視体制が甘すぎます。
別の話ですけど、教師の人格に問題があると思います。
最近の事件では、教師が太めの女子に「豚」という字を黒板に書かせたというものがありました。
人の身体的特徴を馬鹿にするというのは、いじめのなかでも特に下劣なものです。
私は、教室に監視カメラとマイクを設置し、抜き打ちで授業内容を審査することを提案します。
頭が良くても、人格に問題のある教師はどんどん辞めさせるべきです。
また、生徒が悩みを打ち明けやすいように、全ての学校に相談室を設置することを提案します。
単にカウンセリングをするのでなく、問題を解決する専門家を配置することが望ましいと思います。
回答、ありがとうございます。
「テレビのお笑いやバラエティー番組の中で、弱いものいじめが行われることがとても多いと感じております」という意見、話題になってますね(YouTubeでアップされてたみのさんのコメントなど)。親がテレビを見させなければ良いのでしょうが、見せちゃいますよね...。
メディアが煽っている部分が少なからずあると思います
こんなに毎日トップニュースで流れたら、自殺を考えているけど勇気がなくてできないでいる子の背中を押すことにもなると思います
以前、少年犯罪が多発した時も同じように感じました
中高生だと自分の考えに自信が持てなかったり、人に追随したりしがちなので、報道を見て「じゃあ私も」と自殺してしまった子もいるんじゃないでしょうか
メディアに規制をかけても自殺者は0にはなりませんが、追随者をなくすという意味では効果的だと思います
回答、ありがとうございます。
「メディアが煽っている部分が少なからずあると思います」という意見、もう少し掘り下げる必要があるのではないでしょうか。この件についてなにか論文や統計があれば教えて下さい!
首謀者を特定し改めるまで停学処分にすればいいのに。ひどけりゃ退学だ。
ほとんどの回答者がいじめてる加害者についてふれないのは病気の域に達してるよ。
親が守れば・・・、カウンセラーが・・・・、学校に行かなくても・・・・・、ほんと病気ですか?
回答、ありがとうございます。
加害者について、触れていただいても触れて頂かなくても結構ですよ。首謀者をどのように特定するかが難しいと思いますが、どのようにすればよいでしょう?
自殺しても、世界は何も変わらない、ということを分からせる。
最近、色んな人が自殺してますが、その死によって何か世界が変わったということは聞かない。
そのことを分かってもらえば良いのではないかと思う。
回答、ありがとうございます。
「自殺しても、世界は何も変わらない、ということを分からせる」という意見、興味深いです。分からせるためには、どのようにすればよいと思いますか?
良い対策が無いのではありません。
現場の抵抗(日教組や教育委員会などの保守勢力)が激しいのとノウハウが確立していない為に、実現が困難な対策が多数存在するのです。また予算不足が追い討ちを掛けます。実験的に導入しようとしても実績が無ければ予算も付かないし承認もされない。地域を選んで無作為抽出で生徒を集め教育実験するなどしてデータ(生徒、教師双方の)を蓄積すれば良いのですが。
回答ありがとうございます。
「いじめ」をなくすには?という質問と勘違いをされていませんか?(勘違いされていなければごめんなさい)
「現場の抵抗」についての事例があればぜひ教えて下さい!
ニュースに出てくる校長さんたちと同世代のおじさんですが、この世代で教育学部に進学した連中のレベルはかなり低かった。ただ、年功序列で管理職になり教頭、校長と出世したがなんせ能力不足は否めない事実だ。抜擢人事で学校の空気を変えることができないのかな。40代の若手に学校運営を任してみたらどうだろう。
回答、ありがとうございます。
当時、教育学部に進学した人々はどのような特徴があったのでしょうか?
幾つかの回答を見ました。気になったことを少々。
対策を当人に求めるもの:もともと自殺を選ぶ人は自己に問題を抱えているということなので、下手なアプローチをするとかえって当人を追い詰めてしまうが、その懸念を感じた回答が幾つかあった。またヘルプのサインを見逃した保護者教員等が下手に命の重要性などを説くと、当事者にとって最後通牒に聞こえるので注意。
親や保護者などに求めるもの:普通の良き親等にとっては考えるべきものであり参考になるが、社会問題として捉え解決していこうとすると、親に問題があった場合に解決策を失うことになりかねず、危険。
学校に行かなくてもよいという意見:憲法第二十六条第二項の改正が必要。
報道規制が必要だという意見:報道がなければいじめ問題はクローズアップさえできなかった。また言論の自由は守らなければならない。
19のHONMA9691さんと同じく加害者が一番悪いが、ただいかにいじめを発見するかという対策には結びつかない。
私が考える解決策は、児童本人が学校やクラスを選択し易くすること。常に少なくとも4~5くらいは選択肢を確保してやり、受講クラスの自主変更を日常の風景にしておくこと。そりゃ複数の人間を流動性の無い閉鎖的コミュニティに長期間閉じ込めたら、クリティカルな諍いが起こらないわけが無いと思う。
回答有り難うございます。
「学校に行かなくてもよいという意見:憲法第二十六条第二項の改正が必要」という指摘、その通りです。その条文がある限り保護者は子供に対して「学校に行きなさいよ」といわなければならない、ということでしょうか?(間違ってたら指摘下さい)。
だったら、近所のおっちゃんや親戚のおじさんとかが、「学校に行かなくてもいい、という考え方もある」みたいなアドバイスをする、というのはどうでしょう?
「そりゃ複数の人間を流動性の無い閉鎖的コミュニティに長期間閉じ込めたら、クリティカルな諍いが起こらないわけが無いと思う」、そのとおりだと思います。
「私が考える解決策は、児童本人が学校やクラスを選択し易くすること」、その方向性が重要だと思いますが、中山間地域等では学校やクラスを選択する、ということは非現実的ではないでしょうか?余談ですが、僕は小・中学校とクラスメイトは6人でずっと同じ面々でした。先輩や同級生にいじめられて辛かったこともありますが、仲間もいたからやってこれたなぁ。
学級担任制をなくせばいい。
慣れるから教師をなめる。
常に違う顔ぶれなら多少はいじめも減るでしょう。
回答、ありがとうございます。
教師をなめる、ということと虐めの関係性が理解しづらいのですが、"怖い大人"がいじめの抑止力につながる、ということなのでしょうか?
学級担任制をやめて、教科担任制にすればよい、ということでしょうか?
私は小中学生の頃、いじめに遭っていました。
経験者として回答させていただきます。(現在高校生です)
私が小学生の頃、クラスで3人の女の子がいじめられていました。
1人は私、もう1人は私の幼なじみ、
残りのもう一人は、軽い発達障害のある子でした。
そして3人ともお互いに仲がよかったため、
「袋だたき」の状態でした。
クラスの担任は、「そんなこと気にしない方がいい」と言い続けました。
私の親も同じでした。
しかし、自分が気にしなくてもいじめはエスカレートしました。
小学校5年生の頃には、夏休みの工作で作った
ポケモンのフェルト人形が盗まれました。
そのときも先生は「ちょっとクラスの人に聞いてみるから、○○(本名)さんはあまり気にしないでね。」とのことでした。
結局、フェルト人形はほこりまみれで見つかったわけですが、
私はどうも、先生や親が信用できませんでした。
私事で申し訳ないのですが、
私の結論といたしましては、
「親や教師が「気にするな」と言うような姿勢を直す」
ということだと思います。
いじめられている本人が気にしていなくても
ほかの相手が気になるようだと、標的にされてしまいます。
そして、いじめられている子供とその保護者、
学校の教師といじめている側の保護者がしっかりと連携を取らないと
いじめはなくならないと思います。
「気にするな」の一言で済ませてはいけないことが、私の意見です。
長文になりましたことをお詫びします。
回答、ありがとうございます。
長文で回答下さったことに感謝します。
『「気にするな」の一言で済ませてはいけないことが、私の意見です』という意見、貴重な意見として受け止めます。いじめから、どうやって抜け出しましたか?(あるいは、高校生になって新しい環境になったところで自然といじめがなくなったのでしょうか?)
先生(または専門のカウンセラー)と生徒との2者面談をして悩みをカウンセリングする。
親を含めた3者面談では、生徒の悩みはなかなか出てきにくいと思います。
生徒の方も、悩みを相談できることで少し気が楽になるという効果もあるかもしれません。
そしていじめられていることがわかったら先生が親に通知し、そこからは親と子で解決すべきだと思います。
回答、ありがとうございます。
「親を含めた3者面談では、生徒の悩みはなかなか出てきにくいと思います」という意見、僕もそう思います。もしかすると先生に対しても話づらい児童/生徒がいるかもしれませんね。
25のコメントに対する返答です。
高校に入学して、いじめていた男子と離れたため
その後は心機一転、元気に過ごしています。
再び回答、ありがとうございます。
当たり前のことですが、いじめる側の子といじめられる子が離れれば、いじめはなくなるのですね。
わが子には
生きてるだけでいいからね!と、伝える。
学校に言ってなくても勉強ができなくても、いきてるだけでいい。
体を壊したり、死ぬ思いしてしなければいけない勉強って?だしし、
死ぬより大事な学校ではないので。
↑上にあった人と同じ意見ですね(^_^)
イジメられたらイジメかえすことを教える事!
日本の家庭や学校の一部分は、
昔の日本の常識は通用しないのである。
外国人も増え、日本人同士でも意味が通じないような
言葉を使っている人がいる。
家庭や親、学校や教師の人間としての出来具合は、
未成年者にとって人生を左右することなのであるが、
最終的には、親や教師に頼っているかぎり解決しない。
イジメられたらイジメかえすことを教えなさい。
親から行儀をひどく叱られたり、教師から
日本人としての礼儀作法や道徳を正しく
教えられたことがない未成年者は
自分自身の体験から生きていく術を身につけていくことです。
イジメかえすときに程度がわからなくて、
ダメージを与えすぎるかもしれないが
それはやむおえない。
現在の一部分の家庭や学校に依存している限り
解決しない。
私の父親は教師でした。
子供の頃から私の意志に関係なく大学に行くことが決められていて、勉強以外の何もかも奪われていました。
少しでも反抗すれば「じゃあ飯を食わねえぞ」と脅かします。
成績が少し下がったり、電気を消し忘れたり、ご飯をこぼしたりといった些細なことで、悪魔のような形相をして思い切りの強さで殴ります。
暴言や暴力だけででしか子供を従わせることができないのです。
家族団らんなどしたことは1度としてありません。
こんな状況ですから、私は内気な性格になり、酷いいじめにあいました。
小学校のとき、私がいじめられて泣いて帰ってくると、父は無理やりいじめた子の名前を聞き出して、何とその子の家に果物を持って行き、
「どうかいじめないでください」
ということをしました。
私の周りからは人がいなくなりました。
あまりにも大学、大学というものだから
「何で大学に絶対行かなきゃいけないの?」
と聞くと
「俺は大学でていない奴は人間と思わない」
と言いました。
父の兄弟は2人いますけど、大卒ではありません。
つまり「自分の兄弟は人間ではない」と言ったようなものです。
こんな人間が教師になることが許されるのなら、いじめは絶対になくならないと思います。
当時、教育学部に進学して先生になった者は「でもしか先生」と呼ばれていました。こんな言葉は死語かな? 差し向き就職するのもいやだから、先生に ”でも”なろうか。あまり成績が良くないから先生に”しか”なれないかな。 こんな感じでした。当時の先生になる人たちの気持ちを良く表した言葉だったと記憶しています。
いじめられていて学校に行くのが死ぬほど嫌な人は学校に行かなかったらいいと思います。勉強なんて自分ですればいいし、塾とか家庭教師やフリースクールに行けばいいと思います。今の時代、ツールはいっぱいあります。両親は子供のことをいつも気にかけてあげる必要がある。少しでも変わった行動があるなら、質問して頻繁にコミュニケーションを取らなければならないと思います。当たり前のことを当たり前にできる親子関係が一番強いと思います。自分の子供がいじめられているとわかったら、子供に逃げてもいいと教えてあげるべきです。いじめを受けて自殺を考える人はすごく真面目な方であると思います。絶対に学校に毎日通わないといけないと考えているように感じます。親は子供に不真面目になれと言うべきでしょう。頑張らないでいいと声を掛けてあげるべきです。実際、学校なんて行かなくてもどうにかなる。子供の価値観を変えてあげるべきです。学校の対応は官僚的で人間味がないと感じます。私は学校を変えるには競争原理を入れるべきと思います。官僚的体質を変えるには競争です。競争原理を導入して学校の評価を社会・親・生徒に委ねるべきです。いじめを放置する学校・隠す学校は自然と淘汰されるでしょう。競争原理を導入する際、学歴社会主義にならぬように、スポーツに強い学校・芸術が学べる学校など評価の尺度を複数持つべきです。大学進学率や偏差値だけの画一的な尺度だけで測ってはならないと思います。学歴社会の時代はもう終わりました。古い価値観は捨てるべきと思います。
子供が小さいときから、ちょっとしたことで子供達の世界に大人が踏み込みすぎるため、子供達の自治能力が低下してしまった、と感じています。
子供達には子供達の世界があり、そこには何かしらの秩序やルールが自然とできています(大人から見ると理不尽なルールですが)。
私が子供の時は、子供の世界に大人はめったに介入してきませんでした。大人は大人で見て見ぬふりをしてくれていて、行きすぎたときにだけ、ガツンっとやられてました。子供は大人が介入してきたときは「これは大変な事態だ」という感覚がみんなにありました。
ですから、介入される前に何とか収めようと無意識的に歯止めが効いていたと思います。
自分たちで解決する訓練をしながら中学生になると、いじめが行きすぎると、周りで見ていた誰かが止めに入ったりするようになっていたと思います。今の子は訓練されていない結果、自分たちで解決しなければいけない、という意識が薄いのでは。
小学校卒業くらいまでは、大人は口出しするのをグッと我慢するチカラが必要だと思います。「見守る」ということをもっと意識すべきです。
しかし、そういった訓練をされていない今の中学生たちには、とにかく逃げ場がある、ということを伝えていくしかないのかな、と思っています。
以上、グチっぽくなってしまいました。
回答、ありがとうございます。
「学級崩壊を招いている生徒の親に限って保護者会などに出席しないといった実例も報告されているみたいですし。」、興味深いです。