多分、大半の日本人にとって
というか 私にとって
ただの歳とった外国人のじいさんという存在でしょう。
クリスチャンでも教派がいろいろあるので、すべての人が尊敬しているわけでもないと思います。
Yahoo! JAPAN
*URLはダミーです。
特にどういう存在ってことはないですが、二十数年前に来日された際に遠い親戚が牧師をやっていて、ローマ法王の側近として通訳など世話役をしていたらしく、今回お亡くなりになったことは非常に残念ではあります。
おかしな延命措置がされていないのは良かったです.
http://d.hatena.ne.jp/TomCat/20050403#p1
TomCatの にゃんこの目withゴッゴルの耳 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世逝去
私にとってのヨハネ・パウロ二世は、
平和のために生涯を捧げた希有の指導者、
という印象です。
同じ「神」の名のもとに戦争を仕掛ける指導者に何度も対話を呼びかけ、
違う「神」の名のもとに暮らす人たちとの和解を目指し、
世界のどんな指導者よりも強く平和を訴え続けてきた、
尊敬すべき方でした。
教皇の逝去にあたり悲しみを表明した世界の指導者が
「許し合え」のメッセージを真剣に受け止められることを祈ります。
確かにPopeはこれまでの一線を越える行動が多かったですね.
それは評価できます.
http://blog.livedoor.jp/kotaro269/archives/16654742.html
小太郎ぶろぐ:ローマ法王の前でブレイクダンス!
私は数々の英断をされた方だと好意的に考えています。
有名なところでは雪山で遭難して死んだ人間の肉を食べた人を擁護し、破門しなかったこととか。
司祭のホモセクシャルを描いた映画に抗議文を出されたりもしましたが………
それでも頭の固い方ではなかったと考えています。
というのもおそらく、遠藤周作氏が生前彼を「人類の生贄」と語っていたのが印象に残っているからです。
(普通の人間でありながら、神のように徳をもって神聖に生きなければならないから……みたいなニュアンスで解釈しています)
だから私も彼を「人類の生贄」という存在として、好意と同情をもって見てしまっているのかもしれません。
ともあれご冥福をお祈りいたします。
ブレイクダンスを眼前で鑑賞してらした動画を最近見たところなので、余計に何か哀しいです。
人肉食を破門にしなかったのですか!
結構近い歴史の中でも有罪になっているのに,とっても大胆ですね.
永遠の神の守護神。
世界中で愛され究極の象徴である。
宗教を越え国境を越え、世界の隔壁を消失させた偉業は大きく、人ではなく神の化身とさえ思えた。
でも今回の事でやはり人であった。
しかし、その精神は永久に消失しない。
世界を統一出来た人はこの人しかいないと思われる程の実力者だった。
政治的、宗教的、人道的等の隔壁がなく世界が平和的に一つになれる先導者だった。
平和に歩む世界に一つ穴が空いた様だ。
うーん,私はそこまでは褒められないですねぇ...
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480057471/249-1703081-...
Amazon.co.jp: ローマ法王: 本: 竹下 節子
平和のシンボルでしょうか。
正直、全く関係ない存在です。
そういう人がいることすら、危篤になるまで気にもとめていませんでした。
URLはダミー
宗教の壁を越えた偉大な人物です。混沌とする世界の中で、人間の心のよりどころであり、世界平和の象徴として不可欠な存在だったと思います。
宗教の壁どころか宗派の壁も越えていないと思いますが.
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ed%a1%bc%a5%de%b6%b5%b9%c4
ローマ教皇とは - はてなダイアリー
運良く教皇になられたが、世界平和を望み続けた人です。キリストの外交官として、最後の最後まで、平和を望み続けられた人。
コルベ神父の足跡を追い、長崎にいらしたとき、お会いするはずだったにもかかわらず、こちらの事情でお会いできなかったので、個人的にも特別な感慨があります。私はキリスト者ではないですけれども、日本人だからとか、ローマ法王だからとか、そういうことではなく、人間として人が亡くなるということに対する悲しみがあります。
そういう意味では悲しいですね.
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=01902512
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*リンク先は『犬養道子自選集』です。
私にとって、「尊敬する人に、影響を与えた人」でしょうか。
もう10年から前の話ですけれど、高校時代に犬養道子さんの本にはまりました。
そのせいか、今回真っ先に感じたのは、「あ、犬養さんが悲しむかな」ということでした。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=00698435
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リンク先は、『和解への人 教皇ヨハネ二十三世小伝(岩波ブックレット No.178)』です。
よくよく考えると、そもそも、法王違いだったかも。。。(すみません
URLはダミーです。
ローマ法王って一度暗殺で銃弾を受けましたよね?
あのとき奇跡的に命が助かって、昨日までこの世で活動されてきたということそのものが、なんとなく神がかりな印象があります。
このたびお亡くなりになられたということで、なにかしら目に見えない使命を終えられていかれたのかな・・・と、私自身特に宗教は興味はないのですが、漠然とそんな気が致しました。
なんとなく、ですけどね^^;
以前来日された時の歓迎行事に関わったことがあります。その関係でヨハネパウロⅡには30年近く関心を持ってきました。信者ではないものの尊敬できる人物として、亡くなられたことに寂しい思いです。「戦争は人間の仕業です」は名言。
まぁほとんどの日本人にとってはただのおじいさん。
ひょっとしたら「え?そんな人居るの?」って言う人も居るかもしれないですね。
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URLはダミーです。
「ただの有名人」という存在でした。
でも亡くなった事にたいしては大変残念に思います。
信者ではないので、どちらかというと、法王制度についてはパウロ二世含め、政治的陰謀や駆け引き云々というゴシップ(しかし、世界的な政治経済や思想の影響を考えればそれで終わらせられない)印象が強いです。
しかし、そういう色眼鏡を置いたとしても、後継を考えず、死ぬまでその座を文字通り死守した、あるいは周囲がさせたという事は、適任の人間がカトリック内に存在しないと見るべきなのか、あるいは日本の皇室のように既に名目上の存在以上でも以下でもないのか…
いずれにせよ、宗教(当然カトリック)を理由にした諸外国の非人道的な考えもまた、徐々に薄れていくのではないかと思わせる時代の代名詞ではないかと思います。
人として誉められるべき言動もあったし、すべきではない言動もあったと思います。
宗教に関心の無い私にとっては「普段は思い出すことの無い」ひとです。
ただテレビなどに彼の姿が映ると、「あー、この人は凄い人だよなー」という話を家族としたりします。凄いな、と思う点は既出ですが人間の死肉を食べた遭難者の件ですとか、平和に対する貢献とか、そういう点です。
実際には世界はまだまだ戦争だらけで、あちこちで血は流れています。それでも、ある集団の上に立つ人間が「争いを望む」のと「平和を望む」のとでは、大きな違いがあると私は思っています。
普段は気に留めることはないですが、テレビなどで容態が悪化…などと耳にすると「うーん、そうか」と思うし亡くなった今は残念だな、と思っています。
世界が少しでも平和になるよう、天国から導いて欲しいと願っています。
http://www.sokagakkai.or.jp/top/meiyokaityou/i01.html
創価学会:池田大作(いけだ だいさく)名誉会長
創価学会もバチカンも、宗教といいながら、なんとなく宗教っぽくない。似てますよね。池田大作もローマ法皇も、どちらも、えらいようなんだけど、なんとなく実感がわかない。似てます。
Roman Catholicなんて私の周りでは聞かないですね.
大抵プロテスタント系です.