リンク先→http://www.hatena.ne.jp/iwashi?mode=treedetail&thread=0000011227
質問文に引用するには長すぎるので、こうしたかたちにしましたが、ぜひリンク先の詩をよんでいただいて、次の3点にしぼって考察していただけませんか?
1.佐藤春夫は大石誠之助を「愚者」と思って、この詩を詠んだのか?
2.「偽(うそ)より出でし真実(まこと)なり」とは大石誠之助の言葉なのですが。佐藤春夫は、この言葉をどのように解釈したのか?
3.「町民は慎めよ。
教師らは国の歴史を更にまた説けよ。」
とはどういう意味なのか?
なお、大石誠之助とは「大逆事件=幸徳事件」に連座して刑死した、紀州新宮の開業医です。
書影は必須ではありませんが、明治時代の小説でオススメのものがあれば、挙げていただけるとありがたいです。
それでは、よろしく御願いします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E4%...
江戸川乱歩 - Wikipedia
1.本当に愚者と思っているならばわざわざ詩に取り立てたりはしないと思います。大石誠之助を通して世間に訴えたい事があったのではないでしょうか。
2.冗談で言った事が本当になった
本当にこんな事になるとは思っていなかったという発言に対し愚かだと言いながら同情しているのではないでしょうか。
3.大石誠之助は世間が思っているような悪人では無く、町人は軽はずみな言動をするな、教師はもっと彼について研究しろと言っているのだと思います。
有名所ですが、江戸川乱歩なんてどうでしょう。
ダミーです
4480103716 はbk1に登録がありません。
※大杉栄をして「偉大なる馬鹿」と言わしめた岩野泡鳴の作品「耽溺」「毒薬を飲む女」「放浪」他を明治の小説としておすすめします。(電子テキストで読めます>URL参照)
1.に関しては、作者を含む知識人やそれに類する者たち「聡明なる者」たちが事件に対して覚えたある種のうしろめたさとの対照において言われているものと思われます。実際、近代以降において、「聡明さ」とは「凡庸」さの必要条件にほかならず、ある種の「愚かしさ」あるいは「愚鈍」さこそが「非凡」となって立ち現れる異質性、怪物性、ひいては天才性の必要条件を形成するものとなっているのではないでしょうか。そしてこの「愚鈍」さとは、あくまでも「痴呆」さとは隔絶したものであることはことわるべくもないことでありましょう。
2.に関しては、ある種の極左的な「大言壮語」、それが社会主義の台頭を警戒する国家権力によってその額面どおりに受け取られ、天皇暗殺の大陰謀として取り上げられ、極刑に処せられる大逆罪として肥大化され、実際に処刑され落命するという紛うことなき「事実」となってしまった、その経緯をよく物語る言葉であると思います。ここでいう「嘘」とはあくまでも「行動」をともなわない「言葉」、(そして、その「言葉」じりをつかまえて肥大化された偽りの沙汰としての「事件」までも射程に含み)、「誠」とはあくまでも捕らえられた者たちが刑死してしまったという「事実」でありまししょう。
3.に関しては、1・でも触れた「聡明なる者」たちのうしろめたさから出たある種の自嘲が基調となっているのではないでしょうか。波風立てず平穏が何より、町民ら平民は自らの天下など野望を抱くことなく、この国の国体によく従うべきであり、世の教師たちは天皇を頂上にいただくこの国本来の姿をよく子供たちに教え説くがよいということでありましょう。
さすが、komasafarinaさん、岩野泡鳴に着目するとは( ̄∧ ̄)(_ _)
私は一時、明治の45年間で小説は一通りの形式を実験してしまって、その後は遺産をなぞってるだけ、という着想をしたことがありますが、説得力を持つほど明治の小説を読みきれずにいます。かなりぶっ飛んだ小説もありますよね。
中上健次が大石誠之助の「新し者好き・おっちょこちょい」の面を同じ紀州人として共感する文章(「私の中の日本人ー大石誠之助」初出は『波』1977年4月号)がありますが、大石誠之助は愛すべきドクトルだったようです。
1.
佐藤春夫が昭和33年に書いた自伝的小説『わんぱく時代』が参考になると思いますので、ご一読ください。
生まれ育った新宮と大逆事件をテーマにしたこの小説の中で、彼は
『
当時、天皇は神聖にして犯すべからずと法で定められていた。その天皇を、事もあろうに暗殺などとあるまじき不敬事を種に国民を煙にまいて、天皇を支配階級擁護の具に供し、あまつさえ天皇陛下の赤子十二人の虐殺を国家の権威を借りて断行した事件で、こういう過激な事件を醸造した時の政府とその手先の裁判官どもこそ真実の大逆罪と、僕は信じている。
』
と明言しています。また、
『
僕の父子にそれぞれ親友を失わせたあのいまわしい事件は、それでも僕に少しはいいこともしないではなかった。というのは、あの事件の結末に当って僕の書いた小さな詩「愚者の死」が、すべて反語的な表現であったから官憲の眼はくらましていたが、その底に潜み流れていた僕の感情は、官憲の不正に対して心ひそかに憤りを感じていた一部の人々の心にふれ共鳴されるものがあったと見えて、僕の小さな詩は人々の記憶に残って、僕という少年詩人の存在を注目させる役に立った。
』
とも書いてます。ですので大石誠之助を愚者と思っているはずはなく、むしろ大石の遺志を継ぐところから彼の文学的出自は始まっている、と考えるべきだと思います。
2.
これは推測ですが、大石にとっては絶望の言葉であると同時に、自己を対象化した失笑でもあったのではないでしょうか。おいおいおいおい、何だこれ?何この裁判?・・といった。
自己の状況を、さらにもう一回突き放してみせるような態度・悲しみを笑いに紛らせて語る気風を、佐藤春夫は新宮人気質と見ていたふしがあります。
大石の言葉は、事実判断をないがしろにしたまま現実化する状況への批判を含んでいますが、ならば積極的に嘘を引き受けることで真実を描いてやろう、という逆転をもって、そのまま佐藤春夫の創作態度として継承されたように思います。
3.
彼自身の言葉に従えば、これも反語の類でしょう。新宮に抱く愛憎の、「憎」の部分。
余談ですが、「わんぱく時代」の中に、主人公の友人で、大逆事件に連座して牢死する崎山栄という(虚構の)キャラクターが出てきます。彼は熊野地と新宮地の間にある被差別部落、地図に空白として示されるその土地を地図に載せるために踏査しようとする人物なのですが、これを佐藤の遺志と見れば、中上健次はまさにその遺志を継ぐところを文学的出自としているように思います。
おすすめ明治の小説ですが・・日本最初の痛快娯楽SFとして名高く、当時の少年たちの対外意識を形作ったと思われる、押川春浪の『海島冒険綺譚 海底軍艦』シリーズなどいかがでしょう?
ああ、待ったかいがありました。
『わんぱく時代』ーぜひ入手して読みたいと思います。
大石誠之助が被差別部落の住民に対しても分け隔てなく診療していたことは、同じ新宮の開業医の息子である佐藤春夫は子どもの頃から知っていた事実なのですものね。
大石ー佐藤ー中上と続く文学的系譜に、浮草的都会住民である私などは畏怖を覚えます。
押川春浪の『海島冒険綺譚 海底軍艦』シリーズーこれも面白そうです。
ありがとうございます。
明治時代は色々な可能性を含んだ興味深い時代です。ここで現代日本に通ずる総てが出揃ったと思っています。
それでは、質問を打ち切ります。
ありがとうございます。
「本家はてな」で質問していたのですが、埋もれてしまったようで・・・(^^;)bk1のほうが平和でいいです。
回答に関しては、かなりイイ線を行っていると思います。中には、佐藤春夫は大石誠之助のような思想を嫌悪したと批評する方もいるのですが、後年の太宰治との絡みを見ると、そんな単純な人物とは思えないのです。大石誠之助も都々逸の名手だった人なので、「偽(うそ)より出でし真実(まこと)なり」という言葉を表だけで解釈するのはおかしいと思います。
江戸川乱歩ー彼も諧謔趣味では負けないものがありますよね。明智小五郎シリーズ以外はマジメに読んだことがないので、この機会に少しトライしてみます。