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ダミー
・因果応報というがこの流れのどこに応報されるべき因果があるのかよくわからん。
・上記の理由によりオチが唐突。もうちょっと雰囲気を盛り上げてからやってくれないと、ただのギャグになってしまう。
・戦国時代の骨などとっくにぼろぼろになっているはずだ。原形をとどめているかも怪しい。
因果応報という考え方に基づき感想を、ということですが、正直、この郷田という人が、一体何が悪くて死ぬことになったか分かりません。いろいろ首塚に対して悪さをしたとかいうのならともかく……。
不可思議な雰囲気を持った、不気味な怪談、という意味で、面白いと思いました。ですが、因果応報というテーマを持たせようとしたのであれば、それを感じることは出来ませんでした。
「因果応報」と言う事であれば、「因果」の部分が無いと思います。「郷田」が首塚に対して何か罰当たりな事をしたとかの描写が必要だと思います。或いは、「親の因果が子に報い」と言う例も有りますので、「郷田」が戦国武将の血を引く家系だと匂わせるだけでも、大分違って来ると思います。
ありがとうございます。ということは 因果応報の思想に近い考え方をされていると受け取らせていただきました。
本当は私自身は違う感想を持ちました。
URLタイトルは、その感想を表したものです。
因果応報という観点から書くと、
郷田は興味本位で何度も見に行きましたが、生徒の母親がきちんと管理していたことを知っていたにもかかわらず、大切に守られている場所だということをないがしろにしてしまった。雑誌には掲載されなかったけれども、取材対象に選んだり(面白おかしく取り上げようとした?)、骸骨がどうなっているか知りたくなったという理由で見に行くという死者に対する冒涜。
《興味本位》ということが 鍵だというご意見ですね。なるほど。あまり そちらの感覚を持たなかったのですが ありえますね。しかも notchさんは それでも いいから 皆無ではなく 一度なら 《近寄る》という感想を持たれたのだと受け取らせていただきました。
人力検索はてな
これは因果応報というより、
余計な物に関わったために
背負い込まなくてもいい災難に見舞われた、
といったシチュエーションですね。
因果応報を強調するなら、たとえば、
実は郷田が教師を辞める前、
この筍をくれた母親とは
ちょっとした仲になっていたのだった、
学校を辞めることになったのもそんな事が少なからず関係していた、
そうか、あの女は死んだのか、
竹林を後にした郷田は、ちょっと未練を感じて振り返った、
とその時、しなっていた竹が・・・・。
くらいの「何か」が欲しいような気がします。
この手の短編は伏線の張り方がカギですね。
ご健闘ください(^-^)/
TomCatさん コメントをありがとうございます。おっしゃるような見方を 或る程度はしていたのですが 物語の内容のほうをも 埋めてくださるかたちで コメントをいただきました。
そしてもしTomCatさんのお考えに なお 現代の思潮などに関連して お尋ねしたいことがあるとすれば それは 因が〔あまり〕ないのに このような果があったということについて どうとらえるかだと思います。とりあえず そういう問題として 扱わなければいけないのかぁというのが 思案のしどころです。
他の方々もおっしゃってますが「因果応報」がテーマなのに「因」が見当たらないので、オチのあるショートショートを期待すると肩透かしの感はありました。
「-因がないのに 果・しかも悪果があるというところを どう考えるか という趣旨で・・・。」
「因がないのに悪果」ではなく「良因があるのに悪果(良い事をしたのに悪い目にあった)」としたほうが物語に不条理感がでるような気がしました(例えば郷田に荒れ果てた首塚を整理させるなどして)。
コメントをありがとうございます。なるほど。良因(ないし善因)で悪果ですね。《不条理感》も 十分おおきな重要なテーマですよね。多謝です。
URLはダミーです。
この掌編から「因果応報」を汲み取るのは難しいですが、そこを敢えて念頭に置いて読んだ場合の感想です。
首塚であったという禁忌の場所で筍を掘ったことが因となり、教え子の母と郷田の死という果が得られたとすれば、郷田たちはそれが「因」であるというの意識のないまま行動し悲惨な「果」を招いたということになります。
そう解釈すると、「近代化や都市化によりかつてはあった『禁忌』という認識が失われた」というような懐古趣味のバックグラウンドを感じます。……もっとも、そう読むにはもう少しオカルト的な伏線が必要な気がしますが。
コメントをありがとうございます。なるほどと思いました。《禁忌の場所》であるという出発点と そこをいじってしまったという因ははっきりしているという点。しかも その因を 主人公たちは 知らなかった・意識しえなかったということですね。おもしろいと感じます。
URLはダミーです。他のかたもおっしゃってますが、いわゆる典型的な因果応報と解釈するのは難しいでしょう。
ただ、伝承されている怪談などでこのようにわけもわからずしかも淡々と殺されてしまう話はけっこう多いと思います。そういう雰囲気を狙ったのなら成功なのかもという気がしますが。
《わけもわからずしかも淡々と殺されてしまう話》という表現に たしかにと思いました。因果応報は 中味が壊れているというご意見だと推し測りました。
ありがとうございました。
何か郷田が悪さをしたからこのような結果になったとは思うけど、
この場合たけのこをほったからなのか
世間に紹介したからなのか、そこのところを
明確にして欲しかった。
でも、歴史は重んじるものだなと思いました。
ありがとうございました。やはりと言いますか 善因善果・悪因悪果の線で 基本的には 考えておられるのですね。参考にさせていただきます。
urlはダミーです。
普通に考えれば、この話を因果応報とは言えないですね。
でも、因果応報とは確か仏教の言葉。
現代では原因ー結果を明確に捉えがちですが、
骸骨を「おもしろい」と感じてしまったことが
因果になったとも言えるんじゃないかと。
そういう意味ですごく伝統的というか、東洋的ですね。
にしても唐突すぎる気はしますが。
ありがとうございます。keima555さんのコメントを含めて これまでのところ おおむね次のように捉えられるでしょうか。
①すんなりと 因果応報という筋では考えにくい。
②ただし 主人公の悪果をもたらした原因は ある程度見出せるとも思われる。もしくは はっきりしないが あるはずだ。
③他方 別の捉え方も できる。悪因無し(さらには善因あり)にもかかわらず 悪果を招来した。つまり 不条理の物語りであると。
④いや 善悪にかかわる因果応報の筋というよりは 善悪とは趣きをことにする好奇心の問題だ。つまり妙なことに興味を示したゆえであると。
このとき ②について 悪因をどこに・何に見出すかは いくつかの考えを示していただきました。興味深いものがありました。
もう少し 時間をおいて 閉じたいと思います。
URLはダミーです。
えっと・・・因果応報、ということですが・・・
どのあたりがそうなのか、が判りませんでした・・・。
郷田が首塚に対して何かした(管理をしている母親にひどい事をするとか、首塚に向かってつばを吐くとか、石碑をぶっ壊すなど)のであれば、まだ最後のオチは納得いくんですが・・・。
あと、郷田自身のキャラがつかみにくいです・・・。
変な感想ですみません
コメントをありがとうございます。そうですね。因果応報に合わない物語について みなさんの考えがどうなのか 伺ってみたいと思いました。
コメント ありがとうございます。
-因がないのに 果・しかも悪果があるというところを どう考えるか という趣旨で・・・。
-1,100字という字数制限が前提ではあります。
-虚構なので 必ずしも現実ではなく こころの真実の話ではあります。