映画『ファイト・クラブ』で、ラストにタイラー・ダーデン(ブラット・ピット)を倒したにも関わらず、主人公は「かく乱計画」を阻止せず「これからはすべてよくなる」と言い、高層ビルが爆破されていきます。
これは何故なんでしょうか?
皆さんはどう思ったのか聞かせてください。
ジャック(仮名)とタイラーが二重人格=同一人物、というのはお分かりですよね?
> 多重人格の主人公とタイラーが対決し、主人公はタイラーを打ち負かした。それは、善と悪の対決によって、善が勝利するという単純な図式ではない。主人公が、タイラーを打ち負かしたのではなく、主人公とタイラーが合体して、もう一つの人格になった、新しい自分が誕生したということではないのか。もとの小心者の主人公であれば、瓦解するビル群を平然と眺めることは出来なかったであろう。
悪であり羨望の象徴であるタイラーを打ち負かす=二重人格の統合を行うことにより、
自分を新たな自分として生まれ変わらせることで全てに決着をつけたようとしたわけです。
そして新しい生を得たけれども、(今までの無法の所業を省みて)その生をこの現実社会で生かしていくことはできない、
と判断したからこそ倒壊するビルに身を沈めたのだと思います。
http://hakaiya.web.infoseek.co.jp/tsukkomi/fightclub/fightclubla...
破壊屋_映画の壺_ファイト・クラブ_ネタばれ系
主人公とタイラー・ダーデンが結局は、同一人物で
今まで二面性を持っていた主人公はタイラーの人格と同化し
新しい自分に生まれ変ったのかと思っていました
それは分かっています。
「倒した」と「同化した」は同じと思ってもらって構いません。
ですが、私の質問に答えてください。
なぜ、新しい自分に生まれ変わったからと言って
「かく乱計画」を阻止せず、高層ビルが爆破されていくのでしょうか?
私の勝手な想像ですが...
・タイラーを倒してからビルが倒壊するまでの時間が少なく、阻止しようと思っても時間がない。
・仮に時間があってもメンバーはタイラーの命令を聞かないので(聞かないように命令していたので)阻止するなら自分自身の手で行う必要がある。しかしあの状態(倒した直後の状態)では阻止どころか歩きまわることすら難しい。
という点から阻止できなかったのだと思います。
また、「これからは...」というような台詞は、”ビルが破壊されたから世の中がよくなる”というような意味合いではなく、”タイラーを倒したから自分自身がよくなる”ということを言いたかったのではないでしょうか?
タイラーを倒しはしたけど、倒す目的は計画の阻止だったはずです。
それが失敗したにもかかわらず、「よくなる」と喜べるでしょうか?
やはり、矛盾が生じます。
僕の期待した答えではありません。
そして、時間的に無理だったというのはそうじゃないように映画をつくればいいだけで…。
私はこのラストシーンの制作者側の意図はなんだったのかというのを考えているのです。
http://www.movie-faq.com/main-194.html
ネタばれ注意! ファイト・クラブ - あの映画のココがわからない
>「これからはすべてよくなる」と言ったのは
世界の悪い面も全て知っているタイラーの存在が消えたからではないでしょうか?
と思いがちだけど、実際は消えてないんじゃないんですか?
消えたと見せかけて実は消えていない。
だから、最後画面がゆれて自分のビルが崩壊するんです。ゆれているのは見えている崩れ行く高層ビルの波動ではなく、自分のビルが崩れていく揺れじゃないでしょうか。タイラーは主人公やファイトクラブの仲間を爆破するビルの中に入れた・・・。そして、全員が死ぬ・・・。
どういうことですか?僕の読解力がないのかちょっと良く分かりません…(申し訳ないです)
主人公がいたビルも崩壊したというのは私も分かっていました。
ですが、私の問題に答えてくれたのかが分かりません。
良ければ、もう一度考えをお聞かせください。
Amazon.co.jp �z�[��:
2番目の回答者です
すみません 言葉が足りませんでした
以前の“僕”なら爆破をしないはずで
姿が“僕”のままでビルを爆破する事で
タイラーを倒し同化させた新しい“僕”成りたかった“僕”が
表現されているのだと思います
「これからはすべてよくなる」と言うのは
今までの不甲斐ない自分が殻を破り
新しい“僕”で生きていけるから出てきた言葉で
ビルが爆破されたのは
タイラーの性格が同化した
新しい“僕”がそうしたかったからであり
ビルを爆破する事で新しい“僕”が誕生した事を象徴している事でもあるのかと思いました
初めて、ちゃんとした答えをもらえました。
ですが、それだとテーマがめちゃくちゃでこの映画が人気な理由がますます分かりません。
それだと、この映画はあのタイラーがやった数々の反社会的な行動を許していることになります。
これにはみなさん、共感をしているのでしょうか。
共感しているのだとするとちょっと意味が分かりません。
その考えに納得した理由をお聞かせください。
Yahoo! JAPAN
確かに、この作品は色々な観点から語ることが出来ますよね。
フェミニストの観点からは、現代社会において(男性らしさを表現出来ない)
去勢され、行き詰った男達を描いた映画である、ともされていましたし、
不幸に喘ぐ人々のセラピーに行く事で、ある種の癒しを得ていたくだりは、
昨今のマスメディアの在り様に対する暗喩である、とする向きもあったりしますからね。
(エンターテイメントとしての他人の不幸)
その中でも、監督であるフィンチャーの言、
『あなた達が疑うことなく生きるこの社会に本当の価値はあるのでしょうか?』
というキーワードから類推すると、『お前は物に支配されてる』の台詞、
カルバンクラインの広告を揶揄、
人の脂肪で作った石鹸を販売するダーデン(痩身クリニックと高級石鹸)、
そして、ラストシーンの金融(クレジット)会社のビルを爆破する一連の流れは、
近代資本主義に対するレジスタンス(或いは革命)=プロジェクト・メイヘムである、
と思えたりする訳ですけど如何でしょうか?
彼らが行った行為は反社会的である、とされる定義は間違っていないと思いますが、
ベトナム戦争における反戦運動も当初は反社会的行為とされていたりした訳ですし、
中絶運動しかり、同性愛者解放運動もしかりだった訳で、
また、物語中の設定としては、あの金融ビル群は無人であるということでしたから、
プロジェクト・メイヘムに賛同したメンバー以外の死亡者はおらず、
少なくとも彼らの主観から見て道義的であった、とも言えなくはないと思います。
従って、彼らが行ったアンチ・キャピタリズムな行為(革命)の結実を期待するニュアンスで、
『これからはすべてよくなる』、と云う解釈をした次第です。
納得できました。監督はそういう事言いたいんでしょうね。
でも、僕としてはやっぱり、あの最後のビル破壊は、たとえ死亡者がいなかったとしてもそのおかげで失業者や色々な被害が出るわけで、おかしいかなと思うんです。
その失業なんかも、革命の結実につながるものだと思ってあえてビルを破壊してのかもしれないのですが、それだとどうも安易的でそれだとどうしてもテロと一緒のような気がするのです。
あのテロだって、あながち間違ってない(彼らの現状を訴えるにはああいう事をするしかないという点で)からこそ、そこからの話は難しくなってくるんですが。。
http://www.hatena.ne.jp/1135784495#
人力検索はてな - 実際に映画を観た方に質問します。 映画『ファイト・クラブ』で、ラストにタイラー・ダーデン(ブラット・ピット)を倒したにも関わらず、主人公は「かく乱計画」を阻止せ..
> それだとテーマがめちゃくちゃでこの映画が人気な理由がますます分かりません。
> それだと、この映画はあのタイラーがやった数々の反社会的な行動を許していることになります。
> これにはみなさん、共感をしているのでしょうか。
それは思い違いです。
人気がある映画=その映画の内容(反社会的行動)を認める、ではないでしょう。
ジャック(仮名)という気弱な人物と、タイラーという誰からも憧憬される人物が、実は一人だった、という話しのオチ=つまりはスクリプトの見事さと、
ブラッド・ピットを初めとした各出演者達の演技の絶妙さが、この映画の魅力であると思います。
先述しましたが、破壊されるビル群は「既存のものが破壊され新しいものが生まれる」もののメタファーです。
既存の凝り固まった(=concrete)高層ビルが破壊されれば、そこにまた新しいビルが建つでしょう。
「これからよくなる」というのは既存のビルを悪しきものとし、
新しくたつビルを善きものとみなしているのです。
ビルを破壊するというのは完全なテロ行為で許されるものではありませんし、
この映画を見て「面白い!」と感じた人たちがこのテロ行為に共感して面白い、と感じているわけではありません。
映画というのものはあくまでフィクション、虚構の世界(ドキュメンタリーは別として)というのは
観客は見る前からわかっていることです。
そこで生じた過程が現実社会で認められるか否かは判断の付く人たちが見ているはずです。
(だからこそこの映画はRatedではなかったでしょうか?)
まあ一部のPTAのヴァカお母様方なぞは「テロ促進映画だ!」と、噛み付いたかもしれませんがね(苦笑)
う〜ん、というかあのラストを観て、僕は煮え切らなかったんですね。
あのタイラーの仕業を止めよう止めようとしているのに最後に破壊してしまうというオチが。
でも、ほかの方のレビューを見てると、全然そんな事気にしていないので、ほんとに不思議に思って質問しつるんですよ。
じゃあ、ほとんどの人はラストはあくまでも比喩的なものとして捉えているんでしょうか?
僕的にはいくら演出・演技が良くてもラストとかテーマがこけるとあくまでもそれは惜しい作品になってしまうんですね。
他の人と見方が違うんでしょうかね?やっぱり、煮え切らないな〜
Yahoo!
URLはダミーです。
表面上はジャックが勝ったのだが、「暴力で」勝つというのは結局タイラーと同じです。正義が勝ったのではなく、実は「暴力=破壊」が勝ったということではないでしょうか。結果、ビルは破壊され、結局暴力ははびこる……
公開当時に見ましたが、暗澹たる気分で劇場を出たことをおぼえていますが、いい映画だったと思います。
それだと、駄作じゃん〜。
えーっと、質問者が解説するというのも変ですが、それはジャックとタイラーとのやり取りは言うなれば自分との戦い(=内に向けられている暴力)です。
ですので、「かく乱計画」(=外に向けられている暴力)とは質が違うんですよ。
だから、前半部分のちゃんとした「ファイト・クラブ」シーンは、逆に反暴力を描いているんですね。
安直な見方をすると暴力推進映画に見えるかもしれませんがよく見ると違うのです。(前半部分に関して)
回答者 | 回答 | 受取 | ベストアンサー | 回答時間 | |
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1 | hiphip | 1回 | 0回 | 0回 | 2006-01-09 16:38:49 |
今までの無法の所業を省みて、ビルを破壊するのは矛盾してないでしょうか?
まだ、納得出来ないのですが…