1.痛みや苦しみ
2.親しい人たちとの別れ
3.“自分”がなくなること
宗教の信者の人・来世や輪廻転生があると考えている人・死ぬのが怖くない人は回答をご遠慮ください。
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Peu par peu,lent. - 楽天ブログ(Blog)
・財産を失うこと
・おいしいものを食べれなくなること
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人力検索はてな - あなたの「死ぬのが怖い理由」の主なものが、下記3つ以外であれば教えてください。 1.痛みや苦しみ 2.親しい人たちとの別れ 3.“自分”がなくなること 宗教の信者の人・来..
冗談抜きで「まだ死んだことが無いから」。なにしろ死んだあとどうなるかについてあやふやな伝聞と推測と希望的観測以上の情報が無いものですから。つまりは未知への恐怖です。こればかりは未知へのワクワクはありません。
参考になります。しかしなぜ「未知」が「恐怖」なのでしょうか。
ほんとうに「未知」なら「なんとも言えない」になりそうな気がします。
それを“怖い”側に傾けている理由がなにかあると思うのですが、それはなんでしょう。
死ぬと人間はどうなるのかまだわかっていないからです。
死後の世界があると言われていたり、ただの無と言われていたりで、
確かではないので不安です。
あと、まだやりたいことがあることも理由の一つです。
上の方と同じ感じですね。
「やりたいことがある」は、理由の3番に含まれると考えられます。
これからの、身のまわりや世界の未来が見てみたいという「好奇心」。
生きている限り面白いことはあるはず、という根拠のない「希望」。
恋やセックスがしたいという「本能」。
将来豪遊してみたいという「欲望」。
今まで世話になったまわりに多少なりとも迷惑がかかるだろうという「責任感」。
「怖い理由」をお訊ねしているのですが、セックスができないのが怖いですか。
(セックスができないのが恐怖でしたらすみません)
Yahoo! JAPAN
2つあります。
1つは自分の残したものが他人に触られることです。
日記や財産などはありませんが、日々生活していて何気なくおいたものや、過去の大切な思い出のものを自分以外に触られたくない場合があります。
特に身内や配偶者や親友に秘密にしてあるものもあり、死後にそういったものが知られたり触れられるのはとてもいやです。
今のうちに処分できたら良いのですが、まだいつ死ぬのか分からないのに、残っている人生にそれらがないのも不安なのです。
死ぬまであと○日と分かれば、ある程度割り切って処分できるのでしょうが。
1つは死後どうなるかわからないからです。
死ねは無になる・転生する・・などさまざまな考え方があるようですが、誰かがそれを体験しているわけでもなく(体験したという人はいますが、証拠がないものを信じられません。否定もできませんが)、どうなるのかわからないものはやはりとても怖いです。
とても俗物に未練がましく、未知なる物に恐怖心を持つ私はこんな感じです。
なるほどー。わかります。1つ目の理由についてはわたしは諦めてしまいました。
旅の恥は掻き捨て気分?
2つ目は既出ですね。怖いと思うのはやはり「怖そうな噂」をよく耳にするせいでしょうか。
(楽しそう、って噂だといろいろマズいですよね)
Yahoo!
意識が無くなることです
このあとすぐに楽しい事、面白い事があるかもしれないと思うと寝る事すら躊躇してしまいます
もっといろんなことを体験したり、みたり聞いたりしたいので死ぬのは絶対嫌
全てにおいて達成感と満足を感じた時に、しんでもいいと思えるかもしれません
3番に含まれるかなぁ、と思います。
でも「寝る事すら躊躇」は、かなりイイと思いました。何がだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/死#.E4.BA.BA.E9.96.93.E3.81.AE.E6.AD.BB:detail]
↑ダミーです。
「腐るから、腐って醜くなってゆくから」
あとは、肉体が腐ってゆくだけ。という状態が、嫌悪感や恐怖感を生むように感じます。
だから、自分じゃなくても、死体の写真や、動物の死骸を見ると「腐ってぐちゃぐちゃに醜くなるかもしれない感じが怖い」という想いがするのではないかな。と私は思います。
蛇足ですが、老化が嫌なのも、朽ちて、醜悪になって、死に向かってゆく過程だから、嫌なのだと思います。
わかる……ような気もするのですが、自分の場合はなにか微妙に違うかも知れません。
「腐ってぐちゃぐちゃな死体」は確かに嫌ですが、それは死を連想させるというより、単に直接的に気持ち悪い、という感じ。
自分が死んだらおそらく腐る前に焼かれてしまうだろうし、
仮にそうでなくてどこかでゆっくり腐っていったとしてもあんまり気にならない気がします。
http://www.msn.co.jp/home.armx
MSN Japan
自分という意思が死んだあとになくなったら、今現在のその自分の意識はどこに行くのだろう?という疑問について考えているととても怖くなりますね。
それは3番に含まれると考えています。
(というか3番そのものです)
それは2番に含まれる、と考えています。
皆に忘れられてしまうことや、してあげたいことがもうできなくなること、将来に対する責任を果たせないこと。
そういったものもひっくるめて「親しい人たちとの別れ」と表現しました。
親兄弟が悲しむからですかねぇ。
まあ悲しむかどうかはわかりませんけど、後ろ指をさされるって感じが思い浮かびます。
自分がなくなることへの恐怖ってのはそれはありますけど、上記の理由というか、重しがなくなれば、死への障壁はかなり低くなっちゃうような予感がします。(予感ですいません)
この上の回答へのコメント同様、わたくし的には、
そのあたりのイロイロをまとめたのが「理由2」と考えている次第です。
まだ知りえない未知の物事や体験を抱えたまま死ぬのが怖いです。
私が私たり得る人生というのは、仮に其処に輪廻転生があったとしても
1度切りです。
その人生上で体験できることも同じように1度きりです。
それを知らないまま、経験することができないまま人生が終わってしまうのがイヤですね。
それはそもそも神ならぬ人の身を持ってしては叶えることが無理な希望なのではないでしょうか。
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パソコン 組立パーツ、PCパーツ OS Windows
まだ生きてきた人生を肯定できて無いから。死ぬときは「あーつまんない人生だったな」と思って終わりたくはないです。死ぬ瞬間に「あ、面白かったな」と思いたいのですが、今はそんな気分じゃないので今死ぬのは連ドラの最終回が見れなくてムズムズするような怖さ(そういう状況になるのが怖い)があります。
「死ぬ瞬間に後悔モードに入ってしまうこと」を想像するのは怖いですね。
逆に、それまでがどうであれ、暖かい部屋で、側にいて欲しい人が側にいてくれる状況で死ねるなら
「終わりよければすべてよし」になるかも知れません。
http://www.hatena.ne.jp/ダミー:detail]
上記以外で死が怖い理由としては、《可能性の喪失》を無意識に惜しんでいるのかもしれません。
生きていればあれがやれたかもしれない、これがやれたかもしれない、もしかしたら手に入ったかもしれない、素晴らしい体験が待っていたかもしれない――
そういった可能性を絶望的なまでに否定するのが自分が生きていられなく状態であり、自分にとっての死への恐怖のひとつかもしれません。
なんとなくですが、人の本能には自分が手に出来たかもしれないものを失うという状態に対する恐怖が本能的に備わっているのかもしれません。失敗を後悔したり、今手にしてる物よりそれ以上のものが欲しくなったり、あるいはギャンブルで負けが込むと逆に熱くなってのめり込むのは、喪失の恐怖によるのではないかと思います。
希望がなくなったら自殺するのも、生きていても可能性が0だと確信したなら、死を厭う気持ちも薄らいでむしろ現状の苦しみが消える分だけ死に救いすら見出すからかもしれない心境になるのかも。
可能性の喪失を惜しむ方は結構いらっしゃるようです。
最後の一文がなかなか難しいです。
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やりたいことができなくなるから死にたくないです。
この世には未練がいっぱいです。
3番。
ユーズド価格1円からのようです。
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3番ですね・・・・
今は色々考えたり、物に触れたりする事が普通ですが、死んでしまった後、自分がどうなってしまうのか、どこに行くのかなど考えると怖いです
解明されていない事ですし、具体的に「こうなります」というのがはっきりしていれば少しは怖くないかもしれません。
・下記3つ以外であれば教えてください。
・来世や輪廻転生があると考えている人は回答をご遠慮ください。
一方通行で戻ってこれないから。
死んでしまってから「ごめん!やっぱ、なし!もうちょっと生かしといて!」と言っても手遅れですし、「好物が食いたくなったから、生き返らせてくれ」と言ってもだめなわけです。
だから、死ぬのは怖いです。
だって、明日めちゃくちゃ美味い物が発売されるかもしれないじゃないですか。
ていうかアレですか。
みなさん質問文もそれまでの回答もあんまり読んでいらっしゃらない?
死別・悲しみ 生と死・考える
自分が今いなくなると後に残された小さなわが子は誰が立派な大人に育ててくれるか心配で今死ぬのは怖いです。
あとは今まで自分という人間がすべて火葬されて焼かれて灰になってしまうこと。
10番の回答へのコメント+理由3番あたり、です。
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Google 検索オプション
死後、散々に悪口を言われるのが怖い。
死んでしまえば気にならない、とも思うのですが「死人にくちなし」で好き勝手に言われる、または人の本音が出されると思うとそれだけで、胸が痛くなります。
なるほど。
しかし、別に今だって言われてると思うので、わたしは気にしないことにしています。
URLはダミーです。
「目的達成」をしていないことです。
人は、生きているうちに必ずいくつか“するべきこと(使命)”があると考えています。私の場合は、3つありますが・・・現在、どれも途上の段階だからです。逆に言えば、それらが達成できれば、いつ人生を終えても「恐怖」は感じないと思います!
“使命”がなんなのかちょっと気になりますが…。
がんばってください。
Yahoo!�ե����ʥ���
死ぬとどうなるかわからないじゃないですか。
まわりの(生きている)人間は誰も死ぬっていう
ことを経験してないから、どうなるか誰も分かりません。
だから漠然と怖いと感じます。
この怖さは、一回も行ったことのない
お化け屋敷に入る怖さに似ていると思います。
普段は漠然と怖いと考え、いざ死ぬということが
具体的に見えてきたら、お化け屋敷の怖さ以上に
怖くなるんだと思います。
しかし「どうなるかわからない」と言いつつ、みなさんなぜ怖い方に考えたがるんでしょうね。
聞くところによると酒池肉林らしい、というのはないのですか。
http://d.hatena.ne.jp/jyouseki/
jyouseki(定跡)の日記
酒好きの私は、酒が飲めなくなるのが何より怖いです。
死ぬとき苦しいのかどうかを今から心配するのは取り越し苦労と考えていますから怖くありません。
輪廻転生がもしあったとしても、記憶を消されて生まれ変るのなら、別人と同じだと思います。
自分が存在しなくなることに対しては怖いというよりは人生の儚さを感じます。
jyousekiさんはお酒が大好きでいらっしゃるとのこと、記憶しておきます。
取り越し苦労、というのは、よい考え方だとおもいました。
死を思うこと自体、そうなのかも知れません。
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Amazon.co.jp: 死の壁: 本: 養老 孟司
何の為に生まれてきたのかを理解できないうちはなぜ死んでゆくのかも理解できない。何もかも理解できないうちに死ぬのは怖い。
生まれてきた理由と死ぬ理由って、なにか関係があるんでしょうか?
自分にはなかった発想なので、参考にさせていただきます。
http://www.hatena.ne.jp/1137941096
人力検索はてな - あなたの「死ぬのが怖い理由」の主なものが、下記3つ以外であれば教えてください。 1.痛みや苦しみ 2.親しい人たちとの別れ 3.“自分”がなくなること 宗教の信者の人・来..
死んでしまった後、みんなの中から自分の存在が薄れていくことが一番寂しい…
死ぬ間際の、自分の意識がなくなる直前。今考えるとその瞬間が怖い。
薄れますね、確実に。そしてあなたのことを忘れた人たちもやがて死ぬ。だれもいなくなる。
眠ってる間に死ぬこともありますよ。眠る瞬間は怖くないですか?
Excite エキサイト
今死んでしまったら自分は「何の成果も残さず親の世話になり続け、他の生物を食らい続けた」だけの存在する必要の無かった生き物になってしまう気がします。それが怖いです。
献体とかどうでしょうか。
どこかの野でただ腐るのでも食物連鎖の輪に入れそうですが。
生きていたいから。ですかね。
それは根源的なもので、それ以上理由をたどることは出来ない気がします。もし、理由を説明できれば、その理由を使って否定することもできるからです。
例えば、死ぬのが怖い理由が痛みや苦しみなら、安楽死は怖くないことになります。
どんな理由を考えても、そしてその理由を否定することが出来たとしても、やはり死ぬのは怖い、生きていたいと思います。
まあ、そうはいってもいつかは必ず死ぬわけですが。
日記の方でも言及していただきましてありがとうございます。
お察しの通りポイントは理由3番です。
そのあたりのことをもう少しうまく語れるようになりたいと考えています。
「十分生きた!」
という充足感。まだ何も為していないのに、
死んでしまうのは悔いがあります。
仕事や食べ物や興味、嗜好や好奇心の追及。
結婚や子供などまだまだライフを楽しんで
味わえる喜びを得るまでは死にたくは
ないです。
満足したらそれで
「生きたぞ~!」って笑顔で
自殺なり、老衰なりしてみたいものです。
「老衰なりしてみたい」ってとこが面白かったです。
よし、と思うと一気にぎゅ〜〜〜〜〜と年を取りそうです。
「忘れ去られること」ですね。
人の死による別れは確かに悲しいですが、自分の死により数年~数十年たった後に自分の存在が忘れ去られることが怖いです。
10番目の回答へのコメントに記載済みです。
Yahoo! - Incorrect URL
URLはダミーです。
「死ぬのが怖い理由」
それは、ずばり『日記を読まれたくないから』です。
(2に入る?かな??)
誰かに読まれてしまうなんて思ったら、鳥肌が立ってしまいます。
何が何でも守り抜かねば。
(3に入る??)
「よし、もう死んでもいい」
と、いつか思える日が来たならば、
心置きなくこれまでの日記を燃やします。
煙を吸って咳き込んだとしても、それは心地よい辛さでしょう。
ヒミツがあるのですね。
PCで書いて暗号化しておく、という手もあると思いますが、
やはり紙の方がよろしいのでしょうか。
Google Maps
・高温で焼かれて
・狭い壷に入れられ
・冷たい墓に納められる
という3つが怖いです。
残された遺族には自然宗教と呼べるような、亡くなった人を敬う心があるだろうとは思いますし、通夜・葬儀といった儀式も執り行われ、死を惜しんでくれることは分かっているのですが、私にとっては死んだ後の扱いは可燃物となんら変わりません。
遺族の心はどうあれ、モノとして扱われるのが非常に怖いです。土葬でも同じことです。
なるほどー。具体的でいいです。
モノ扱いされる、というのは確かに嫌かも知れません。
しかし場合によっては生きていてもそうなることは有り得るかも。
では、今回はここらで閉じたいと思います。
ありがとうございました。
主な理由がそれですか。
そういう状態になるのも、怖さを克服するのも、比較的容易そうですね。