大学浪人時代の志望校を決めるとき。
当時付き合っていた人が行くという理由で志望校を決めてしまった自分に言いたいです。
「自分の行きたい大学は、自分の将来を考えて自分の意思で決め他方がいいんだよ。彼にはすぐに捨てられちゃうよ。」
turning point→今
上司と衝突し、年収を150万円程度下げられたため、転職。
結果として年収が500万円→実質350万円増加したので良しと言える。強いて言えば、もっと早く大幅減収を食らっていれば、早い時期から大幅年収増が享受できた。
専門学校進学のとき
誰でもいいから
「専門学校は技術は学べるけど、学歴があったほうが他の仕事に就きたい時につぶしがきくよ」
と言ってほしい
専門学校で、確かに技術は身に付いて手に職もついたけど
その職種以外の業種に就きたいと思ったら「大卒」が条件で
応募すらできないことがあったから
26歳の時の他県への引越し。
友達が沢山いて仕事も生活も何もかもうまくいっていた為に自分に自信があり、どこへ行っても一人でやっていけると思い込み遠く離れた他県へ引っ越しました。
あれから5年。何をやってもうまくいかず、見知らぬ土地で気の合う友達もなかなかできず苦しんでおります。
26歳のあの時に戻って、親友の体を借りて「うぬぼれるな!友達や家族あってのあなたでしょ!何でも一人でやってきたと思うな!」と教えてあげたい。きっと親友の言葉なら信じたでしょう。というか、本当はそう言ってほしかった。
今ではどうにもならない願いですが・・・
当時の彼女が、ある相談をしようとしたとき。
どうも自分は上の空で全く聞いてなかったらしく、それが別れの発端になった。
当時の彼女に「ちゃんと聞いてよ!」と言わせると、その後の人生は劇的に変わっていたと思います。良いか悪いか別にして。
その彼女と結婚してたかどうかはわかりませんが、今の嫁さんとは
出会わなかったでしょう。
初めて興味を持った音楽のジャンルがアイドルソングだったこと。今思えばそれがすべての始まりなわけで。いまさら後悔もしていないけれど別の道があることも伝えられたら(笑)
わたしが中学生のときにもともと住んでいたところから年をとった祖父の面倒を見るために家族で相談した結果、父の実家へみんなで引っ越すことを決めました。
しかし、田舎暮らしにはなじめず祖父母とも仲違いして最終的には別居することになり、最初の目的が果たせませんでした。
こうなることがわかっていればもともと住んでいた場所にそのままいた方が家族全員知人も多かったですし生活もそれなりに幸せでした。祖父母とも仲違いすることもなかったと思います。
なのでその頃に戻って田舎に行ってもいいことはないし苦労するだけだよ、とアドバイスして欲しいです。
それは1999年12月7日のことだった。(その時歴史が動いた?)
時は、草木も眠る丑三つ時。
場所は某大学東広島Cの、大学構内から市道へと出るT字路の交差点。Kはいつものように、少しガタが来ている○産の車を走らせ、交差点へと進入した。
その時、いつもはマナーモードにしているはずの携帯電話が不意に鳴った。驚いて、右手から時速100km以上で突っ込んでくる対向車に気付くのがホンの一瞬遅れた。
あとは、一面の闇が彼をつつむだけだった。
(続く ホンマか?)
中学2年生ちょうど14歳くらいだと思います。
ある悲しい出来事があってから性格が変わってしまいました。
ものすごい変わりようではないですが、
今考えるとあの頃を境に変わってしまったんだと思います。
アドバイスは、これから先のことを考えて行動しろと説教したいです。
10年近く前の満月の夜。
大学の部室で、友達の体を借りて「気になる人には勇気を持って声をかけること」とアドバイスし、部室の前で偶然出会った後輩と結婚するという、その後の現実の後押しをする。
共産党の議員であれば、必ず貧乏人の味方だと思って、その店子になったこと。
自分に言うアドバイスは、甘えるな!たいていの人は自分のことで手一杯。立場がらみの同情を期待するな。
一回目は大学に入った一週間後。
高円寺の百人も入らないような小さな劇場にお芝居を見につれていかれた時。
おかげさまですっかり演劇にはまり、今ではその世界で生きていくようになってしまいました。
二回目は28歳。
仕事もプライベートもなにもかもお芝居中心の生活に疲れきってしまい、なにかまったく関係のないことをしたいと思った時に出会ってしまったのが帆船での航海。
猛烈にはまってしまい、帆船に乗るために外国まで出かけたり、帆船のレースに参加したり、航海記を書いたら賞をもらったりとか、いろいろめずらしい経験をさせてもらいました。
高校へ進学するとき。
「みんながするから、まわりの目がきになるから、将来が不安定な職業だからと気にせず自分の気持ちに正直に、やりたいことを正直にやってみて。」
小学生の頃、孤立していたクラスのある人に
優しくしたのをきっかけに、その人の成績が良くなった
ような気がしました。
次のテストが終わりその人に
「○○(私の名前)のおかげで、やる気が出てきたんだ
ありがとう○○」
と言われ、もの凄く嬉しくなりました。
この件がなければ、今の自分の性格は有り得ません。
いつがあなたの人生 or 運命の分かれ目(ターニングポイント)でしたか?
それは騙される前でした。
もしターニングポイントにさしかかる前の自分に、親や友達など他人の体を使って、アドバイスや何か行えるとしたら、何を言いますか?
「よくあることよ。世間はそんなに甘くないの!」
高校の頃、待ち合わせに遅れてきた相手をあと10分待ちきれずにその後、微妙な関係になってしまったこと。通りがかりの人になって帰ろうとする自分を邪魔したい。
大好きだった彼浮気がばれて、好きなのに付き合うのやめてしまった自分
(回答)
ゆるしてくれ、本当にすきなのはお前だけだ 結婚しよう~
バーで隣あわせになったその日初めて会った男性と名刺を交換したこと。ちなみにその男性は現在の夫です。
「このまま私、こんなところで1人で酒ばかり飲んでいて果たしていいのだろうか…」という直前の私に、酒の神様に成り代わって「いいんです!」とカヴィラ・Jばりに。
大学の部活動・サークル選び。最初に入ったが、予算の関係などで、すぐにやめてしまった。そのため、友人はできなかった。もう少し、自分の小遣いと相談して決めるべきだったと思う。
ほかにも小さなターニングポイントはあるように思うが、聞いておけばよかったと思う助言をしてくれた人もいたので、いまさらどうにかしてみたいと思うようなポイントはないです。結局、聞かなかっただろうな、と思う。
そういうことが出来るとしたら、2回したいです。
1度目は高校1年の自分へ。
部活帰りの交通事故で手術したりといった大変な目に遭ったので、先輩か先生の体を使って、「居残っていないで早くまっすぐ家へ帰れ」と言いたいです。
2度目は愛していた人との別れを決意した頃の自分へ。
私からきちんとした決別をしなければならなかったのに、言うのが怖くて自分から姿を消してしまったので、彼の体を借りて別れを伝える。それがあったら、私も一度もいえなかった想いを伝えて、すっきり出来たと思うから。
出来るものならしたいですね。
1度目のことは、その事故があったので今の自分があるので事故を回避したい気もありつつ、いいかなと思えるけれど、2度目のは、未だに引きずっていることなので、少し後悔しています。
志望した職種に就けて、意気揚々と過ごしていた10年前。
上司に呼ばれて、「きみ、パソコン得意なんだって?」と聞かれ、うっかり「はい!」と言ってしまう。
その後、志望した職種から離れ、その上司に呼ばれてシステム畑へ。当初は2年の約束で元の職種に戻れるはずだった。
しかし、システム導入の遅れの責任を取らされ、その上司は早期退社。私は今更もとの職種にも戻れず、現在に至る。
てめー、俺の人生変えたまま、退職すんじゃねー!
自分に言いたいのは、「できるからって、色々ひけらかすのはやめよう!」ということですかね~
高校生時代に学校の先生を好きになった時。
「アナタ以外の人とも関係を持っているぞ。絶対やめたほうがいい」
と言って絶対好きになるのを阻止したい。
一時期、コレのおかげで親友との仲やら精神状態やらをめちゃくちゃにされたので・・・。
2002年4月、当時働いていた職場の退職を迷っていたとき。
当時の仕事が嫌だというだけで無理やり理由を作って辞めてしまったから。
今は別の職場で働いていますが、前の職場の良さが今となっては分かります。
折角の友人の意見も聞かないで自分の考えだけで突っ走ってしまったので、未来の自分が出て行って「それだけの理由で今辞めたら絶対後悔する」
と言ってやりたかったです。
去年、カラダを壊して、仕事を休んだときが
ターニングポイントだったように思います。
「とにかく、休め!」って、アドバイスをしたいって
思います。そうすれば、もう少し、事態は重くならずに、
済んだように思うので。
ありがとうございました。コメントは最後にまとめます。