(2)社会に適応できていますか?
孤独癖を持つ人の見分け方、定義などもあわせて回答してください。
(1)寂しいと思ってたらあえて孤独にはならないと思います。
(2)出来ていると思います。
孤独癖を持つ人は割と、持たない人に比べて協調性があまりないところで、見分けられます。定義では一言で言うと、前者が閉鎖的で、後者が開放的だと思います。
http://www.hatena.ne.jp/1103588595#
人力検索はてな - (1)孤独癖のある人は寂しいと思うことはないのですか? (2)社会に適応できていますか? 孤独癖を持つ人の見分け方、定義などもあわせて回答してください。..
(1)寂しい状況が好きなんです。
(2)出来てます。
以下、最も身近な所にサンプルがいたので、これにならって回答いたします。回答者とどういう
繋がりの人間かは・・・ご想像にお任せします。
定義)
昨今の高度情報化社会において、『孤独』がもたらし得る唯一のメリットは、「一歩引いた
立ち位置から俯瞰する事によって、自分を含む周囲の状況を正確・かつ冷酷に分析し、もって
的確な自己行動指針を計画する」という事であると考えられます。
これを明示的に、あるいは潜在的にかも知れませんが、自己保存の手段として、意図的に用いる
行動こそが、『孤独癖』と言えるのではないでしょうか。
寂しいと思わないか)
物理的な接触がなくて寂しくなる事は、ほとんど無いです。自分独りの時間を何より大切に
します。自分の中で処理しなければならない考えがとても多く、そしてそれはあくまで自分独りに
よってでしか解決出来ないと信じているからです。
このせせこましい世の中では、通常多くの人が多忙であり、端的です。そういう人と付き合って
いると、自分の中のあらゆる思案を短絡しなければなりません。それが結局、自分の自我を喪失
していく結果に繋がる恐れがあります。したがって、不用意に自分以外の人間と『群れる』事は、
不安をもたらします。
社会に適応出来るか)
そういう人が好む『孤独』が、社会すら自身から切り離さなくては成立し得ない、究極的な
ものである場合、文字通り『社会に適応』するのは困難ですが、多くの場合、そういう人は自分を
俯瞰する事によって、如何に自分が他者の支えによって生き延びているのか、という事に気付いて
いる為、かかる究極的な方向に走るケースは少ないようです。
したがって、必要最低限=必要十分な社会生活を営んでおり、これは無駄の少ないスマートな
コミュニケーションにも繋がり、場合によってはそれが他者に好まれるようです。
見分け方)
常に冷酷に状況を俯瞰しているので、他者はもとより、自分のふるまいに関しても非常に注意
深く警戒しているようです。こういった性格は業務において重宝される場合がしばしばあり、
いわゆる中間管理職において顕著です。他、バンドにおけるベーシスト・舞台での演出家・
藤子マンガにおけるメガネ・プライベートライアンにおけるマイク軍曹等にも、その例を見る
事が出来ます。
また、私生活においては、例えば喫茶店でサシで対話している際、振った話題のリアクションが
『まずタバコを吸う』『息をついて2時の方向に視線を投げる(俯角15°)』『言葉無く、軽く
うなずく』といったケースで判別することが出来ます。
何かネタっぽく脚色出来なかったな・・・長くてゴメンなさい
「私生活においては」以下が、知人の癖そのままでめちゃくちゃウケました。
長文好きです。ありがとうございます。
俯瞰=客観と読み替えると、非常に優れた
思考能力のように読み取れますね。
脊髄反射するよりも賢いのは間違いないんでしょうが。
偏屈なイメージももたれやすそうですね。さて、どうなんでしょう。
(1)私は孤独癖があると思いますが、寂しくはないですね
むしろその方が楽なんで…
(2)適応できています
その場だけでいいんです。その場だけで上手くやれば
見分け方:う〜ん、自分に当てはめると付き合いが悪い(ゼミの飲み会に行きませんもん)と特定の人としか付き合わない それもそんなに一緒にいない
定義:ある意味物好きな人間
孤独癖があるという人に話を聞いてみると、
自分への自信の片鱗が見え隠れします。
逆に言うと、謙虚だと感じる人で孤独癖という人を
見たことがありません。
いるんでしょうか。
孤独癖という言葉は初耳だったのですが、たぶん私もそうだと思います。
小学校一年生のときに、近所のおばさんから「moofちゃんは一匹狼だねえ」と言われました。
(1)もともと一人でいる時間が好きなので、寂しさに悩むことは滅多にありません。
大人数で盛り上がっている人達を見ると「楽しそうで羨ましいなー」と思うこともあります。
しかし、いざその中に入ってハイテンションに振舞うと、その場は楽しいのですが結局くたびれ果ててしまいまして、「あー向いてないんだなー」としみじみ思います。
(2)仕事も普通にしているし、ほどほど困らない程度に適応しているのではないかなとは思います。
孤独癖がある人は、ボーっとしているか、何かをジーっと見ていることが多いと思います。
ボーっと、ジーっと…というと
なんだか落ち着いたイメージですね。
外側から観察してるからなんでしょうか。
孤独「癖」という言葉はどんなイメージで仰っているのか、その意味がいまいち分かりにくいですね。
実際にもし知り合っててあなたから見れば僕のような人間は、孤独癖のある人間、と映るかもしれません。
「寂しい」感覚って、大勢で大騒ぎしている中の方がかえって寂しさが押し寄せてくるもので、
1人でいますと僕には何かとやるべきことがあり、それに延々と黙々と取組むので、
1人だから寂しい、という感覚自体が僕にはありません。
誰かと一緒にいても、顔で笑ってて頭では「こんな事してるんだったら家で読みたい本があるんだけどねえ」
などと、ずっと時間の経過を待ち望む事もしばしば。
以前彼女と付合ってた時も、デート中に話が盛り上がらないと、さっさと切り上げる事もありました。
(女性との付き合いは、僕は「会話の盛り上がり」が最もウェイト大きいんです)
とくに内容の無い世間話や雑談は疲れてしま性質です。いわゆる「癒し系」も僕にはかえって疲れます。(癒しでは全然癒されません)
疑問にしておられるようですが、しかし実際は社会にしっかり適応はしています。
建前上は、お世辞笑いも年輩者との世間話も誰かの愚痴の聞き役も、なんなとこなしていくことは出来ます。
一方で、もっと有意義な事が世の中には沢山あるのになあ・・・といつも思ってしまいます。
友人や恋人との付き合いが多少悪くなっても、自分のペースを維持する方が優先ですね。
仕事でもプライベートでも人のペースに合わせるよりなるべく自分のペースを守りたいし、
その結果これから孤独に生きていく事になっても、それで一生後悔することは無いですね。
寂しいことでなぜ恐怖感が湧くのか、僕にはそもそもピンときません。
(もちろん孤島に独りとか独房監禁とかいうんではない限り。)
定義、見分け方と言いますと、そうですねえ
仕事が好きな人間、何かに没頭している人間などは、とりあえず「孤独癖」なんじゃないですか?
「癖」といっても、くせ、ではなくて
志向、性格的な意味合いで使っています。
この質問をした背景と意図↓
私の知っている「孤独癖(本人談)」な人は、
周囲から自分を線引きして自分の時間と世界を
大切にしているのを間近で見ていました。
(実際、友達と言える人は一人しかいなかった)
身近な人間が離れるとなったときその人は
ものすごく落ち込んでいて、とても驚きました。
一人が好きな人でも寂しさとかそういったものは
あるのかなあと疑問に思ったのです。
孤独癖となると、寂しがり屋だったりいつも孤独を感じている人と違って、「あえて孤独でいようとする」とういことですよね。
(1)僕自身は、どちらかというと「寂しがりや」なので、結局人に頼ることになります。孤独であろうとする人は、周りを見ていると、他者との交流に深い課題を抱えている場合が多いように思います。分かりやすいところで言うと、意味がとりづらい台詞を吐いたり、でも周りが分かってくれなくてもいいと思っていたりする場合はかなりそういう人じゃないでしょうか。(時々ナルシズム入る場合がある)分かってもらうことをあきらめている人は、まだ寂しがり屋に属するのでしょうが、それを最初から望まない人もいますね。
特に後者では、そのコミュニケーション不全とそこから生じる悲しみや怒りがその人の精神活動にとって意味のあるものになってしまっている場合もあるように思います。それがコミュニケーション不全に耽溺する原因となっているのを見ると、時々いやになることがあります。そういう人は「見透かされる」ことで優越性を失うことが恐いはずですし、もし「見透かされる=理解される」ことに喜びや可能性を感じる(わかってくれた!と思う)のであれば、それは結局寂しがりやさんでしょう。でも、そこら辺の線引き(孤独好き/寂しがりや)は曖昧で、分かりにくくなっているのがたいていの場合だと思います。
個人的には、孤独であっても、他者を理解し、人を愛することができて欲しいと思います。「孤独を知る」作業って、ほんとはそのための一つのプロセスなんでしょうし。
(2)きちんとした仕事のアウトプットが出せていれば、適応できるのではないでしょうか。普段の会話や情のやり取りも、冗談をいうとか普通のことができてれば問題ないでしょうし、もしできなくても「個性」で片付く問題だと思います。要は、迷惑がかかってなければいいんじゃないでしょうか。ただ、そういう人は人との交流や集団作業から何かを学ぶことはないんでしょうか?そういう人にとっての「人間としての成長」というのが、いまいち分からない。あと、仕事ができても嫌われてる人っていますよね?あと、周りが優しい人かどうかにもよりますね。
でも、まあやっぱり人によって千差万別だと思います。心理学や精神分析のブームで「病名」をつけることに一時期皆熱心でしたが、個人的に付き合っていく場合、「傾向と対策」で片付けるのは難しいような気がします。
僕自身も、「どうせ世の中」的に、法則や分析モデルを披露すると、それこそ傲慢で孤独な人への入り口な気がしていて、気をつけるようにしています。
うわあああああ!!!
この回答すばらしいですね!!!!
文章も、内容も、申し分ありません。
もう、これで十分です。
ありがとうございました!!
>寂しがり屋だったりいつも孤独を感じている人と違って、「あえて孤独でいようとする」とういこと
そう、この定義でしっくりきました!
>時々ナルシズム入る場合がある
>「見透かされる」ことで優越性を失うことが恐いはず
>人との交流や集団作業から何かを学ぶことはないんでしょうか
こうきて、
>法則や分析モデルを披露すると、それこそ傲慢で孤独な人への入り口な気がして
こう!
一冊の本の要約を読んでいるようでした。
重ねて御礼、ありがとうございました!
http://www.koka.ac.jp/yamamoto/appli/hanaday/
孤独なココロを研究する Run Run's HomePage
①群れるのが苦手なので、大勢でいるよりは一人でいることが多いです。かと言って、寂しくないという訳ではありません。
単に人との距離の取り方を掴めないままに大人になってしまっただけなのでしょう。どう甘えたらいいのかも分かりません。大勢の友達とワーワー言いながら気軽に旅行に行ける人々を羨ましく思いながらも、そういうことは出来ません。
②社会に適合しているか?適合はしていると思います。別に問題なく暮らしています。
ただ、何があってもこの寂しさは埋まらない。それだけのことです。言いようのない寂しさが子供の頃からずっと消えずにいつもいつも胸の中にあります。どんな瞬間も。
見分けるのは難しいでしょう。ただ、距離を置かずにいつもその辺にいるのに、なかなか寄って来ない人は、割と可能性高いでしょうね。実際私がそうですから。輪の中に入っていけずにいますが、うるさく誘われると警戒します。
人によってそうなる過程が違うでしょうが、私は物心ついたころには、こうでした。
孤独癖とは、結局、「望む望まないに関わらず結果として(気が付くと)常に集団よりも一人でいる状態になってしまうことが多い」というものなのではないかと、私は思います。そして、「そうなってしまう人とそうならない人がいる」ということなのだと思います。
http://www.koka.ac.jp/yamamoto/appli/hanaday/kodoku2.htm
36点で、普通レベルでした。
>望む望まないに関わらず…
孤独というよりは、孤立?
孤立の結果の孤独のような気がします。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8650/comment.html
解説・あらすじ マンハッタン(1979) - goo 映画
1)寂しくないですね、淋しくもない。ネットとかダラダラしたTVとか(たいした意味のない役に立たない)「情報」とかがあると人類寂しくないもんだというのは、20世紀末から先進諸国に生息する人類が気がついてしまったことですね。情報相手に(情報を消費して)(たまには発信もして)暮らすことで1日24時間じゃ足りないぐらいで寂しいと思ってるヒマなんかないですよ。
2)社会に適応できてない人ばっかりになってきたので、そこそこ自分を出して、適応できているつもりになるしかないですね。そこんとこを(自分で)「問題」化してしまうと(世間の妙な論理に)足をすくわれてしまうので、社会や世間とはほどほどに最低限の義務を果たす(実はこれがけっこうたいへんなのは皆さんよーくご存知で)だけでいいんです。社会なんて適応しなくたっていいんですよ、べつにね。そんときそばにいる人と問題起こさなければ、それでよし。適応、不適応なんてこっちが気にする問題じゃないです。勝手にしやがれですよ。
3)「孤独癖」を持つ人の見分け方は、やっぱり「孤独壁」に気づくことですね。人に嫌われてる人は孤独です。オシャレな人も孤独です。できる人も孤独です。よい子もみんな孤独です。自分は人と違っていると思う人も孤独です。言い訳の多い人も孤独です。嘘つきなんかスッ獄孤独です。嘘つくたびに自分ひとりの世界ですから。趣味に走って趣味を極めつつある人も孤独です。そして、つまるところ、あなたは孤独です。私も孤独です。あいつも孤独です。みんな孤独なのでそんなに寂しさがひしひしこないのが都会というルーズな共同体なのかも。孤独が前提になった社会になってきているのかもね。ニューヨークに行ったとき、それを思った。すごく楽なんです。何でもできそうな気がするんですよ。孤独がベースになってる街だから。
だけど孤独を「個独」にできない人は孤独です。
独善的で断定的、かつ傲慢ですね。
様々な意味で読みにくいです。
匿名に等しいのでこんな回答の仕方をしたのかも
しれませんが、
よっぽど頭が良くないと普段の生活でも態度として現れているでしょうね。
孤独にならないのなら問題にならないでしょうが、
せめて周りを不愉快にしないよう祈っています。
URLはダミー。
①ほとんどない。というか、現代は孤独癖のあるほうが有利とも言える。なぜなら、現代は余暇の爆発的多様化で、時間がいくらあっても足りないから。このはてなもその多様化の一つ。集団でいなくてはいられない人はそのつきあいで自分の時間が振り回され、多様化された余暇等を最大限に利用できない。
②社会に適応できています。たとえば、会社に行ったときは、同僚とかなり話をしています。話をするのは孤独癖のある人には苦痛かと思われがちですが、意外や意外、適度な会話はむしろストレス解消になる。でも、会社が終わるころには、話が飽きるので、ちょうど良い。
質問文も読めないくらいでは、
社会に適応できている程度もたかが知れますが。