例えば、19xx頃、パリのなんとか通りに画家がいっぱい住んでいた。とか。
かたまっている理由もわかれば、尚いいです。
新しき村
武者小路実篤:主宰
人道主義的理想の実現を意図し、大正7年(1918)宮崎県児湯(こゆ)郡木城(きじょう)村に設けた農業共同体です。
埼玉県入間(いるま)郡毛呂山(もろやま)町に移転、今も続く...(驚き!)
ほう。知りませんでした。
ありがとうございます。
フランスのモンパルナスは有名ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%A...
日本のモンパルナスです。
ありがとうございます。
「日本のモンパルナス」とか「池袋モンパルナス」とか言ってる時点で、芸術家は敬遠しそうですね。
1990年代に、安価な家賃と広いスペースを求めて、アーチストたちが移り住んだ芸術家の街。ブルックリン・スタイルは、その芸術家たちの間で生まれてきたものです。
絵になる農村風景が(パリ改造後も)あったために芸術家たちが移り住んだようです。
セーヌ川の反対側の地区・モンマルトルと同様、モンパルナスは20世紀前半、世界の芸術家の集う地として有名になった。特に第一次世界大戦後の開放感と好景気で浮かれた狂乱の時代(Années Folles)といわれる1920年代、モンパルナスはパリの知識人・芸術家の生活の中心となっている。1910年ごろから、パリの芸術家のサークルは、印象派など前の世代の芸術家たちの揺籃の地であったが観光地や高級住宅街となってしまったモンマルトルから、次第に家賃の安いモンパルナスに移動した。
ありがとうございます。
http://fussa.tv/fussatv_pc/news/gogo/gogo4.html
http://www.tachikawaonline.jp/walk/fussa.htm
http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2004/437.html
東京都福生市、米軍横田基地周辺。
基地周辺の払い下げの「米軍ハウス」には、
画家、小説家、音楽家、etc.
かつて様々なアーティストたちが住んでいました。
桑田圭介、忌野清志郎、大滝詠一、そして山田詠美。
村上龍の小説「限りなく透明に近いブルー」で描かれた街も、この福生です。
米軍基地という非日本的特殊空間。
そして安く住める払い下げ住宅。
そんな環境が、金はないが夢だけは大きい若いアーティスト達を
惹き付けていったのでしょう。
http://fussa.underhead.jp/?eid=33016
Niagara Triangle Vol.1 30th Anniversary Edition
ウルフルズの「大阪ストラット」の元歌である「FUSSA STRUT」も
かつての大滝詠一の自宅だった米軍ハウスで収録されたものです。
今ではほとんど取り壊されてしまった「ハウス」ですが、
ちなみに大滝さんは今でも福生のハウスに住んでる僕の友人宅の近くに住んでいらっしゃるようです。
だそうです。
なるほど、ありがとうございます。
ニューヨーク・ソーホー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%B...
ニューヨーク・チェルシーホテル
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C1%A5%A7%A5%EB%A5%B7%A1%BC%A1%...
ドイツ・ダッハウ
http://www2.univcoop.or.jp/aaa/europe/peace/dachau.html
ナチスの強制収容所で有名になりましたが、以前は10人に1人が画家という芸術の町だったそうです。
なるほど、ありがとうございます。
では、モダン系で有名どころを数カ所ほど。
1960年代から90年代のニューヨークのソーホーやイーストビレッジなどのダウンタウン。
http://www.up-on.co.jp/HB_ny01.html
http://cinema.translocal.jp/books/nyjohokankyoron/index.html#2-3
1990年代までの「西」ベルリン。
2000年ぐらいまでのアムステルダム。
これらの場所に共通したことは「家賃が安いこと」でした。
1970年代までのニューヨークのダウンタウンは寂れ、治安も悪いところだったので家賃が安かったのです。そこにアーティストが移り住み待ちの治安が良くなり、ここ15年ではニューヨークでもいちばん繁栄した地域になりました。ソーホーはもともと工場地域で、建物は広く天井が高かったので美術系のアーティストが多く移り住み、イーストビレッジは住宅地でしたのでより色々な種類のアーティストが移り住みました。しかし、地域の状態が良くなるにつれ人の定住や再開発が進むなどして家賃が高騰し、アーティストが住めなくなっています。
http://newyorkmetro.com/news/intelligencer/16738/
http://yousworld.com/ny/htm/shoe9.htm
アーティストの移転先としてブルックリンのGreen PointやWilliamsburgなどがありましたが、そこでも歴史が繰り返され家賃の高騰が起こっています。
東西ドイツ分断時代の西ベルリンは陸の孤島として存在していて、80年代でも第二次大戦の傷跡が町中に散見される状態がありました。そういったあまり快適とは言えない家が多くあり、また、栄華を誇ったかつての首都(今も首都に返り咲きましたが)の建物は部屋が広く、安い家賃と相まってアーティストには良い条件でした。街のキャパに対して人口は少なく、政府は人口を引き留め&増加させようとさまざまな振興策をしていましたが、その一つにアートの奨励があり、連邦政府やベルリン市によるさまざまなアーティストや芸術専攻の学生、アート系のいわゆるNPOなどに補助金などが出され、公共施設も充実していたのもその一因です。東西ドイツ最統一後は一時期家賃が高騰しましたが、それを期にアーティストは旧東ベルリン地域に移転しました。
オランダは高福祉国として知られていますが、国策の一つとして芸術を通して社会生活を豊かにすると言うのがあり(かつてオフィシャルの国家紀要にあります)、ベルリンと同様の助成が為されていました。また、長らく低成長の経済下にあり、その時代には政府による強力な低家賃政策がとられていたので、アーティストにとっては住みやすいところでした。2000年以降オランダ経済はバブル状態を迎えており、それに伴って家賃も高騰し他の地に移り住むアーティストも増えているようです。
以上、コピペではなくオリジナルでお届けしました。
わかりやすい解説、ありがとうございます。
ゴッホとゴーギャンは昔、共同生活をしてました。
http://www.moonage.info/entertainer/lovers/gauguin&gogh.html
ありがとうございます。
おお、ありがとうございます。
意外と言うと怒られそうですが浦和もそうらしいです。1930年代から50年代にかけて様々な人がアトリエを構えていたようで、「浦和アトリエ村」と呼ばれることもあったそうです。日経新聞の日曜朝刊に掲載される「美の美」でも、4月か5月に紹介されていました。
http://www.uam.urawa.saitama.jp/collection.htm
風景画の高田誠さん
http://www.pref.saitama.lg.jp/A02/BP00/ijin/03.html
洋画家の寺内萬治郎
http://www.pref.saitama.lg.jp/A02/BP00/ijin/07.html
前衛画家の瑛九さん
へー、ありがとうございます。
こんにちは。
http://www.fukuokabrand.com/comp_report_page/no_098.html
私は直接 行ったわけではないのですが、
北九州の門司では芸術家を集めて支援する施設があるみたいです。
なるほど、ありがとうございます。
富山南砺市(特に旧井波町周辺)には木彫刻技術者が300人以上在住しており、
伝統工芸士のほか、日展など展覧会に出品している人も多数います。
起源は「江戸時代。大きな寺の再建のため京都から着た職人が居着いた」なのですが、
では「何故何百年もここに居着いたのか」は……昔からそうだから、としか答えられません。
ありがとうございます。
なるほど、ありがとうございます。