実はこれは結構面倒な問題です。というのは、大まかに言って、
とする説と、
とする説、二通りあり、時代が古くなれば古くなるほどそれを決定することは難しいから。……というのが、遥か昔に睡眠学習させてもらった日本語論の授業で語られていたはずですが、そのへんのことは専門的にやったわけでもないし記憶も正直信用できるか怪しいので識者に任せるとします。
個人的に支持しているのは上の考え方で、その根拠として、富士正晴(1913-1987)という詩人作家が短いエッセイで次のように書いているのを挙げさせてもらいます。
万葉集のころには随分いろいろな音があったらしい。学者でないからはっきりしたことは知らないが、そういう風に聞いている。
今から三十五、六年前のわたしの浪人時代、予備校でならった国語教師は一つの信念からだろう、日本文をその字の通り発音して教えた。(中略)
「蒼空」はAWOZORAであり、「は」はHAであり、「静かな」は文字どおり「しづかな」で「しずかな」とまぎれない発音(今も土佐の人はこれを発音できる)であり、「へ」はHEであり、「だらう」はDARAUである。ほかの例でいえば蝶はTEFUである。「やう」と「よう」もちゃんとYAU、YOUであった。「峠」はTAUGE。
わたしはこの教師のことを忘れていたが、旧仮名づかい、新仮名づかいの争いが国語審議会であり、多くの有力な文士が、旧仮名づかいを支持しつづけて今に至っているのを思う時に、すぐにこの人を思い出す。旧仮名づかい(歴史的仮名づかい)を固執するのは、たしかに文士としての一つの信念からであろう。しかし、それなら、もう一歩さかのぼって、この国語教師のごとく、その文字どおりの歴史的発音も固執してくれないのだろうか。そうすれば、日本語の音の数がふえ、言葉の音の変化が実に豊富になりはしまいか。
(中略)
日本語というと、どうも書かれた日本語のほうに気がゆくが、考えてみれば語は喋るものであるということが基本であるようだ。つまりは音である。となるとやはり、音は豊富な方がやはりいいような気がする。その点で、共通語などというものより、わたしは関西弁にやはり心がひかれる。また「ちょうちょう」より「てふてふ」に心ひかれる。まさしくあれはTEFU、TEFUとそこらあたりを飛んでいる。
富士正晴「日本語について」
この文章は1969年のもの。引用ネタAmazon.co.jp: 富士正晴作品集〈3〉: 富士 正晴: 本。引用の誤字脱字など文責は引用者にあります。もしあったらすいません(先に謝る)。
単純に、エッセイが面白いから支持する、というのも自分でどうかと思わずともありませんが、過去――つまり新仮名論争が起こる遥か以前(起こったころには既に、発音が現在のように変化していたので、書き言葉をそれに準じたものにしよう、ということで出てきたわけですから)には、書かれていた通りに発音されていたこともあったと見るのが妥当なのではないかな、と素人考えには思ってしまうわけです。
というわけで(ここまでが壮大な前置きだった)、どちらでも好きなほうで読んで構わないと思いますよ。中学高校では「だろう」と読まないとたぶん怒られますが、大学以降特に国文系であれば(よほど持説を固持して他は許さないという人間を除いて)その程度のバラつきは個人差として認めてもらえるものと思いますし、個人で読むなら黙読するのと同じくどう読もうと自由です。聴く相手がいるなら、相手の年齢などを考慮すると良いかもしれません。
と、他の方にくらべ長々と駄文を弄してすいません。こっちの読み方もありだよ、くらいにとらえていただければ幸いです。
・「だらう」と書いて「だろう(ダロー)」と読みます。
・参考1:http://www.asahi-net.or.jp/~ez3k-msym/charsets/m330821.txt ・・・ これは明治30年に、「從來用ヒ來レル字音假名遣」で「やう よう 江う」がいずれも「よー」と読まれることを示しています。
・参考2:http://xembho.port5.com/siryoo/naikaku_kunrei_d3g_tategaki.h... ・・・昭和12年のローマ字表ですが、ここに kin-yobi (正しくはoの上に長音の横棒記号)があります。金曜日は「きんやうび」です。
なるほど。端的でうつくしい回答ありがとうございます。参考1はこれから役立てたいです。
結局、現代仮名遣い「だろう」と、正仮名遣い「だらう」は、発音上ちがいがないということなのでしょうか。
私は”なんとなく”「だろう」と読んでいましたが、一律に全ての単語にそれが当てはまるわけではないようです。
当てはまったら、苦労しないのになあ(笑)。でも、堅苦しいことばになりそうだ。
sum
sum
って、これじゃぁ何だかわかりまへんなぁ。
英語には、「あ」と「お」の中間の発音というものが存在します。
dummy http://www.kt.rim.or.jp/~s_aoki/english/text2pron/t2p/t2p.cg...
わかりまへんなぁ(笑)。
実はこれは結構面倒な問題です。というのは、大まかに言って、
とする説と、
とする説、二通りあり、時代が古くなれば古くなるほどそれを決定することは難しいから。……というのが、遥か昔に睡眠学習させてもらった日本語論の授業で語られていたはずですが、そのへんのことは専門的にやったわけでもないし記憶も正直信用できるか怪しいので識者に任せるとします。
個人的に支持しているのは上の考え方で、その根拠として、富士正晴(1913-1987)という詩人作家が短いエッセイで次のように書いているのを挙げさせてもらいます。
万葉集のころには随分いろいろな音があったらしい。学者でないからはっきりしたことは知らないが、そういう風に聞いている。
今から三十五、六年前のわたしの浪人時代、予備校でならった国語教師は一つの信念からだろう、日本文をその字の通り発音して教えた。(中略)
「蒼空」はAWOZORAであり、「は」はHAであり、「静かな」は文字どおり「しづかな」で「しずかな」とまぎれない発音(今も土佐の人はこれを発音できる)であり、「へ」はHEであり、「だらう」はDARAUである。ほかの例でいえば蝶はTEFUである。「やう」と「よう」もちゃんとYAU、YOUであった。「峠」はTAUGE。
わたしはこの教師のことを忘れていたが、旧仮名づかい、新仮名づかいの争いが国語審議会であり、多くの有力な文士が、旧仮名づかいを支持しつづけて今に至っているのを思う時に、すぐにこの人を思い出す。旧仮名づかい(歴史的仮名づかい)を固執するのは、たしかに文士としての一つの信念からであろう。しかし、それなら、もう一歩さかのぼって、この国語教師のごとく、その文字どおりの歴史的発音も固執してくれないのだろうか。そうすれば、日本語の音の数がふえ、言葉の音の変化が実に豊富になりはしまいか。
(中略)
日本語というと、どうも書かれた日本語のほうに気がゆくが、考えてみれば語は喋るものであるということが基本であるようだ。つまりは音である。となるとやはり、音は豊富な方がやはりいいような気がする。その点で、共通語などというものより、わたしは関西弁にやはり心がひかれる。また「ちょうちょう」より「てふてふ」に心ひかれる。まさしくあれはTEFU、TEFUとそこらあたりを飛んでいる。
富士正晴「日本語について」
この文章は1969年のもの。引用ネタAmazon.co.jp: 富士正晴作品集〈3〉: 富士 正晴: 本。引用の誤字脱字など文責は引用者にあります。もしあったらすいません(先に謝る)。
単純に、エッセイが面白いから支持する、というのも自分でどうかと思わずともありませんが、過去――つまり新仮名論争が起こる遥か以前(起こったころには既に、発音が現在のように変化していたので、書き言葉をそれに準じたものにしよう、ということで出てきたわけですから)には、書かれていた通りに発音されていたこともあったと見るのが妥当なのではないかな、と素人考えには思ってしまうわけです。
というわけで(ここまでが壮大な前置きだった)、どちらでも好きなほうで読んで構わないと思いますよ。中学高校では「だろう」と読まないとたぶん怒られますが、大学以降特に国文系であれば(よほど持説を固持して他は許さないという人間を除いて)その程度のバラつきは個人差として認めてもらえるものと思いますし、個人で読むなら黙読するのと同じくどう読もうと自由です。聴く相手がいるなら、相手の年齢などを考慮すると良いかもしれません。
と、他の方にくらべ長々と駄文を弄してすいません。こっちの読み方もありだよ、くらいにとらえていただければ幸いです。
うん、長かった(笑)。でも内容はよかった。
「ちようど」「だつた」は『ちょうど』『だった』と声に出したいので後者を支持したいところだが、前者も捨てがたいなあ。楽っちゃあ、楽だ。
その人の趣味が尊重されるべきだ。うん。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/SeikanaHayawakari....
読み方の基本として、AU(エーユー)はO-(オー)に変わると教わりました。
だらう:darau → daro-:だろー(だろう)
書き方は「だらう」ですが、読み方は(当時でも)「だろう」だったはずです。
ドイツ語みたいな話。でも最初ぐらいはだらうだらうと声に出していたのではなかろうか。
こういうのは大学で習うのであろうか。中高と古文の授業はたいてい寝ていたので記憶にない。
いままでの回答者の文章を読むと、そうそう単純な話とは思えませんけどね、ぼくは。
表記と音、というのは難しい問題ですよね。
教科書的には、多分中学か高校の文法の時間に、音便について学習したと思います。
au->ou
eu->you
iu->yuu
ui->oi
とか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E4%BE%BF
口語音韻の変遷はきちんと研究すれば修士論文博士論文になると思います。ちなみに三河方言には『~だら』があります。
で、「お好きな方で」に一票。
むづかしいよねえ(笑)。
小学校から文法の授業は寝ていたので、音便はさっぱりさっぱりです。
三河ことばといえば、「はよしりん」(はやくしなさい)。毎朝おかんに言われた。
さよでっか。ほな解説。
オシム監督は、Ivica Osim だから、
イビチャ・オシムではなく、
イヴィチャ・オスィム と書く方が、原語での発音に近い。
この場合、英語のsumは、サムではなく、
ソァム、と書いた方がいうことです。
オとアの中間だ、ってこと。
もう寝ます。
dummy http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%81%E3%...
おやすみなさい。
うん、長かった(笑)。でも内容はよかった。
「ちようど」「だつた」は『ちょうど』『だった』と声に出したいので後者を支持したいところだが、前者も捨てがたいなあ。楽っちゃあ、楽だ。
その人の趣味が尊重されるべきだ。うん。