私の例→小池真理子「恋」は(ある面において)独占欲なき愛情で結ばれた夫婦を主役とする小説ですが、私は作者の提示する「真相」にぶち切れました。私は「秘密」抜きでその夫婦に共感していたからです。しかしこの展開でなければ一般向けの商品にならなかったろう、とも思うのでした。
太宰治『人間失格』
小説全体は好きですし、いい作品だとは思うのですが、絶対にいらないと思うのが最後の「あとがき」。一般の読者には暗い話の中の救い、みたいなものかもしれませんが、個人的には余計もいいところだと思います。
「いまの自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎていきます。」のくだりで終われば完璧なラストだったのに、マダムの「神様みたいにいい子でした」の部分で変な自己正当化を感じてしまって、傑作に傷をつけてしまっていると思います。
ただ、途中にも書きましたが、ふつうの人はこれがないとあまりに救いがないと感じるかもしれません。
村上春樹『ノルウェイの森』
村上春樹の小説は好きな方なのですが、このヒット作は個人的にダメでした。どこがダメかというと、主人公が引かれるミドリの魅力が全くわからなかったからです。ミドリが魅力的と考える人も多いのでしょうが、僕には単なる”おばさん”にしか思えませんでした。(好きな人、すいません。)
原リョウ(漢字出ません)はデビュー作から読んでますが、9年ぶりの新作を読んで一言。
「金返せ!!」
ご都合主義のプロット。よく分からない登場人物(特に犯人)の動機。男女の愛情の機微が書けないのか、同性愛者を持ち出す安易さ。あちこちで書評を読みましたがけなしてるのがないのが不思議なくらいです。
ご都合主義はいつものことだから、じゃないですかね。もともと一般受けを拒絶している作家です。少数のコアなファンのために書き続けたいということを直木賞を受賞されたときにも述べていらっしゃいます。だから、新作も当然、これについていけるファンのための本であるといっていいのではないでしょうか。
ご都合主義が気になるのであれば、前作を読み返されることを勧めます。沢崎の異常な勘のよさは、前作の時点でシャーロック・ホームズの域に達しています。つまり、そういう小説だと考えるべきなのではないかと。
以上、擁護論でした。
ユンカース・カム・ヒア―完全版 (上) (あすかコミックスDX)
「ハンニバル」です。なんと言ってもハンニバルです。「レッドドラゴン」「羊たちの沈黙」と非常に面白く、また「ハンニバル」も面白い……途中までは。未読の方には申し訳ないのでこれ以上言えないけど、私は全く納得いきません(>_<)映画のほうが良かった〜〜〜!映画も、ラスト直前までは非常に原作に忠実なのに、ラストだけ変わっているところを見ると、納得できない人々は他にもいそうな気はしますが。あー、思い出すと非常にモヤモヤ…。
映画があのラストであったことが非常に私の救いでした。楽しみにして、待って待ってようやく読んだだけに、数日はショックから立ち直れませんでした。
「ユンカースカムヒア」
TM NETWORK大好きで、今も好きです。CAROLは非常に面白かったです。が……これのラストは、いまだに納得がいかない。安易過ぎると思うんですが。なんというか、えーそんな世の中都合よくいかないでしょ、と思わず心の中で突っ込んでしまいました。うーん。原作のほうはbk1では出てこないんで、コミックスのほうで一応乗っけましたが、もともとは小説です。
あっはっはっはっは。いや、「ハンニバル」は正直いって、映画版の方が一般受けする展開なんじゃないでしょうか。クラリスがあっちの世界の住人になってしまうなんて物語は、すれた読者でなければついていけないと思います。私はノワールに分類される、常軌を逸した価値観を肯定して物語が組み立てられた小説を多く読んでいた時期に「ハンニバル」を読みましたので、むしろ至極まっとうな、当然の結末と考えましたけれども、そう思う方がふつうでないはず。
さて「ユンカース・カム・ヒア」は木根さんの小説ですよね。私も一時期はまりまして、たいてい読みました。で、私の考える木根小説のいいところは、バカ正直に夢を書いてしまっていること。なので「安易過ぎると思う」というご感想は、それをいったらあなた……という感、無きにしも非ず。いや、わかりますよ、わかりますけれども、ね、そういう商品って、あるじゃないですか。さじ加減の問題、といわれれば、うん、たしかに「ユンカース・カム・ヒア」はあまりにもあんまりかもしれないのですが。
なんて擁護しつつ、私の一番好きな木根小説は「八王子のレッド・ツェッペリン」だったりします。これもラストだけは「そんなアホな」という……。今読んでどうなのかはわかりませんが、記憶の中ではとてもいい位置にある一冊。たまにこういう、自分の中で評価に困る作品があります。そんなによかったかなあ、と思うんですけど、でも、みたいな。
「世界の中心で愛を叫ぶ」です。
本のラベルを見て買ったのですがいまいち理解できませんでした。きっと私だけなのでしょうが。ストーリーの中心まで「おお〜」と思ったのですが最後に「あれ骨を撒いちゃうのね?」他に好きな子ができたらはい、さよならですか?と思いがっくりしました
いや、riesyan さんに限った感想ではないだろうと思いますが、
> 他に好きな子ができたらはい、さよなら
> ですか?と思いがっくりしました
あらためてこう断言されると、ええ〜? そーゆー話だったっけ? と思わないでもないというか。
一冊目は村山由佳さんのデビュー作「天子の卵」です。この作品は切ない純愛小説として根強い人気があり、先日も10年越しの続編である「天使の梯子」が発売されたところです。ですが…僕には後半の怒涛の展開が唐突で、安易なお涙頂戴にしか思えませんでした。素直じゃない僕がいけないんでしょうけど。
二冊目は東野圭吾さんの「宿命」です。この作品も人気があり、近々映画化もされます。いわゆる「衝撃的な展開」と「唐突な展開」と言うのは近いものだと思うのですが、僕にはこの作品の衝撃的なラストは、単に唐突なだけに感じられてしまいました。少なからず感動はしましたけど。
「唐突」……はいはいはい、これはわかる、わかります。たしかに、作家としても先の展開が見え見え、なんていわれるのも癪ですからね。妙に勘のいい読者というのがいて、「宿命」のラストだって「予見していた」なんて人がいる。そんなアホな。でもいるんだから困ってしまう。あれ以上、唐突に真実を提示することはできないだろうと思うわけで。読者も千差万別、作家のさじ加減がお気に召さないことがあっても仕方がない、と割り切る他ないのでしょうね。
それにしても、我ながらよく読んでいるなあ。まあ偶然、たまたまなんでしょうけれども。あるいは回答者のご配慮。質問者の知らない作品では、いくら力説されても理解が及びませんからね。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_rev.cgi/402a5a85b3e0a0100...
オンライン書店ビーケーワン:ハリー・ポッターと賢者の石「この作品の大成功は、ファンタジー界にはマイナスだった。」
『四日間の奇蹟』
本当に、単に私の好みだとは思うんですが…。
全体的には別に嫌いじゃないんですが、事件のあと、千織(サヴァン症候群の少女)がだんだん「普通」の女の子のように変化していくのがなんだか嫌でした。
全然別の人間になってしまったようで、これがハッピーエンドのひとつとしてとらえられてしまうのに違和感があります。まるで、それまでの彼女を否定しているような感じが嫌です。
『ハリー・ポッター』
確かに、読者を流れに引き込み、読ませるような魅力があるんだとは思います。私も普通に楽しんで読んでます。映画化はわりと精巧だと思いますが、もともとこの作品が映画的なものだったからだと思います。確かにスリルもあって面白い。ただ、後に何も残らない。もしくは、あとで思い返すと突っ込みたいことばかりだったりします。
マイナスポイントとしては、
主人公に欠点がなさすぎて全く面白くない。しかも、その面白くなさを不幸な境遇に置くことで同情心を得てカバーしている。。
いかにも賢者のように描かれている校長さんの、極端なえこひいきっぷりはどういう了見だろう。まったく理解不能。
私は、これを『ファンタジー』の大作とは絶対認めたくない。
魔法がこれじゃ、ただの便利な道具、ドラえもんと似たようなもんだと思う…。確かに大作だとは思いますが。
やっぱり偏った意見なのかなー(^-^;
『ゲド戦記』とかが好きで、そっち派なのです。
参考URLの書評に賛成。
「四日間の奇蹟」は未読なのですが、ご指摘の点は普遍的ですね。特異な個性を持ったキャラクターを最初に提示しても、そのキャラクターのままではどうしても多数の共感を得られない場合、次第に特異なキャラクターの中にある普遍的な部分を強調していくこととなり、最終的には主客逆転してしまうという展開。最初の特異なキャラクターに共感した少数派としては割り切れないですよね、そういうのって。
「ハリー・ポッター」……一応、作中では主人公には「孤独」という属性が与えられているわけで。それをどう評価するか、という辺りではあるかな、と。
私は参考例の書評の結論には同意していなくて、別にハリポタが成功してもしなくても日本にファンタジーの大きな市場なんてなかったわけだから、何であれ裾野が広がることはいいことなんじゃないか、と。「指輪物語」のヒットもあったわけで、近年の状況は決して悪くない。個人的には、日本ファンタジーノベル大賞の順調な推移に感嘆するとともに、今後も注目・応援していきたいなと思っています。
私の場合は桐野夏生の「OUT」ですね(以下、ややネタばれを含みます)。
この小説の眼目は、それまで平凡な生活を送っていた主婦たちが如何に犯罪に手を染めていくのか、その過程のリアルさにあると思うので、中盤までは熱中して読んでいました。
でも後半になって「普通じゃない男」が強引に物語を締めていくのを読むにつけ「それはちょっと違うんじゃないかなー?」なんて思いましたね。そういうベタで安易な方向に行くのはどうなのよ?、と。
でもやっぱ決着をつけたほうが一般受けするんですかね。ベストセラー、ドラマ化、映画化、しまいにゃエドガーランポー賞ノミネートですから。
エドガーランポー賞? この略し方は初見。とっても気になります!
さて、「OUT」ですが、私は素直に読んだクチ。どうせリアルだなんていってもさ〜、という割りきりが私にはあるので、面白いキャラクターが出てきたなあ、というくらいにしか思わなかったところ。馳星周の作品でもそうですけれども、素人が悪事を働いていると、どこからともなく本当に悪い奴らが集まってきて……という展開は、ある方面ではお馴染みなんですよ。そうでない小説となると、つまりその、面白いことが何も起こらない小説になってしまうわけで。いや、何が「面白い」かという問題があることは承知の上で、私の趣味を書いているわけなんですが。
「OUT」に何を求めていたか、という話に尽きるのだろう、と思います。どこまでもリアルに、といったら、この本は前半だけで終ってしまいます。それでいい、というのもひとつの見識かと思います。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/4207a0991afd20...
オンライン書店ビーケーワン:世界の中心で、愛をさけぶ
片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」
全く感動できなかった。病気モノで”感動”を狙っている割には、主人公に同調することができない文章だし、読んでいる途中も読み終わった後も全然満足感が得られなかった。もっと感動できる本ならいっぱいあるぞ!
お怒りは分かりますが、これは「感動したい」人が気合いれて「感動する」ための本ですから。「同調できない」なんて泣き言を書いている暇があるなら「同調する」んだよ! それがこの本の読み方なんだよ! とかいってみたりして。個人的には、浅田次郎の小説と同じようなものでありまして。最初から泣くつもりで読めばいいんですよ、うん。
> もっと感動できる本ならいっぱいあるぞ!
でもそれがなかなか。試しにセカチューの愛読者に他の本を薦めて御覧なさい。感動するどころか、最後まで読み通すことさえできやしない。イン・ポケットでは毎年のようにコーンウェルが読者投票の上位に来るのに対し、書評家や作家は滅多に彼女の作品を評価しませんね。たくさん本を読んでいる人、というのは、吃驚するくらい、本をあまり読まない人と感覚がずれているのだと思います。
そういう意味で、多数派向けの本、というのは、もっともっと増えていいはずだと私は思います。私たち(あえてこう書きます)が好きな本ばかりが書店にあふれている、そういう状況でいいのか、と。売れない本と売れる本は何かが違う。西村京太郎みたいな、バカみたいな推理小説がドンドン売れている。信じられないけれど、それが現実です。で、書店にある本の大半は1万部も売れやしないもの。本を読まない人の少なからずは、読みたい本がないという。そうなんでしょうね、これほどたくさん本があってもね。もっともっと、第二第三のセカチューが出てくるべきだと私は思っています。
そこに需要があるのに、誰も商品を提供できずにいる。もったいない話です。
内田 康夫の「天河伝説殺人事件」
何と言うか内容があまりにもうすっぺらい・・・・。
読み始めて前半もいいところで、犯人が想像できてしまい「いや、ベストセラーなんだから、ここからどんでん返しがきて思いもよらない結末になるんだよ」なんて自分を納得させながら読みましたがそのままでした。
犯人に同情もできない、文章は薄っぺらい、浅見光彦でしたっけ?に魅力も全く感じることもできず・・。
上下刊に分かれていただけに、尚一層「金返しやがれ!!!!」と叫び、本を床に投げたほどでした。
この人の本が売れている理由が全く持って、いまだに理解できません。
偉大なる内田康夫先生の作品に重厚な内容を期待する方が間違いです。内田先生の作品がよく売れているのは、その薄っぺらさゆえなので、文句をいっても始まりません。需要があるから売れている、それだけのことであります。
小説と言うには短い話ですが、「走れメロス」だけは子供の頃から納得がいきませんでした。
いくら暴君だろうといきなり王様を殺そうとするなんてメロスはあまりに乱暴な人間だと思います。しかも捕らえられたら捕らえられたで、妹の結婚式に出たいから友人を代わりに人質にしろと言い放つ自分勝手さ。この性格にあきれ果ててしまったので、このあといくら美談になろうとこの作品は全然いい話に思えませんでした。
そうじゃないとお話にならないというのは分かるのですが、納得がいかないですし、絶対メロスと友達になりたくはないです。
私もときどきありますよ、そういう、余計なところが気になって気になって、本筋なんかどうでもよくなってしまう、という経験。細かいことは気にしないのが得策、とわかっちゃいるのですが。
ところで、友人を身代わりの人質にするくだりは、友情の厚さを端的に示すエピソード、と解釈するのが通例のようです。そして王様がその馬鹿げた提案を受け入れた理由は、作中に存分に描かれていますね。何はともあれ、原文:http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1567_14913.html を読むと、やっぱり私は gentoo さんが気にされている箇所、全然、気にならない。面白いですね。
メロスとセリヌンティウスの間には強固な信頼関係があったので、セリヌンティウスは何も不安を感じなかったのだし、それをわかっていればこそ、メロスも身代わりの人質ということをいったのです。通常であれば、セリヌンティウスはメロスを信じない。だから身代わりとなれば死を覚悟するのだし、そんなバカな、許せない、となりましょう。しかしこれはそういう話ではない、と私は思う。
Deep love アユの物語
ストーリーは、まあまあだと思う。
キャラも同じく。
ですが、読み終わって残るものがありませんでした(汗)
映画化もされた、ということなので、世間一般様にはかなり評判がよかったようですが・・・私にはさっぱり・・・。
いや、世間一般に評判のよかった作品ではない、と思いますよ。新聞の書評でもバカにされていたし、雑誌でも同様。つまりこの作品は、従来の読書層とは異なる読者層を開拓した作品である、と考えるべき。もともと本を読む人なんて1000万人なんだから、他に9000万人分の未開拓領域があるわけですよ。で、そっちの方向で、ちょっと当った、という話。
だいたい本のベストセラーなんていっても読者数は100万人とか300万人とかでしょう。映画は最高で観客数2000万人くらい。これだって大したことない。1億人は見ていないんですからね。ようするに、史上最高のヒット作だって何だって、過半数の人にとってはどうでもいい内容である、といっていい。
だから、ベストセラーなのにつまらない、人気ドラマなのにくだらない、オリコン1位なのにただの騒音、そんなの不思議でも何でもありません。
そう割り切るべきですね、というか、割り切るしかない。
逆に、こんなのがベストセラーでいいのか!? とかいって深刻ぶるのも、ほとんど無意味だと思います。どうせ過半数の人が見向きもしないものでしかないわけで。とくに本の場合、たかだか日本人の3%が読むだけで史上最高の売上だというのです。そんなものを心配するより、97%のマトモを信じた方がいい。「Deep love」は第1巻が100万部に達していなかったと思いますから、日本人の1%も読んでいないわけで、あまり気にしない方がよろしいかと。
ハリポタのいいところはid:liquid_fishさんと同意です。
ですが、やはり善悪二元論的なところがあるような気がします。スリザリンやマルフォイばかりを敵にしていますが、ハリーもマルフォイ以上の悪いことをしていることがある。それを無視してまでハリーをよくみせようとするのはどうかと。
優勝してたりするのもグリフィンドールであることが多いし、ハッフルパフとか、レイブンクローとかは全く存在感がない。
この作品を過大評価している人はたくさんいるが、日本のファンタジー作品でもこれと同じくらい、もしくはそれ以上の作品がたくさんあると思う。
なるほど。
ところで最終文ですが、それは何を評価基準とするか、によりますね。売れる本というのは、誰かがお金を出したから売れているのです。そして誰だって、お金をどぶに捨てたくはないものですよ。つまり、読んでみてガッカリしたかどうかは別にして、少なくとも代金分の期待を持たせることに成功した本だけが、よく売れているのです。マスコミが派手に取り上げるから売れるんだ、というのは半分間違いです。「プロ論」にしろ「バカの壁」にしろ、売れて初めてマスコミが飛びついた。最初に宣伝ありきではないのですよ。
売れた、という1点において、ハリポタは稀有な存在であり、孤高の地位にあると私は評価します。その一方で、じゃあハリポタの内容の何がすごいんだ、といわれても困る。それが分かるなら、私が自分で出版社を立ち上げています。ヒット商品というのは、みなそういった一面を持っていると思います。「電車男」だってそうで、あれがそんなにすごいのか、といわれても、ねえ?
「人間失格」は私も同感。馳星周をはじめ、最近の小説には救いの要素を用意しない例も少なくありません。それだけ本がたくさん出て、王道路線の本が出尽くして多様化の道を歩んでいる、ということでしょう。その点、太宰治の頃には商品として件のあとがきを必要としたのかもしれませんが、不徹底な印象は否めませんね。とはいえ、それで売れたならまあいいじゃないか、という気もします。
「ノルウェイの森」ですが、私は単なる”おばさん”をいとしいと思うので、とくに魅力的でないように思えるミドリに惹かれる主人公には共感できました。ふつうの人はどうだか知りませんけれども、私は基本的に、誰が見ても素晴らしいというような人には恋しません。ありふれた、路傍の石みたいな人が好きですので。こう公言されて怒ってしまうような人は除く……というと、かなり限定されてしまうわけですが(笑)