掌編小説(1600字)《カラス》を読んで あてはまる事項を自由にいくつかチェックしてください。→

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回答300 / 0件)

Q01(複数選択)

天罰だ。149
必ずしも天罰ではない。47
罰があたって 面白い。17
罰があたった形ゆえ 詰まらない。32
悪人とはいえ 主人公に同情する余地あり。21
いづれは報いを受けようが もっとしたたかに生きて欲しかった。27
主人公のような人が多くなって 困ったものだ。30
何と言っても 大犯罪じたいが問題だ。99
合計300

集計

×
  • id:todo_todo
    これだと

    カラスに意思がありすぎて、素直に入り込めません。
    たとえば、自分だったら次のようなストーリーにすると思います。

    遺体を埋めているときに、主人公は不思議なカラスを目撃する。
    主人公はその後、自宅の街で同じカラスを何度も目撃するが、本当に同じなのかどうか確信はもてない。しかし、後ろめたさのある主人公は、常に見張られている気がして次第に追い詰められていく。結局、遺体を埋めた場所を確認せざるを得なくなり、そこに行く途中で、ハンドル操作を誤って事故死してしまう。その場所には、鳥よけのために農夫がつるした黒いビニール袋がつるされていた。(主人公は、結局幻を見て、命を落としたのだと示唆している)

    こんな感じなら、天罰だと感じることができると思います。
  • id:sanzi24
    ちょっと

    文章の時間の前後関係が把握しにくいような気も。
  • id:bragelone
    Re:これだと

    >カラスに意思がありすぎて、素直に入り込めません。
    >たとえば、自分だったら次のようなストーリーにすると思います。
    >
    >遺体を埋めているときに、主人公は不思議なカラスを目撃する。
    >主人公はその後、自宅の街で同じカラスを何度も目撃するが、本当に同じなのかどうか確信はもてない。しかし、後ろめたさのある主人公は、常に見張られている気がして次第に追い詰められていく。結局、遺体を埋めた場所を確認せざるを得なくなり、そこに行く途中で、ハンドル操作を誤って事故死してしまう。その場所には、鳥よけのために農夫がつるした黒いビニール袋がつるされていた。(主人公は、結局幻を見て、命を落としたのだと示唆している)
    >
    >こんな感じなら、天罰だと感じることができると思います。
    todo_todoさん コメントをありがとうございます。
    《最後にも 大群となってカラスが襲ったのは 動物に意思がありすぎる》とのご主旨だと思います。この物語は 何度も読んでいて わかっているつもりでしたが そのようには感じたことがなく 拝見したあと しばらく(結構)考えました。わたし自身は 作者ではないのですが まずその可能性を活かした第二作もしくは姉妹作の道を思い浮かべました。
    その上でですが おっしゃった事故死の事情には いまひとつしっくり来ない感覚が正直なところあります。鳥よけの黒いビニール袋を見て 悩まされていたカラスではないかと見誤って 怯えた結果 ハンドル操作を誤るということですが そういう場合 むしろ本当にそのカラスなのかどうかを 確認すると思ったのです。いかがでしょうか?
    いづれにしましても 感謝いたします。
  • id:bragelone
    Re:ちょっと

    >文章の時間の前後関係が把握しにくいような気も。
    sanzi24さん コメントをありがとうございます。
    けっきょく 殺すことになった三人とそして主人公との関係が わからないということだと思います。
    犯行から十日そしてさらに数日。恵子は三七歳。医師との結婚歴あり。これだけですから。・・・そうですねえ。正直なところわたしはひとりの読者として 何も書かれていないほうが 面白いようには受け取ったのですが。
    もっとも この1600字という字数では 詳しく書くことは無理だと思います。もしふくらました場合には 当然その三人とのいきさつがわかってくるというかたちだと思いますが いかがでしょう。(あまり 適切なこたえになっていないかも知れません。) 
  • id:todo_todo
    Re(2):これだと

    補足です。
    自分は一応「必ずしも天罰ではない」を選びましたが、実際には、天罰かどうかを考える以前の問題としてリアリティが感じられなかったため、本当に選択できる選択肢はありませんでした。一番近いものを選びました。

    この場合リアリティを持たせるにはどうしたらよいかを考えて案を出しました。例えば幽霊や小人やUFOは存在しないと思いますが、人は実際にそのようなものを見ることがあります。なぜならば人間の情報処理機構は完璧ではなく、不完全な情報を、限られた時間や能力を用いて、できるだけ実用的な形で処理するために、様々な補完処理などを行っているため、実際には存在しないものを、実際に存在するものとして知覚することができるからです。

    また、この場合、オリジナルの鳥によって天罰が下されるという物語ならばただの空想に過ぎませんが、主人公が見誤るという結末であれば現実に起こりえる物語になりえます。その分、天罰という意味合いが強まり、恐怖感も強くなると思います。
    (見誤る対象は実際のカラスであっても問題はありません。本当に変わったカラスがその場所にいてもやはり問題ありません。それが現実的である限りは問題ありません)
  • id:bragelone
    Re(3):これだと

    >補足です。
    >自分は一応「必ずしも天罰ではない」を選びましたが、実際には、天罰かどうかを考える以前の問題としてリアリティが感じられなかったため、本当に選択できる選択肢はありませんでした。一番近いものを選びました。
    >この場合リアリティを持たせるにはどうしたらよいかを考えて案を出しました。例えば幽霊や小人やUFOは存在しないと思いますが、人は実際にそのようなものを見ることがあります。なぜならば人間の情報処理機構は完璧ではなく、不完全な情報を、限られた時間や能力を用いて、できるだけ実用的な形で処理するために、様々な補完処理などを行っているため、実際には存在しないものを、実際に存在するものとして知覚することができるからです。
    >>また、この場合、オリジナルの鳥によって天罰が下されるという物語ならばただの空想に過ぎませんが、主人公が見誤るという結末であれば現実に起こりえる物語になりえます。その分、天罰という意味合いが強まり、恐怖感も強くなると思います。
    >(見誤る対象は実際のカラスであっても問題はありません。本当に変わったカラスがその場所にいてもやはり問題ありません。それが現実的である限りは問題ありません)
    >
    todo_todoさん 補足を拝見しました。
    難しいですねえ。二点わかったことがあります。《見誤る》というのは 要するに 《後ろめたさ・焦り・恐ろしさなどによって 精神錯乱に陥る》というような事態をおっしゃっているのではないかと気づいたことがひとつ。カラスが絡んでもいいけれど そのカラスが襲うなどのかたちで行動を起こしてその精神錯乱の事態をもたらすのではないということだと分かりました。これは 条件に合ったうまい情況と事態を考え出すという作業の問題になると思います。
    もう一点 新たに気づいたと思ったことは カラスが何らかの行動を起こすことと 天罰が下るということとを つなげて とらえておられるのではと思ったことです。これは わたしにかんする限り そういう風には受け取っていませんでした。また《天罰だ》を必ずしも選びません。どちらかと言えば《もっとしたたかに生きて欲しかった》に傾きました。(フィクションだからという要素もありますが。)ですから 現実に起こりがたいカラスの大群の襲撃という事態についても その意味では現実性を問題にしなかったのかもしれないと思いました。
    ということは やはり詰まるところでは カラスが積極的に(?)行動を起こす場合と そうでない場合とのふたつの捉え方が ありうるというようなことでしょうか。あるいはまだ 全部を理解させてもらっていないかもしれません。いかがでしょうか。


  • id:todo_todo
    Re(4):これだと

    たとえば、認知症(痴呆症)の疑似体験をできる装置があるそうです。この装置を使うと、見慣れた場所なのにドアがいくつもあったりして位置関係がわからなくなり、認知症になるとどのような不安を感じたり、なぜ当たり前のことがわからなくなったりするのかを理解できるそうです。

    たとえば、作家の北杜夫氏はトーマス・マンを愛するあまり、街の風景を見て、ハッした原因が「トマトソース」とかかれた看板であることをあきれたそうです。

    たとえば、コンピュータで人間のような処理を行わせようとすると、あまりの情報量の多さにコンピュータが付いていけないそうです。ところが人間に、最新鋭のコンピュータでも太刀打ちできないような処理速度があるかというとそうではありません。つまり人間は情報量をうまく減らすことによって、現実的な速度で反応できるようにしているそうです。

    ここまでの例で何を言いたかったかというと、
    1.人間は、自分の知覚にかなりの自信を持っているが実際にはそれ程現実に即した知覚をしているわけではない。
    2.人間の知覚は興味の内容や知識の量によっても左右される。
    3.人間の知覚を狂わせることはそれ程難しいことではない。

    実際、つい最近まで妖怪やお化けが多数生息できたのは、上のような人間の知覚の特徴を反映する事実だと思います。

    そこでカラスの話に戻りますが、主人公は錯乱状態にまでなる必要はないと思います。たとえば、電車に乗ると尿意を催すのはないかと意識するあまり、一駅ごとにトイレに駆け込まなければいられないという症状がありますが、この場合錯乱状態とは言えないでしょう。しかし、尿意の変わりに、「あのカラスが見張っているのではないか」という疑念を主人公がもちその結果様々なものをそのカラスの姿や声として錯覚する生活が続けばその苦しさは、主人公にハンドル操作を誤らせるに足ると思います。

    もう 1 つのカラスが積極的に関わるかどうかという問題ですが、私は、車内が真っ暗になり、それがどうやら例のカラスが他のカラスたちを使って行った攻撃だとわかったところで完全にウンザリしてしまいました。それではカラスが天罰を下しているようで、ちょっと現代の小説としてはどうでしょう?

    これが、自分が物語に入りこめなかった原因なので、少なくとも積極的に動くカラスという存在は不要か、もしそうするのであればもっとこのカラスを前面に出し、カラス側の動機をはっきりさせないと物語が完成しないように思います。

    普段私はフィクションをあまり読まないようにしていますので、一般の方と少し感じ方が違うかもしれません。

  • id:bragelone
    Re(5):これだと

    >たとえば、認知症(痴呆症)の疑似体験をできる装置があるそうです。この装置を使うと、見慣れた場所なのにドアがいくつもあったりして位置関係がわからなくなり、認知症になるとどのような不安を感じたり、なぜ当たり前のことがわからなくなったりするのかを理解できるそうです。
    >
    >たとえば、作家の北杜夫氏はトーマス・マンを愛するあまり、街の風景を見て、ハッした原因が「トマトソース」とかかれた看板であることをあきれたそうです。
    >
    >たとえば、コンピュータで人間のような処理を行わせようとすると、あまりの情報量の多さにコンピュータが付いていけないそうです。ところが人間に、最新鋭のコンピュータでも太刀打ちできないような処理速度があるかというとそうではありません。つまり人間は情報量をうまく減らすことによって、現実的な速度で反応できるようにしているそうです。
    >
    >ここまでの例で何を言いたかったかというと、
    >1.人間は、自分の知覚にかなりの自信を持っているが実際にはそれ程現実に即した知覚をしているわけではない。
    >2.人間の知覚は興味の内容や知識の量によっても左右される。
    >3.人間の知覚を狂わせることはそれ程難しいことではない。
    >
    >実際、つい最近まで妖怪やお化けが多数生息できたのは、上のような人間の知覚の特徴を反映する事実だと思います。
    >
    >そこでカラスの話に戻りますが、主人公は錯乱状態にまでなる必要はないと思います。たとえば、電車に乗ると尿意を催すのはないかと意識するあまり、一駅ごとにトイレに駆け込まなければいられないという症状がありますが、この場合錯乱状態とは言えないでしょう。しかし、尿意の変わりに、「あのカラスが見張っているのではないか」という疑念を主人公がもちその結果様々なものをそのカラスの姿や声として錯覚する生活が続けばその苦しさは、主人公にハンドル操作を誤らせるに足ると思います。
    >
    >もう 1 つのカラスが積極的に関わるかどうかという問題ですが、私は、車内が真っ暗になり、それがどうやら例のカラスが他のカラスたちを使って行った攻撃だとわかったところで完全にウンザリしてしまいました。それではカラスが天罰を下しているようで、ちょっと現代の小説としてはどうでしょう?
    >
    >これが、自分が物語に入りこめなかった原因なので、少なくとも積極的に動くカラスという存在は不要か、もしそうするのであればもっとこのカラスを前面に出し、カラス側の動機をはっきりさせないと物語が完成しないように思います。
    >
    >普段私はフィクションをあまり読まないようにしていますので、一般の方と少し感じ方が違うかもしれません。
    >
    >
    その後寝てしまったのでお答えが遅くなりました。
    違いのひとつは 《例のカラスが他のカラスたちを使って行なった攻撃 / カラスが天罰を下す》と表現されているところにあるかと思いました。わたしの感覚と考えでは 人間でない動物がどういう行動を取っても あまり重く取り上げません。また《カラス側の動機》はどうかという観点からは捉えていませんでした。
    そのこころは いまのような情況にあっては 現実性といえば 良識や良心の問題にあると思うからです。カラスの動きがどうであるにせよ あるいは 認知症の状態に陥るという場合にせよ 恵子が人としてどうあるかに問題は収斂しますし 現実性はそこにあります。
    その意味で カラスの積極的な動きのある場合とない場合との二つの互いに同等の行き方が考えられると思いました。
    その上でですが そしてわたし個人の趣味のようなことですが 悪人が病気になるといった筋書きは好きではありません。安易な弁証法的な解決のように感じるからです。そのつてで言えば 良心の問題としては 主人公の恵子が殺した三人の人たちについても 恵子に対して何らかの良心に恥じる行ないをしたかもしれません。むろん復讐はこれも安易な手段ですが 恵子は その傷を負っているゆえにこそ かんたんには病気にはならないかも知れません。そんな物語の展開も思い浮かべたりします。
    わたしは一読者としてこのように捉えているのですが todo_todoさんは いかがでしょうか。
  • id:todo_todo
    Re(6):これだと

    主人公がしぶとく生きるというストーリーにするとオリジナルとはあまりにかけ離れますよね。それは、ちょっとどうかと思います。

    もし、「悪い事をすると天罰が下ると思いますか」というアンケートであるなら、そのような議論も可能でしょうが、この小説を題材にする限りでは、「天罰が下った」か、「こんな荒唐無稽なことは起きようがない」のいずれかしかないと思います。(多くの人は実際には小説を読まないで回答したのではないでしょうか)

    また、悪人必ずしも罰せられずという考え方はモラルハザードをもたらし、社会を崩壊させる原因でもありますね。国民年金の問題も社会保険庁の管理者たちが、不当な利益を受けながら罰せられないことに対する反発が原因の1つと考えられます。発展途上国の多くでは、役人の腐敗が発展を阻害する最大の原因にもなっています。ですから、勧善懲悪は社会を成り立たせる基本であると考えてよいと私は思います。

    最後に、蛇足ですが、リアリティを求めるには、カラスに積極性を持たせることは決してできません。また、勧善懲悪であっても、その原因は超常現象ではなく、何らかの合理的な説明が可能なものでなければなりません。

    brageloneさんの意図は、元の小説で悪人が罰せられることが納得いかず、他の人の意見を聞いてみたいということだったのかと推測していますが、いかがでしょうか?もしそうであれば、やはりこの小説自体の完成度の低さが結果に徹底的に影響していると私は思います。おそらく最初の部分だけ読んで適当に回答した人や私同様選択肢がなくて困った人もかなりいると思います。

    いずれにせよこれ以上の議論は出発点から余りに離れすぎてしまうと思いますので、勝手ですがこれで最後にさせていただきます。
  • id:bragelone
    Re(7):これだと

    >主人公がしぶとく生きるというストーリーにするとオリジナルとはあまりにかけ離れますよね。それは、ちょっとどうかと思います。
    *《もっとしたたかに生きて欲しかった》にわたしは傾くと述べましたが その選択肢には 《いづれは報いを受けようが》(受けることはまちがいないだろうが)という大前提があります。ただ それを省略したのは やはりわたしですので 誤解を生じる余地があったかと思いなおします。(《受けようが》という表現もよくなかったかもしれません。)
    さて 今回は todo_todoさんが これで最後としたいとおっしゃっていますので このわたしの回答も もう読んでもらえないかもしれません。ただ 公開の場ですので ひととおり この応答は果たさせていただきます。なお もしtodo_todoさんも 考えを変えてまだ主張があるということでしたら このあとは ダイアリーのほうなどで 続けるようにしていただければと考えます。
    >
    >もし、「悪い事をすると天罰が下ると思いますか」というアンケートであるなら、そのような議論も可能でしょうが、この小説を題材にする限りでは、「天罰が下った」か、「こんな荒唐無稽なことは起きようがない」のいずれかしかないと思います。(多くの人は実際には小説を読まないで回答したのではないでしょうか)
    >
    *読まずに回答するという場合をわたしも 計算に入れました。その割合がいかほどかと言えば はっきりわからないと言わねばなりませんが。
    >また、悪人必ずしも罰せられずという考え方はモラルハザードをもたらし、社会を崩壊させる原因でもありますね。国民年金の問題も社会保険庁の管理者たちが、不当な利益を受けながら罰せられないことに対する反発が原因の1つと考えられます。発展途上国の多くでは、役人の腐敗が発展を阻害する最大の原因にもなっています。ですから、勧善懲悪は社会を成り立たせる基本であると考えてよいと私は思います。
    >
    *勧善懲悪についての議論そのものは 控えさせていただきます。ただ あとで この小説の問題にかかわって出てくるかもしれません。
    >最後に、蛇足ですが、リアリティを求めるには、カラスに積極性を持たせることは決してできません。また、勧善懲悪であっても、その原因は超常現象ではなく、何らかの合理的な説明が可能なものでなければなりません。
    >
    *超常現象で小説を作っている場合があると思いますが いまは 論点ではありません。
    >brageloneさんの意図は、元の小説で悪人が罰せられることが納得いかず、他の人の意見を聞いてみたいということだったのかと推測していますが、いかがでしょうか?もしそうであれば、やはりこの小説自体の完成度の低さが結果に徹底的に影響していると私は思います。おそらく最初の部分だけ読んで適当に回答した人や私同様選択肢がなくて困った人もかなりいると思います。
    >
    >いずれにせよこれ以上の議論は出発点から余りに離れすぎてしまうと思いますので、勝手ですがこれで最後にさせていただきます。
    *《小説自体の完成度》は いま《現実性》の問題に発して まさにそれについて議論しているのですから 初めに高い・低いと決め付けてから 結論を導くのは 勇み足だと思います。
    この物語のばあいには 《現実性といえば 良識や良心の問題にある / 主人公が人としてどうあるかに問題は収斂し 現実性はそこにある》とわたしは前回述べました。
    この命題にもとづけば カラスも世間もいっさい関係なく ひとり恵子じしんの精神=身体の状態にかかわって 《自分が侵した事は 自分の生命と存在を侵害することに等しいとやがて わかる》 したがって 《この悔やみによって 時の満ちるとともに 自滅する》という筋の運びが考えられます。これで わたしは 現実性のある物語であると考えます。また あえて言うとすれば これが 一種の勧善懲悪です。一種の天罰です。
    ですから カラスのことは そしてお望みならば認知症のことも 乱暴に言ってしまえば 付け足しなのです。
    その付け足しの部分を除いても 現実性の中核の部分がしっかりとした小説だとわたしは評価します。
    せっかくですから 触れさせてもらうならば おっしゃるとおりわたしは 初めの(元の)作品について評価が低かったのです。ですが それは《悪人が罰せられること》に納得がいかなかったのではなく そうではなく 罰せられ方に共鳴することができなかったのです。それは 上に述べたように その処罰(つまり 自業自得の結果)に到るには 抽象的な表現ではありますが 《時の満ちること》が条件になっていると思うからです。それすらもわれわれ人間の理性にはわからないという場合があるわけですが 原則としては そういうことではないかと思っています。時の充満がわれわれをして納得せしめるかたちを われわれ自身は求めているということだと思います。これが現実性を成り立たせるという考えです。
    いかがでしょうか。といっても もう届かないのかもしれないですが・・・。
  • id:todo_todo
    Re(8):これだと

    まず、最初に一言。この小説の完成度が低いことは、この問題を考える上で最も問題になる点ですから、勇み足とはいえません。また、brageloneさんはいまや議論のための議論をしていることに気づいてください。ですから勝手ですがこれ以上は回答しません。この直前の回答においても小説の完成度について「現実性の中核の部分がしっかりとした小説」という評価をしながら「時の充満がわれわれをして納得せしめるかたちを われわれ自身は求めているということだと思います。これが現実性を成り立たせるという考えです。」であるとした上で、この小説には時の充満が充分でないということも指摘しておられ議論が一貫しておりません。

    また認知症の話にしてもその他の話にしても表面的な部分以外を理解しようとされていないことを残念に思います。

    「罰せられ方に共鳴することができなかった」のであれば、それは私の感想と全く同じです。しかし、それ以前の問題として「罰せられ方に共鳴することができなかった」場合、人はこの小説の内容を評価しないだろうということに気づく必要があります。つまり他の人にとってこの小説は「内容についてどうこう言う必要のない、つまらない小説」であって「主人公が天罰を受け」ようが「もっと強く生き」ようが「同情できる部分」もあろうが関係なくなることに気づく必要があります。ですから完成度が低く、共感できない小説であることはこのアンケートの結果に決定的に影響しているはずです。

    だいぶ私の議論がbrageloneさんの考え方を変えたようですので、私としては満足しています。

    この回答にコメントを追加されても決して読むことはありませんので、コメントを追加しないでください。では。
  • id:bragelone
    Re(8):これだと

    >>主人公がしぶとく生きるというストーリーにするとオリジナルとはあまりにかけ離れますよね。それは、ちょっとどうかと思います。
    >*《もっとしたたかに生きて欲しかった》にわたしは傾くと述べましたが その選択肢には 《いづれは報いを受けようが》(受けることはまちがいないだろうが)という大前提があります。ただ それを省略したのは やはりわたしですので 誤解を生じる余地があったかと思いなおします。(《受けようが》という表現もよくなかったかもしれません。)
    >さて 今回は todo_todoさんが これで最後としたいとおっしゃっていますので このわたしの回答も もう読んでもらえないかもしれません。ただ 公開の場ですので ひととおり この応答は果たさせていただきます。なお もしtodo_todoさんも 考えを変えてまだ主張があるということでしたら このあとは ダイアリーのほうなどで 続けるようにしていただければと考えます。
    >>
    >>もし、「悪い事をすると天罰が下ると思いますか」というアンケートであるなら、そのような議論も可能でしょうが、この小説を題材にする限りでは、「天罰が下った」か、「こんな荒唐無稽なことは起きようがない」のいずれかしかないと思います。(多くの人は実際には小説を読まないで回答したのではないでしょうか)
    >>
    >*読まずに回答するという場合をわたしも 計算に入れました。その割合がいかほどかと言えば はっきりわからないと言わねばなりませんが。
    >>また、悪人必ずしも罰せられずという考え方はモラルハザードをもたらし、社会を崩壊させる原因でもありますね。国民年金の問題も社会保険庁の管理者たちが、不当な利益を受けながら罰せられないことに対する反発が原因の1つと考えられます。発展途上国の多くでは、役人の腐敗が発展を阻害する最大の原因にもなっています。ですから、勧善懲悪は社会を成り立たせる基本であると考えてよいと私は思います。
    >>
    >*勧善懲悪についての議論そのものは 控えさせていただきます。ただ あとで この小説の問題にかかわって出てくるかもしれません。
    >>最後に、蛇足ですが、リアリティを求めるには、カラスに積極性を持たせることは決してできません。また、勧善懲悪であっても、その原因は超常現象ではなく、何らかの合理的な説明が可能なものでなければなりません。
    >>
    >*超常現象で小説を作っている場合があると思いますが いまは 論点ではありません。
    >>brageloneさんの意図は、元の小説で悪人が罰せられることが納得いかず、他の人の意見を聞いてみたいということだったのかと推測していますが、いかがでしょうか?もしそうであれば、やはりこの小説自体の完成度の低さが結果に徹底的に影響していると私は思います。おそらく最初の部分だけ読んで適当に回答した人や私同様選択肢がなくて困った人もかなりいると思います。
    >>
    >>いずれにせよこれ以上の議論は出発点から余りに離れすぎてしまうと思いますので、勝手ですがこれで最後にさせていただきます。
    >*《小説自体の完成度》は いま《現実性》の問題に発して まさにそれについて議論しているのですから 初めに高い・低いと決め付けてから 結論を導くのは 勇み足だと思います。
    >この物語のばあいには 《現実性といえば 良識や良心の問題にある / 主人公が人としてどうあるかに問題は収斂し 現実性はそこにある》とわたしは前回述べました。
    >この命題にもとづけば カラスも世間もいっさい関係なく ひとり恵子じしんの精神=身体の状態にかかわって 《自分が侵した事は 自分の生命と存在を侵害することに等しいとやがて わかる》 したがって 《この悔やみによって 時の満ちるとともに 自滅する》という筋の運びが考えられます。これで わたしは 現実性のある物語であると考えます。また あえて言うとすれば これが 一種の勧善懲悪です。一種の天罰です。
    >ですから カラスのことは そしてお望みならば認知症のことも 乱暴に言ってしまえば 付け足しなのです。
    >その付け足しの部分を除いても 現実性の中核の部分がしっかりとした小説だとわたしは評価します。
    >せっかくですから 触れさせてもらうならば おっしゃるとおりわたしは 初めの(元の)作品について評価が低かったのです。ですが それは《悪人が罰せられること》に納得がいかなかったのではなく そうではなく 罰せられ方に共鳴することができなかったのです。それは 上に述べたように その処罰(つまり 自業自得の結果)に到るには 抽象的な表現ではありますが 《時の満ちること》が条件になっていると思うからです。それすらもわれわれ人間の理性にはわからないという場合があるわけですが 原則としては そういうことではないかと思っています。時の充満がわれわれをして納得せしめるかたちを われわれ自身は求めているということだと思います。これが現実性を成り立たせるという考えです。
    >いかがでしょうか。といっても もう届かないのかもしれないですが・・・。
    ** 主人公の恵子が 自分で《ああ 取り返しのつかないことをしてしまった》と悔やむまでは 《自滅》への道が完成しないとは限りません。ぎゃくに言って 後悔の念を恵子に吐かせれば そのような時が満ちるとも限りません。

    さらにまた 作家は 執筆の過程で このような《時の充満》を自覚しないかも知れないでしょうし 〔おそらく当然のこととして〕意識的にその充満を導こうとか完成させようとしては 書いていないでしょう。

    あと さらには 読者が 時の充満の成り立った完成作を読んで それでも 主人公には こうして欲しかった ああして欲しくなかったと注文をつけようとすることは ふつうの出来事であるでしょう。
    こんなふうに考えます。
  • id:bragelone
    Re(9):これだと

    >>>主人公がしぶとく生きるというストーリーにするとオリジナルとはあまりにかけ離れますよね。それは、ちょっとどうかと思います。
    >>*《もっとしたたかに生きて欲しかった》にわたしは傾くと述べましたが その選択肢には 《いづれは報いを受けようが》(受けることはまちがいないだろうが)という大前提があります。ただ それを省略したのは やはりわたしですので 誤解を生じる余地があったかと思いなおします。(《受けようが》という表現もよくなかったかもしれません。)
    >>さて 今回は todo_todoさんが これで最後としたいとおっしゃっていますので このわたしの回答も もう読んでもらえないかもしれません。ただ 公開の場ですので ひととおり この応答は果たさせていただきます。なお もしtodo_todoさんも 考えを変えてまだ主張があるということでしたら このあとは ダイアリーのほうなどで 続けるようにしていただければと考えます。
    >>>
    >>>もし、「悪い事をすると天罰が下ると思いますか」というアンケートであるなら、そのような議論も可能でしょうが、この小説を題材にする限りでは、「天罰が下った」か、「こんな荒唐無稽なことは起きようがない」のいずれかしかないと思います。(多くの人は実際には小説を読まないで回答したのではないでしょうか)
    >>>
    >>*読まずに回答するという場合をわたしも 計算に入れました。その割合がいかほどかと言えば はっきりわからないと言わねばなりませんが。
    >>>また、悪人必ずしも罰せられずという考え方はモラルハザードをもたらし、社会を崩壊させる原因でもありますね。国民年金の問題も社会保険庁の管理者たちが、不当な利益を受けながら罰せられないことに対する反発が原因の1つと考えられます。発展途上国の多くでは、役人の腐敗が発展を阻害する最大の原因にもなっています。ですから、勧善懲悪は社会を成り立たせる基本であると考えてよいと私は思います。
    >>>
    >>*勧善懲悪についての議論そのものは 控えさせていただきます。ただ あとで この小説の問題にかかわって出てくるかもしれません。
    >>>最後に、蛇足ですが、リアリティを求めるには、カラスに積極性を持たせることは決してできません。また、勧善懲悪であっても、その原因は超常現象ではなく、何らかの合理的な説明が可能なものでなければなりません。
    >>>
    >>*超常現象で小説を作っている場合があると思いますが いまは 論点ではありません。
    >>>brageloneさんの意図は、元の小説で悪人が罰せられることが納得いかず、他の人の意見を聞いてみたいということだったのかと推測していますが、いかがでしょうか?もしそうであれば、やはりこの小説自体の完成度の低さが結果に徹底的に影響していると私は思います。おそらく最初の部分だけ読んで適当に回答した人や私同様選択肢がなくて困った人もかなりいると思います。
    >>>
    >>>いずれにせよこれ以上の議論は出発点から余りに離れすぎてしまうと思いますので、勝手ですがこれで最後にさせていただきます。
    >>*《小説自体の完成度》は いま《現実性》の問題に発して まさにそれについて議論しているのですから 初めに高い・低いと決め付けてから 結論を導くのは 勇み足だと思います。
    >>この物語のばあいには 《現実性といえば 良識や良心の問題にある / 主人公が人としてどうあるかに問題は収斂し 現実性はそこにある》とわたしは前回述べました。
    >>この命題にもとづけば カラスも世間もいっさい関係なく ひとり恵子じしんの精神=身体の状態にかかわって 《自分が侵した事は 自分の生命と存在を侵害することに等しいとやがて わかる》 したがって 《この悔やみによって 時の満ちるとともに 自滅する》という筋の運びが考えられます。これで わたしは 現実性のある物語であると考えます。また あえて言うとすれば これが 一種の勧善懲悪です。一種の天罰です。
    >>ですから カラスのことは そしてお望みならば認知症のことも 乱暴に言ってしまえば 付け足しなのです。
    >>その付け足しの部分を除いても 現実性の中核の部分がしっかりとした小説だとわたしは評価します。
    >>せっかくですから 触れさせてもらうならば おっしゃるとおりわたしは 初めの(元の)作品について評価が低かったのです。ですが それは《悪人が罰せられること》に納得がいかなかったのではなく そうではなく 罰せられ方に共鳴することができなかったのです。それは 上に述べたように その処罰(つまり 自業自得の結果)に到るには 抽象的な表現ではありますが 《時の満ちること》が条件になっていると思うからです。それすらもわれわれ人間の理性にはわからないという場合があるわけですが 原則としては そういうことではないかと思っています。時の充満がわれわれをして納得せしめるかたちを われわれ自身は求めているということだと思います。これが現実性を成り立たせるという考えです。
    >>いかがでしょうか。といっても もう届かないのかもしれないですが・・・。
    >** 主人公の恵子が 自分で《ああ 取り返しのつかないことをしてしまった》と悔やむまでは 《自滅》への道が完成しないとは限りません。ぎゃくに言って 後悔の念を恵子に吐かせれば そのような時が満ちるとも限りません。
    >
    >さらにまた 作家は 執筆の過程で このような《時の充満》を自覚しないかも知れないでしょうし 〔おそらく当然のこととして〕意識的にその充満を導こうとか完成させようとしては 書いていないでしょう。
    >
    >あと さらには 読者が 時の充満の成り立った完成作を読んで それでも 主人公には こうして欲しかった ああして欲しくなかったと注文をつけようとすることは ふつうの出来事であるでしょう。
    >こんなふうに考えます。
    >
    ***自分たちが新しいユダヤ教の分派と見なした人々を殺すことに加担したサウロは 時の充満とともに パウロとしての職務を与えられ 用いられるという歴史が起きた。
    究極の原則にあっては 人間は 因果応報から自由であるというのが正解だと思われます。
    因果応報から自由ということは その応報の法則に合致した場合もあるということになります。人生の全体を通じて 一般には 善因善果 悪因悪果という応報のあり方において 時の充満をとらえようとするのが ふつうだと考えます。(善と悪の定義も 争点になろうかと思われます。)

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