ルール
0:できればルールを読んでからお答えください
1:【読んだことのない本】は当てずっぽうで構いません
2:【必須】どんなふうに面白いのかを教えてください
3:【小説】に限ります。短編集可。ただし推理、SFなど分野が偏ったものはNG
4:楽に安価に入手できること。図書館は不可
5:日本語のみ。翻訳可
6:【pt】既読本は5-15ptほど、未読は10-20ほど。わたしが面白いと思った本、説得力あるプレゼン、再読する気にさせてくれた方、ほど高得点。説明のつまらない方、面白くないと思った本は少なくなります。わたしにも好みがありますので、それにあわない場合は辛く、あう場合は甘くなることと思います。
7:ルールを破っても構いません。ただしptは辛くなります
三姉妹探偵団珠美・初恋篇―赤川次郎ミステリーコレクション〈4〉 (赤川次郎ミステリーコレクション 4)
推理小説といったら、赤川次郎ぐらいを たくさん読みました。
この三姉妹は、個性的なので おもしろいです。
「ICO 霧の城」・・・PS2のゲームをノベライズしたものですが、作家がなんといっても宮部みゆきです。奥の深い、ファンタジー作品になっています。
話の通じない二人が、手をつないで「霧の城」から脱出しようとする様に、歯がゆさを感じつつも応援してしまいます。
「三国志」・・・昔からいろんな作家が三国志を書いてきましたが、北方謙三のものが一番人物に魅力を感じさせます。本来は「悪役」「裏切り者」といった感じの強い呂布が愛情深い戦士として描かれていたり、徳の人であるとされた劉備が計算高い策士であったり。三つの国で覇を争う物語は、やはり何度読んでもわくわくさせられます。
宮部はかなり読んだのですが、これは未読ですね。ゲームのノベライズというとどうしても軽く見てしまうところはありますが、興味を惹かれました。
後者は既読です。三国志ほか戦史ものは基本的に苦手なのですが、結構楽しめた覚えがあります。批判する人は多いのですが、わたしはどうも北方は嫌いになれません。なんというか、バカみたいな理由なんですけど、顔が好きなんです。
1.ゲド戦記自体は読んだことがあるのではないかと思います
ただ、4巻、もしくは5巻で完結とされており、去年と今年に入って新刊が2冊出たことをファンでもご存知ない方が多いからです
2.ファンタジー小説の原点とも言える本で必ず名前が挙がる小説の一つです、海外ではテレビ化もされているようですね
作者のアーシュラ=ル=グウィンはアースシーという世界を作り、独創的な世界観、独自の魔法体系、生き物、植物を書き、アースシーという世界に住む人間の社会体系を実に巧みに描画しています
3.シリーズ自体は結構メジャーな小説だと思いますが、新刊は未読なのではと思って紹介します(質問の文脈からすると、短編集の中の話のジャンルが偏ってるとNGということですか?)1〜3巻の話の流れはゲドが主人公の普通のファンタジー小説ですが、4、5巻とストーリー展開が変わり驚かされるでしょう、6巻は外伝ということで、世界観の補足的なストーリーが収録されています
4.大手の本屋さんになら並んでると思います(注文も可能でした)
5.海外版は実は4年前に既に出ていたのですが、日本翻訳が出版されるのが遅かったようですね、私は取り寄せてしまいました(^_^;
う、未読です。もちろん既刊本は読んでたのですが。これはチェックしておかねばなりませんね。新刊がでたという話は知っていたのですが、そのまま忘れていました。
ちなみにル・グウィンはわたしは結構短編集が好きですね。なんというか思想的に偏ってしまった感じのものも多いのですが、なかなか楽しめる短編も多くてすきなのです。
私は阿刀田 高の短編とエッセイをお勧めします。
最初のは、いわゆるブラックユーモアです。
二つ目の本は、すべての短編が風をテーマにしていて、その短編を読むとヒューと風がふいたような錯覚に陥ります。
3つ目はエッセイで、古典文学のなかでエロスがどのくらい当たり前に明るく取り上げられていたかについて、面白おかしく記述したものです。
どの作品も教養や表現力の高さ、綿密な構成に圧倒されます。
短編では阿刀田高にかなう人は少ないのではないでしょうか?
#筒井康孝とか?
これらはすべて既読ですね。お察しの通り(なのかな?)ブラックユーモア的要素のある作家は大好きです。わたしはどちらかといえば筒井びいきですが、阿刀田もいくつか持ってます。
「エロスに古文〜」を読んだのはいつだったかな? 中学生くらいだったかもしれません。題名からむにゃむにゃなものを想像していたのですが、ぜんぜん違っていたのにずいぶん感心して読んだ覚えがあります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041407753/hatena-q-22
Amazon.co.jp: 鬼(もの)狂い (角川文庫): 西村 寿行: 本
鬼(モノ)狂い 西村 寿行 (著)
愛する娘美和を白血病で失った時、夏目国光の妻佐里は出奔した。六年の後再会した佐里は末期癌に冒され喘いでいた。共に離さず肌に抱いていた愛娘の骨片が空白を埋めた。夏目は警察をやめ、家を売り、更に強盗を働いて金を作って、骨を噛む苦痛から佐里を解放するため、麻薬を購って死出の旅に出た。
上記の帯の文句に惹かれ購入。
涙をぽろぽろ流す内容なのかと思いきや、2人の求める愛は徹底的にすれ違い、死に行く者、残される者達のモノ狂おしい思いが、凄絶な描写によって心に叩きつけられる。
妻を救う為に犯罪を犯し、追われる身になりながらも、その妻の思いは、夫を否定するモノでしかなかった。
人を愛するという事は愛する者の為にではなく畢竟、おのれの満足でしかないのか?
2人の身に降りかかる嵐の様な展開の末の結末は如何に?
心がじーんと温まる小説です。
未読です。ご説明を見た限りですと、ストーリー自体は北野武「HANA-BI」に似ているのかな?
> 人を愛するという事は愛する者の為にではなく畢竟、おのれの満足でしかないのか?
これがいいですね。重厚な話が好きなので興味を引かれました。
できれば質問終了時に未読のものから十冊程度リストして、買って読もうと思っているのですが、その候補に残させていただきます。
輝く日の宮は、源氏物語を母体とした日本文学。
7つの章から成り立っており、非常に読みやすかったです。
可笑しい愛は、ミラン・クンデラ唯一の短編集。
旧東ヨーロッパの窮屈な社会をユーモアに描いた作品。
両方ともに未読です。
前者ですが、非常に申し訳ないのですが、わたし丸谷才一は大ッ嫌いなんですよね。正直あまり読む気が起こらなくって・・・
クンデラの短編集はとても興味深いですね。いっときマジックリアリズムの文脈でもてはやされた時にいくつか読んだのですが、これは読み逃しておりました。クンデラ自体、そうしたことをおいておいて、単純に読みどころのある作家だなあと思っております。こちらは候補に残させていただきますね。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3f765b8090ca10...
オンライン書店ビーケーワン:雪の中の三人男 創元推理文庫 508‐2
エーリッヒ・ケストナーの名作で、児童文学全集には必ず収録されていますから、既読かもしれませんね。
最近、文庫化され、久しぶりに手に取って読んだのですが、1933年の発表でありながら、内容はまったく古びていないと思います。ドイツの男子のみの寄宿制の学校を舞台にしていて、師弟関係も親子関係もいささか理想的にすぎるとは思いつつも、感動して読んでしまうのは、ケストナーのヒューマニズムによるものだと思います。
あと、URLの方は同じケストナーの『雪の中の三人男』です。これも、ほのぼのさせる名作だと思います。
残念ながら既読です。
実は児童文学って結構好きなんですよ。以外に暗いイメージのあるものも多いんですが。考えてみると、自分が活字を読み始めたのは児童文学からだったような気がします。これもその頃に読んだもので、今読めばまた新しい発見があるかもしれませんね。文庫化されていたのは知りませんでした。でも、何で読んだんだろう、よく覚えていません。
「雪の中の〜」がケストナーだったとは知りませんでした。こちらも既読です。でもお金持ちが出てくる話としか、あんまりよく覚えていないなあ。
既読の可能性は果てしなく高く、読まれてないにせよ内容をご存じの可能性もこれまた高そうですが、「冷静と情熱のあいだ」を勧めてみます。
万人受けしそうな江国香織と読者層が狭く深い辻仁成が一つの恋愛を男女両側から描いた恋愛小説。
私は男性なので江国ver.への感情移入は難しかった。もし女性なら辻ver.への感情移入が難しかったであろう。一冊だけを見れば短所かもしれないが2冊ということでお互いの足りない部分、もしくは描くことができない部分を補完しあうことが出来た素晴らしい作品であると思います。
内容は、芽実(めみ)という恋人がいるのにもかかわらず、いつも別れた あおい のことを心の中で思い続けている順正(主人公)。彼がかつての恋人であるあおいと交わした約束を踏まえての話。順正が美術品の修復の仕事をしているので日本のみならず、イタリアも舞台になります。
恋愛というのは理屈抜きで「あなたじゃなかったら成り立たなかった」「あなただったからここまで頑張れた」というものが存在するんだなぁ、と感じます。
昨今科学が進歩するなか、感情だけは科学で解明されてほしくないと思います。
最後の「イニシエーションラブ」はミステリーです。「だからんNGっつってんだろぉ!」と言わずに聞いてください。
ふつうに読めば恋愛小説にしか読めませんので勧めてみました。「ミステリー」として読めば最後にどでかいオチ(伏線は随所にありますが)が来て「ぬぉぉぉぉぉぉ!」ということになります。ミステリーは不案内でしたが、今年読んだ本の中で一番でした。
内容はネタバレに注意しながら言いますと、「大学4年の男の子が面子合わせの合コンに行って彼女を作り…」というベタな感じですが初々しくて良いです。舞台は80’s後半です。ミステリーになじみがなければこそ、機会があればこの本を一度読まれてはいかがでしょうか?
長文拙文失礼しました。
いえいえ、わたしはどちらかというと、長文の方がうれしいです。わざわざ長いご説明を書いてくださってありがとうございます。
あと、ルールに関してですが、7に書きましたとおり破られてもまったく構いません。もともと分野が偏ったものをNGとしたのは、一つの分野の本ばかり集まってしまうとつまらないなあ、と思ったからでして。推理、SFなどは特にコアなファンが多そうなので偏りがちかと思い、圧力をあらかじめかけさせていただきました。
というか、ルール破っても構いません、と書いたときにはもっとハデに破る人がいるかと想定したのですが(せめて、本を答えてくださいね)。
さてまず「冷静と情熱」ですがお察しの通り既読です。うーん、正直わたしはこの小説にはかなり酷い評価を与えているのですよね。forget-me-notさんが書かれている意見にも賛同できかねるところがあります。ただ、ご指摘の通り、結果はともかくこうして同じことを二つの方向から書こうとする試みというのは面白いですよね。古いゲームブックなどにはありましたが、小説では珍しいですね。
辻という作家はもともとアタリが極端に少なく、ハズレが多い(「海峡」とか)。始めからつまらないものばかり書く作家として相手にしない人も多いですが、わたしはその少ないアタリの中に結構面白いものがあると思います。白仏はなかなかでした。ただどちらにせよ、文章にあまり味というか、活字を読む楽しみみたいなものが薄い作家というのは否めません。
江國は逆にコンスタントに一定以上の質のものを出してくれる作家という印象があります。他方で、これはという一冊がない。なのでどうしても好みで好き嫌いが別れがちな作家になると思うのですが、実はわたし、江國好きなんですよね。「すいか〜」「流しの下〜」とかが特に好きです。
「イニシエーションラブ」は未読です。恋愛小説は実は苦手、というか、恋愛小説って恋愛自体をテーマにしたもので良いものは少ないという印象があります。面白いと思ったものは、たいてい恋愛をモチーフにして別のテーマがありますし(エリック・シーガル「ラブ・ストーリィ」ならば父と子のテーマ、とか)。ちょっとそれで躊躇してしまうのですが、舞台設定の80’sの合コンというのには興味をひかれますね。うーむ。難しいなあ。
児童文学がお好きなら、森絵都「DIVE!!」はおすすめです。
著者初のスポ根ものと銘打って発売されましたが、スポ根というかなんというか、さわやかで笑えます。
文章中に散りばめられている比喩が絶妙で、様々な場面で感心してしまいます。
キャラクターもなかなか個性的で、勢いで読めます。
説明下手でごめんなさい、でもこの本はとても面白いので、是非。
未読です。
確か「リズム」の方ですね。あまり読んでいない作家です。
しかし
> 著者初のスポ根ものと銘打って発売されましたが、スポ根というかなんというか、さわやかで笑えます。
にかなりウケてしまいました。面白そうですね。スポーツものはそんなに好きではないんですが、この説明には惹かれました。候補に残させていただきます。
<トリイ・へイデン文庫>シーラという子--虐待されたある少女の物語 (ハヤカワ文庫 HB)
家族狂 中村うさぎ/著
現在はエッセイなどをたくさん書かれている中村うさぎ先生ですが、元々は「ゴクドーくん漫遊記」シリーズを書かれていた小説家さんです。
一人の青年(主人公)と幽霊の家族の話です。でもその幽霊の一家は実は・・・という少しホラーも入っていますが、そこは中村うさぎ先生なのでコメディに近いです。謎解き要素も若干ありますが、幽霊と青年の会話が楽しいですv
今はエッセイばかりの中村うさぎ先生の小説を読んでみませんか?
シーラという子 虐待されたある少女の物語 トリイ・ヘイデン/著 入江真佐子/訳
元々はハードカバーで高かった本ですが、最近になって文庫化し、760円で購入することが出来ますv私がもっているのはハードカバーですが・・・内容は同じだと思いますのでどうぞv
精神病関連の方になるかと思いますし、シリアスなので読むのが大変かもしれませんが・・・興味深い内容でした。作者の体験を元に書かれた本です。
虐待などでおびえる少女と、それをどうにかしようとする教師の話です。
この作者のシリーズは他にも出ていますので、どうぞv
ともに未読です。
実は昔にほんとうにしがない、誰も名前を聞いたことのないような三文ライターをしていたことがありまして、その折、中村うさぎさんとはお酒の席でご一緒したことがあります。なので「ゴクドーくん」も全部ではないですが読んでいます。確かコミックのもあったような、勘違いかもしれませんが。なので中村うさぎといえば、現在では自虐型(?)エッセイストという評価でしょうが、わたしにはライトファンタジー関係の人というイメージが強いんですよね。その方面は正直あまり好きではないのですが、ただ、こういうものも書かれていたとは知りませんでした。ちょっと心にとめておきます。
「シーラ」は書店で見たことはあるんですが、読んでいませんね。文庫化されているとは知りませんでした。精神病関連の小説は、精神病自体に興味があることもあって好きなのですが、正直に言って面白いものが少なかったと思います。なんというか、病気の珍奇さだけで読者を引きつけようとしているのが多いのですよね。中には(もともと興味あるジャンルだけに)楽しめるものもあるのですが。こちらは未読ですし、とりあえず保留させてもらいますね。
人は、生れ落ちた時より、いつかは死ぬ定めにある。
人がその”死に様”をおのれで決定する事は、その人に与えられた最後の権利であるのだ。
人類の切望である癌克服の為に、世界最高最新鋭の設備、機関、医師団、看護婦、船員をふんだんに備え、大海に乗り出した癌病船であったが、テロリストの襲撃、院長と船長との対立、富裕層患者のエゴ...待ち受ける航海は苦難と苦渋に満ちたものであった。
なるほど、希望の燈とは自らの手で闘い、勝ち取って行かねばならぬものなのだ。
一方、貧困な家庭に生まれ、癌病船乗船権を得た、余命幾ばくも無い白血病の少女の、家族への想い、けなげながらも懸命に生きようとする態度に心打たれ涙する。
おのれが求める”死に様”とは何か?
医師が行う終末医療(ターミナルケア)とは如何にあるべきなのか?
ラストの、カナリア諸島に沈む夕陽の残照がいつまでも心に余韻を響かせる。
いつの日か我が子にも読ませたい逸品。
未読です。
ずいぶんとしっかりしたご説明を書いてくださったのに申し訳ないのですが、できればいろんな分野、いろんな作家のものを読みたいのです。それで、すみませんが同じ作家の似た傾向の小説はこれ以降はパスということにさせていただきますね。
こちらはせっかくですので先ほどの「鬼狂い」とセットで候補に残させてもらいますね。
三島由紀夫の純文学作品は既読でしょうから「あえて」三島の通俗小説をお薦めしてみようかと思った次第です(見ず知らずの方に通俗小説をお薦めするのは勇気がいります)。
「三島由紀夫レター教室」は題のとおり書簡文で構成されています。ラブレターの書き方や借金の申し込み方など、実用書風にこしらえてありますが、その実これらの手紙をやりとりする5人の人間関係を描いた喜劇的な作品です。
なんだかんだいっても、さすがに巧いし面白い。
ちくま文庫に収められている三島の作品は純文学からはずれた異色のものばかりです(参考URLに検索結果を挙げておきます)。
残念ながら既読です。
しかしこれは面白いですね。三島にこういう面があることは、ご指摘のとおり知らない方も多いのではないでしょうか。小説ではないのですが、わたしは「不道徳教育講座」なども好きです。
一方で三島自体は愛憎半ばする作家なんですよね。非常に面白いと思う反面、どうしようもなくつまらないと思うこともある。面白い小説とそうでない小説があるのではなくて、同じ本に対してそう思わされてしまうのです。難しい作家ということなのでしょうか。
というところで、ちょっと開けるのを休憩して出かける準備をします。また帰ったら開きますね。
見沢知廉の『天皇ごっこ』です。
元新左翼、現新右翼の著者が獄中で書いた小説集。左翼と右翼という正反対の両者は、結局「天皇の赤子」という点で同じだ・・・という主張には、なかなか怖いものがあります。マイノリティという視点で天皇を観察した、ちょっと狂気じみた作品です。
実はさっき送信ボタンを押したら、そのままコンピューターが固まってしまいました。エラーになってなければいいのですが。
出かける準備をしつつ、多少時間に余裕があったので開けられるところまで開けておきますね。
未読です。
「囚人狂時代」の著者ですね。実はわたしには、こういうのがいちばん評価が難しいです。思想的には自分自身よくわからないのですが・・・かなり右寄りの方から左寄りの方まで行ったり来たりします。無政府主義的なのかしら?
それはともかく、この作家は難しい。なんと言うか、いわゆる奇書(珍しい書物ではなくて、奇妙な方です)とでも言うのでしょうか、まず言葉に力があって、それに正面から立ち向かえないとその内容に言及することができない。そういう作家かと思います。
「天皇ごっこ」自体は知ってはいたのですが、そんな理由でこれまで敬遠しておりました。立ち向かってみるにはいい機会かもしれません。候補に残させてもらいますね。
http://www.kt.rim.or.jp/~maink/top.html
Welcome to the Main's World - Top
宮部さんの本を推そうと思ったのですが、結構読まれてるそうなのでこちらを挙げさせていただきます。
この方の書かれている本は、現在の日本経済の抱えてる問題をテーマにかかれています。
特に経済問題に関して奇麗事しか言わない政治家より、余程説得力がありわかりやすいです。
そしてそれが現実に起こってることだと思うと少し恐ろしくなる部分もあります。
小説としても面白いですし、経済に関する勉強(雑学の部分が強いかもしれませんが)にもなる本です。
幸田さんの作品はかなりあるのですが、私が初めて読んだのがこの作品だったのでこの本を挙げました。
未読です。
たぶん幸田真音自体、一冊も読んでいない気がします。実は経済小説とかの社会小説の類は苦手な分野なのですよね。「日本国債」自体は結構売れた本だったような気がしますね。いくつか書評を読んだ覚えがあります。評価が結構割れていたかな、それもあってこれまでチェックしておりませんでした。
ゲーム感覚で、とはいえちょっとヒントが無さ過ぎる気もしますので、以降、一つ回答あげるたびに、小説、映画、マンガなどから、わたしが面白いと思ったものを一つ挙げて行きますね。
面白いと思った小説:佐藤亜紀「ナポレオン暗殺」
http://www.osawa-office.co.jp/
大極宮 -大沢オフィス公式ホームページ-
大沢在昌の「らんぼう」
はちゃめちゃ刑事2人組のお話。タイトル通り、かなり乱暴で西原理恵子の絵がめちゃマッチしてます。よく「刑事はその筋の人よりもコワイ」なんて表現をされますが、まさにそんな刑事の話で、とにかくめちゃくちゃ。実際にやったら、懲戒免職じゃあ済まないでしょう。でも、まあ、古き良き警察機構みたいな感じで、人情に厚かったり、さり気ない気遣いがあったりで、ちょこっとぐっと来るところなんかもあります。「さすが、大沢在昌」を手軽に体験できる本でしたね。
既読です。
なかなか楽しめる本だった覚えがありますね。大沢自体はそんなに読んではいないのですが、西原理恵子の本をおっかける流れで読んだような。たしか大沢はこの他にはハードボイルドタッチのものしか読んでいませんね。エンターテイメントとして読ませる技術のある作家かと思います。
面白いと思った映画:ガブリエル・アクセル「バベットの晩餐会」
名作『木を植えた男』のジャン・ジオノの知らざれる傑作と思います。イタリア統一運動のさなか、コレラの流行する南仏を旅する軽騎兵アンジェロの物語ですが、書かれた時代(1945〜51年)を考えると、やさしく書かれた『ペスト』ではないか、と感じられる作品です。
未読です。ですが・・・
実はこれ持っているんですよね。本を大量に買い込む癖のある人間としては、比較的、買った本を読む率の高い方(たぶん8〜9割は読んでいるはずです、少ない人だと3〜5割だそうです)なのですが、これは読んでおりませんでした。
ご説明してくださったとおり、たいへん面白そうですね。さすがに買いなおしはしませんが、候補に加えさせていただきます(出てくるかな・・・)。
面白いと思ったマンガ:尾玉なみえ「純情パイン」
既読かもしれませんね。
短い中でも引き込んでくれて、ちゃんと落としてくれるショーとショートが面白いです。ジャンルとしてはSFですが、これぞ少し不思議という感じのSFです。
またパソコンが止まりました。大丈夫だろうか。
既読です。
星はいっときまとめてかなり読みました。うーん、難しいところなのですが、正直に言って星新一はほとんどまったく評価できません。申し訳ないのですが、どうしても落ちだけの作家というように見えてしまうのです。もちろん、ショートショートがそうしたものばかりでないことは分かっておりますが・・・。落ちをひとつの仕掛けとして使い何かを物語ろうとするものは嫌いではないのですが、星の場合は彼独特のストイックさ(と言えば分かっていただけるでしょうか?)が災いして、どうもあっさりと落ちだけに見えてしまうんですよね。それが彼の弱点かと思います。ただ彼の日本語は、よく練られた読みやすい日本語の一つの型として優れたものであることは認めています。同じ理由でO.ヘンリ、サキ(ヘクター・ヒュー・マンロー)、それから一部のモーパッサンのものも評価しかねます。この中ではO.ヘンリがいちばん程度が低いでしょうか。
小説ではないのですが、わたしにはむしろ父とのことを書いたエッセイ(タイトルを忘れてしまいました)の方が面白かった覚えがあります。
面白いと思った小説:ハーラン・エリスン『少年と犬』(短編タイトルです。勘違いが怖いので短編集の名はあげません、察してください)
清水義範『神々の午睡』は面白いです。
普通の日本人ということでお話ししますと、我々は普段あまり宗教というものを意識せずに日常を過ごしています。地球上のあちこちで宗教による民族対立が報道されていますが、対岸の火事どころか、それ以上に我々は無意識なのかもしれません。なぜ宗教があるのか、ということを理解しようとするには非常に時間がかかります。
この本で「宗教のおこり」をおもしろおかしく知ることができるかもしれません。宗教なんて縁がない、という人もこの本を読むと世界観が変わるかも。というよりむしろ、宗教に関心がないという人が読むべきホンダと思います。私がそうでした。以前は宗教には全く無関心でしたから。
心配は要りません。清水義範の小説ですから、一度読み出したら抜けられません。
未読です。
ふむむ、ご説明の限りでは興味をひかれますね。正直に申し上げますと、清水義範はかなり嫌いな作家の一人なのですが。候補に加えさせていただきますね。
面白いと思ったマンガ:村上かつら「天使の噛み傷」
キャサリン・ネヴィルの「8」です。
ミステリーというより歴史アドベンチャーというイメージがありますのでご紹介します。
一つのチェスセットを中心に現在(オイルショックのころなので現在というのも変ですが)と過去が交錯する物語なのですが、過去の方の登場人物が豪華で、フランス革命の有名人からバッハ、エカテリーナ2世などが大勢出てきて物語に深みを与えています。
私は所謂「ページを繰る手がもどかしい」くらいに楽しめました。
未読です。
ネヴィル自身は評判はよく聞いたのですが、ひとつふたつしか読んでいない作家なんですよね。
> 一つのチェスセットを中心に現在(オイルショックのころなので現在というのも変ですが)と過去が交錯する物語
この仕掛けにすごく心を惹かれますね、面白そうです。この手のストーリーテラー的な小説はたいへん好きな分野の一つなのです。これは候補に加えさせていただきますね(だいぶ貯まってきたかな)。
面白いと思った小説:ニコルソン・ベイカー「もしもし」
桜井亜美さんの本はかなりお薦めです。
最初、表紙が素敵★って思って買ったのがきっかけ。
中身もかなり良かった。
未読です。
桜井はいくつか読みましたがこれは未読です。さて、この作家なのですが、正直つまらないと思うのですよ。初めはアクに興味をひかれないこともなかったのですが、いくつか読むうちに何を読んでも同じようなことしか書けない作家という印象になってしまいました。
お金を取って読ませるだけの文章の作法、小説の作法ともにまだしっかりとしたものができておらないのに、各雑誌(ダ・ヴィンチとか)でもてはやされてそこら辺がきちんとしないまま売れるだけ売れてしまったという感があります。
若書きなのもそれが面白く読めるうちはよいのですが、アクを個性にすることができないままであるというのはちょっと問題です。もうキャリア的にも、アクの強さやファッショナブルな売り方だけで勝負できる範囲を越えているかと思います。
などと酷評してしまったのですが、どうもすみません。回答をくださった他の方々にもなのですが、なるべく率直に、自分の思ったとおりに書かせていただいております。それが気に障る方も多いかと思いますが、どうぞお許しください。
ちょっと時間もなくなってきたので、お出かけ前はここまでにさせていただきますね。
帰ってきてから気力があればまた開けさせてもらいます。疲れきってしまっていたら、もうしわけないですが続きは明日以降になるかと思います。
ヒントも多めに出させてもらいますね。
面白いと思った小説、映画、マンガなどなど:藤子・F・不二雄「SF短編」(いろいろ)、エーコ「薔薇の名前」、フィッツジェラルド「夜はやさし」、サミュエル・R・ディレニー『コロナ』、筒井康隆「俗物図鑑」「虚構船団」「旅のラゴス」などなど、ヤン・ソギル「血と骨」、フォークナー「怒りと響き」、(作者失念)「あのころはフリードリヒがいた」、「向田邦子「父の詫び状」、村上春樹「遠い太鼓」、三好達治「測量船」、宮沢賢治「春と修羅」、島田雅彦「夢遊王国のための音楽」、小林信彦「唐獅子株式会社」、山田正紀「神狩り」三部作、古井由吉「(タイトル失念)」、田中小実昌「ポロポロ」、井上ひさし「月なきみそらの天坊一座」、浦沢直樹「マスター・キートン」、ディケンズ「二都物語」、ファウルズ「魔術師」、高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」、久米田康治「かってに改蔵」、土田世紀「編集王」、オコナー「高く昇って一点に」、モーパッサン「脂肪の塊」、クイーン「Y」
(思いつくままにあげていたら、映画を忘れていました):「カラー・パープル」(小説ではなく映画の方)、「スター・ウォーズ エピソード4」、「エレファントマン」、「紅の豚」、「三銃士(タイトルが違ったような気もします、ディカプリオが出ているのです)」、「バグダット・カフェ」、(映画ではないのですが)「モンティー・パイソン」
などなど
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167551055/qid=10971236...
Amazon.co.jp: 発言者たち: 本: 清水 義範
清水義範「発言者たち」文春文庫
出版社へのお叱りの手紙やパソコン通信での論争など、「発言したい人たち」の面白おかしく、そしれちょっと哀れにも感じる様子が描かれています。
あちこちの日記で感想や意見を書き込んだり、自分の方もあきらかにしないとフェアじゃないかなぁ、ということで日記を書き始めたような「発言したがり」の自分にとっては、面白いのと自戒のためにときどき読み返すべき本となっています。
未読です。
ふむふむ、「発言したい人たち」に対するスタンスは違うと思いますが、筒井の「俗物図鑑」を連想させる本ですね。先ほどkmyken1さんの時にも述べましたが、実は清水はかなり嫌いな作家としてわたしの中にはあったのですよ。いくつかは読んできたのですが、何と言うか彼の小説に対する構え方みたいなもの、書くときの姿勢とでも言うのでしょうか、それが鼻についてしまったのですよ。印象としては多彩な書き方のできる器用さがある、けれどもそれは何かその著者自身の個性みたいなものが芯にあった上でいろいろな書き技を使っているのではなくって、ただ技だけが滑っている、というふうに受け取っていました。なので印象が悪かったのですね。
しかしpowder_snowさんといいkmyken1さんといい、清水義範の本を薦めてくださる方のご説明を読むと実に面白そうに思わされます。これはこの作家自体わたしも考え直してみるべきでしょうね。これも候補に残させていただきます。
面白いと思った本:川上弘美「センセイの鞄」(ただし「蛇を踏む」はかなりの駄作だと思っております)
日記をつけておられなかったので、こちらの方でお礼させていただきますね。christieさん、のっかりありがとうございました。つけてくださったコメントにもずいぶんと励まされました、ありがとうございます。また似たようなことをする時には、ぜひ回答者としてもご参加くださいね。
とりあえず読んでない本なら最近の本の方がいいかな。と思って、最近の本から。
『いつかふたりは、二匹』 西澤保彦 著
子どものための小説を集めているミステリーランドシリーズの一作です。本格ミステリに詳しい方なら宇山日出男という名前でピンと来るかも。彼がすべての編集を行っています。
流石に子ども向けというだけあってとても読みやすい。濃い作品が好きという方にはお薦めできませんが、個人的には子どもに読書好きになってもらうには最適の一冊だと思います。勿論、大人でも楽しめますよ。ページ数が多い割に一ページの分量が少ないですからすぐに読めてしまいますしね。
内容はミステリに重きを置きながらも、子どもの冒険という部分でも楽しめます。難しい小説ではありませんし、ちゃんと書かれていますからおそらく大抵の人は楽しめるのではないかと思います。
あと、子ども向けということで表紙のようなイラストも何枚か書かれており、美麗です。
『僕らは何だかすべて忘れてしまうね』 岡崎京子 著
二冊目はうってかわって、伝説の漫画家(生きてますけど)岡崎京子の短編集。これは本当に濃いです。しかし通常の作家では描けないような世界観でとても短い短編を数編収録しています。
上記の通り、人は選ぶとは思いますが、私の中ではこの作品が今年のナンバー1です。漫画における彼女の世界観とは少し違う感じで、それでいて作品の深いところを文字の中に映し出しています。岡崎京子が嫌い、こういうのは苦手、という人でも何かを感じさせてしまうような力がこの作品にはあります。とりあえず読んでみてほしい一冊です。
『熊の場所』 舞城王太郎 著
自分でも最後にこれをあげるか? という感じの一冊なんですが、前回の芥川賞で物議を醸し出した奇才で鬼才 舞城王太郎の一冊です。
『好き好き大好き超愛してる。』はその題名と書き出しからすべてを読まずに止めてしまった人も多くあると思いますが、こちらは比較的舞城王太郎の本の中でも読みやすい本です。表題作は神戸の酒木薔薇事件を模した作品で舞城王太郎の筆致を使いつつも、ストーリーも普通ですし、かなり読みやすくなっています。
舞城王太郎を読み始めるならまずこの作品を読むのが一番いいです。彼はこれから最注目の作家の一人ですし、読むにこしたことはありません。未読か、他の作品で頓挫してしまった場合は是非。
見てわかるとおり、値段という部分は無視しました。ですが、比較的最近の本なので未読ではないかと。舞城王太郎は話題になったので読んでいらっしゃるかもしれませんが。
(悪い意味ではなくて)上手にねらわれたな、という感想です。はい、すべて未読です。
西澤保彦は「七回死んだ男」の方ですね。子ども向けのものを書かれる方だったかな? 言われてみれば確かにそんな本を見た覚えもあります。宇山日出臣はいろんな分野にそんな方がいらっしゃいますが、ミステリ界でのいわゆる名編集者として有名な方ですね。講談社だったかな。本格ミステリを復興させるために力を尽くされた方として記憶しています。彼がエディターをしているシリーズであれば、子どものミステリ入門というコンセプトであれきっと楽しめるでしょうね。
岡崎京子、実は最近の消息を把握していないのですよ。どうしているのでしょうね。(マンガの話ですが)彼女の凄さはわたしはネームにある気がするのですよ、なので物語を書かれているというのは興味が惹かれますね。
> 上記の通り、人は選ぶとは思いますが
これは私見に過ぎないのですが、ある程度以上、面白い本というのはみなそうだと思います。そしてなおかつ、その作品が嫌いという人にも、嫌いだけれどこれは認めざるを得ないよね、と言わせてしまう力がある本というのが本当にすごい本だと思います。
なので
> 岡崎京子が嫌い、こういうのは苦手、という人でも何かを感じさせてしまうような力がこの作品にはあります。
というのにはたいへんそそられますね。これを候補に加えさせていただきます。
舞城王太郎が、実はわたしにとってはそういう作家の一人なんですよね。正直嫌いなんですが、どうしても認めざるを得ないものがあったりする。しかしこれもご説明が読んでみたくさせるんですよね、困ったなあ、とりあえず保留させていただきます。ちなみに「好き好き」はネタとしても読み物としてもなかなかわたしは楽しみました。
面白いと思った映画:(タイトル、監督ともに失念)洋画。ちょっと説明が下品なのですが、少年が主人公、色好みのおじいちゃんがいて長いことEDだったのですが、クスリ(今でいうバイアグラかしら)を飲んで復活し、帽子で前を隠しながらにこにこ喜んで娼館に行くシーンが印象的(帰ってきて死んでしまうのですが)。全体的にほのぼのとした感じでした。
ひとつ前ののコメントに書き忘れたのですが、お出かけの用事、時間間違えておりました。なので早く帰ってきております。
http://www21.ocn.ne.jp/~yoneyone/chosyanosuisenn.htm
著者自ら推薦する本を解説をしていきます
「痛い」ときに読む本 (1) (角川mini文庫 (84))
「痛い」ときに読む本 (2) (角川mini文庫 (85))
面白いと言うより、常備や携帯お勧め。
当直医が患者の家族(実は高名な医者)と
存命に付いて話す場面は考えさせられると思う。
未読です。
うむむ、角川mini文庫とは意表を突かれました。文庫自体ができたばかりの頃にいくつか買って、まだどこかにあると思うんですが、大きさが違うので保存しにくくってどうもこの判型は苦手です。
それはともかく米山公啓ですが、「神経内科」など、エッセイというか知識本というかの類をいくつか読んだことがあります。この手の本のなかではなかなか、という印象ですね。
「午前3時」は短編集なのですね。URLの方、拝見させていただいたのですが、わたしが読んだようなエッセー的なものよりも、小説を書きはじめた方が先だったのかな。覚えておきます。
面白いと思ったマンガ:能條純一「哭きの竜」
いままでのコメントを見て、
・共感性を訴えるような大衆文学は嫌い
・ブラックユーモアがすき
・ストーリが面白いものよりもメッセージ性の強いものがすき
ってな感じでしょうか。
を踏まえてお奨めを考えると、
先日他界された、中島 らも氏なんてどうでしょうか。
現実にありそうで、ちょっとづつ現実とずれて行く世界は
現実よりも生々しい情景を与えてくれます。
空からぎろちん。
bk1だと取り扱っていないようなのでアマゾンのリンクを貼っておきます。
…。あれ?これエッセイだっけ???
少女が肉が食えなって拒食症になっていくっていう小説だったと思ったのだけど…
同時期に読んだ本あたりとごっちゃになってしまったか?
しまった…、空からぎろちん面白かった記憶があるのだけど思い出せない…。
物忘れ激しくてごめんなさい。
ちょっとタイトルを眺めつつ…
人体模型の夜とかもタイトルを覚えるぐらい面白かった記憶があります。
4-08-772820-X
内容を紹介してくださいといわれると、愕然とする自分がいます。
著者と著作の世界観。匂いだけで薦めているようなもんです。
なんとなく、漫画家の岡崎京子とかも好きそうですな。
> 面白いと思ったマンガ:尾玉なみえ「純情パイン」
Σ(゜д゜) シュールを求めるヒトですか?
しばし、考え中。
ふむ。
モブ・ノリオは好きだけど、綿矢りさとかは嫌いそうですな。
ここはひとつ似た匂いがして読まなさそうなジャンルの小説を薦めてみましょう。
メジャーなところから、
村上 龍 著
希望の国のエクソダス
少年達が経済マフィアよろしく日本のなかに経済独立自治区をつくりあげていくお話。
宗田理よろしくの、あまっちょろい設定のようにも思えますが、
現実に即した経済の知識(論文にするには物足りないが物語にするには充分な)、
アイディアが多く盛り込まれています。
仮想の物語だけでなく、バックボーンまで理解したうえで読みとくと、
現実は小説より奇なりともいえる、
現在の経済の滑稽な姿がみえてきて日経新聞すら面白く読めるようになります。
4-16-319380-4
つづいて
これまた大御所中の大御所。
マイケル・クライトンの初期の作品。
スフィア(球体)
4150406863
SFですが、そのディテイルが知識欲を満足させてくれます。
物語の各所に積み上げられた作者側からの小さな情報の提供が、
とんでもない非リアルを目に見えるまでのリアルなものにしてくれます。
とんでもない設定がここまで説得力をもって語りかけてくる。
彼の著作のなかで一番のお奨めです。
残念ながらすべて既読です。
既読だったのですが、いろいろ考えながら答えてくださったのがよくわかり、非常に楽しく読ませていただきました。ついついコメントにいちいち答えたくなります。ありがとうございました。
(面白かった分、率直に答えています。口調がきつくなっているかもしれません、ご不快に思われるかもしれませんがどうぞお許しください)
> 共感性を訴えるような大衆文学は嫌い
必ずしもそんなことはないつもりだったのですが・・・、はい、その通りかもしれません。でもベタな小説や大衆文学がみんな嫌いなわけでもないんですよね。しばらくその作家を追いかけて、途中で飽きたりでやめてしまうことも多いですが、例えば山本文緒を追いかけたことがあります(「きっときみは泣く」などはベタベタですがなかなか面白かったかと思います)。
> ブラックユーモアがすき
大好きです、でもその分、ブラックユーモアの出来損ないにはかなり厳しいかと思います。
> ストーリが面白いものよりもメッセージ性の強いものがすき
どうでしょうか、これはどちらが好きというよりは、どちらも好きです。メッセージ性のあるもの、ストーリーテリングでひきつけるもの、まだ他にもいろいろあると思うのですが、面白い小説の系統というのがあるかと思うんですよね。その中でわたしには好きな系統が何本かあるような気がします。メッセージ系統で好きなもの、ストーリー系統で好きなもの、たぶん違う「好き」なのですが両方とも好きです。
> 先日他界された、中島らも氏なんてどうでしょうか
ううーん、らもは客観的に見れない作家なんですよね。何人かそういう方がいらっしゃるんですが、どうしてもどこか身につまされて客観的に見ることができない。好きなのか嫌いなのかもわからない。でも、恐らく自分が認めたがらないだけで、大好きな作家ということなんでしょうね。
「空からぎろちん」はエッセーですね。「アマリタ・パンセリナ」なんかと一緒に読んだ覚えがあります。
「人体模型の夜」これは面白い、相当面白いです。「今夜すべてのバーで」「ガダラの豚」などの方が知名度、評価ともに高いのですが、「人体模型」はこれらに遜色しないできですね。わたしはたいへん好きです。いや、やっぱりこの人は稀有な作家だったと思います。
> なんとなく、漫画家の岡崎京子とかも好きそうですな
はい、その通りです。
> > 面白いと思ったマンガ:尾玉なみえ「純情パイン」
> Σ(゜д゜) シュールを求めるヒトですか?
シュールを求めているのかな? 下ネタとか、しょうもないギャグが好きというのもあるかもしれません。ところでわたしから見ると、尾玉なみえは天才に見えるのですが・・・。似た系統なのかわかりませんが、昔ジャンプ巻末に連載されていた「王さまの耳」とか、現在連載されている「ジャガー」、かつてマガジン巻末にあった(今は別のやってますね)「ポチ」なども大好きです。ああ、「浦安」と「稲中」を忘れてた。この中では尾玉と「ジャガー」の作者の方、が飛びぬけて面白く感じます。
> モブ・ノリオは好きだけど、綿矢りさとかは嫌いそうですな
残念、両方好きです。両者ともわたしはかなり面白いと思います。
「希望の国のエクソダス」はわたしはあまり評価できません。というよりも、龍自体があまり評価できないのです。ごく一部の極めて面白い作品を除いたら、駄作の山、という印象があります。確かに「希望の国」は近年量産してきた駄作の山のなかではかなりマシと言えるでしょうが、ごめんなさい、どうも好きになれませんでした。
「スフィア」よくできた小説、という印象でしょうか。なかなか読ませてくれます。
面白いと思った小説:姫野カオルコ「喪失記」(この方も当たり外れがありますが、ハズレも含めて結構好きです)
それでは明日の準備などしなければならないので、今日はこのへんまでにさせていただきますね。続きは明朝か、またはそれ以降に開けさせていただきます(明日夕方から用事があるので、夜はちょっと開けてられないかもしれません)
『控室の日々』(竹添敦子)。英文科の院卒の女性が、常勤の研究者になるまでの、意の痛くなる日々の詩集。常勤と非常勤は、たった一時でここまでも人間性すらもコケにされるものか、と、当初研究者を目指していた私の座右の書のとなっていた。
おはようございます。
未読です。
これは面白そうですね。非常勤講師の労組みたいなもののビラかなにかで見たことがある気はするのですが、どういう詩人かもどういう背景の方かも知りませんでした。bk1のリンク先にある小谷野敦(「もてない男」の著者、噂によると学会からは完全に干されているらしい)の書評も積もり積もった恨みが笑えます。
余談ですが、大学でもう数年お世話になっている非常勤の先生がいるのですが、毎年年度末になると、来年もよろしく・・・来年も授業させてもらえるかわかんないけどね、とイタい挨拶をされます。今のところひとごとなので笑ってられますが。文科省の大学院重点化政策で院卒を増やしたのはいいけれど、働き口がないというのはどの分野もかなり切実なようですね。現在では著者がこれを書かれた頃よりももっと酷い状況になっている気がします。
> 英文科の院卒の女性が、常勤の研究者になるまでの、意の痛くなる日々の詩集。常勤と非常勤は、たった一時でここまでも人間性すらもコケにされるものか
ほんとうに切実につらいのがよく分かります。けれど(ひどい話なのですが)こういうのって、切実につらいのがよく分かれば分かるほど、読者には面白いんですよね(わたしだけかもしれませんが)。たいへん興味を惹かれました。
(いちおう念のためコメントしておきます。ルール上、建て前としては小説に限っています。ルールを破るのもかまいませんよ、という前提の上ですが。わたしは詩も好きですし、これは面白そうだと思わせてくださったので一向に構いません、小説の場合と同じように評価させていただきますね)
面白いと思った映画:フリッツ・ラング「死刑執行人もまた死す(Hangmen Also Die)」
何人もの女性を襲ったりエリート候補を自称する小学生を殺したりする一方で、自殺しようとしている女性を救ったりお年寄りに不親切な製品を作った会社に怒っていたり優しいところもある宇野不二男と、彼が唯一信じていた雪子との交流。
こういうふうに犯罪をおかしたりはしないかもしれないけれど、「自分は本当は他人が思っているよりももっとできる人間なのに不当に扱われている」と感じていたり、自分よりも下に見てバカにしている相手に近づいていって利用したり、「実際、こういう病み方をしている人っているなぁ」と思うし、「でも雪子のように自分を理解してくれるような人を求めていたり、優しい側面もあるのだろうな」と考えさせられる作品。
残念ながら既読です。
この小説自体はそれなり読ませると思うのですが、曽野綾子という作家自体はわたしはほとんど評価しません(「太郎物語」はちょっと個人的に許してしまうところがあるのですが)。まず文章自体があまりおいしくありません。それから、小説からエッセー的なもの、社会本、知識本に至るまでこの著者に共通した欠点が二つあると思います。ひとつ目に、おそらく勤勉なのでしょうね、さまざまな事実や資料を集めるのはよいのですが、それをまとめて読者に提示する見せ方が平板でつまらない。ともすれば借り物を並べただけのように見えてしまいます。ふたつ目、その一方で、自分の意見や考えを述べる時には非常に狭量で独善的。納得させられないまでもそういう風に考える人もいるよね、くらいのことを読者に思わせることができればいいのですが、ただ独りよがりなだけにしか見えません。
この矛盾するような二つの欠点をその長所を生かした形でひとつにできれば非常に個性的で面白いものにもなりうると思うのですが、残念なことにただちぐはぐなだけで終わっています。つらつらと借り物を並べ立てるところは味気なく読みごたえの無い文章で勉強家なのはわかるけど、それだけです。他方で自分の意見を述べたい時には並べた資料を捻じ曲げて著者のだいぶん極端な考えの方へ無理に引き寄せてしまいます。これでは鼻につくばかりです。
powder_snowさんが挙げてくださった「天上の青」は小説ということもあるのでしょうが、この欠点から逃れられているとは言えませんが、それを認めた上でそこそこ読めるものに仕上がっていると思います。
> こういうふうに犯罪をおかしたりはしないかもしれないけれど、「自分は本当は他人が思っているよりももっとできる人間なのに不当に扱われている」と感じていたり、自分よりも下に見てバカにしている相手に近づいていって利用したり、「実際、こういう病み方をしている人っているなぁ」と思うし、「でも雪子のように自分を理解してくれるような人を求めていたり、優しい側面もあるのだろうな」
そうですね、この意見にはまったく同意できます。この作品の読みどころはまさにそのことだと思います。自分の理解の外にある「病み方」が、いつのまにか自分にも理解できてしまう(自分の中に同じ病根があるかもしれない)「病み方」にすりかわっていく点は特筆に価すると思います。
(すみません、また酷評してしまいました。お許しください。これについてだけのことではないのですが、あくあでどの意見も単にわたしがそう思った、感じたというだけのことです。まったくの勘違いや読み違いをしていることは十分あります。その点、どうぞご配慮ください)
面白いと思ったマンガ:(タイトル、著者ともに失念)近代麻雀系の雑誌で連載されていた、ワニ蔵とかそんな名前のキャラクターが出てくる麻雀マンガです
薄い本ですが、マーク・トウェインの異色作です。「人間即機械論」について、諦観した老人と人間の自由意志を諦めきれない若者が、対話形式で議論していきます。今読むと少し青臭くて不毛な議論のようにも思いますが、トウェインの思考のプロセスを追っていると見ればそれはそれでまた面白いかと。
残念ながら既読です。
しかしこれは・・・今までに挙げられているものの中で、間違いなくいちばん難しい本でしょうね。わたしには面白いのですが、少なくとも万人受けは絶対にしない、読者を選ぶタイプの本かと思います。
トゥエイン(サミュエル・ラングホーン・クレメンス)という作家は、また作家自体が非常に難しいのですよ。この人は分裂した二つの、しかも両方とも相当に極端な、書き技(書き筋)を持っています。ひとつは卓越したストーリーテラーとしての素養。もともとアメリカに伝統的にあるトール・テイル(ヨタ話というかホラ話というか、酒場などで酔っ払いが話すような物語です、日本でも講談とか落語なんかに似たものがありますよね)の系譜を色濃く受け継いでいて、とにかく語り自体の面白さおかしさと、物語の筋がどうなるんだろうというのとで引きつけていく天才なのですよね。この方面は特に短編、例えば『跳び蛙』などが典型的ですが、どの長編にもこの延長線上にあるものが流れている(「ハックルベリー・フィンの冒険」など分かりやすいのではないでしょうか)。
もう一方で非常に暗い、それこそ陰惨とした人間観、世界観を鬱々と読者に提示していく思想小説の系譜にある人でもあるわけです(「不思議な少年」などが分かりやすいでしょうか)。これは(というか全てそうなのですが)私見にすぎませんが、どの作品ひとつ取ってみてもこの片方だけが込められているというわけではなくて、必ずその両方の要素を持っているように思われるんですよ。
もちろん、その個々の作品ごとにどちらが目立つとか、どちらが前面に出ているとかは必ずあります。しかし例えば「ハック・フィン」などでは、ストーリーテラーとして話を展開していく技を前面に押し出しているのが目立つ一方で、底に流れる脈として彼の人間観をにじませているところがあるような気がします。よく引用される有名なシーンですが、ハックが「よし、おれは悪人(犯罪者)になってやる」と内省した末に結論する場面がありますよね(注:黒人奴隷、つまり家具などとかわらない動産として、白人である主人の持ち物であるジムを逃がすことを決意した場面です。当然、家具を盗むのと同じように泥棒になるわけです)。ここなどには単純なヒューマニズムや友愛などでは捉えきれないような、例えばそのヒューマニズムの限界さえ同時に見据えさせてしまうような、この作家独特の暗さがあるような気がわたしにはします。
さて挙げてくださった「人間とは何か」なのですが、これはこの後者の要素が極めて目立つ晩年の作品ですね(後年になればなるほど、トゥエインは後者の方に傾いていきます)。「まぬけのウィルソン」(Pudd’nhead Wilson)などと一緒に読んだ覚えがあります。先にも述べたとおり、恐らく読者はかなり選ぶと思うのですが、こうした小説を受けつける人にはたまらなく面白い書の一冊であることはまちがいないと思います。
> 「人間即機械論」について、諦観した老人と人間の自由意志を諦めきれない若者が、対話形式で議論していきます
ギリシャ以来の西欧の知的議論の伝統を踏まえているということなのでしょうか、対話編で構成されているのですよね。この形式に慣れていない読者には(例えば書簡体に慣れていない人に初めてそうしたものを読ませると辛いように)読みにくいきらいがあるかもしれませんが、この形式でしかなかなか書けない情念のぶつかり合いみたいなものがあるかと思います。自由意志などというのは人間がそんなものがあると勘違いしているだけで、本当はプログラムされた機械に過ぎないと主張する老人に対して、tetsu23さんがご指摘されているように、若者の方はどうしてもそれを「諦めきれない」のですよね。わたしが読んだ時には、恐らくトゥエイン自身はこの老人のように考えてしまっているのだろうとだけ結論したのですが、今回ご指摘を受けて思い返してみるに、もしかすると筆者自身もどうしようもなく人間機械論に囚われながらも、それでも「諦めきれない」ところがあったのではないかと思い直しました。間違っているかもしれませんが、そう考えるとまた違う見方で読めそうです。
余談ですが、特にトール・テイル的なものを書くストーリーテラーが、晩年どんどん陰鬱な思想小説へと移行していくのは、言葉で説明することはできないのですが、わたしには感覚として、ああ、そうだろうな、と納得できるのですが、一概には言えないのかもしれませんね。
面白いと思った小説:坂口安吾「白痴」
夢野久作といえば『ドグラ・マグラ』なんでしょうけど。
僕のオススメは『少女地獄』です。
この作品とくに表題作が、なぜか映像畑の人の心を妙にくすぐるらしく、にっかつでの最初の映画化の後もゾンビのように何度となくリメイクを試みられていて、ちゃんと形になっただけでも石井聰亙『ユメノ銀河』などがあり、企画書段階(及びその前段階)だったらそれこそ山のようにあるに違いません。
また、岡崎京子の『ヘルター・スケルター』も内容的には全く異なってはいますが、どこか心に深〜い底の部分で繋がってるような気がします。
新品で504円ですし、新古書屋・古本屋で叩き売られてますんで、価格には問題ないと思います。
残念ながら既読です。
この流れだと誰か挙げてくださるだろうな、と思っておりましたがついに来ました、夢野久作です(他にも何人か来るかなあと想定している作家がいるのですが、なかなか出てきませんね)。夢野を取り上げてくださったのはたいへん嬉しいです。最近あまり読まれなくなった作家なのではないかなあと思っておりました。chakohuさんが山田風太郎を挙げてくださった時にも思ったのですが、こうした忘れられつつある、でもわたしにとっては面白い作家が出てくるとやはり喜んでしまいますね。
> 夢野久作といえば『ドグラ・マグラ』なんでしょうけど。僕のオススメは『少女地獄』です。
まったくその通りだと思います。わたしも夢野といわれれば「ドグラ・マグラ」より「少女地獄」が出てきます。「ドグラ・マグラ」がつまらないという意味ではありません、「少女地獄」がさらに面白いのです。
> この作品とくに表題作が、なぜか映像畑の人の心を妙にくすぐるらしく
これは表題作がやはり素晴らしいのですよね。虚言癖の看護婦を中心に物語が展開するのですが、この虚言癖というのがこの物語の根本にあると思うんですよ。つまり、語ることについての物語ではないかと思っています。物語とは語ることで世界と自己を作り上げていくことに他ならないと思うのですよ。
そこで、語ることというのは時として騙ることでもあるわけです。虚言癖の人というのは、そのウソを語り続けていないとおのれがなくなってしまうようなところがありますよね。面白い文芸というのも、たびたびそんなところがあります。
このように考えていたので、ご指摘の「なぜか映像畑の人の心を妙にくすぐるらしく」というのにはたいへん興味を惹かれますね。語ること、に使うことばは違うかもしれませんが、ならば映像というのもこの線上に考えてよいのかもしれないと思いました。
> 石井聰亙『ユメノ銀河』
実は見てないんですよね。酷評されていたので、パスしておりました。
> 岡崎京子の『ヘルター・スケルター』も内容的には全く異なってはいますが、どこか心に深〜い底の部分で繋がってるような気がします。
おっしゃる通りかと思います。わたしは「少女地獄」のような、「語ること」そのものに焦点を当てている小説というのが大好きなんですが、この手のものの中でも特に素晴らしい(凄まじい)ものというのは破綻するまで語ってしまうのですね。作者という観点からいえば、どうしても語らなければいけないものを抱え込んでしまった、ほとんどそれを書くことと引き換えに、刺し違えてでも書いてやるという執念で書いているような作家。語り手という観点から見れば、その物語をどうしても語らなくてはいけない、(当たり前ですが)その物語を語ることでしか語り手として存在することができないというのを強く意識した語り手。しかし本というのはどこかで終わってしまうわけで、語り続けなければ生きていられないのに語るということ自体が自分の死に向かって爆走していくことになるという矛盾を抱えているのですよね。だからこうした語りは常に破綻に向かってぎりぎりのところで語っていると言えるかと思います(さきほどの虚言癖についても似たところがあるかと思いますが)。それが「ヘルター・スケルター」の破滅へ転がっていく切迫感と「どこか心に深〜い底の部分で繋がってる」というのは非常にもっともだと思います。関係ないですが、ホワイトアルバムは持っているはずなのですが、どこへ行ったか・・・。やはりあれを聴きながら読みたくなるマンガです。
あ、書き忘れましたが、夢野はやはり人を選ぶところがあるのは否めません。受けつけない、大ッ嫌いという人も多いかと。
面白いと思った小説:ラヴクラウト『アウトサイダー』(”The Outsider”)
(ごめんなさい、また長々と書いてしまいました。回答くださった方が引いていなければよいのですが・・・。実はこれでも一部カットしたのです、あまりにも話が逸れてしまったので・・・)
ミステリーとかドロドログチャグチャな人間関係モノが多い連城三紀彦さんですが、
この本はよくありがちな一般家庭の中の光景を描いてて、
「あぁ、こんな風に思ったりするな」とか
「こんなことあるかも」とか
思わせておいて、実際あんまりないかも?な話です。
一つ一つは短編っぽいのに、全てがつながってるのも面白いです。
未読です。
連城はむかし追いかけていた作家のひとりですね。最近は離れてしまっていますが、懐かしいです。
> ミステリーとかドロドログチャグチャな人間関係モノが多い
あはは、そうですね。この作家の面白いところは、彼独特のあの個性に名前をつけにくいんですよね。「ミステリーとかドロドログチャグチャな人間関係モノ」というのにちょっと共感してしまいました。こんなふうに言うしかない。相当広い意味での幻想小説に入れてしまえば済むことかなあとも思っているのですが、ミステリー・心理小説・幻想などの全てに根を張っているのですよね。どれとも言い難いし、どれかひとつにしてしまうと違うものになってしまう、というところがあると思います。
> この本はよくありがちな一般家庭の中の光景を描いてて、
この部分を拝読した時には、ふむふむ、サラリとしあげたのかな、と思ったのですが、
> 一つ一つは短編っぽいのに、全てがつながってるのも面白いです。
む、やはり何か仕掛けないと気がすまないのだろうな、とちょっとおかしかったです。連城はやはりどこかで、何か凝ったことをしないと不安になってしまうタイプの作家なのかなあ。それだけでサラリと書き上げるだけでも面白いものの書ける人だと思うのですが。
つながり方とかにもよるのでしょうが、いわゆる連作短編という形になっているのでしょうね。この手のものではエンデ「鏡の中の鏡」、つながりは薄いですが先ごろ出た春樹「アフターダーク」などがありますね。漱石「夢十夜」もこれに入れていいのかな。結構好きなタイプの形式です。
面白いと思った小説:太宰治「人間失格」
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=82
光車よ、まわれ! 天沢退二郎 復刊リクエスト投票
筒井康隆も児童文学も好きな私のオススメです。
というか既読かも、ですね。
読んでいるとぬるっと湿った黒い水が常に漂っているようなイメージが付きまとう、何ともいえない暗さを含んだダークなファンタジーです。
30年以上前に刊行され、根強い人気があったものの、なかなか再販されず、今年ようやく復刊されました。
あまりに思い入れがありすぎて、思いを伝えづらいのがもどかしいです。
下記URLに、復刊を願った方々の熱い思いが記載されています。こちらも参考にどうぞ。
残念、既読です。
復刊ドットコムにはわたしも投票いたしました。その折に初めて、天沢退二郎であることに気がつきました。わたしにとっては天沢は宮沢賢治の研究者として頭にあって、童話作家・詩人であることをそれまで知らなかったんですよね。調べてみたら作者も知らずに結構読んでいるのがありました。「光車」もそのひとつです。
読んだのはたぶん小学生か中学生くらいのころだったと思います。確か、今は亡き社会思想社から「***の本棚」(***の部分は失念)というタイトルのSFとファンタジーのブックガイドが出ておりまして、それで知ったのですね。確かトールキン「指輪」もこれで知ったのじゃないかな。話は逸れてしまいますが、このブックガイドは正直、書評としてはまったくお話にもなりませんし、選ばれているものも玉石混交です。ですがそれを認めても、面白いガイドだったと記憶しております。当時は小学生とかに向けて作られたガイドで、ファンタジーやSFのそれもいわゆる子ども向けのものから大人が読むようなものまで関係なく楽しく紹介してくれる本ってなかなかなかったんですよね。今だと結構そういうのもあるのかな。他はいかにも大人が子どもに読ませようとするような、押しつけがましいいわゆる教育的な、あるいは思想的なガイドばかりでして・・。
このガイドのおかげで(なぜか「空色勾玉」と一緒に)「光車」を読んだ記憶がありますね。非常に面白い物語でした。
> 読んでいるとぬるっと湿った黒い水が常に漂っているようなイメージが付きまとう、何ともいえない暗さを含んだダークなファンタジーです。
そうです、わたしもこんな印象があります。暗い部分を分かりやすく前面に出しているわけではないのですが、気がつくと足元が暗い水に沈んでいるような印象です。児童文学とされているような日本のファンタジーの中では間違いなく一級品だと思っています。
面白いと思った小説:近松秋江「黒髪」葛西善蔵「子をつれて」町田康「夫婦茶碗」
ちょっとそろそろ出かけなければならないので、今日はこのへんで。続きはお出かけで疲れ果てていなければ今夜、そうでなければ明朝以降に開かせていただきますね。
僕にお月様を見せないで〈1〉月見うどんのバッキャロー (電撃文庫)
学校を出よう!―Escape from The School (電撃文庫)
コメディ好きにはかなりお勧めです。
コメディ嫌いだったらどうにもなりませんけど。
読んでいて幸せになります。なんだか。
すべて未読です。
わたしにはちょっと批判しにくい分野であるのですが、遠慮なく酷評させていただきます。わたしはライトノベルという分野は最も得るところの少ない小説分野のひとつと考えています(ライトファンタジーはややマシかな)。あくまで私見です、念のため。これはこの分野に面白いものがないという意味ではありません。大ジャンルであれ、小ジャンルであれ、どの小説のジャンルにも打率みたいなものがあるかとわたしは考えています(たとえば、いわゆる「私小説」、新本格ミステリー、メタフィクション、マンガのノベライズ、ユダヤ系作家、不倫小説、南米幻想文学、ちょっとジャンルとは違うかもしれませんが、ジャンプ小説賞受賞作家の系譜、など色々なジャンルを考えてみることができますよね)。評価しない、というのは、わたしの経験上、ライトノベルは極めて打率の低い分野に属するという意味です。面白いもの、素晴らしいものに出会える前に、相当数の駄作を読まなければならず、収穫の前に精根尽きてしまう分野ということです。このジャンルにはわたしはあまり鼻が利かないということでもあるでしょう(余談ですが、「〜賞」とか「〜文庫」などにもこの打率のようなものがある気がします)。
そんなわけで最近はまったく手をつけていない分野です。なので作者作品ともまったく不詳でして、ざっと調べてみました。
まず、阿智太郎「僕にお月様を見せないで」です。電撃文庫ということで予想していたのですが、電撃大賞出身だそうですね。第四回、ということは「ブギーポップ」の時の受賞者ですか、覚えておりませんでした。シリーズもの、完結の10巻まで出ているようです。こうしたものはどちらかと言えばプロットそのものよりも、作中人物のセリフのやりとりや文章の語りで読者を引くものが多いため、やや長めの本文中からの抜粋を探してみました(もちろん、話の筋が面白い、というものもありますが)。
やりとりはhttp://www006.upp.so-net.ne.jp/triwings/ws009.htmlでいくつか見られました。が、地文については見当たらない。文庫帯を十巻分まとめてくれているサイトはあった。作者の日記(http://diary3.cgiboy.com/0/achi/ わかりませんが本人が書いていると考えさせてもらいました)を見つけたので、地文の文章はこの感じのものとして判断します。
谷川流「学校を出よう!」。5巻まで出ており以下続刊のようです。阿智に比べてネットでの言及は少ない模様。感想や書評も散見するがさっと見た限りでしかないが長めに引いているのは少ない。作家性の問題でどうやら引きにくいようです(参考:http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0409a.html ここで対話をいくつか見ることができました)。
有沢まみず「いぬかみっ!」。同じく会話部分しか見つかりませんでした、本格的に探せばどこかにあるやもしれないのですが。
これだけの情報で何かを判断するのはフェアではないですが、ざっと感想を言うと、谷川流「学校を出よう!」がいちばんよかった気がします。他についてですが、まず阿智は論外です。内容よりも話芸や会話のテンポで惹きつける小説かと思うのですが、なされている会話の落としやギャグがまず陳腐です。笑えません。日記の文を読んだ限りのことですが、雑文に関してもプロとしてはかなり日本語が下手な部類ですね。ちょっと軽い文章を書くというのはなかなか難しいものですが、それにしてもこれは酷い。何より致命的なのは、言葉のリズムが悪すぎます。声に出して読んでみればすぐわかりますが、ぶつぶつと途切れてつっかえるような悪文です。有沢は、これよりはマシというものの類似の欠点があるかと思います。その中で谷川は文章がうまいとはいいませんが読むに耐えないことはない。また、ネット上でちらほら見たそれぞれの評の中では、この人のものがいちばん読む気を起こさせてくれました(すみません、酷く書いてしまいましたが、あくまでわたしがそう思ったということだけです。お気になさらないでください。またどれにしても、本書を読んだわけでもなくただ見つけたものからだけで判断していますので、とても正当な評価とは言えないと思います)。
さてその上でですが、urasima1989さんがおっしゃられている
> 読んでいて幸せになります。なんだか。
という言葉にはたいへん惹かれますね。コメディが必ずしも好きなわけではないですが、ちょっと読んでみようかな、という気にはさせられます。最後の「なんだか。」のひとことに負けました。読まずに判断してしまったという負い目もありのことですが、谷川「学校」を最終候補に加えさせていただくことにします。
面白いと思った本:サリンジャー「ナインストーリーズ」『バナナフィッシュ』『笑い男』
かなり前に読んだ本ですが、強烈に面白いです。
下高井戸の寂れた遊戯場が天才双子によって、ゼウスガーデンに生まれ変わる。欲望という欲望を吸収しつつ巨大な快楽テーマパークに増大していき、果てには国や世界にまで影響を及ぼしていく。というめちゃくちゃな話です。エスカレートに次ぐエスカレート。とにかく暴走しています。
しかし、暴走することによってその他の要素(共感が持てる、リアリティがある、知的好奇心を満たしてくれるなどの)を排除して、ただただ純粋に面白いということに特化しています。面白い本が読みたいなら是非お薦めしたいです。
未読です。
これを未読というのは悔しいなあ、でも未読です。各所に出た書評やレビューなどで、これはまちがいなく面白い、しかも絶対に自分の好きな系統の本だ、と思いずっとチェックは入れていたんです。でもなぜか縁がなく(注文忘れしたり、本屋に在庫がなかったり)、これまで読むことができませんでした。
> しかし、暴走することによってその他の要素・・・を排除して、ただただ純粋に面白いということに特化しています。
これがいいですね。確かに時評などのなかには完成度が低い、文章に傷がある、などの欠点を指摘しているものもあったんですよ。ですがなんといっても「ただただ純粋に面白いということに特化」する、これがエンターテイメントにおけるストーリテラーのひとつの本懐なのではないでしょうか(この手のストーリーテラー小説はまた、みんな似た欠点を持ちつつその欠点が長所にも変わるほどに物語が面白いんですよね。さらには稀な才人になるとその傷を逆用して美点や物語上の仕掛けにまでしてしまう人もいます)。今度こそ読み逃さないために、候補に残させていただきます。
面白いと思った本:鴎外「渋江抽斎」
児童文学好きということなので、『ホビットの冒険』も読まれているだろうという推測の元に『ノービットの冒険』を。
これは『ホビットの冒険』をそのままスペースオペラの舞台に移して書き上げられた冒険物語です。
『ホビットの冒険』の主人公ビルボはベイリーに、ドワーフ達は一人の人間のクローンからなるファール一族に、竜の守る宝は<超古代族>の残した文明の断片−すなわち宇宙の一点と一点をつなぐワームホールの星図に姿を変えます。
自分が読むとき、下敷きになっている作品が名作なだけに本当に面白いのかと不安を覚えたのですが、結果は上々でした。
非常によく練られていて、ところどころに作者独自のストーリーもあり、それがまた楽しい。『ホビットの冒険』との重なりや相違を見つけることと、物語そのものと、二重の楽しみがありますよ。
2冊目『木曜組曲』はブラックもお好きというところからです。
小説家・重松時子が謎の薬物死を遂げて4年。 時子と縁戚関係にあり各々文筆業を営む女たち5人が設けていた彼女を偲ぶ宴に、謎の花束が届けられる。そこに添えられたメッセージをきっかけに明かされる、各々が飲み込み続けてきた秘密、告発と告白、そしてまた浮かんでくる新たな謎……時子を殺したのは、誰?
映画化もされた作品で、女のこわさとかしたたかさ等が詰め込まれています。ついでに言うなら、出てくるお料理の数々がとっても美味しそうです。
ともに未読です。
はい、「ホビット」読んでます。「指輪」より先でしたね(当たり前か)。確か岩波少年文庫をあさっていた時期に読んだはずです。ピアス「トムは真夜中の庭で」ハウフ「キャラバン」などもこの頃に読んだはずです。しばらく後になってから別の本で知り「指輪」を読みました。そのせいかも知れないのですが、今になって再読しても「指輪」よりも「ホビット」の方がよくできた面白い小説という印象がありますね。ファンの方には読めていないとお叱りを受けそうですが。
> 『ホビットの冒険』をそのままスペースオペラの舞台に移して書き上げられた冒険物語
(いろんな意味があり、また形もさまざまですが)いわゆるパロディになるんでしょうか。どうもパロディは厳しく見てしまうところがあるんですよね。お話にもならないようなものが多い気がします。なので「下敷きになっている作品が名作なだけに本当に面白いのかと不安を覚えた」と言われているのはよく分かります。その一方で極めて面白いものもある。実際、わたしの好きなある小説は、ロシナンテならぬシトロエンを駆り日本をさまよう自分探しのドン・キホーテのお話です。よく出来たものはたいへん少ないですが、好きなジャンルではあるんですよね。
ですが
> 非常によく練られていて、ところどころに作者独自のストーリーもあり、それがまた楽しい。
というのがよいですね。パロディ作品として楽しませてもらえる水準は十分に越えていそうです。
「木曜組曲」ですが、恩田陸はあまり読んでこなかった作家なんですよ。あまりこれという印象が残っていません。
> 各々が飲み込み続けてきた秘密、告発と告白
というのが面白そうですね。ミステリーと言うよりは人間関係のサスペンスになっていくのでしょうか。非常に興味を持たされました。そしてなにより「出てくるお料理の数々がとっても美味しそうです」がいい。白状しますと、料理の描写がおいしそうな小説にたいへん弱いんですよね。これは候補に残させていただきます。
ふと気がついたのですが、これまで作品名を書くときにつけるかぎかっこがずっと逆になってましたね。私用の文章のときにはいちいち二重かっこをつけるのが面倒で、ふつうのかぎかっこで刊行書名も掲載作品名もまにあわせてしまうのです。その癖のままずっと書いてしまいました。短編が出てきたときには使ってなかった二重かぎを使ったために、逆転してしまってますね。恥ずかしい、いい加減な性格なので、これ、いろんなところでよくやっちゃうんです。気になる方もいらっしゃると思いますが、どうぞお許しください。
面白いと思った小説:ルナール『にんじん』
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/40ec96e9703f20...
オンライン書店ビーケーワン:殺戮にいたる病 講談社文庫
推理小説…とは少し違った感じの、サイコ小説。
途中は普通の(?)猟奇的小説ですが、
最後の最後で…ぜひとも体感して欲しい驚きです。
読み終わった瞬間、一瞬意味がわからず、
しばらく呆けたあと、すぐに再読し始める。
そういう小説だと思います。
残念ながら既読です。
(既読ではありますが、読んでいないという前提ですので)しかし未読の人にこの本を紹介するのは、kyocabuさんも骨が折れたのではないでしょうか。頭が下がります。わたしも何か書こうとして、うーん、と手が止まってしまいました。書評はもとより、こうした紹介というのはどんなものについてもそうですが、ある程度中身を明かしてしまうことにもなるわけです。逆にそれで読む気をそいでしまうこともありうるわけです。ミステリに限らず、一部の本にとってはこれは致命的になりかねない。わたしは自分が気にしないたちなので、一般の本に関しては、いわゆるネタバレになりかねないことでもわりに気にせず書きたいことを書いてしまう方ではあるのですが・・・。
余談ですが、わたしが教わっている先生方の中に、酔っ払うといつもライト『アメリカの息子』(Native Son)の話をする方がいます。名シーンなどを切々と語られるのですが、そのせいで時々もう数回はこの本を読んだような錯覚に陥ることがあります。実はまだ一度も読んだこともないはずなのですが。
それはおいておきまして、『殺戮にいたる病』ですが、まずこのタイトルがよいですね。内容についてはおっしゃるとおり。なかなか読める小説だと思います。もっともわたしは我孫子のものを全てはそれほど評価できません。この作家は、まあ読めるけれどそれだけだね、という感じになってしまうものが多い印象があります。ひとつには彼の文章描写の問題でしょうか、押さえ方、力の抜き方、そして力の入れどころの選び方がどれもちぐはぐかと思います。小説の組み立てとしては問題がなくとも、その中で押さえるべきところ、流すべきところというのが構成にあわせて書けていない。そのためにせっかくよい筋立てがあったとしても、読んでみると焦点の定まらない写真のような読後感になってしまうものが多い気がします(あくまで、わたしの感想でしかありませんが)。
本書についてですが、この『殺戮にいたる病』は著者の書いたもののなかではかなり楽しめる方かと思います。評価はかなり割れるだろうと思いますが、わたしは押します。先に挙げたような欠点は本書にもあります。ですがkyocabuさんが「しばらく呆けたあと、すぐに再読し始める」とおっしゃっておられるように、読みどころで読者を引っ張っていく力のある小説かと思っています。
しかし
> 読み終わった瞬間、一瞬意味がわからず、しばらく呆けたあと、すぐに再読し始める。
というご説明がお見事です。
面白いと思った小説:鏡花「春昼」「春昼後刻」など
全部既読・・・のような気がします・・・。
一応読みやすく値段も優しく、書店に行くと必ずある
有名どころで私の好きな本を挙げます。
『女生徒』太宰治 角川文庫 ¥441
太宰は『人間失格』などから暗いイメージがつきものですが、
これはとっても明るくて
どうしようもないおバカっぷりが発揮されています。
太宰のかわいさ、ロマンチストっぷりが愛しくなってしまう1冊。
『上海の西、デリーの東』素樹文生 新潮文庫 ¥700
小説・・・というより紀行文(上海〜デリー)。
この方の文章は軽くて読みやすいので
ついつい軽視してしまうかもしれません。
ただ、なんだかうまいのです。
本当に。
文章のセンス抜群で、一気に引き込まれます。
読む度ワクワクしてきてしまいます。
独特の色・においのある1冊です。
なんだか、心がしんとします。
『国盗り物語』司馬遼太郎 新潮文庫 ¥740
特に前編の斎藤道三!!
独特のいやらしさ、強さ、あたたかさ、弱さ・・・
どうしようもないほど人間臭い斎藤道三を
描ききっています。
ご存知かと思われますが織田信長の義理の父親。
私はこの本を読んで
日本は彼から始まるのだ・・・と思い知らされました。
熱いです。熱くて、そして哀しい。
おはようございます。昨日はパソコンが不調でして、一旦電源を切ったまま中途半端なところで開くのを止めていました。すみません。
『上海の西』のみ未読です。他二つは既読。
太宰はわたしも好きな作家なんですよ。『女生徒』は確か中期の作品を集めたものでしたよね(調べていないので間違っていたらごめんなさい)。太宰という作家は大雑把に初期、中期、後期と三つの段階に分けられることが多いのですが、初期(例えば『晩年』)と後期(例えば『斜陽』)は非常に暗い作風を前面に押し出したものが多く、この中期(例えば「走れメロス」)などは明るさや人間性への信頼などを前景としたものが多いとよく言われます。
実際中期の明るさを、太宰の本領のひとつの面として認める人も多いのですが、一方であの楽観的な描き方は表面的な演技に過ぎないなどと言う人もいます(よく「メロス」について言われるのですが、読者を小ばかにして、こんな甘い話でも書いたら喜ぶ人は多いんじゃないか、などと編集者に漏らしたとも伝えられています)。しかしいくつかの点から、わたしはこの意見には賛成できないところがあります。
まず太宰は、実生活の上でも作品中の語りにおいても、その言葉を言葉通りに受け取ることはできない作家かと思います。上のようなことをほんとうに言ったかどうかはわかりません。ですが仮に実際になされた発言としてそういうものがあったとしても、それを言葉通りに受け取ってしまうのは問題があります。これは例えばはすに構えてのことだとか、一種の照れ隠しであるとかを言っているのではありません。太宰を読んだ時のわたしの感覚でしかないのですが、彼はどこまでいっても演技の上でしか何かを語ることのできない人のような気がするのです。それは実際なされた言葉の裏のことを意図しているというものですらありません。表面の言葉だけを率直に受け取っても十分でない、その裏を読んでもまた違うものになってしまう、さらに裏まで見ようとしてもそれが本心かはわからない。どこまで彼の演技を暴いていっても出てくるものは全て演技でしかない、という性質が太宰にはあるような気がします。
これは、演技だからいけない、演技だから間違っている、ということを言いたいのではありません。想像でしかないのですが、恐らくどれも太宰自身は固く信じ込んだ自分のことばなのだと思います。こんな甘いことを書いてやったら読者は喜ぶだろうね、というのも本心ですし、その裏で、けれどそうした甘いと言われかねないものにこそ自分の思いを託して書きたい、というのも本心かと思います。そしてどのひとつを取ったとしても、彼の本心の全てではないのでしょう。彼が演技の人だと述べたのはこうした意味です。
もうひとつには、暗いと言われる前期や後期の作品にしても、中期のユーモアのようなものは確かに流れています。例えば後期の『人間失格』などでは、ほとんど意味もないような、彼らの価値観の上での同義語・異義語を作り並べていくという遊びをするシーンがあります。有名なのは「花」の対義語として「女」を挙げた後に、その同義語として「臓物」を持ち出すあたりでしょうか。結論として、ここで挙げたこの同義語が彼らの価値観の上でよいのか悪いのか(うまいのかうまくないのか)は、はっきりさせられていません。ですがここには二重の交錯が読み取れるような気がします。
まず「女」は「臓物」のようなものだ、と心底信じ込まざるを得ないというのと、どうかそうはあって欲しくないという思いの交錯(それこそまさにロマンティックだと思うのですが)です。さらに、そうした酷いことを平気で書くような人間として自分を捉え、また他人(読者と言ってもよいかもしれません)にも、そんなひとでなしとして自分を見てくれ、という自虐的な気持ちがまずあります。その上で、こんなことを語らざるを得ないでいるけれどもどうか自分をそんなふうには見ないでくれ、ほんとうはそんな人間ではない(そんな人間ですらない)のだ、という訴えとの交錯。この二つの交錯の、それぞれの後者の面は中期に彼が前面に出すユーモアや人間性への信頼と底流は同じようなものと、わたしには思えます。
中期と、前後期との違いは結局のところどちらの面を表向きにしているか、という違いでしかないような気がわたしにはするのです。逆に言えば暗いといわれる前後期にしても、どこかそうした明るいものへの信頼を捨てることができないでいるところがある気がします。
すみません、長々と話を逸らせてしまいました。
> これはとっても明るくてどうしようもないおバカっぷりが発揮されています。
そうですね、『女生徒』はそんな作品です。でも暗いと言われているものにも、そういうところがないわけではないんですよ。
> 太宰のかわいさ、ロマンチストっぷりが愛しくなってしまう
そうなんですよね、こんなふうに言ってくれると、太宰好きとしては自分のことを言われてるように嬉しいです。個人的な感想としては、「太宰のかわいさ、ロマンチストっぷりが愛しくな」る反面、非常に痛くもなってしまうのですが。
素樹文生『上海の西、デリーの東』、これは未読です。あまり知らない著者ですが、確か紀行文をいくつか出されていましたよね。「文章のセンス抜群」というのは実際に読んでいないので分からないのですが(ごめんなさい、ひねくれものなんです)、
> 独特の色・においのある1冊です。
というのがいいですね。そうなんですよ、(わたしにとって、ですが)よい文章のひとつの型として、「独特の色・におい」があるような文というのがあるんですよね。ともすればクセの強い悪文になってしまうこともあるんですが、それを認めてもやはり捨て難い魅力のある言葉には、やはり弱いのですよ。しかも、紀行文。実は紀行文って好きなジャンルのひとつなんです。古今からいろいろな人がいろいろな形式で書いていますが、はずれも多いですがあたりも多い。そしておっしゃられているような「独特の色・におい」のある文はまさに紀行文向きなのですよね。じっと文章の中に浸っていくと、その土地のにおいがするようなのがとても好きです。これを候補に加えさせていただきますね。
ちなみに紀行文では、有名どころで沢木『深夜特急』、辺見『もの食う人びと』(紀行文に入れることができると思います)なども好きです。高校生のはじめ頃かに読んだと思うので、今読むと沢木は甘く感じるかもしれませんが。
司馬遼太郎『国盗り物語』は面白い。司馬はかつて追いかけた作家です。いまそこらで司馬遼とか言うと、六十代とかの人が読む本じゃないの、と言われてしまうのが悲しいです。だいたいこんなに描写の説得力と日本語の言葉自体の巧さを両立している作家などほとんどいませんよ。自分と同じ世代に読まれなくなっている作家なのが惜しくてたまりません。
> 独特のいやらしさ、強さ、あたたかさ、弱さ・・・
> どうしようもないほど人間臭い斎藤道三を
> 描ききっています。
そうなんですよね、人間造形のたくみさも凄い。これと描く言葉の技術が一体となって、まさに力のある小説に仕上がっていると思います。作家の代表作と言われるものが必ずしも常に面白いわけではないのですが、これは掛け値なしに傑作でしょう。もっと広い読者層に読まれるようになって欲しい一冊です。
面白いと思ったエッセー:三好達治『月の十日』
(開けるのがノロマでお待たせしているみなさんごめんなさい、午前中に二つは開こうと思ったのですが・・・)
時代劇で一夢庵風流記を推薦します。
隆 慶一郎さんの著作は大好きで、全集もそろえていますが、文庫本でもいろいろあるので、興味が出たら、それらを読んでみてもいいでしょう。
この本はジャンプで「花の慶次郎」として連載されたまんがの原作になります。
とにかく主人公前田慶次郎の「男っぷり」がいいです。
この本は知性化戦争シリーズというSFのあとがきで解説者が「まるで一夢庵風流記のようなスカッとした・・・」と書いていたことから是非読んでみたいと思い読んでみましたが、すっかり気に入ってしまいました。
好みとははずれるかもしれませんが、是非一度、読んでみてください。
隆慶一郎『一夢庵風流記』、原哲夫『花の慶次』、ともに既読です(マンガの方は全てを読んでいるか確信は持てませんが。抜かしている部分があるかもしれません)。
> 隆 慶一郎さんの著作は大好きで、全集もそろえていますが、
おお、関係ないですがこれは嬉しくなりますね。最近こういう読み方をする本読みは少なくなってしまったのじゃないでしょうか。これと決めた作家があって、その人の作品を網羅しようとする。読書の型のひとつとして、かなり基本的なものだと思うのですが、される方は少ないようです。わたしも酷い乱読ですし、あまり大きなことは言えません。replyさんのような方に出会うと思わず尊敬してしまいます。むしろマンガとかの方がこんな読み方がなされている気がします。現役の場合だと、どこまで追いかけるかという問題をはらんでしまいますが。
さて『一夢庵』ですが、はい、面白いと思います。わたしは文章自体はそんなによいとは思いませんが、文の完成度は置いておくとしても、なにより読ませる文だと思います。うまく説明できないのですが、読者を飲み込んでいく力がこの語りにはあると思うんですよね。また読後感もよい。そこで描かれている面白さというのはおっしゃるとおり、
> 主人公前田慶次郎の「男っぷり」がいいです。
になると思います。
ただ読後感のよさ(そして告白しますと、こういうものが結構好きだという自分の趣向)にごまかされてしまいそうにもなるのですが、ただ面白かったと言って終わるわけにもいかないところがあるんですよね。本作中で展開される「男っぷり」というのが、文芸の素材として実に面白くまた古来から描いてきた作品は数多いです。その「男」を中心に据えてそれ以外のもの(女たち、そして主人公らの「男っぷり」を際立たせるために描かれる「男らしくない」男たち)をおとしめる側面を批判する人はもちろんいますが、面白いものは面白い。これを面白いと感じることを、男社会を作るための教育の成果だとさらに批判する人らもいますがね。しかしそんなことはどうでもよいのです、わたしには「男っぷり」という素材が面白く感じるのはまちがいがない。
むしろ問題と思ってしまうのは、こうした「男っぷり」を素材とした文芸が現在成り立つのだろうか、ということにあります。ほとんどもう描き得ない、語り得ない、無理にそれを書こうとすれば滑稽なものとしかなりえないところがあるのではないか。この疑念(というよりも、ほとんどわたしの中では確信に近いものなのですが)『一夢庵』をただ面白かった、で済ませられないところです。小説ならばこのような時代劇など現代とはひとつ離れた分野にしか生き残れない(そろそろ、時代劇ですらきついのではないかという気がします)、それこそマンガ化されたように、少年マンガに逃げ込むとかしかありえないのかもしれません。これが少年マンガ化されたのは、ほとんどわたしには必然のように思われるのです。
あ、ところで知性化戦争シリーズといえば『スタータイド』ですね。昔読んだけどあとがきには気を止めなかったなあ。デイビット・ブリンは最近ではアシモフ(アジモフ説あり)『銀河帝国』続編シリーズなんかも関わってますね。
面白いと思った戯曲:エドモン・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』(舞台ではなく読み物として読みました・・・もちろん日本語で)
黒豹スペース・コンバット〈上〉―特命武装検事・黒木豹介 (ノン・ノベル 愛蔵版―黒豹全集)
トンデモ本にも取り上げられた門田泰明の「黒豹シリーズ」ですね。主人公の黒木豹介は国から超法規的措置として殺しのライセンスを与えられ、巨悪?に挑む作品です。
作品自体は面白いので一度読んでみてはいかがでしょうか?参考URLが本当に参考になると思います。
未読です。しかし・・・
これホントに面白いんでしょうか。このシリーズがどんなものかは知ってはいますが・・・(全百巻刊行予定とか、UFOを拳銃で撃ち落すとか、刑事サスペンスのはずが気がついたら月に行っていたなどなど)。
狙ってやっているのか、これが素なのかは置いておいて、この手のギャグを百巻続けるというのは相当に無理があると思うのですが。
というところで、参考URLを見逃していたのに気がつきました。見てみます。
これは凄いですね・・・。人物表から配下(なのかな?)の部隊表まで。アスラ島の絵が実に見やすく描かれています。武器の紹介も泣かせます(モーゼルって女性が持つような銃でしたっけ?)。本作を読んでいないのに失礼なのですが、こちらのURLを見ている方が面白いような・・・。
既刊作品の一覧と思われるものを拝見して、概説を読ませていただいたのですが、ある種の様式ものになっているのかなあ(マンガですが『ゴルゴ13』のような)。なにか一つの型を決めておき、それを作品ごとでどう見せるかで勝負するようなシリーズものです。そうでなければ(様式ものの変形ですが)毎作ごとに前作の型を越えようとしたりどこかで打ち壊そうとしたりして新しい型に変えていく、このタイプのものは非常に破綻しやすいという欠点を持ちますが。どちらの種のシリーズものにせよ、この「型」を受け入れられる読者にはたいへん面白いものになりえるでしょう。逆にそこがどうにもならなければ読めたものではないということにもなりかねません。
残念ですが、そんなこともあってあまり食指が動かないんですよね。
ところで
> 超法規的措置として殺しのライセンスを与えられ、
というので平松伸二を思い出して不覚にも笑ってしまいました。まあボンドなど類型は事欠きませんが。
面白いと思ったマンガ:手塚治虫『ブラック・ジャック』
「児童文学が結構好き」「ブラックユーモア的要素のある作家が大好き」というコメントから、パロディ三作を選んでみました。小説というのはちょっと苦しいでしょうか。どの作品も文だけでなく絵も楽しめて一粒で二度おいしいです。絶版でよければ、ジェームズ・サーバーのイソップ物語のパロディ(『たくさんのお月さま』学習研究社/今江祥智訳/収録の「新イソップものがたり」)も楽しい。ここに挙げた三作品ほどキツくないけれど(佐野洋子のものが一番キツイというか、後味が悪いです。ユーモアが洗練されていないのかな。ってすすめておいてなんですね。あくまで残り2作に比べてです。)サーバー特有のシニカルだけどどこか暖かな雰囲気がいい味です。
また、川上弘美がお好きでしたら小川洋子の『妊娠カレンダー』はいかがでしょうか。私の中では、川上弘美が辛口の日本酒としたら江國香織がべた甘。小川洋子はその中間という感じです。この作品は底意地の悪さが心地よくおもしろかったです。(でもきっと既読ですよね)
おお、うまいところを狙われましたね。民話や童話の書き直しという分野はあまり手をつけてこなかった気がします。全て未読です。
ロアルド・ダール『へそまがり昔ばなし』
ダールは小学生くらいの頃に『チョコレート工場』を読んで以来、たびたび追いかけた作家でした。最近はちょっとご不沙汰していましたね。
佐野洋子『嘘ばっか』
佐野洋子というと、わたしにはフレーベルやポプラなどで絵本を出している作家というイメージがありますね。絵本はもう長いことほとんど読んでもいないので、あまりどのような方だったかを覚えていないのですが。絵本(児童文学ではなく)をいちばんよく読んだのは、幼児期を別にすると五年は昔のことになります。サークルの練習などで休日の幼稚園を借りるのですが、休み時間に勝手に読みふけっておりました。あ、有名なところでは『100万回生きたねこ』がありましたね。
ヤーノシュ『大人のためのグリム童話』
読んだかどうか自信がちょっと持てなかったので、しばらく調べておりました。たぶん読んでおりません。ちょっといくつか似たものを読んだ気がしてましたがこれではなさそうですね。その過程で気づいたのですが、これは池田香代子の訳なのですね。この方の翻訳書にはいろいろとほんとにお世話になりました。ケストナー、ハウフ、それから『ソフィーの世界』が有名なゴルデルなども池田の翻訳でしたね。
サーバー「新イソップものがたり」
これも不詳です。徳間から刊行の『たくさんのお月さま』はまだ生きているようですが、こちらには「新イソップものがたり」は入っていないようですね。
さて、この「民話や童話の書き直し」という分野についてなのですが、ちょっと自分がはすに構えてしまうところもあってそんなには読んでこなかったんですよね。実に広範な分野だということは分かっています。例えばchibitさんが挙げてくださったパロディ的なもの以外にも、有名どころでは芥川などがやっていますし、ひところはやった『本当は残酷な〜』などもこの中に入るとは思います。河合隼雄なんかもそんなことしてませんでしたっけ、勘違いだったかもしれません。
それで書き直しは昔からいろいろとあるのですが、そもそも民話や童話ってそういうものかと思うのですよ。いろんな人が誰かに語り、話を聞かされた人がそれをまた誰かに語る。常に書き直され、変化し続けてきた物語の形式だと思うのです。なので、つい書き直しと聞いてしまうと、それってそんなにわざわざ言うほどのことなのかな、と思ってしまうところはあったのです(まあ翻訳である時点で書き直しなのですが)。もちろんそれで質が低いということではありませんし、単にわたしがひねくれているだけですね(もっとも『本当は残酷な〜』のように無理やり読み変えているようなのは論外と思いますが)。
というわけで読んでみますね、でもどれにしようかな。手に入ればサーバー、だめなら・・・ダールは好きだけれど、ここははずして『大人のための』にいってみます。
> 「児童文学が結構好き」「ブラックユーモア的要素のある作家が大好き」というコメントから、パロディ三作を選んでみました。
そもそも児童文学にはブラックユーモア要素が必然的に強くある、と思うのはわたしだけなのかな。また上で述べたように、(児童文学とイコールではないですが)民話や童話にはそもそもパロディに似た要素があるかと思います。
ところで、確かに児童文学は好きですが、いろんな分野の中で飛びぬけて児童文学が好きだとか、ましてや児童文学だけが好きなわけではありませんよ(このことに言及される方が多いので、いちおうコメントさせていただきました)。
> 小説というのはちょっと苦しいでしょうか。
まったく構いませんよ、大丈夫です。
> 絶版でよければ
極端に手に入れにくいと困りますが、ちょっと探せば入手できるようなものなら大丈夫です。プレミアがついているようなのは困りますが
> サーバー特有のシニカルだけどどこか暖かな雰囲気がいい味です。
このお薦めのお言葉に惹かれるんですよね。時間はかかるかもしれませんが、ゆっくり探してみようかなあ(以前は一年くらいかけて、絶版になっていた『王さま』シリーズの大判のものを格安で揃えたことがあります)。
小川洋子『妊娠カレンダー』
挙げられたものの中で、これだけは既読です。わたしの個人的な好みの問題なのかもしれませんが、これは抜群に面白いです。ですがこの面白さは(この作家のものはどれもそうですが)非常に言葉にしにくいものがあります。分かりにくい、ということではないですね。面白さをすっと隠し立てなく見せてくれてはいるのですが、それを言葉にしようとするとどうしても躊躇させられてしまう何かがある。そんな印象があります。
> 川上弘美が辛口の日本酒としたら
しかしこれはうまい表現ですね。感心しました。確かに辛さで言うと、川上、小川、江國の順になるでしょうね。ですが黒さでいうと、圧倒的に小川が黒いのではないでしょうか。あ、ちなみに川上は全てを認めるわけではありません。傑作が多いのは確かですが。また彼女を指してマジックリアリズムと言うのもどうかと思います。彼女の中では駄作のものに対して、マジックリアリズムの出来損ない、と言うなら分かりますが。
> この作品は底意地の悪さが心地よくおもしろかったです。
そう、これなんですよね。小川の面白さって。しかしこれを説明しようとするとどうしても言葉が止まってしまう。飛びぬけて面白いと思うのですが、『妊娠カレンダー』についてはわたしはちょっと語ること自体に恐ろしさがあります。すみません、言葉がありませんでした。
面白いと思った小説家:山田詠美(ごめんなさい、どれという作品ひとつを思いつかず、作家で挙げさせてもらいました。選べない、という意味ではなく。『ベッドタイムアイズ』『ソウル・ミュージック』『纏足』あたりとは思うのですが、なぜかピンと来ないのです。最近読んでないからでしょうか。このごろはむしろ佐伯一麦の師匠という捉え方になりつつあります)
ちょっと明日は朝が早いので、このあたりで失礼しますね。しかしなかなか進まないな、ごめんなさい。
(ちゃんと眠れるかなあ)
京極さんは好きですか?
今 ハマっているのでおすすめします。
この方の小説はミステリです。ミステリーではなくて
ミステリです。どの作品も昭和の香りがします。
私がスゴイ!と思うところは、とにかくキャラクター
がとてもしっかり設定されているところ。
各作品おなじ登場人物がでてきて、それぞれの役割が
作品によって違っています。
クローズアップされるキャラクターが変わる度に
作品世界が広がります。そして最大の魅力は
錯覚感です。現実と仮想のバランスが絶妙なのです。
実在していそうな登場人物、事件、場所、、、
凄いことがありそうな期待をもたせて、すごーく
普通だったり、、、でもそのほうが読後感がぞっくり
恐かったり、、、罠だとわかっているんです、でも
騙され騙され作品世界に引き込まれてゆく私、、、
どうぞあなたの想像力で行間に妄想を膨らませ、
この世界を楽しんでください。
<おまけ>難しい漢字に強くなります。
こんにちわ。ちょっとお散歩などして昼過ぎまでゆったり過ごしておりました。取り掛かりが遅くなりました、すみません。
すべて既読です。
来るだろう、と予想した作家の一人、京極夏彦がようやく出てきました。わたしの予想ではもっと早く出るかと思ったのですが。ひところに比べ人気が下降している、ということなのでしょう。
この作家についてなのですが、わたしには全面的には推しきれないところがあります。これはつまらないということではありません。面白いのですが、面白さの種類に違和感があるのです。
彼を語るならまず持ち出すべきは長さでしょう。この長さそのものが彼の面白さの核心と関わっている気がわたしはします。短いものを書かせたらつまらないという意味ではありません。彼の面白さは文章を並べていく芸にこそあって、その結果として長くなっているのではないかと思うのです。語りの呼吸が長い、と言ってもいいかもしれません。文を語や行の単位でなくて、もっと大きなまとまりで読者に飲ませていることで、独特の世界を描いているのかと思います。当然読者の受ける印象は濃密なものとなるでしょう。誰にでもできることではありません。本の長さ自体もそうなのですが、長いものを読ませる才覚あってのことかと思います。
一方で彼のこの芸は読者に文章を消費させている気がするのです。読んでいる時は面白く、また濃厚な印象を受けますが、そのくせ再読する気にならない。読んでしまえばそれで終わりの消耗品という感があります。
もっとも、実際に彼の作品を読み返すという人が結構いるであろうことを考えると、わたしだけが思っていることかもしれません。また仮にわたしが正しいとしても、消耗品でそもそもよいのだという考え方もあり得るでしょう。ですがどうも作家本人の言行や出版社の売り方を見ると、消耗品の売文として扱っていない気もするのです。そのあたりがどうも不誠実な感じがしてあまり好きではない一因になっているのでしょう。
> 最大の魅力は錯覚感です。
とmushuさんがおっしゃられているように、この長尺の語り口には力があるかと思います。ただし文字数あたりで見たら、そんなでもない気がします。細かく分解して読んだなら、「作品世界に引き込」む力はないでしょう。あくまで長いかたまりをひと口で咀嚼させているので濃厚に感じるのであって、量に比例した内容はない。ですが、そのひと口で飲ませる長尺を、まったく長いと感じさせないことにこそ彼の技術の核心があるのではないでしょうか。まさに「錯覚」してしまうのです。
あと、彼についてはよく言われる衒学趣味のことですが、古今の本当に衒学趣味の作家に比すればまだまだぜんぜん甘っちょろいのは間違いないかと。
だいぶけなしたことも書きましたが、それでもわたしは彼については認めざるを得ないところがいくつかあります。いくつか挙げられるのですが、なによりそのいくらでも語ろうという饒舌な姿勢はどうしても魅力的に見えてしまいます。これだけでも読む価値のある作家と思います。ちなみに挙げてくださったものより、わたしは『伊右衛門』の方が好きです(好みの問題でしかないですが)。
すみません、またやや酷評になってしまいました。京極が嫌いなわけではないのです、お許しください。なお、いただいたご説明、本当にこれが好きなんだなあというのがよく伝わってくる、たいへん楽しいものでした、ありがとうございました。
> ミステリーではなくてミステリです。
気をつけます。でもいまだにわたしはいい加減な使い分けしかできません。語感の問題でしか考えてないかもです。「本格」とかが前につくとミステリになり、単独だとミステリーになるとか、そんな感じです。
面白いと思った映画:『アンタッチャブル』『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』『薔薇の名前』(お分かりかもしれませんが、単にショーン・コネリーが好きというだけです。老人になってからだけですが。若い頃はあまり好きではないです。映画自体が面白いかどうかほとんど関係ないかもしれません。それでも『アンタッチャブル』ではデ・ニーロの演技に負けている気はするのですが)
1冊目
本が好きなひとなら99.992%ぐらいの確率で読んだことあると思います。
でも大人になってから読んだ事のある人は以外と少ないでしょう
過去に読んでから時間がたっていればいるほど楽しく読める数少ない1冊
と感じているので推薦します。
2冊目
小説ではないかな〜と思いつつ
海外の小説を読んでいるとよく
「彼女はアテナのような激しい性格を・・・
みたいな言い回し(訳?)ってありますよね?
日本にしか住んだことなく知り合いのほぼ全員が日本人という環境だと、
海外の文化や風習の違いからくる違和感みたいな物があって海外の小説
でのめりこめる物(本?)が少ないような気がします。
そういったギャップを少しだけ埋めて、さらに本を楽しく読むために本
を読む!?のもよいかと思い推薦します。
ほぼ確実にルール違反だと知りつつ回答したくなりました。
ポイントなしを期待してるかも・・・
さて困った、これはどう判定すべきか悩ましい(ルールのことではないです)。『トム・ソーヤー』なのですが、トウェインの原作は既読です。しかし、これは翻訳でなく翻案ものですね。どうしたものか・・・
夕食を食べながらちょっと考えてみたのですが、今回は別物とすることにします。ただの翻訳ではなく、もとの原作に対して何かしら意味のある書き換えが加えられているというのがその理由です(実際の書き換えは、原作からこのノベライズの元になったアニメにする段階で行われたのでしょう。アニメを見たわけではないのでネットで調べた範囲での推測でしかありませんが)。書き換えによって、ある程度原作から独立した作品として成り立っていると判断しました。もちろんこのあたりは曖昧ですし、厳密なことを言えば普通の翻訳と原作すら区別しなくてはいけなくなってしまいますが。抄訳や子供向けに話をやさしくしたようなものは、こうした独立したものとしては認めないこととします。この手のものが続くと困るので、翻案アニメのノベライズは今回限りとしますね。
というわけで『トム・ソーヤーの冒険』は未読です。阿刀田の『ギリシア神話を』は既読です。
さて、この『トム・ソーヤー』なのですが、原作のトウェインについてわたしがどう考えているかは、31番の回答で書いているのでそちらをご覧ください。作品(原作)自体は、トウェインのものの中ではストーリーテラー要素の強い方面のものと考えています。
問題はその原作の方からどのような書き換えがなされているかなのですが、sonanceさんのご説明でもわたしが調べた範囲でもあまり具体的なことはわかりません。他のトウェイン作品から引用があったり、もとの小説よりだいぶ読みやすくなってたりするのかな。文体的な密度などはその分失われているのでしょう。
> でも大人になってから読んだ事のある人は以外と少ないでしょう
失礼ながら、もとのトウェインの小説は子供向けに書かれたものではありません。もちろん、子どもが読めないという意味ではありませんが。やはり調べた範囲のことを見ても、あまり良質な書き換えとは思えませんね。子供向けに書き直したものとまでは言いませんが、原作の魅力を損なっている部分が多いようにも思えます。
『ギリシア神話を』は名著だと思います。小説とはおっしゃるとおり言い難いですが、面白い本です。ギリシア神話などになじみがない方がはじめに読まれるにはたいへんよい本かと思います。
> ほぼ確実にルール違反だと知りつつ回答したくなりました。
29.の回答にも書いておきましたが、面白い、読んで楽しめる本であればまったく構いませんよ。もちろんルール違反の場合、この面白いかどうかの判定が厳しくなるとは思います。ですが、『ギリシア神話を』はそれを十分越えて面白いでしょう。
> ポイントなしを期待してるかも・・・
というわけで、残念ながら(?)ポイントを出させてもらいます。
面白いと思った雑文:今週のスピリッツ(No.46 10.25、通巻1162)、最終頁にある「神保町美女研究会」(熟モニ。と書かれてある) (これは面白かったです。あまり芸能人に詳しくなく、名前を見ても顔が出てこない場合が多いので普段ここはほとんど読まないのですが、さきほど捨てる間際に見たら実に面白かった)
この作家の本は昔良く読みました。
ライトノベルの走りとも言える作家で好みも分かれるかもしれませんが、この2作品はおすすめしても良いかと思います。
「おしまいの日」は、あとがきから引用すると「旦那が帰ってこない話」だそうです。
・・・こう書いてしまうと、なんだかわかりませんね。
仕事が忙しく帰りが遅い夫。
それを”毎日”待っている妻。
その妻の綴る日記が日を追う毎に狂気を孕んで来てそして・・・
途中、小説とは思えない表現で恐怖を表し衝撃のラストへ・・・
いや、衝撃って程でもないんですけどね。
では、「くますけと一緒に」はどんなお話でしょうか?
「ぬいぐるみ」教のお話だそうです。
・・・・・・さっぱりわかりませんね。
くますけはくまのぬいぐるみ。
交通事故で両親を失った、小学4年生の主人公はくますけと片時も離れる事はできません。
親戚の家に引き取られても、誰にも言えない秘密があるからくますけ以外信じられず・・・
他にも「ひとめあなたに」とかもおすすめですが、本が無いのでISBNがわかりません。
入手は古書店かオークションじゃないと無理かもしれません。
残念ながらすべて既読です。
『ひとめあなたに』はごく初期、残りの二つは90年頃のものですね。新井素子がいちばん力があった(売れた)頃かと思います。
この三作はなかなか面白いと思います。わたしは『おしまいの日』を一番に推しますが、『くますけ』『ひとめ』も悪くありません。
その上で、わたしは新井素子という作家をほとんど評価できません。shigemaruuさんが挙げてくださった三作などいくつか面白いものがあるのは認めます。しかし、彼女はほとんどまったく進歩のない作家と思えるのです。素材に関してなのですが、まず自己模倣の感がぬぐえません。作数が増えていくにつれどこか以前書かれたものと似たものになっていく気がします。また扱っている素材自体も目新しくはなくなりつつあります。もっともこれは彼女のせいとばかりは言えないでしょうが。
そして文に関してですが、癖は強いが読めないことはない文章です。実に素人臭い文章ですがそれを芸と言うならば芸と言えないことはない。ただその芸も続けていくと陳腐になります。はじめは物珍しさで読めるとしても、こればっかりでは食傷します。このことについては彼女のデビュー選考会での筒井の発言が興味深い。
> 筒井 新しい文章は必ず出てくるけど、これではないよ。たとえばこの人が、四十、五十のオバハンになって、まだこんな文章を書いていたらどうする? 気味ワルイですよ。
デビュー当時の17歳の頃よりは(この文章でも読ませるという)技術は上がっているでしょう。ですが同じ傾向の文章のままなのは否めません。まさに筒井の予言通りになってしまったとわたしなどは思うのですが。
このような理由から、この三作は確かに読めますが、それに期待して続けて追える作家ではないとわたしは思っています。すみません。
『ひとめあなたに』ISBN:4041600014
新井素子研究会:http://moto-ken.cool.ne.jp/ (上記引用した筒井の発言などはこちらから読めます)
面白いと思った小説:干刈あがた『ウホッホ探検隊』「プラネタリウム」
三木卓の短編集『路地』はお読みになりましたでしょうか?古都鎌倉を舞台に,古本屋主人,人力車の車夫,図書館司書といった主人公をめぐる「裏通り」の物語が連作になっています.観光都市としての華やかな「表通り」の陰で息づいている,脈々とした土地の祖霊ともいえる力を感じられる作品だと思います.渋く地味な味わいですので,お気に召さないかも知れませんが・・・
未読です。
作品自体は知っていたのですが他の長編を読みまして、三木卓はそれほど面白くないな、という印象がありこれまで手をつけておりませんでした。あまり印象に残らなかったので詳しいことは申し上げられないのですが、文章自体どうということがなく、また長編も間延びしていた気がします。ただおぼろげな記憶をたどると、長編向きの作家でない、短編で本領を発揮する質の著者という気がしないこともありません。
> 古本屋主人,人力車の車夫,図書館司書といった主人公をめぐる「裏通り」の物語
この主人公たちの職の選択がよいですね。面白そうな匂いがします。「裏通り」というのにもまたしっくりとくる感じがします。
> 脈々とした土地の祖霊ともいえる力を感じられる作品
こういうのに弱いんですよね。たいへん興味を持たされました。これは候補に加えさせていただきます。
参考URLに挙げていただいた紹介文もよいですね。これは著者本人が書かれているのかな。雑文は、失礼ながら下手と思いますが、朴訥な面白さがあります。これにも心を惹かれました。
> 渋く地味な味わいですので,お気に召さないかも知れませんが・・・
それは誤解されています。最初の方に書いた好きな傾向(ブラックユーモアなど)を見て、そう思われたのかもしれませんが、わたしの好きなタイプのひとつに、なんということもないただの日常の、下手をするとただのスケッチになってしまうような小説というのがあります。「渋く地味な味わい」なんてまさにその典型です。
余談ですが、この講談社文芸文庫、好きなものがいろいろ入っているのですが、文庫とも思えないほど高いのが頭の痛いところです。装丁が統一されているのも綺麗といえば綺麗なのですが面白味に欠ける気がしないでもありませんね。
面白いと思った小説:漱石『草枕』
田舎に引っ越してきたロリータが偽ブランド商品を売ったのをきっかけに出会ったヤンキーとの友情を描いた話。
・・・と書くと、陳腐な感じなのですが、実際はかなり笑えます。
主人公の世間とずれた人生観、それなのに妙に説得力があるのが面白く、ヤンキーも今時珍しい感じの少し昔っぽいヤンキーで、また面白いです。
ヤンキーの恋の話や主人公の意外な才能など、一読の価値があります。
ごめんなさい、未読でした。
なんとなくこれを未読というのは、謝らなければならない気がしてしまいました。はい、これは読まなければならないなあと思っていたのですが、手をつけずそのままになっていました。すみません。
嶽本はわたしにはまだよく読めてない作家なのです。読めそうで、まったく読めないところがある。今のところで感じているのは、どこかで自由の作家などと言われていたと思うのですが、これはまったく違うだろうということです。自由の作家だなんて正反対と言ってよい、外圧とか抑圧とか制度とか、そうしたものがないと成り立てないようなことを書いている。むしろ反自由の作家だ。そんなふうに感じたのですが、何しろほとんど読めた気がしないので、まったく間違っているかもしれません(なお自由の作家であるかないかなど、作家の良し悪しにはまったく関係ありません、念のため)。
> 主人公の世間とずれた人生観、それなのに妙に説得力があるのが面白く
yukinofuさんがこう感じられたのは、やはりそういうことなのかなあとも思います。というわけでこれも読んでみますね。候補に加えさせていただきます。
余談ですが、19世紀アメリカにホーソーンという実にムッツリ助平な作家がいるのですが(『緋文字』などが有名です)、前述のように感じたこともあり、わたしなどには嶽本野ばらはこのホーソーンに似たところがある気もするのです。こんなことを言うとどちらのファンからも本気で怒られそうですが。
面白いと思った小説:ナサニエル・ホーソーン「ラパチーニの娘」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4572004366/qid=10972321...
Amazon.co.jp: 忘れ川をこえた子どもたち: 本: マリア・グリーペ,大久保 貞子
bk1にISBNの登録がないとのことですので、アマゾンのURLを載せておきます。
著者はスウェーデンの作家です。行ったこともないのに、「らしさ」が文章から濃厚に漂ってくるのを感じます。暗さ、静けさ、寒さ、恐ろしさ、そして美しさ、心地よさ。現実と幻想が入り混じる酩酊感に心地よく酔えました。
ジャンルは児童書になるのでしょうが、むしろ大人に焦点が当てられているように思いました。登場人物の台詞に「ああ、わかるな」と共感した私は、むしろ大人になってからこの本に出会えたことに感謝しています。
何と言う名称だったかは失念しましたが、この本は翻訳の賞を受賞しているだけあって、文章がひかっています。題名も、原題では「ガラス職人の子供たち」というのです。個人的には邦題の方が内容に沿っている気がします。何より作品の雰囲気をよく伝えていると思います。
他にも、この著者の「小さなジョセフィーン」「ヒューゴとジョセフィーン」「森の子ヒューゴ」の「北国の虹ものがたり」3部作もおすすめしたいところですが、残念ながら現在は入手困難です。
この著者の作品の挿絵もまた、素晴らしいのですが、多くはご主人のハラルド・グリーぺさんによるものです。「忘れ川」にも版画が添えられているのですが、こどもたちのぷっくりした頬は一見の価値あり、と推薦しておきます。
既読でないと良いのですが。とはいえ、この本は再読、再再読に耐えうる佳作だと思います。
長々と失礼いたしました。
未読です。
マリア・グリーペという名前に覚えがある気はするのですが、ほとんど知りませんでした。何かで紹介を見たことがあったのかもしれません(有名どころで『童話学がわかる。』とかでしょうか)。調べてみたのですが、どこで言及されていたのかも分かりませんでした。もしかすると著書を何か読んだことがあったのかもしれません。
> 現実と幻想が入り混じる酩酊感に心地よく酔えました。
ふむふむ、このような文章の書ける作家というのはいいですね。児童書であれそのほかの小説などであれ、なかなかできることではありません。
> むしろ大人になってからこの本に出会えたことに感謝しています。
もはや大人になってしまった身には子どものようには読めないものですから、jigazouさんのこのご感想が正しいかどうかはわかりません。ですがその正否は置いておきまして、こうしたご感想が出てくるということはほんとうに質の高い本なのだろうなと思います。(読んでいないわたしにとっては)このようにおっしゃられてるのだからと、信じてみる気にさせられます。
> 原題では「ガラス職人の子供たち」というのです。個人的には邦題の方が内容に沿っている気がします。
これは好みの問題でしかありませんが、本当に語感だけで言うと原題の方がわたしは好きかな。イメージが具体的にわかりやすいです。いや内容を知らないのでなんとも分かりませんが。
> こどもたちのぷっくりした頬は一見の価値あり、
これは、見てみたいですね。
> この本は再読、再再読に耐えうる佳作だと思います。
はい、読んでみたいと思います(初読ですが)。候補に加えさせていただきますね。
ちなみにウェブをざっと調べてみたのですが、あまり情報は多くないようです。スウェーデンやデンマークの言葉と思われるサイトならたくさんあったのですが・・・なにしろまったく分かりません。日本語のでは、すぐに見つけられた中で参考になったのは下の二つです。ですがどちらもご紹介くださった本については触れられていないんですよね。なのでこのような作家なんだろうな、と想像するのに使わせてもらいました。
http://fuduki.k-server.org/gripe/index.html
著者のファンと思われる方が作られているサイトです。未完成のまま放ってあるような感じでしたが、結構興味の持てる情報が手に入りました。こちらでは『夜のパパ』という著書のちょっとした抜粋を拝見させていただきました。紹介された本ではないのですが、これは面白そうだと思わされる内容でした。
http://www31.ocn.ne.jp/~subarugaikokugo/004.htm
これは・・・かなり微妙かもしれません。ページの趣旨自体は、どうも白百合女子大の児童文学の院の院試の模擬テストのようです。ここで英語の問題としてGarland M. Nikolajevaという人の『Children’s Literature Comes of Age』という研究書の抜粋が出されているのですが、ちょうど抜かれている部分がMaria Gripeの書いた『エルビスとその秘密(Elvis and His secret )』への言及部分なんですね。ここで研究書の著者は同書について分析を行っているのですが、まあ、これからもとのがどんな本かを想像するのはかなり無理があるかもしれません。なお、下の方に(試験解答として?)和訳があります。
面白いと思った小説:車谷長吉『塩壺の匙』(ここにヒントを出すのもだいぶ多くなってきました。これまで何を書いたか覚えておらず、うっかり同じのを二度挙げそうになりました。ざっと見直し、気をつけてはいるのですが、以降どこかでかぶることがあるかもしれません。どうぞお許しください。既にかぶっていたらごめんなさい)
スタインベック:今読んでるのが面白いので。描かれる人々が確かに生きていると感じます。
ゲド戦記:下の方で未読とあったので。これから読まれるのなら、外伝を先に読んだほうが面白いと思います。日本語版では5巻が先になってしまったのですが、もともと先に書かれたのは外伝の方で、5巻を先に読んでしまい、後悔しました。外伝と言っても内容は5巻に続く章もあり、これは外伝より先に訳が出たらしいのですが私は知りませんでした。。
実はゲド戦記シリーズが好きで、外伝の発売直前に(悔しい)原文で読んでみました。とても面白かったです。そのあとで和訳を読んでがっかりしたくらい、ル=グウィンの文章は力強く、きれいでした。余談です、失礼しました☆
全て既読か既出です。
『スタインベック短編集』
改版ではないので内容が違っている可能性がまったくないわけではないですが、収録作全て既読です。
> 今読んでるのが面白いので。描かれる人々が確かに生きていると感じます。
これは『短編集』の中のどれか(例えば「聖処女カティ」とか)を読まれている、ということかな? そのように考えさせていただきますね(はじめ、著者の別の作品を読まれているということかと思いました)。もう少し具体的にどこがどうよいのか、何がどうよいのか書いてくださるとよかったですね。これではよく分かりません。
さてスタインベックとは、これは評価が微妙になります。ノーベル賞に限らず大きな賞を得た作家はみなそうなのですが、一般に大きく評価される時期というのがあります。人によってはその大きな評価を維持したり、さらに大きな評価を得たりしていきます。しかしたいていの場合はピークを過ぎると評価が下がり始めます。大方どこかで下げ止まり安定飛行に入るのですが(まあ、特にアメリカの作家は波が激しいのは否めませんが)、彼はかなり低空飛行を長らく続けている作家と言えるのではないでしょうか。ようやく最近になって流行の文学理論で批評しやすいということもあり(これが作家の評価に与える影響はかなり大きなものがあります)多少持ち直してきてはいますが、それでも名のある作家の中では安定して低い部類と言えるでしょう。評価が低いところで安定している作家、あるいは評価が一定して下がり続けている作家(例えばヘミングウェイ)などの中では、わたしはマシな部類の作家ではないかと考えています。
マシとは誉めているわけではなく、読めるものもあるという意味です。ロマンス的風合いのあるいくつかや、有名なものとしては『はつかねずみと人間』などは、それなり読めないこともない。一方で代表作とされる『怒りのぶどう』『エデンの東』などは読むに耐えない。退屈の一言に尽きると思います。作品を三、四読まれればわかると思いますが器用な作家です。色々なモチーフを扱える。ですがその器用さも、彼の個性となるような独自のものが何の魅力もないようであっては、ただの器用貧乏です。わたしなどには才能のない作家がなんとか読者の興味を引こうとして、いろんな要素を取り入れてみているようにしか見えないのです。力がないならないなりの書き方というのがあるのですが・・・
彼の個性と言えるのは偏狭な神秘主義(人間としてはともかく、面白い小説を書くという上では偏狭なことは必ずしも悪いことではありません)、アメリカ西部の風土感、などいくつか挙げることができますが、どれも琢磨が足りなかったと言うべきでしょう。例えば神秘主義であればアメリカン・ルネッサンス期の諸作家を前にすると、その超絶的思考への拘泥がまだ甘い。風土に対するリアリズム的な描写についても、その土地に縛られた怨念のようなものまで滲み出させるフォークナーの迫力(粘着力)も、土地のどこまでも読者を引っ張り込もうとたくらむトウェインの牽引力もない。少なくとも本物の大作家を前にすると、読み物として全く物足りないのです。
『ゲド戦記』
書かれている通り、これは3.で既出です。
> これから読まれるのなら、外伝を先に読んだほうが面白いと思います。
というのは新しい情報ですので、既出ですがこの分は評価させていただきます。
> ル=グウィンの文章は力強く、きれいでした。
これはある意味ですが、同意できます。ある意味というのは、わたしにはどうもル・グウィンの英語は硬質に感じるのですよね。「力強く」というのは分かりますが、反面押し付けがましいところがある。また「きれい」というのはセンテンスがやや短めで澄んだ印象を与える文だということかと思うのですが、これも「きれい」な反面、きつい印象があります。まあ、ル・グウィンの英語はわたしにはあわなかったということなのでしょう。
面白いと思った本:ゴーゴリ『隊長ブーリバ』
『マルテの手記』は日本でも広くその作品が読まれているドイツの詩人リルケが記した散文である。
小説、というジャンルに属する作品として本書を紹介するのは語弊があるかもしれない。本書には筋らしい筋は実は存在しない。マルテという青年がパリの喧騒の中にありながら、いや異郷の地であるが故によりいっそう孤独感の中に沈溺していく、その息の詰まるような日々の記録が、丹念に綴られていく。それはそして、子供の頃の美しい記憶を回想する記述へと繋がっていく。
とはいえ、俗に言う「難解な」もしくは「前衛的な」作品ではない。たまたま現在堀江敏幸氏の『回送電車』を読んでいるのだけど、少年時代の時間をめぐる感覚や誕生日にまつわる思い出を語りながら、まさに『マルテの手記』にも登場する誕生日の一コマについて触れられたところがあって、それを読んで改めて本書に具体的に、自分も確実にマルテと同じものをみたかもしれない、とさえ思わせるほどのイメージを喚起させる力があることを痛感した。概ね、幼少期について書かれる文章は甘美なものだが、本書の記述はそれ自体が柔らかい光に包まれるような幸福感と、自分が後に経験することになるだろう、自分たちを取り巻く大人たちの世界への旅立ちを前にした不安を鮮やかに描いていることで、特筆すべき出来映えとして結実していると思う。
私自身は「面白い小説」といわれて思い浮かぶのは、筋自体の面白さではなく、むしろそれを描写する文章の面白さ、具体的に描かれているシーンの美しさである。だから、いわゆる血湧き肉躍るような作品を、私は知らないし挙げることも出来ない。それに、回答を見ていると既に多くの信頼し得る読み手が、私よりもはるかに誠実に、また愛情と熱意を以ってそうした作品を紹介していると思われた。だから、むしろそうした「面白い」という定義から外れた作品を私は紹介することにした。
exhumさんなら、もしかしたら既にこの本を読んでおられるかもしれない。回答を見ているとそうした予感を感じる。だが、それならばそれでなおのこと、exhumさんの本書に対する感想をお聞きしたいと思う。もしくは、私が堀江氏の文章によって忘れていた『マルテの手記』の細部を、未読の小説に触れたように新鮮な感動を呼び起こされたものとして思い出したように、この文章がもととなってあの作品を新鮮なものとして思い起こしてもらうこともまたあり得るのではないか? とさえ、私は考える。そして、それが本を紹介する、ということの喜びなのではないか? と。
……プレゼンは以上です。
新潮文庫版・岩波文庫版が手軽に入手出来ると思います。私は岩波版の訳が好きです。
うう、すみません、過度な期待をお寄せくださって、非常に言いにくいのですが未読です。
ドイツ詩人は、というより海外の詩人の多くは鬼門なのです・・・。恥かしい話なのですが、他にも誰しも通っているような、いわゆる古典や名作のたぐいで読んでいないものがいっぱいあります(痛いところで『罪と罰』とか)。
リルケは詩ならいくつか読んだことがあります。海外の詩人が鬼門な理由もここら辺にあるのですが、外国の詩というのはわたしには分からないものがかなりあります。面白さが分からない、というのではなく、時に面白かったりするのだけれどなぜ面白いかとか、そもそも何がなんだか分からなかったりする。分からないなりに楽しめたりもするのは確かなのですが(まあわたしが読んでいる本なんてみんなそうです)、なんとなく外国詩からは足が遠のいていましたね。その中ではリルケはわたしにはですが、結構面白いと思えました。作者不詳のジプシーの詩をリルケがまとめたのかな、そんな感じのものもリルケ自身のものの他にも読んだ記憶があります。わたしの少ない海外詩の経験の内では、リルケとはだいぶ違うでしょうが、シルヴィア・プラスなどが好みです。
> 筋らしい筋は実は存在しない。・・・その息の詰まるような日々の記録が、丹念に綴られていく。
いただいた回答の46.のコメントでも申し上げたのですが、こうした読み物はかなり好きな部類です。
しかし実にすばらしいご紹介をいただきました。未読ゆえ本書は知らないのですが、それでもどんなことが語られているかの具体的なイメージと、なによりその面白さ、魅力がしっかり伝わってきます。
> 誕生日の一コマ
これ、気になりますね。注意して読んでみます。
> 私自身は「面白い小説」といわれて思い浮かぶのは、筋自体の面白さではなく、むしろそれを描写する文章の面白さ、具体的に描かれているシーンの美しさである。
言わんとされていることは、わたしが考えているものと全く同じかどうかは断言できませんが、分かるような気がします。筋もなにもなくただ描写が並んでいるだけなのだけど、それが面白いという質の物語というのは確かにあります。わたし自身の感覚では、むしろこちらの方が「血湧き肉躍るような作品」よりも最近に(近代くらいか)生まれた物語の形態のような気がします。余談ですが落語にもこんなのがあったような・・・落ちらしい落ちも筋もなく、ただつらつら言葉を並べていくだけなのですが、巧い演者がやると実に聞かせる噺になるという。
ただこの種の物語の面白さというのは言葉にするのが実に難しい。それが今までこうしたものを紹介してくださる方が少なかったことの一因ともなっているでしょう。「文章の面白さ、具体的に描かれているシーンの美しさ」とおっしゃられているように、ひとつには描写力が要素としてあるのは間違いのないところでしょう。こうした小説に共通していることとして、密度の濃い描写をあまり濃いと感じさせないというのがあるかと思います。たいていみな何気ない描写が実に巧い。適確に過不足なく言葉を連ねていく。また文の呼吸も巧い。その上で付け加えられることとしては、これは私見に過ぎないので間違っているかもしれませんが、何かを描写する時に、その対象を見ている視点の移動のさせ方が実に巧みだという気がします。喩えるならカメラワークの上手さです。その上で仕掛けどころも利いてくる、そんな感じがします。
> 本書に対する感想をお聞きしたいと思う。
実に申し訳ないです、未読でした。候補に加えさせていただきますね。読み終えました折には、たいしたものは書けないと思いますがそれなり短い感想などでも申し上げさせていただきます。
> 私は岩波版の訳が好きです。
了解いたしました、岩波のを探します。
面白いと思った小説:ヘミングウェイ「二つの心臓の大きな川」(著者自身は主人公の戦争体験なにやらなどと述べてもいるが、それに惑わされずに読むのがわたしには面白いかと思われます)
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ごめんなさい、ひとつ前の回答に書き忘れました。
『スタインベック短編集』の収録情報の詳細はこちらから得させていただきました。
最初にお詫び。既読かもしれませんし、その上ミステリを紹介するというむちゃくちゃな回答です。お許し下さい。
ですが、今までの回答を拝見して既読ならそれでよし、是非ご感想を伺いたいと思ってもいます。
私自身も回答を開いて頂けるのが楽しみでなりません。
さて、私がお薦めしたいのは「日常の謎」といわれるジャンルの小説を二つ。
1冊目は北村薫「六の宮の姫君」です。
芥川龍之介を卒論のテーマに選んだ「私」が文壇の古老が漏らした表題作品についての言葉の謎に迫っていく作品です。
芥川龍之介と菊池寛との関係性、「六の宮の姫君」が書かれたいきさつについての「私」の考察がお話のポイントです。
元国語教師である作者の幻の卒論を下敷きに書かれているとのこと、文学を研究されている(と思っていますが間違っていたらごめんなさい)exhumさんはどのように読まれる(た)のか、是非伺ってみたいのです。
ミステリと思って読まれると逆にがっかりされるかもしれません。
私自身は理系の研究室所属ですが、今の生活に倦んだとき、やる気が出ないときなどに
知的冒険としての研究の魅力を思い出したくて何度も読み返す一冊です。
実は「円紫さんと私」といわれるシリーズのかなり後の方の一作ですので本当は最初から読んだ方がより楽しめるかと思います。蛇足ながら、基本的に人は死にません。
ちょっと今どきいない晩生でなまいきな女子大生の「私」のビルドゥングスロマンの趣がありますし、
探偵役の落語家円紫さんと「私」とのやりとり、
落語や彼女が読む本(1日1冊の目標を立てて本を読んでいました)のタイトルなどにも興味をそそられます。
そして、端正なキャラクターにふさわしい美しい日本語もお薦めポイントです。
この作者が書かれたエッセイ「詩歌の待ち伏せ」を読むと実に言葉(日本語)が大好きな方なのだと思います。
2冊目は魔法飛行。
これもまた同様に「日常の謎」を扱った短編集です。その上これもシリーズ2作目です。本当に怒られそうです。
そのうえ少女漫画的すぎてお好みではないかもしれません。
前作を読まなくてもお話としては一冊を読み通すことで完結しています。
ヒロインが手紙の形で普段あった少し不思議な出来事を書けば、それに対する返信で謎が明かされるという形です。
宇宙や空への憧れ、がひとつのテーマとして描かれており、使われるモチーフははっきりいってかなりリリカルです。
たとえば「秋、りん・りん・りん」ではライカ犬が宇宙船の中で聞く鈴の音、「魔法飛行」(タイトルはシャガールから)での風船、最後に送られる通信、「ハロー、エンデバー」では毛利さんが宇宙から語りかける言葉、といったような。
救いようのない孤独、人の心の闇、人から人へ向かう心、宇宙からの交信。
物語を綴る能力は私にはありませんが、文章を書くこと、人と交信するということに悩んだときに読む本です。
それこそ、ライカ犬クドリャフカのように、「秋、りん・りん・りん」というタイトルを目にするだけで
心の奥から暖かいものがじんわりとにじみ出てきます。
探偵役の青年瀬尾さんの言葉がお気に入りなので、これを最後に。
「人から人へ向かう心というものは、魔法の飛行そのものだと思わないかい?」
ともに未読です。
北村薫『六の宮の姫君』
実は北村はどなたかが出してくださるだろうと予想していた作家の一人です。ですが『姫君』は意表を突かれました、これは未読です(『スキップ』三部作、あるいは円紫シリーズなら『馬』か『花』が来るかと思ってました)。やられました。わたしにとっては、いわゆる、読みのがしていた作品です。
地味な印象がある方が多いかと思うのですが、この分野の作家の中で、わたしは非常に買っている一人です。堅実な実力のある、ハズレの少ない作家だと思います。地味な凄み、とでも言うのでしょうか、ともすれば見過ごしそうになるような目立たない凄さがあります。
この作家がいつも描くもののひとつに観念の世界というのがあるかと思います。観念、というとなにやら偉そうですが、そんな大したものではない。特に若い頃などに誰もが思い考えるようなこと、ちょっとした生きることの悩みや疑問、そんな感じのものです。例を挙げる必要がないくらいにこれまで使い古されてきた、悪く言えば陳腐なテーマです。こちらの世界へ突っ走っていくとなにやら難解な思想小説などになったりもするのですが、この作家はそんなことはしない。地に足のついた日常から離れない。このような、言ってみれば「人生の難題」には、そんなことは誰しも考えることなんだよ、という平凡さと、それと同時に、誰しもどうしようもなくなってしまいかねないほどの重たいことでもあるんだよ、という二つの側面があるかと思います。どちらを重視するか(あるいは表に出すか)は人それぞれですが、実際的な日常の範囲からこれを見据えることで、この二面をしっかりと読者に提示することのできる優れた作家だと思います。
この日常性というのが、彼のもうひとつの特徴になるかと思うのですが、これがまた素晴らしい。先の観念にせよ日常にせよ、言ってみれば凡庸なものです。しかし観念に凡庸な側面と重たい側面の両方があるように、日々の暮らしの中にも平凡さの裏に隠れた、上手く言えないのですが、暗さとか重たさ、得体の知れなさのようなものがあるかと思います。派手なものを押さえて堅実に述べ立てていく(もちろん、これは技術として意図的なものだと思いますが)彼の文章からはそうした日常の裏まで垣間見せるようなところがある。こんなことのできる作家はそうはいません。
最後に、わたしはこの点を何より評価し(そして憎たらしくも思うのですが)、そうして見せてしまった暗いものも、できる範囲でしかどうしようもないんだよ、片づけることのできる困難をしっかりと片づける、その上でやっぱり誰もどうしようもないものがあったりする、それをとても実際的な視点ですっと通り過ぎる。これはもう巧いとしか言いようがありません。
どうでもよいことを付け加えて言うと、こうした技術のおかげで全編が大枠として明るく前向きなものに仕上がっていると言えるでしょう。また自分の作品と読者に対する誠実さも、この人は素晴らしいと思います。
さてこの作品についてですが、
> 言葉の謎に迫っていく作品です。
というのがまず惹かれます。
> 「私」のビルドゥングスロマンの趣
これはシリーズ全体を通してということですよね。よく分かります。ビルドゥングスロマン(主人公の成長を描いた物語)というのは、ちょっと好きになれない面もあるのですが、確かにこの観点から面白い小説が数あるのは否定できません。とりわけ(現在のものであれ、過去のものであれ)読者である自分の成長に重ねられるところがあると、やはり読む人にとっては大きな魅力となりうるでしょうね(ここに左右されてしまうところが大きすぎる気がして、物語をビルドゥングスロマンと捉えるのにちょっと抵抗があったのです、ごめんなさい)。
> 今の生活に倦んだとき、やる気が出ないときなどに知的冒険としての研究の魅力を思い出したくて何度も読み返す一冊です。
このお薦めの言葉は魔力がありますね。「知的冒険」というのが素晴らしい。実に心を惹かれました。候補に加えさせていただきます。
> 「六の宮の姫君」が書かれたいきさつについて
ちなみに未読だった理由はこれなんですよね。恥かしいことに、芥川「六の宮の姫君」をそもそも読んでいないのです。かつて芥川をいくつか読んで、ちょっと駄目だな、と思い以降手をつけていなかったんですね。それで放ってありました。併せて読ませていただきますね。
加納朋子『魔法飛行』
この作品はまったくチェックしていなかったものです。『ななつのこ』を読んで、まあメタフィクションとして仕掛けは甘いけどアリかナシかと言えばアリかな、程度の評価を与えたままになっていました。これの続編ですよね。確かにその後どのように(作品がというより作者が)なっているのかは、少し興味深いところです。
> そのうえ少女漫画的すぎてお好みではないかもしれません。
これはちょっと分からないです。今の少女漫画は、少女漫画という言葉でひとくくりにできないところがあるような気がします。その中には好きなものもあれば嫌いなものもあります。あ、古典的な少女漫画のことを言われているのでしたら、好きでも嫌いでもありません。
> ヒロインが手紙の形で普段あった少し不思議な出来事を書けば、それに対する返信で謎が明かされるという形です。
ここらあたりが仕掛けとすれば仕掛けなのでしょうか。やや陳腐な気がしないでもありません(前作もそうですが)。手紙を仕掛けにするのは(これも陳腐ですが)ジャック・フィニィやら、確かゴルデル『ソフィーの世界』などでもしてたかな。
> 救いようのない孤独、人の心の闇、人から人へ向かう心、宇宙からの交信。
ここら辺はいいですね。語りかけ、交信、通信などと、孤独というテーマは古くからあるものかと思うのですが、(何しろ本自体がそのような側面があるせいでしょう)難しすぎるのかまともに正面から向き合った作品というのはほとんどないのですよね。たいていちょっと触れてみてもごまかしてしまったり、そうでなくともわけのわからない哲学談義に堕してしまったりしていただけません。これは興味深いですね。
こうしたテーマの部分が、手紙の仕掛けの部分と絡めて物語を作られているのであれば、確かに読む価値のある一冊になると思います。こちらはちょっと保留させていただきますね。
> 探偵役の青年瀬尾さんの言葉がお気に入りなので、これを最後に。
> 「人から人へ向かう心というものは、魔法の飛行そのものだと思わないかい?」
ところで、これがいいですね、何を言っているのかは読んでいないので分かりませんが面白いです。
面白いと思った短編:シリトー『長距離走者の孤独』収録「漁船の絵」(”The Fishing-boat Picture”) (表題作はつまらないですが、他短編に面白いものがいくつかあります)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000912/card4268.html
図書カード:アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案
青空文庫みたいのはどうなるんだ?
アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案
:スウィフト
ISBNはガリヴァー旅行記
既読です(参考URLのものを含む)。
> 青空文庫みたいのはどうなるんだ?
なるべく避けてください、ディスプレイで読むのはわたしには結構しんどいところがあります。できるだけ本の形で手に入れられるものを希望します(それでも、e-textとしてしか手に入らないが面白いのだ、というのがあれば仕方ありません、読ませていただきましょう)。
小説の切り口のひとつにユートピア小説というものがあります。つまり理想郷、理想的な社会、理想的な人間関係などを描いたものです(そのままですね)。ここでただの空想的な優れた社会などを描いたものと何が違うかと言えば、ユートピア小説の描く理想というのは、必ずその時代の社会や制度などを強く意識して書かれているということです(もちろんどんな空想であれ、こうしたものを埒外に置いて書くことはありませんから、その目で見たらどのようなものであれ、ユートピア小説的要素はあるのですが、とりあえずは置いておきます)。実際の社会に対する態度はそれなりさまざまです。よくあるのはアンチ・テーゼとして現実にある制度の欠点や悪習などを指摘し、それに対する美点にあふれた社会として理想郷を描くという風刺的色彩の濃いものです。その他に、現在の社会をある程度までは賛美し、変えるべきところは変え、よいところは伸ばし、この社会の未来の姿などとして理想郷を描くというものがないわけではありません。
このように書くと極めて偏った、あるいは珍しい、ジャンルと思われるかもしれませんが、実際には色々な物語がユートピア小説の側面を持つものとして読まれています。有名なところで例を挙げると、例えば『ロビンソン・クルーソー』がそのひとつです。漂流先での彼の生活や原住民フライデーとの暮らしぶりなどを、この文脈でのユートピアとして捉えるのはありふれた読み方のひとつです。
さて、このユートピア小説というものを考える時に外せないものに、アンチ・ユートピア(アンタイ・ユートピア)小説というのがあります。反理想郷小説、つまり理想的な社会や制度を理想のままに押し進めて行った結果、一見するとそれはユートピアのようだけれど、実際にはユートピアなどとはとても言えない、ひどい社会になっている、というものです。これもユートピア小説以上にたくさん書かれている分野です。有名どころではハクスリー『すばらしき新世界』などがあるでしょう(つまらない小説ですが)。今の現在の社会を戯画化して描くか、あるいはその行く末を描くか、などといった違いはいくつかありますが、この反ユートピア小説も社会を強く意識して書かれているものであることはまちがいありません。
ところでこのように書いてみたらお分かりかと思うのですが、ユートピア小説も反ユートピア小説も、実際にはほとんど区別できないところがあります。ここから先は私見ですので、そうじゃないと思われる方も多いかと思うのですが、ユートピアというのは常に反ユートピアになってしまいかねない契機を含んでいるように思われるのです。
ユートピア小説にせよ反ユートピア小説にせよ、今まで述べさせてもらったように、もともとは社会とか制度とかへの痛烈な批判や何かの提言などを持たされていることが多いかと思います。読み物として読んだ時に、この批判などの部分は、特に古いものであればあるほど死んでしまっていることも多い(いわゆる、賞味期限が切れてしまった、というやつです)。しかし、このように読むのは本来の著者の意図とは離れてしまうかもしれないのですが、この種の小説の多くにはユートピアといういわば希望の裏に、そのユートピアにはどうやってもたどりつけない現実の絶望があるようにわたしには見えてしまうのです。この絶望を突き詰めていけば自然、アンチ・ユートピア小説になるのでしょう。こうした理想の裏に見えるある種の無力感、絶望感まで描ききっているものは、たとえその批判がもはや死んでいるとしても、わたしには読み物として実に面白いところがあります。
『ガリバー旅行記』というのはそのユートピア小説・反ユートピア小説の最古典のひとつですが、たとえスウィフトの批判が現在は死んでいるとしても、読み物としては現在もその面白さを損なっていない良書かとわたしは思います。
なおURLのもの(恐らくこちらを本当は挙げたかったのですよね)ですが、文学史上のカニバリズム(食人)などの文脈でよく引き合いに出される、割と有名なものです。これまたかなりブラックですが面白いですよ(読み物として)。翻訳はどうやら違いそうですが、以前コピーをもらって読みました。わたしが読んだものよりかなり読みやすくなっていますね。
余談ですが、先に挙げたユートピアの絶望(と希望)を詠ったすばらしい詩が大岡信という歌人にあります。
「むかしみたすいしょうきゅうのつめたいゆめが
きょうもぼくらをなかすのだが
うっすらともれてくるひにいのろうよ
がらすざいくのゆめでもいい あたえてくれと
うしなったむすうののぞみのはかなさが
とげられたわずかなのぞみのむなしさが
あすののぞみもむなしかろうと
ふえにひそんでうたっているが」(大岡信「水底吹笛」より抜粋)
注 すいしょうきゅう:水晶宮、もともとはパリ万国博覧会のガラスの建物。フーリエ主義者たちによってユートピアの象徴に祭り上げられるも、ロシア革命の弾圧、粛清の末、きれいだがかなわぬ望み自体を表すもの、あるいはあやまった理想を表すもの、としてアンチ・ユートピアの象徴物となってしまったらしい(このあたりのことはあまりよく知らないので間違っていたらすみません。ドストエフスキーなどの絡みもよくわかっておりません)。
遠くから見ていた時には理想のユートピアであったはずの「すいしょうきゅう」は、実際に追い求めるうちに理想の冷徹で「つめたい」面を見せた。かつてそうして夢破れたにもかかわらず、壮大に見えた水晶宮がしょせんは「がらすざいく」、きれいだがかなわぬ、はかない望みであることが分かってしまったにも関わらず、それでもその「がらずざいくのゆめ」を「あたえてくれ」と祈る悲しさ。このあたりの描き方がこの詩は実にすばらしいです。
大岡信全詩集 ISBN:4783723184 (これはかなり高いです。もう少し小さな本にも収録があったと思ったのですが、出てきませんでした)
面白いと思った本:メルヴィル「乙女たちの地獄」(本来「独身男の天国」とセットですが、「乙女の地獄」が実に面白いです)
http://www1.mint.or.jp/~idris/kajio/list.html
梶尾真治五十音順作品リスト
美亜へ贈る真珠―梶尾真治短篇傑作選 ロマンチック篇 (ハヤカワ文庫JA)
もう一人のチャーリイ・ゴードン―梶尾真治短篇傑作選 ノスタルジー篇 (ハヤカワ文庫JA)
3作品ともSF作家、梶尾真治通称カジシンの作品です。ただし荒唐無稽ではありません(映画化された黄泉がえりの原作者です)。
(1)梶尾真治短篇傑作選 ロマンチック篇 美亜へ贈る真珠
出版社:早川書房(文庫)
ISBN4-15-030731-8、発行年月日:03/07/31
収録作品形態:短篇、解説:山田正紀、表紙:水樹和佳子
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美亜へ贈る真珠
詩帆が去る夏
梨湖という虚像
玲子の箱宇宙
”ヒト”はかつて尼那を……
時尼に関する覚え書
江里の”時”の時
*タイムマシン等の設定を基本にしたロマンス物といえる作品群です。タイトルになっている「美亜へ贈る真珠」が最もこの作者の作風を体現しています。
(2)クロノス・ジョウンターの伝説
出版社:朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)
ISBN4-257-77010-4
発行年月日:03/06/30
収録作品形態:連作中篇、解説:山岸真、表紙:森流一郎
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吹原和彦の軌跡
布川輝良の軌跡
<外伝>朋恵の夢想時間
鈴谷樹里の軌跡
*「クロノス・ジョウンター」という欠陥のあるタイムマシンによる、各主人公達の生き方を連作という形で表現しています。各作品の人物同士が交わることはないのですが、同時代に起きた出来事という観点では
繋がっています。この本は掲載順に読み通したら、読後感が最高に良い状態です。
(3)梶尾真治短篇傑作選 ノスタルジー篇 もう一人のチャーリイ・ゴードン
出版社:早川書房(文庫)
ISBN4-15-030734-2
発行年月日:03/08/31
収録作品形態:短篇、解説:恩田陸、表紙:加藤龍勇
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もう一人のチャーリイ・ゴードン
芦屋家の崩壊
地球屋十七代目天翔けノア
夢の神々結社
清太郎出初式
百光年ハネムーン
*題名作品は「アルジャーノンに花束を」の梶尾版です。よって粗筋も書けません。違いは実際に読んでみて体験してもらうしかありません。
あまりうまく面白さを伝えたとはいえませんが、どの本も頁が少なめなので、実際書店で立ち読みされてみてもらいたいです。分類ではSFのコーナーに陳列されているかもしれませんが、題材がSF色が濃いというだけで、実際は一般小説の部類だと私は思っております。既読でしたらごめんなさい。
すべて未読です。
梶尾真治というと、和製SFやホラーの系統の方ですね。確かかなり以前にSF大賞を獲っているはずです。著者はわかるのですが、作品がちょっと出てこないですね。雑誌やらアンソロジーやらで何かは読んでいると思うのですが・・・ごめんなさい、参考に挙げてくださったURLを見てもどれかまでは分かりませんでした。
『美亜へ贈る真珠』
> 解説:山田正紀
に反応してしまいました。変なところに喰いついてしまいすみません。山田は痛い思い出のある作家でして、古本屋で見つけた彼の『神狩り』三部作がわたしには素晴らしく面白かったのです(『神狩り』の最終章は雑誌発表時には無かったそうで、それを知っているせいかもしれないのですが、今読むとどう見ても蛇足に見えますが)。追いかけようと方々探して著作を揃えようとしたら、素晴らしいのはそのほんの初期の数作だけ、後はあっという間に箸にも棒にもかからないような駄作の山、という結果に終わって悲しい思いをしたことがあるのです。すみません、関係ないですね。
書いてくださっているのは収録作品タイトルなのかな、タイトル名にちょっとこれはないんじゃないかと思うくらい、いかにもな感じの女性名が並んでいるのにわたしなどは少し引いてしまうのですが・・・
『クロノス・ジョウンターの伝説』
SF好きであればまずタイトルの「ジョウンター」に反応しますよね。当然ベスター『虎よ、虎よ!』を思い出すのですが、ご説明によると(欠陥)タイムマシンなのですね。『虎』であればジョウントはテレポーターであったのですが、こちらでも最後の方ではほとんど時空を越えてますので、似たようなものかもしれません。余談ですがベスターはジョイス『ユリシーズ』を読んで作家になろうと思い立ったってホントなのかな・・・
> 各作品の人物同士が交わることはないのですが、同時代に起きた出来事という観点では繋がっています。この本は掲載順に読み通したら、読後感が最高に良い状態です。
独創的とはとても言えませんが、面白い物語ができやすい仕掛けであるのは間違いのないところでしょう。この種ので面白い小説は、goya228さんがおっしゃるように、たいてい「各作品の人物同士が交わることはない」ものです。その代わりに全ての作品(や筋)を見通し読者に提示する、ひとつ上のレベルにある視点というものがあり(三人称の小説であるならば、多くの場合は語り手の視点と同一視してもよいでしょう)、これがどうそれぞれをつなげて全体として面白い物語に仕上げてくれるかが見所です。三つの中では、わたしはこれに一番惹かれるものを感じますね。
『もう一人のチャーリイ・ゴードン』
> 題名作品は「アルジャーノンに花束を」の梶尾版です。
これは興味を惹かれなくもないです。ただ短編「アルジャーノン」、長編『アルジャーノン』、どちらにせよ元のこの小説自体はわたしはあまり好きではありません。
> 題材がSF色が濃いというだけで、実際は一般小説の部類だと私は思っております。
本書を読んでおらないのでどのような意味で言われているかまではわからないのですが、面白いSF小説はたいていそうであると思います。SFにせよファンタジーにせよ、あるいはホラーやミステリ、恋愛小説であったりその他のものにせよ、確かにSFならそのSFのSFらしさ(魅惑的な技術や機械の設定とか)が面白いという面はもちろんあるのですが、それ以上にそうした道具立てを使っていわゆる「一般小説」と同じテーマを扱おうとしているものが数多くあります。そして結局面白いのはそうしたテーマの部分に寄っていることが多いと思います。もちろんギミックなんかにも面白さがあるのですが、それだけで読者をひきつけることはできません。
こうしたジャンルのもので特に優れたものなどは、「一般小説」にもありうるテーマ(例えば「孤独」であるとか)を、「一般小説」とはまったく違う状況、ありえない世界の中に置いてやることの利点を十二分に活用しています。普通の世界(「一般小説」にもありえるような世界)の中ではそれほど目立たないことだったり、当たり前だと思われていたりすることが、そのような異なる状況の中に置いてやると、実際にはひどく重要なことであったり、異常なことだったりするのが際立つ場合があります。こうした効果をこの手の作家は実に巧みに使いこなし、「一般小説」と同じテーマを違う世界の中で描き出すのです。
面白いと思った小説:スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』
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ごめんなさい、ひとつ前の回答に書き忘れました。
お願いです。本(物語)をただ挙げるのではなくてプレゼンをしてくださいね。
両者ともに既読のことと思いますが、二つあげてみます。
「みどりのゆび」・・フランスの児童文学。大変短くさらっと読んでしまえますし、話もシンプルです。童話の構造を十分に使って、無駄なものが削ぎ落とされた淡々とした筆致で描かれています。
一番簡単にこの話を説明するには「おとぎばなし」って言葉が良いのかもしれません。あまりにも簡単で分かりやすく、でもだからこそどこまでも奥深く広がっていく世界が味わえる本です。アンデルセンよりはシャープに、小川未明よりはやわらかく、ファージョンよりは強く、そういう雰囲気・・・
「迷路」・・何をか言わん、野上弥生子の主作品です。登場する主要人物の数も違うし、空間的広がりも違うし、比較するものでもないですが、戦争と平和よりこちらのほうが小説としてのまとまりは良い気がします。激しい世の中の動きと緩やかな人々のつながり。自分のことも掴めない、他人のことなどもっと掴めない。そういう有様が身にしみます。
ちなみに主人公の友人で、帝大で稲に付く虫の研究をしている人が私はとても好きです。。
ああ、まったく上手く説明できませんでした。好きな本を紹介することがこんなに大変だったなんて・・。それに後者などはルール4に(一部)違反してしまいますし。申し訳ないです。
でも薦める本を考えるのがとても楽しかったです。ありがとうございました。
『みどりのゆび』は既読、『迷路』は未読です。
『みどりのゆび』
ドリュオンという人についてはわたしはほとんど知らないですね。作品もたぶんこれしか読んだことはないでしょう。しかし、この『みどりのゆび』が面白い。印象的な小説だと思います。わたしの想像にすぎませんが、大人になってから小さい頃に読んだ児童書で何か印象に強く残っているものを挙げてもらうと、これが出てくる人は多いのではないでしょうか。
> 童話の構造を十分に使って、無駄なものが削ぎ落とされた淡々とした筆致で描かれています。
フランスの児童書はこんなのが多い気がするのですが、実にあっさりとした、下手をするとそっけないくらいの描き方だった気がします。けっして書きすぎない、ですが読み終えてみるとなぜか情景がしっかりと印象に残っている実によくできた物語だったと思います。
> 一番簡単にこの話を説明するには「おとぎばなし」って言葉が良いのかもしれません。
このご説明はおみごとですね。「おとぎばなし」という言葉に惹かれる人はわたしだけではないでしょう。
『迷路』
実は野上はぜんぜん読んでいないのです。田辺元とのことしか知りませんでした。作風もあまり分からないのですが、たしか『迷路』は十年以上かけて書き上げられ、その間に田辺とのやりとりが続いていたという話を聞いたことがあります。
> 激しい世の中の動きと緩やかな人々のつながり。自分のことも掴めない、他人のことなどもっと掴めない。そういう有様が身にしみます。
ふむふむ、そのようなタイプの小説なのですね。読んでいなかったので書評などでしか知りませんが、いわゆる大作系の社会小説的なものかと思っておりました。ちょっと考えを改めた方がよさそうですね。
> ちなみに主人公の友人で、帝大で稲に付く虫の研究をしている人が私はとても好きです。
これがいい、実にいいです。非常によく分かります。小説などでこういうところが好きになるというのは非常によく分かります。またそうした細部に魅力のある小説は面白いものが多い気がします。
> それに後者などはルール4に(一部)違反してしまいますし
いえいえ、お気になさらないでください。ルール4ってなんだったっけ、とスクロールして見直す程度にしかこちらも考えておりません。岩波であれば手に入れる手段はいろいろとあるでしょう。
余談ですが、日記を(勝手に)拝見させていただきました。「みどりのゆび」を持っていそうな方だなあと、ちょっと面白く思いました。日付がしばらく前になりますが、キノコの写真、ああいうの好きです。
面白いと思った小説:ウィンダム『トリフィド時代』(『トリフィドの日』)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061850733/hatena-q-22
Amazon.co.jp: 深夜の弁明 (講談社文庫): 清水 義範: 本
清水義範の小説は面白すぎです。
ユーモアに富んだ短編集で、とてもじゃないですけど人の前ではよめません。公共の場で大笑いして大恥かきますよ。
ごめんなさい、清水は既出です。
22.のkmyken1さん、25.のpowder_snowさん、お二人が既に挙げてくださっています。
また14.のコメントの際に述べさせて頂いたとおり、「同じ作家の似た傾向の小説はパス」とさせていただいております。
しかし清水は人気ですね。これで三人目ですか。かぶりそうなところで予想していたのは京極などだったのですが、そうでもないのですね。わたしが複数来るだろうなと予想した作家のうちで、まだ一度も来ていないのの方が多いような気もします。今のところ別々の人が挙げてくださったのでかぶっているのは、清水、ル・グウィン、阿刀田あたりですかね(トウェインは、いちおう別扱いかな)。そもそも予想したよりもぜんぜんかぶらないのが不思議だったり面白かったりします。
面白いと思った小説:ヴォネガット『スローターハウス5』
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/4168c59fbeafc0...
オンライン書店ビーケーワン:アルジャーノンに花束を ダニエル・キイス文庫 1
既読かもしれませんが、「アルジャーノンに花束を」をお勧めします。
「教養は人と人との間に楔を打ち込む」というテーマのとおり、人間の劣等感や排他性をうまく表している小節だと思います。今まで小節で涙が出たのは自分はこの本だけです!
洋書ですが、訳も自然で素直に読んでいけると思うのでお勧めします。
残念ながら既読です。
そして非常に申し訳ないのですが、この本については厳しいことを申さざるを得ません。大変につまらない、読む価値のない本かと思います。ご不快に思われる方もいるかとは思いますが、どうぞお許しください。またしょせんはわたし個人の感想ですので、お気になさらないでください。
まず長編化したことについてですが、端的に言って長編『アルジャーノン』は短編「アルジャーノン」を水増ししたものに過ぎません。同じように短編を書き直して長編にしたものとしては、オーソン・スコット・カード『エンダーのゲーム』などがありますが、これはけっしてただの水増しなどでは終わってなく、長編には長編の意義が感じられます。この長編『アルジャーノン』には短編を越える意義はまるで感じられません。長編にしたことでテーマの掘り下げなどが行われているわけでもなく、構成上ほとんど何の意味のない場面や描写を増やして枚数を稼いでいるだけです。こういうのを間延びと言うのです。どちらにせよ語られることにほとんど変わりがないならば、短い時間で読み終わる分短編の方がマシというものです。
さて内容についてですが、まずテーマが生かしきれていません。もっとはっきりと書いてしまえば、素材のきれいな(いかにもお涙頂戴で売れそうな)ところだけを切り取っただけにわたしには思えます。この作品についてよく言及されるのは、手術という転換点で主人公のチャーリーが失ったものと得たものとです。とても大雑把に言って、要するに無垢さを失って知能を得るわけですよね。それで本書のひとつのテーマとして、その知能というのは(そして知能に付随して得られるさまざまなものは)、主人公が失ったものに比べてそんなに価値あるものなのだろうか、というテーマが立てられるわけです。わたしはまずここにきな臭いものを感じます。果たしてそんな「無垢」なだけのものとして手術を受ける前の彼を描くことは著者として誠実な姿勢と言えるのでしょうか。そこにはかつて「未開人」の一部を「高貴な野蛮人」として理想化し、そのイメージをキリスト教化と支配に利用したのと同じような質の悪意が働いているような気がしてなりません。少なくともこの書き手は好きにはなれませんね。まあここら辺は読み物としての面白さから見れば、結局どうだってよいことには過ぎません。ですが、ただ「無垢」なだけの人物として造形されてしまうことで、彼が平板なキャラクターに見えてしまったことは問題でしょう。
次にそのテーマを認めた上での話ですが、結局この物語ではろくな答えは出せていません。彼が智恵を希求したのはそんなにいけないことだったのでしょうか。またfuktakさんが挙げてくださっているテーマのように、どれほど「教養は人と人との間に楔を打ち込む」のだとしても、人間はそれなしで社会を築くことも、生きていくこともできませんよね。こうしたことへの答えは作中では描ききる姿勢を放棄してしまっている感があります。答えが出せないまでも、そのような矛盾を抱えて生きざるを得ないこととか、読者への提示を行うこともできたと思うのですが、しかしこの作品では肝心なところをお涙頂戴で誤魔化しているようにしか見えません。これはとても読者や作品に対して誠実な姿勢があるとは言えません。誤魔化すのもまた巧ければ読み物として成立すると思うのですが、造形といい構成といい、とてもそこまでの力はあるとは言えません。まさに白けてしまいます。これでは評価もできません。
面白いと思った小説:阿部和重『ニッポニアニッポン』
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質問が自動で締め切られたようです。
それは構わないのですが、残りの回答をいつまでに開けたらよいのかなどを現在調べております。お待たせしている方々、申し訳ございません。いただいた分は全て開こうと思っておりますので、もう少々お待ちください。
小池真理子 ナルキッソスの鏡
1.もしかしたらもう読まれていらっしゃるかもしれません。
2.ミステリアス、生死をかけた心理戦、女装、秘密、とにかくそのサスペンスのハラハラ感と、多面精神世界や女装等の非日常的な世界観、人間にある変身願望の実現と、日常生活との葛藤、これは数ある小説の中でも残りました。
3.小説です。
4.単行本の後、文庫化されました(上記はそれです)
結構前のものなのでおそらく古本やさんでも見つかるかも。
5.日本語作品です。
書いているうちにまた読みたくなってきてしまいました、
今から探しに行きます。
残念ながら既読です。
小池はおそらく現在活躍している作家の中で、最もシンプルにくどい小説家のひとりと言えるのではないでしょうか。
yareyaredayoさんがおっしゃられているように
> ミステリアス、生死をかけた心理戦、女装、秘密、とにかくそのサスペンスのハラハラ感と、多面精神世界や女装等の非日常的な世界観、人間にある変身願望の実現と、日常生活との葛藤
などといった陳腐極まりない素材を余すところなく詰め込んだ上、なんとか破綻させずに一品料理にしてしまうのは立派です。
しかしいくらなんでも、くど過ぎます。その上で読ませる技量は確かに持っているのですが、どの一作を取ってみても、「いかにも」な設定や小道具ばかりでいい加減に何を読んでも同じような印象しか受けません。この作家が好む、型にはまった世界(同性愛だとか、厭世的な学者だとか、今時マンガでももう少し設定に気を遣うと思うのですが)についていけるような人はよいのでしょうが、普通に読んでいる向きにはたまりません。一作読めば十分な作家と言えるかと思います。
(その上で、ローカルな喩えで申し訳ないのですが、天下一品のラーメンのように、毎週は食べたくなくても何年かに一度無性に欲しくなるような質の魅力があるのはわたしも十分認めるところです)
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締め切られたためヒントを出す意味がなくなりましたので、以降、面白いと思った〜、は省きます。(後に取っておいたものがいくつかあって、ちょっと悔しくもあるのですが、どなたかがこれから開く回答の方で挙げてくださっていることを期待しています)
坂東真砂子さんの「はじまりの卵の物語」をオススメします。小学5、6年生を対象としている本のようですが、大人が読んでもおもしろいです!先の読めない不思議世界。純粋に「童話」してないところが現代的。一度読み始めるとラストまで本が手放せません。もちろん子どもが読んでも忘れられない一冊になります。実は私がそうでした。本当にオススメです!
未読です。
坂東真砂子という作家に童話のイメージはあまりなかったので、ちょっとびっくり致しました(かといって『エロチカ』とか『桃色浄土』で覚えているのもどうかとも思ったのですが)。童話の方面はおそらく読んだことがないかと思います。
ありがちな単語の組み合わせではありますが、それでも『はじまりの卵の物語』というタイトルには惹かれるものを感じますね。タマゴ、という素材は童話ではよく見かけるものですが、それでも面白い物語が多い印象があります。
> 純粋に「童話」してないところが現代的
というのに興味がありますね。ここのところをもっと詳しく教えていただきたかったです。
うまく伝えられませんが、私のオススメです。
『チルドレン』は短編集のようなものです。ちょこちょこ話がつながってて楽しめました。
素直におもしろいと感じました。ちょっと話が読めてしまった部分もありましたが・・・。
『対話篇』は、「恋愛小説」「永遠の円環」「花」の3つの作品からなる短編(中編?)集です。
すべて”死”と絡んでいる話なのですが、暖かいというか、爽やかな気分になりました。
装丁が真っ白なのもよいと思いました。
『レヴォリューションNo.3』も金城一紀作品ですが、こちらはThe青春!!って感じです。登場人物がとても魅力的です。
笑いあり、涙ありのおちこぼれ高校生達の話です。
『対話篇』と『レヴォリューションNo.3』を読み比べるのも楽しいかと思います。
すべて未読です。
『チルドレン』この個性的な装丁が書店で目を引いたのを覚えています。わたしは表紙買いすることはほとんどない(それ以前にハードカバーはなるべく買わない)ので、結局素通りしたのですが、魅力のある顔をしているなあと思いました。あ、顔というのは描かれている人物のことではなくて、本の顔、つまり表紙です。
> ちょこちょこ話がつながってて楽しめました。
ふむ、連作短編のような類なのでしょうね。まあ、以前にも書きましたがよくある形式のひとつです。それをどのように生かしているかを書いてくださるともっと分かりがよかったのですが。
『対話篇』『レヴォリューションNo.3』
金城一紀。ようやく来たな、という感じです。来ることを想定していた作家のひとりです。人気も実力もありそうに思えるのですが、そんなに読まれてないのかなあ。若手小説家(と言っていいかと思いますが)の中では相当将来を嘱望されているひとりなのではないでしょうか。
しかし、白状しますとわたしこの人を『GO』しか読んでおらないのですよ。読まなければならない作家と思いつつ、いろいろと思うところがあって敬遠しておりました。この機に読ませていただきますね。
もともと『GO』を読んだ折、なんというか、非常に力のある、面白い小説だと思ったのですが、正体のつかめない所があったのです。面白いという判断はおそらく間違えていない、たぶん「かなり面白い」から「非常に面白い」の間くらいには十分入る。しかし、その面白さがどこから来るものなのか、はっきりと名指すことができない。いやより正確に言えば、面白い、と思ったところだけを言葉にすると、それは本当に面白いのか、と疑問に思ってしまうようなありがちなものになる。しっくりと面白さが身体にしみこまない、そんな読後感が残っているのです。おそらくは、彼の面白さの要素としては、言葉の力、想像力の世界へ牽引する力、のようなものがあると思うのですよ。ここがまだわたしの中でははっきりと読めていなかったため、読後にしっくりと来ないものを残してしまったのですね。
> すべて”死”と絡んでいる話なのですが、暖かいというか、爽やかな気分になりました
ふむふむ、これは読んでみたいですね。『対話編』を候補に加えさせていただきますね(タイトルについて、プラトンとの絡みはあるのかなあ、とちょっと思いました)。
ひろく、なんでも読んでいらっしゃるようなので随分と考えてしまいました。
「面白い」と言ってもいろいろあるし、好みもありますしねぇ。
迷いましたが(概読とは思いますが)これをお薦めします。
1.「症例A」
多重人格ものを扱ったもの。
今まで映画・ドラマ・小説・漫画などで触れた多重人格というものとは違って、とてもリアル感があります。
この病気に対する考え方や認識が変わりました。
また、ストーリーのなかに出てくる贋作疑惑などの話も面白く、これはこれで一冊の本になっても面白そうだと感じました。
2.「追憶列車」
これも多島斗志之さんの本ですが短編です。
なんともノルタルジックな感じというか、まったりというか、イイ感じです。
3.「オヨヨ城の秘密」
小林信彦さんのオヨヨシリーズです。
シリーズの1から3は子供向け、4以降は大人向けといった感じで主人公も文章も違っています。
特にお薦めなのは1「オヨヨ島の冒険」2「怪人オヨヨ大統領」3「オヨヨ城の秘密」の子供向けの三冊です。
サクッと読んで笑えるドタバタものです。
今読んでも楽しめます。
ただ、ご紹介するにあたり調べて初めて知ったのですが、オヨヨシリーズは現在入手困難なようです。ごめんなさい。
入手困難といえば、多島斗志之さんの本も本屋さんで買えるものが少ないですよね。私は「症例A」で初めて多島斗志之さんの作品を読んで、他のものも読みたくなり、出版社にも問い合わせたのですが「再販予定なし」と言われてしまいました。
こういうのって寂しいですよね。
『症例A』『追憶列車』は未読です。『オヨヨ城の秘密』は既読です。
上のほうでbanjoさんが挙げてくださった西村寿行と同じく、多島斗志之はわたしはほとんど縁のなかった作家ですね。古い新刊案内(見返したら恐ろしい言葉を書いていました。古本や新本でも売れ残りなどに挟まっていることのある、だいぶ以前の新刊案内、という意味で使ったのですが、これはいけませんね)などで名前を見かけたりした記憶はあるのですが、まったく知らないと言ってよい作家です。
『症例A』『追憶列車』
> とてもリアル感があります
どういう仕掛けで「リアル感」を持たせているのかが気になりますね。
> 贋作疑惑などの話も面白く
サブストーリーでこういうものが組み込まれている、ということですよね。「一冊の本になっても面白そう」というのがいいですね。サブストーリーは扱いの下手な作家が多く、なかなかうまくいっていないものも多いのですが、「一冊の本になっても面白そう」と聞かされると期待が持てます。
『オヨヨ城の秘密』
このオヨヨシリーズは非常に面白い、いわゆるドタバタものなのですが、このジャンルのものとしては日本を代表する作品群のひとつと言えると思います。実はわたしはこの作家がかなり好きで一時追いかけていたのですが、近年になればなるほどどんどんつまらなくなっていくのですよね。衰えは仕方のないことなのかもしれませんが、そうした作品のために小林が読まれなくなっていくのを見るのは、追いかけたことのある読者としてはたいへん悲しいものがあります。
オヨヨシリーズは、おそらくその小林の一番脂の乗っていた時期のものでしょう。代表作と言っていいのではないかと思います。
> 1「オヨヨ島の冒険」2「怪人オヨヨ大統領」3「オヨヨ城の秘密」
むむ、ここらへんは同じファンでも意見が分かれますね。わたしはどちらかというと『晩餐』などが好きだったりします。もちろん、この三作も好きなのですが。
> オヨヨシリーズは現在入手困難
そうなのですよね。古本屋巡りをする人でも、見かけるのはそう多くはない作品のひとつかと思います。このあたりが悲しいところなのですよね。『イエスタデイ・ワンス・モア』(面白さの濃度では『オヨヨ』に比べると相当落ちます)などはしょっちゅう見るのですが・・・。
> こういうのって寂しいですよね。
寂しいです、実に寂しいです。わたしは復刊ドットコムに一時期ハマって好きな作品もそれほど好きじゃないけど、やはり本としては出版されていて欲しい作品も、いろいろ投票しまくりました。このサイトのおかげで面白い本で生きを吹き返したのがたくさんあるのは確かです。関係者の努力には感謝と賞賛はどれだけしても足りないものがあるのですが、それでも復刊されるのってごく一部なんですよね。面白い本が絶版のまま死んでいるのは非常に寂しいものがあります。ひとつには面白い本というのが、読まれなくなったということがあるのでしょう。たいへん残念な話です。
(まったく関係ないですが、生産中止になったジョーカーという煙草も復刻されないものでしょうか・・・かつてこれの愛煙家だったもので・・・)
「光車よ、まわれ!」がお好きであればおそらくこの本も気に入るであろうと思い、お勧めいたします。
ただ既読の可能性も高いでしょうが…。
舟崎克彦さんの「ぽっぺん先生」シリーズなどにも通ずる「この世で一番恐ろしい動物」についてのダークファンタジーです。
私がこの本を読んだのはまだいたいけな(笑)小学4年生の時でして「なんて怖い本を読んじゃんったんだろう!」と心底後悔しましたが何故かまた読みたくなって何度も図書館に借りに行きました。
不思議な本です。
ともに未読です。
『クロイヌ家具店』
これはタイトルと、bk1のリンク先にある紹介を見た限りでは、なんとなく読んだことがある気もするのですが、ほとんど内容を覚えていなかったので未読にさせていただきます(他に関してもですが、特徴のあるキャラクターや何かのエピソードなどを思い出せなかったものは未読にさせてもらっています)。
『ドコカの国にようこそ!』
こちらは間違いなく未読です。
> 「光車よ、まわれ!」がお好きであれば
かつて愛読し繰り返し読んだ本です。はい、たいへん好きです。
> 「この世で一番恐ろしい動物」についてのダークファンタジーです。
おっしゃるとおり類型ではありますが、しかし魅力的なテーマのひとつであることは否定できません。また童話向きな(その他のジャンルにないわけではないですが、非常に童話的な)素材かと思います。童話(あるいは児童書、児童文学と言ってもよいですが)には、おそらく童話特有と言えるいくつかの制約(物語を作る、語る上でのルールと言ってもよいでしょう)があるかと思います。その他のさまざまなジャンルにも、それぞれ特有の制約があるかと思うのですが、yuriko_sさんが挙げてくださった「この世で一番恐ろしい動物」という素材はこの童話特有の制約に非常に向いたものである気がするのですよね。これが「非常に童話的」なテーマと言ったことの意味です。
> 「なんて怖い本を読んじゃんったんだろう!」と心底後悔しましたが何故かまた読みたくなって何度も図書館に借りに行きました。
これは素晴らしい、ぜひとも読みたくなってしまうご説明ですね。はい、候補に加えさせていただきます。しかし本当にそういう本ってあるんですよね。なぜかわたしの学校図書室にはラヴクラウトやらボルヘスやらが入っておりまして(間違いなく誰かそんな趣味の先生がいたのでしょうが)ついつい読んでしまった覚えがあります。
「国語入試問題必勝法」 清水義範
高校3年の時、とある漢文の先生がセンターの過去問を解かせつつ、センターの国語の必勝法を教えてくれました。
文章を読まずに「(1〜5まで選択肢が有る中)答えは選択肢の中に隠す物なので3が正解」
古文の単語の意味を答える問題も「これ以外は当たり前すぎる訳なので2が正解」など……。
センター模擬試験でそれを聞いた当時の私達はこれを素直に実行して回答した答えがビシビシ正答……する筈も無くことごとくハズレ。
「この攻略法はアテにならない」ということで終着したのですが、
センター本番の国語試験の時に他の問題に時間を取られすぎた私は古文の問題を解く時間が5分程しか残っていませんでした。
そこで何を思ったかこの攻略法を実行。マークシートを2や4で埋めて提出。
結果はというと、、その古文の大問だけ0点という散々なものでした。
そして何年かたったのち、この本を本屋でたまたま見つけ読んだところ、その時の思い出が蘇ってきたのでありました。
と、そんな本です。
ごめんなさい、清水は既出です。
しかしほとんどかぶっている作家がいない中で、清水ひとりが四人目のご紹介です。これは凄いですね。
既出とはいえ、詳しいご説明をいただけたのでそれは評価させていただきます。
> 文章を読まずに「(1〜5まで選択肢が有る中)答えは選択肢の中に隠す物なので3が正解」
> 古文の単語の意味を答える問題も「これ以外は当たり前すぎる訳なので2が正解」など……。
わたしが受験生だった頃にも、こんな感じの必勝法を書いた参考書がありました。タイトルは覚えてませんが装丁からしてゴマブックスだったはずです。
選択肢の中から共通項を囲んでいって、共通項が一番多いのが正解、というまあそうだろうね、と言えばそうだろうね、という感じのことが書いてありました。
と思ったら、これは本書のご説明ではないのですね、ずいぶん面白かったのですがshiroiekiさんご自身の体験でしたか。いや、これはお見事なご紹介です。やられました。
> そして何年かたったのち、この本を本屋でたまたま見つけ読んだところ、その時の思い出が蘇ってきたのでありました。
そういうきっかけで本を好きになることってありますよね。わたしも、ちょっと冷静に考えたら面白いはずも優れているはずもないような本なのに、なぜか好きになってしまった本というのがあります。ちょっとした縁のようなものなのでしょうか。こういう出会いはいいですよね。
1.口が利けない先生と小学生との交流を描いたもの。
先生の情熱と子供たちの純粋さが良いです。
2.高村薫といえば「マークスの山」が有名ですが、私はこちらをお勧めします。
クサイですが、国・時間を超えた友情テーマですが、そんなことは感じさせません。また、読み終わった後、
この物語のスケールの大きさにびっくりします。
3.篠田節子の本です。私は「絹の変容」「夏の厄災」「神鳥(イビス)」「アクアリウム」をお勧めします。
ジャンル的にはホラーっぽいのですが、普通に生活をしているが、ある日突然・・・というリアリティが有ります。
『夏の災厄』のみ未読です。
伊集院静『機関車先生』
挙げてくださった三人の作家はどれもしっかりとした作風の、そして現在活躍している小説家たちの中では中堅からやや上に属するような方々ですが、わたしはこの中では伊集院を一番に推します。
この著者は技術はもちろんのこと、書き口に、ある種の大家たちに共通する独特の影のようなものがあります。わたしにはこれが非常に魅力的に見えます。上手くは説明できないのですが、それぞれの作家が多かれ少なかれ持つ書く動機、それを語らないではおられないというような身の内に抱え込んでしまったもの、ほとんどわが身を削ってそれを筆に乗せていこうとする欲望と、そうした自分の中にある書かなければいけないことを言葉にしていく時に、どうしても生じざるを得ない躊躇、これを言葉にしてしまってもよいのだろうかという疑い、またこんなことが本当に文章にできるのか、読まれても誰にも伝わらないのではないのだろうか、という絶望感、敗北感、この対立する二つの心の動きが筆先から感じられるようなところが、伊集院という作家にはある気がするのです。この手の作家でわたしがほとんど世界最高ではないかと思っているのはフランスのジョルジュ・ペレックという人なのですが、ペレックには数段及ばないものの似た影の匂いをわたしは嗅いでしまうのです。
こんなことを述べると普通に伊集院が好きな人には殺されかねないのですが、blue-kanzakiさんがおっしゃる
> 口が利けない先生と小学生との交流を描いたもの。先生の情熱と子供たちの純粋さが良いです。
というところにも、「口が利けない」先生の「情熱」の中に自分の抱えた闇を書き込まずにはおられない衝動と、それをまたためらい押さえ込もうとする筆致がどうしても読み取れてしまう気がします。ほとんど悪意と言ってもよいような黒いものがここには感じられる気がしますね。
高村薫『李欧』
まず作者のことなのですが、わたしは高村をかなり低く評価しています。申し訳ないのですが、なんと言うか、残念な作家なのですよ。たいへん神経質に文章を組み立てているのは評価するのですが、これは小説になっていない。下手をするとただ文章を並べただけのものにも見えてしまうのです。精緻な文が組み立てられるだけに残念なのですが、出来上がったものを物語としてみると、ちょっとこれはあまりにひどいのではないかと思うほど小説にできていないのです。文章に文法があるように、小説というものにも文法のようなものがあります。高村はこの小説の文法ができていない作家です。どうすれば読者が無理なくその世界に引き込まれるかとか、どうすれば自然な流れで読者に小説というウソの物語を信じ込ませることができるかとか、このあたりの技術が手におえないほどに酷いといえます。物語の中で自然に読者を酔わせることを、ほとんど放棄してしまっている作家というようにわたしは考えています。
その上で『李欧』ですが、知名度の高い『マークスの山』よりもおっしゃるとおりマシかと思います。マシ、というレベルの話でしかありませんが。
> クサイですが、国・時間を超えた友情テーマですが、そんなことは感じさせません。
クサイ以前の問題として、その「友情テーマ」が小説の文法上でしっかりと描けていないと思います。彼らの友情の変遷と帰結を読者の側から譲歩しなければ受け入れることができないものになっています。端的に言って、彼らの友情が信じられません。結果、クサイ以前に白けてしまいます。
> また、読み終わった後、この物語のスケールの大きさにびっくりします
精緻に描くことには長けているので、これには半分は納得できます。一方でそうした精緻に描かれた世界は、どこか白けた机上論の世界という印象も否めません。読者を牽引していく力に欠けるのが高村の最大の欠点かと思います(欠けている理由は上に挙げたことなのですが)。
篠田節子『夏の災厄』
そんなに優れた作家ではない、中の下くらいと思うのですが、一方で篠田はわたしにとって思い入れのある作家でもあります。
なぜそんな思い入れがあるかというと、『女たちのジハード』で直木賞を獲った時のことなのですが、実は『ジハード』は雑誌連載されていた時から読んでいた作品だったんですよ(たしか『小説すばる』だったかと思います)。で、これは当時の連載陣のなかでも特に面白い、その頃篠田を知っている人はあまりいなかったので周囲の本好きな人々に勧めていたのですね。そしたらこれで直木賞を獲った。なんというか、勧めた手前、自分のことのように嬉しかった覚えがあります。
これは未読なのですが、ふむふむ、わたしは『夏の災厄』が好きですね。よくできていると思います。どうも評価は低いのですが(そしてその低い評価に納得させられてもしまうのですが)『絹の変容』も嫌いではありません。
貴女が分からないので、ちょっと難しいですが
宮部みゆきの小説は面白いですよ。
私は「理由」がお薦めです
現代の闇をとてもよく表わしています。
既読です。
ようやく出てきました、宮部みゆきですね。宮部もどなたかが挙げてくださるだろうと想定していた作家のひとりです。
おっしゃるとおり非常に面白い作家だと思います。わたしの勝手な好みなのですが、現役と言える日本の作家(日本語で書く作家、という意味です。ゾペティなどを含めています)の中で、とにかく作家として素晴らしいといえる人を十人挙げたら間違いなく入るのではないでしょうか。たいへん優れた作家だと思います。
> 現代の闇をとてもよく表わしています。
確かにそんな感じのある小説ですね。面白い小説だと思います。
なんというかミーハーなところなのですが、わたしは実は宮部と言えば『レベル7』から入りまして、これと『火車』とが非常に好きですね。繰り返し読んだ作品です。
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すみません、ひとつ上の質問にて作品名を書き間違えました。
最終行から二行目、「わたしは『夏の災厄』が好きですね」を『神鳥(イビス)』に読み替えてください。
作家名、作品名は(よく間違えるので)コピペすることも多いのですが、コピペの方をミスしてしまいました。どうもすみません。
時代小説という点で分野がかなり偏ってるのでNGかもしれませんが、ルールはやぶっても構わないと書かれているので解答させていただきます。
新潮文庫なら上下巻で売ってるので比較的安価かと思います。
内容・俗に言う「お世継ぎ(お家?)騒動」です。主人公の原田甲斐は日本史では悪名高い人物らしいのですが、この作品ではまさに忠義を貫くこれぞ武士という全く違う解釈がなされています。
どんな風に面白いのか・登場人物の描き方が繊細かつ鮮明で、その人物たちがおりなす政治的なやり取りも巧妙で面白いです。私は最後の場面がすごく印象的でした。抽象的な事しかかけなくて申し訳ないです(汗)
私のイメージした主人公の原田甲斐のイメージがショーン・コネリーに通じるものがあるので、もしかしたらお好みかなーと思いました。
既読だったら残念w
既読です。
いや、山本周五郎が出てくるのは嬉しいですね。正直な話、どなたも挙げてはくださらないだろうな、と思っていた作家のひとりです。usashiさんが挙げてくださった小林信彦、shidehiraさんの夢野久作、indianさんの開高健、chakohuさんの山田風太郎など、ほとんどわたしの中ではどなたも挙げてはくださらないだろう作家になっていたのですよ。それがこんなに出してくださるとは本当に嬉しい限りです。わたしの中ではどれも読まれることは少なくなったけれど面白い、もったいない作家だったのですが、そんなことはないのですね、勇気づけられました。
この作家は渋く重たいイメージを持たれている方が多いかと思うのですが、実はそんなことはない、筋立てと卓越した描写力とで読者を物語りに引っ張る力のあるストーリーテラーとしての力量を持った小説家です。ryou00mameさんが挙げてくださったこの作品も、確かに書き出しは思いのですが、
> 登場人物の描き方が繊細かつ鮮明で、その人物たちがおりなす政治的なやり取りも巧妙
とおっしゃられているように、序盤を過ぎて物語構成が定まるとストーリーテラーとしての力量を存分に発揮し始めます。まさしく昭和の名作のひとつと言えるのではないでしょうか。
> 私のイメージした主人公の原田甲斐のイメージがショーン・コネリーに通じるものがあるので
これは・・・まったく考えておりませんでした。ふむむ、見る目が少し変わりそうです。興味深いですね。
世界の終わり
ポップな感じで勢いがあってすっきりしました。
すぐに読めます。
北村薫
謎のギャラリー 愛の部屋
ただ単に北村薫が好きなんですけど、これはアンソロジーなのですが、とても良かったです。北村さんで1番いいのは、覆面シリーズですが。
クンデラの中ではなんかお勧めです。
『世界の終わり』のみ未読です。
『世界の終わり』
宮崎誉子は一時よく聞いた名前です。何だったかな、ちょっと失念してしまったのですが、論者たちの中ではかなり高い評価を与えられていました。それでチェックを入れていたのですが、手をつけていないままでした。この作者のものは読んだことがないと思います。
『愛の部屋』
北村はいちおう既出です。ですが回答をくださった時にはまだ開いてはいませんでしたし、また挙げてくださった本のタイプもアンソロジーとだいぶん違うので、既出としては扱わないことにさせていただきますね。北村についてのコメントは51の回答のものをご覧ください。
『存在の耐えられない軽さ』
これが集英社文庫に入っているのが、似合わないと一時話題に上ったのを思い出します。実に面白い小説だと思います。20世紀に書かれた世界の小説のうちで、いわゆる名作として残るもののひとつかとわたしは思っているのですが、一方でそれだけ評判の高いものゆえの宿命として、さまざまな批判も多く見受けられるのも確かです。まあ批判は批判として、読み物としてたいへん面白いものであると思います。場面の描写自体もなかなかなのですが、それ以上にその描写への持っていき方がこの作品は実にうまい。これだけで相当な評価ができるかと思います。ただしエキセントリックを狙って書かれていることについては、正直なところこの時代この程度ではとてもエキセントリックとすら言えないだろうという嫌いがあります。
みどりのゆび
童話好きなんですけど、これはダイスキで。
いつも勧めているので。
ルピナスさん
すみません、バーバラ・クーニーが好きなので。
中でもこれが好きです。
ジョイ・ラック・クラブ
エイミ・タンの中ではこれが好きです。
あと、すかっと読める、いてもたってもいられないときに、落込んだ時なんかに良かった本です。
バガージマヌパナス 池上永一
夏の庭 湯本香樹実
穴 ルイス・サッカー
(これはいいです。)
『みどりのゆび』は既出です。が、上記(ひとつ前の回答の北村)と同じ理由で既出扱いとはしないことにさせていただきます。コメントは54.のものをご覧ください。
『ジョイ・ラック・クラブ』は既読。
他は未読です。
クーニー『ルビナスさん』
これ読んだことないんですよね。ところでつい最近、何かでクーニーについて言及されているのを読んだ覚えがありまして、気になってしばらく探してみたのですが出てきませんでした。何だったか・・・ちょっと喉につっかえているような具合に気になりますね。
タン『ジョイ・ラック・クラブ』
これは既読です。タンはそんなに読まれている印象のない海外の作家のひとりだったのですが、そんなこともないのですね。タンを追いかけている方がいらっしゃるとは少々意外でした。なかなか趣味のよいタイプの作家かと思っています。
池上『バガージマヌパナス』
書名は記憶していたのですが、読んだことはありません。ファンタジーノベル大賞を受賞していたはずです。
湯本『夏の庭』
これは一時ずいぶん売れた本ですね(『穴』もですが)。だいたいの内容は知っていますが、読んではおりません。
サッカー『穴』
同上
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103698012/hatena-q-22
Amazon.co.jp: 大きな魚の食べっぷり: 今江 祥智: 本
この方は絵本や童話で有名ですが、大人が読んでも充分楽しめる小説です。
こうして日本の権力者は育てられていくんだなと感じた次第です。
残念ながら既読です
本書に関してなのですが、確かに童話という分野で、arihoさんが
> こうして日本の権力者は育てられていくんだな
とおっしゃられているようなこと、たいていは子どもには見せないような社会の黒いものごと、を書こうとしたこと、それ自体は評価できます。
しかし、ならばまったく掘り下げが足りません。これではせっかくの野心的な素材も活かしきれていませんし、ただ著者の悪意が目立つだけだというようにわたしには見えてしまいました。すみません。
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ふたつ上のコメントに書き忘れました
『愛の部屋』は『謎のギャラリ』ーというシリーズの一冊です。
稀代の刀工が心ならず残した駄作を遺言に則り1本残らず叩き折る・・・・・・
その旅に出るは弟子であり巨躯の主人公、鬼麿。
手には常寸を超えた長刀を手に試し剣術の妙技が炸裂する!
1番勝負氷柱折り 2番勝負古釣瓶といった具合に
勝負単位で展開されていく話は展開のリズムがよく、
ページごとに手に汗握る冒険活劇を堪能でき。
読了の折には隆慶一郎作品の男達に通ずる格好よさが心地よい余韻を残してくれると思います。
隆慶一郎は既出です。コメントについては40.のものをご覧ください。
『一夢庵』に比較して、ということなのですが、挙げてくださった『鬼麿斬人剣』はWalknochenさんが
> 稀代の刀工が心ならず残した駄作を遺言に則り1本残らず叩き折る・・・・・・
とおっしゃられているような設定の妙がまず光ると思います。一方で小説としてのつくりは『一夢庵』に一段二段は及ばないという印象があります。もともとつくりや構成よりも読者を力で引き込んでいく質の作家であるので、それほど問題なわけではないですが。
> 読了の折には隆慶一郎作品の男達に通ずる格好よさが心地よい余韻を残してくれると思います。
についてはやはり問題だなあと思うところが禁じえません。詳しくは40.につけたコメントをご覧ください。
=========================================
自動で質問が終了されてしまうまでに全て開けてしまおうと思い、ずいぶんと走ってしまいました。
見直すと酷い文章や誤字などが方々に見受けられます(これまでもいくつかやってますし、もともと読みやすい文ではないと思うのですが、それにしても・・・)。どうもすみません。
また既読かどうかが曖昧なもの(要するに、読んだような気がするけれどよく覚えていないもの)、あるいは全くなじみのない作家、作品でほとんど何も知らずに来たものについては、それなりですが調べてからコメントさせてもらっていたのですが、今日はなにぶん焦っていたために調べも相当に甘いかと思います。いい加減になってしまった方々、どうぞお許しください。
コンピューターのご機嫌が悪くなってきたために、今日はここで休憩とさせていただきます。続きはまた明日、できれば明日中には全て開いてしまいたい(無理かもしれませんが)と思っております。お待たせしている方々がいらっしゃいましたら、どうぞもうしばらくお許しください。すみません。
我が呼び声に応えよ獣―魔術士オーフェンはぐれ旅 (富士見ファンタジア文庫)
有名どころとライトノベルで何の役にも立たないとは思うのですが…すみません。
レヴォリューションNo.3
オチコボレ男子高校生たちの青春ストーリーです。
彼らは自他認める『オチコボレ』ですが、そうであるか否かは大して問題ではありません。
目標に向かって周りを省みずに暴走気味で突っ走る彼らの姿はかっこいいと思います。
ギョウザ大好き。
少年アリス
このひとの書いたものを読んでいると、別に体感したこともないのに昭和初期の空気と言うかニオイと言うか、そういうものに包まれる気がしてちょっと癒されます。
文庫の文字の大きさがちょっと好きです。
我が呼び声に応えよ獣
魔術師オーフェンはぐれ旅、というライトノベルの1巻です。
随分前に読んだのでとてもうろ覚えなのですが、ファンタジー世界ではお決まりの魔術とドラゴンの設定が
他とは少し違う路線で読んだ当時はすこし感動しました。
『レヴォリューションNo.3』は既出です。回答を寄せてくださった時点では開いてはいませんでしたので、既出とは扱わないことにさせていただきますね。コメントについては59.のものをご覧ください。
他二つは既読です。
59.の時にちょっと書いたのですが、金城がようやくかぶってきました。わたしの予想では京極なんかと並んで一番かぶりそうな作家のひとりだったのになあ。なかなか当たりませんね。
> ギョウザ大好き。
いいですね、わたしもギョウザ大好きです。蒸しギョウザや水ギョウザなど中華本格のものもよいのですが、やはりギョウザが食べたい、となるとラーメン屋さんなどにも置いてるような和風の普通の焼きギョウザでなければ満足できません。あれはいい、もう身体が求めてしまう時があります。
長野まゆみ『少年アリス』
この作家は一時TVなどで女子高生の間でちょとしたブームになっていると報道されていたのを思い出します。既に著者は知っていたのでこれで売れるようになるかと思えばそんなこともなくそのまま萎んでしまいました。相変らず熱狂的なファンなどに偏愛されるのみで、固定層にしか読まれない作家となっているかと思います。
無茶苦茶なことを言いますが、著者の名前をひらがなで書く作家というのは、(宮部みゆきを除いて)みな一様に大胆な欠点を持っている気がします。長野まゆみもその一人です。
長野の場合は構成力と文章のアンバランスにあると思います。まず文章ですが、独特の癖のある文章です(読めば、と言うよりページを見ればすぐに分かりますが)。ちょっと偏執的で受けつけないだろう人がいるようなところもあるのですが、solutelyさんが
> 昭和初期の空気と言うかニオイと言うか、そういうものに包まれる気がして
とおっしゃられているように、この文章がこのような雰囲気を作り上げるのに一役買っているのは確かなことです。残念ながら、まだまだ偏執が足らないというところはもちろんあります。文や言葉(加えて、日本語ならば漢字)の遣い方といったものに偏愛をそそいできた大家から比して、上滑りしている感があるのは否めません。
この上滑りの原因は、文章それ自体にもあります(要するに、言い方は悪いですが、言葉へのキチガイ具合がまだまだ足らない)。もうひとつには小説としての構成力が、その足らない偏愛にすら追いついていないというのがあります。まだ安っぽい(と言わざるを得ない)言葉で飾り立てているだけで、その装飾を脱がせてしまえば物語としてはなんということもない。なんということもない物語を小説として読ませるだけの技術も文章もありませんし、この作家の個性からするなら、物語の構成がある程度はしっかりする必要があるかと思います。構成だけ見るなら作文の域を出ていないのは否めません。
秋田禎信『我が呼び声に応えよ獣』
まずタイトルはいいでしょう。もっとも、類似のものやもっと派手に目を引くものが出すぎたせいで、今となってはあまりキャッチーとは言えないのも確かです。ほとんどおぼろげな記憶を頼りに書いているので確かなこととは言えませんが、この時期のライトノベル・ライトファンタジーは一通り目を通していますが、その中では比較的、将来性は持てる印象のある作家だった覚えがあります(当時の現状で周囲と比べ五十歩百歩でしたが、伸びそうなところがある分マシ、というだけの意味です)。
> ファンタジー世界ではお決まりの魔術とドラゴンの設定が他とは少し違う路線
それはその頃の(そしておそらく今でも)和製ライトファンタジーの中ではという話かと思います。確かになにやら目を引いた覚えはあるのですが、特筆するほどのものでもなかった覚えがあります。
この作家を他に比べて当時少しは評価したのは、ひとつは文章を(当然まだお話にもならないほど荒削りでしたが)何とかそれでも整えようとするのが感じられたこと。若い文だなあと思った覚えがあります。あっちを引っ込めればこっちがでっぱり、という風情でしたが。もうひとつは場面の切り替えの持っていき方に、なんと言うかセンスのようなものが感じられたこと。確かどこぞかに忍び込んで脱出するというようなシーンだったと思います(うろ覚えで申し訳ないです)。高いところから飛び降りるか何かするのですが、その際の文章的な切り替え方には目を引くものがあった覚えがあります。
とはいえ、どれだけ長所を並べてみても、小説としてお話にもならない、と言わざるを得ないところがあるのは確かです(ごめんなさい、こんな酷評ばかりで)。
以前urasima1989さんがライトノベルを挙げてくださった時にも思ったことなのですが、ライトノベル、ライトファンタジーという言葉の「ライト」というのは蔑称ではありませんよ。重くなくまた読みやすい小説で、いわゆる本格と呼ばれるもののような重厚さや濃密さはないが、構えずに軽く楽しむことができる。そういうジャンルかと思います。ですが、わたしがこれらのジャンルを見限った理由もここらにあるのですが、この方面の書き手は、軽く楽しませるということをそれこそ随分軽く見ていませんか。読者に構えさせず、その世界に入っていくための負担を強いずになお物語で楽しませるのはそんなに生易しいことではないとわたしは思うのですが。実際多少古いところを紐解けば、いや、そこまでしなくとも他ジャンルとして売られているもので、こうしたことに気を遣われた軽い作品を読んでみれば分かりますが、軽く楽しませることに作家は非常な努力と労力を使っています。現在のライトノベル・ライトファンタジーの作家たち、そして何よりそれを売る編集者たちの、ライト〜などを読むような読者ならばこの程度書いておけば十分だろう、というのは余りにも読者を馬鹿にした不誠実な姿勢かと思います。またそれこそ彼ら自身が「ライト」を蔑称にしてしまっているところがあるかと思います。
かつて多少はこの作者に好感を持ったのは、(どうしたらいいのか分からないのだろうけれど)それでも何とかしようとしている所があったように感じられたのが理由だったのでしょう。また上の長野でも、この個性の好き嫌いはありますし、また偏愛の方を余りに重たく深めていくのではなく軽さを保ったままでの話なのですが、構成の方を磨いてくれれば、そうした軽く楽しませることのできる良質な作品を出してくれる作家かと、わたしは期待していたのですが。残念ながらそうした話は今のところ聞きません。
(ごめんなさい、酷評ばかりで。何度も書きましたが、あくまでわたしがこのように感じた、思ったというだけの感想です。まったく間違っていることは十分にありえますし、そうじゃない、違うと考えられる方も多いかと思います。不快に感じられるかたも多いかとは思いますが、しょせん誰かの感想に過ぎないものと、どうぞお許しください)
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あ、35.のコメントについてなのですが、ひとつだけ思い直したことを書き加えます。
会話の文章が論外、などと書いたかと思いますが、あれはウェブ上で見つけたものについて書いておりました。もしかすると、なのですが活字として縦書きにして見た時に、あるいはタイポグラフィーの効果を狙ったものかもしれません。だとしても陳腐ですし、タイポグラフィーなどあの程度では今や何の目も引かない技法と成り果てているのは確かですが。
ある一人の男子高校生のおかしな青春を描いた作品です。
おとこなら少なからず共感しながら読む事が出来ると思います。僕はこの本にて島田雅彦ファンになりました。
残念ながら既読です。
島田は、これを読まれたならお分かりかと思いますが、非常にひねくれた、もう変態的としか言いようがない質の、いわゆる天才かと思います。この作家は正直なところほとんど分からないところがあります。ものすごく周到に考えを巡らせて書いているんだか、何も考えずに書いたらこうなるのか、個人的には考えてなさそうな気がするのですが、よく分かりません。(高いレベルでの)当たり外れはありますが、ハズレにしても考えてなさそうに見えてしまったり、考えが先走りすぎて見えてしまったりと、訳がわからないところがあります。
『模造人間』ですが、たいへん面白いです。urayanさんがおっしゃるようにまず
> のおかしな青春を描いた
ものとして楽しめる面が第一にあります。ですが、これがそこらに山ほど転がっている青春三文小説の中に埋もれてしまわないのは、語り手である主人公「僕」をさらに上から見下ろす、非常に冷笑的な視線の存在に他なりません。正直これを書いたのは相当性根の悪い奴に違いないと思わされてしまいます(そして実際、相当性根の悪い奴なのでしょうが)。このように書くと青春小説として「僕」に共感しながら読まれた方々には怒られてしまうかもしれないのですが、「僕」や、「僕」に共感し自分を重ねながら読むような読者を徹底的に馬鹿にして、こいつ阿呆なんじゃないの、と突き放すようなかなり底意地の悪い視線がこの作品には内包されています。非常に腹黒いものですが(人としては、どうかと思うのですが)、物語、読み物、あるいは小説の仕掛けとしては、これが面白いのです。わたしなどはこの「僕」に共感しつつも、それを見下す冷笑的な視線を自分の身にそれこそ浴びて、いわば徹底的に阿呆扱いされながら読むのが、官能的に面白いところがあるのですが。もちろん同時に、「僕」を馬鹿にして冷笑的に眺めているのもわたし自身でもあるわけです。自分自身をこいつ阿呆じゃないの、と見下ろし、また見下ろされながらこのひねくれた物語を読み進めるのはたまらない快楽があります。個人的にはギターに手を突っ込む場面が特にたまりません(念のため付け加えておきますと、自分自身を冷笑しているのは、読者であるわれわれに限ったことではなく、作者もそうだと思います)。
いや、すばらしい小説だと思いますよ。傷はいろいろあります、それを言うなら島田の書くものはたいてい傷だらけなのですが、そんなものは置いておいてどうしようもなく面白い。やはりこの人は天才と思わざるを得ません(一応、付言しておくと、どう見ても傷を直す力量はあるわけですから、不誠実なそれこそ読者を馬鹿にした作家とも言えます)。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3e5d6a9ad3d540...
オンライン書店ビーケーワン:魔羅節 新潮文庫
月の影 影の海〈上〉 十二国記 講談社X文庫―ホワイトハート
月の影 影の海〈下〉 十二国記 講談社X文庫―ホワイトハート
十二国記から「月の影 影の海(上下)」と「風の海 迷宮の岸」を。シリーズ1作目と2作目に当たります(まだ出てなかったんですけど、ダブってたらすみません)。
ライトノベルはお嫌い、とのことですが、当初講談社X文庫(ホワイトハート)から出ていたものが、現在は講談社文庫でも刊行されています。ここに、この作品がただのライトノベルではないことが証明されているのではないかと思います(暗に、「きっとこれは当たりですよ」と言いたい)。私も講談社文庫版で持っているのですが、bk1にはX文庫版のものしかなかったので、このようなラインナップになりました。
「十二国記」というのは、ブームになった随分後で知りました。小野不由美という人物を知ったのも「屍鬼」がきっかけだったのです。私は流行モノを避ける傾向にあり(でも、最終的には読んでいるものが多い)、「十二国記」もはやった随分後に手を出したのですが、やっぱり“なんでもっと早くに読まなかったんだろう”と思ってしまいました。
実は、ファンタジーは苦手です。まったく架空の“世界”で繰り広げられる、カタカナの名前の人たちのお話、という感じがして、現実感に乏しく、なかなか共感できないのです。もちろん十二国記だって架空の世界の物語なのですが、やはりこれは小野不由美の技量なのでしょうね。それぞれのお話で主人公核となる人物がとても人間らしく、どこまでも臆病で卑怯で、まったく主人公っぽくないのですが、壮大な“冒険”を通して成長していく(文章にすると陳腐になるなあ)ところに共感できるし、感動もする、と。その描き方が小野さんらしくて素晴らしいのです。それほどファンタジーを読んだことがないので、他と比較しにくいのですが、ライトノベルにありがちな物語の広がり方ではなく、かといってコアなファンだけが付いていけるような極端に偏った内容でもなく、キャラだけが際立っていくわけでもなく。とても強い、素敵な物語です。
もう一つオススメしたいのは、岩井志麻子の「魔羅節」。大きく括ってしまうとホラーということになるのでしょうが、“明治から昭和にかけての岡山の貧しい村”を舞台にした、岩井志麻子ワールド(横溝正史ワールド、江戸川乱歩ワールド、みたいな)。
ご存知かもしれませんが、岩井志麻子という人は、自身が描く作品世界とはものすごく遠いところにあるキャラクターの持ち主なのです。笑わそうというサービス精神が旺盛なのか、持って生まれた性質なのか、底抜けに明るく、どこにいても自分が楽しむ術を知っているような方だと思います。「ぼっけえ、きょうてえ」を読む前から彼女自身は知っていて、だから変な先入観を持ってかの日本ホラー大賞・山本周五郎賞受賞作品を読んでしまったのですが、逆にとても作品世界に惹かれました。彼女の性質をしらないまま作品を読んでいたとしたら、ここまで惹かれることはなかったかもしれません。
そんな岩井志麻子が描く、究極の“志麻子ワールド”が「魔羅節」。短編集ですが、どれもタイトルを明かすのに憚るようなものばかり。それはそれで、とても彼女らしいと思うのです。そしてやっぱり、幕末から明治初頭にかけてという激動の時代、そこから取り残された岡山の貧しい寒村、そういった舞台が整った彼女ならではのエロくてグロい世界。もう、私はたまらなく好きです。
ちなみに、岩井志麻子は短編がいいですね。本人も短編を書くほうが好きなようですし。そういえば、彼女は昔、ライトノベルを書いていたようですよ(読んだことはないのですが)。
すべて未読です。
詳細なご紹介ありがとうございます。簡便のため以下『十二国記』として扱わせてもらいます。さてこの『十二国記』ですが、バイト先に置いてあったのを一冊二冊ほど目を通させてもらった覚えがあります。当時はたぶんまだ全巻出てなかったのではないでしょうか、何にせよ通読してはいないので未読とさせていただきます。
ブームになる少し前だと思うのですが、ライトノベルの分野になかなか面白いものがある、と結構な話題になった作品ではないでしょうか。確かそこから火がついてブームに広がっていた記憶があります。興味を持たないこともなかったのですが、ちょうどライトノベルなどから離れ始めていた時期ということもあり、一二に目を通して設定の大きそうな話だなあと敬遠しておりました。関係ないですがつい先だって、深夜にTVをつけたらこれのアニメがやっておりました。途中からだったので全く話は分からなかったのですが、エンディングで『十二国記』だと知りました。王様かなんかが妃もろとも子ども(?)の前で首を切られておりました。子どもはその後お寺かなんかに棄てられていたかな。見始めた時は名前や建物からして中国ものかと思ったのですが。
purple28さんは
> この作品がただのライトノベルではないことが証明されているのではないかと思います
とおっしゃられていますが、(わたしは本書を通していないので確かなことは言えないのですが)むしろ思うのはこうしたものをライトノベルというジャンルに入れてしまってよいのかなあ、ということです。というのはライトノベルの美学・美点として、読者に負担を強いず、構えさせたりすることもなく、軽く楽しませる、というのがあるかと思います。読んだ上での判断ではないのですが、各所での評判や紹介などからして設定の大きな物語という先入観がわたしにはあります(それが悪いということではありません。ジャンルが違うのではないか、という意味です)。設定の大きい物語というのは、どの分野のものでもそうですが(例えば、ハードSFなど)、軽く楽しめるとは言い難いところがありますし、また読者にその設定を飲み込ませるだけの負担を強いる形式かと思います。
一方でその設定を飲み込めてしまった読者には、同じ設定のものを出してゆけばそれ以上大きな負担を強いることなく、大きな設定特有の広い世界で物語を展開できる、つまりシリーズものに非常にしやすい形式です。出版社としても一定数以上のファンが食いつけば、ファンにとっては他のシリーズを読むのに比べてまた新しく設定を覚え直す必要がないわけですから、売れる数の見込める商売として非常に優れた形式となるわけです(前提として、ある程度の数、最初に大きな設定を飲んでくれる顧客をつかめるだけの魅力があることが必要ですが)。わたしには『十二国記』などは、この典型にはまっているように見えるのですが。
実際のところ、こうした大きな設定を持ちながら、ライトノベルとして売られている物語は結構あるかと思います(『十二国記』はともかくとして、たいていは読めたものではない駄作の山という印象がありますが)。さてこうした本来ライトとは言えないような設定の大きさを持つものが、なぜライトノベルとして売られるかということなのですが、ある部分で読者の需要を満たしているからかと見受けられます。負担をあまり強いられず軽く楽しむことを求める読者としては、ひとつ設定を飲み込んでしまえば同じシリーズならそれ以上面倒なこともなく、それこそ本来のライトノベルのように軽く読める。シリーズものの強みです。もっともこうした種のものは設定が広い中で軽い物語を書かざるを得ないという無理をやっているために、通常の(良質な)ライトノベルに比較してあまりぱっとはしないところが多いのは否めません。
話が一般論に逸れてしまいました、ごめんなさい。『十二国記』に戻って言うと、最初に出版された文庫がどうあれ、そもそもライトノベルではなかったのではないか、と思うところがわたしにはあります。ですので、
> ライトノベルにありがちな物語の広がり方ではなく、かといってコアなファンだけが付いていけるような極端に偏った内容でもなく、キャラだけが際立っていくわけでもなく
とpurple28さんがおっしゃられているのが気になりますね。これはむしろライトファンタジーではなく、ふつうのファンタジーの良いものに対して使われるような誉め言葉であるようにわたしには聞こえるのです。やはり本来ライトノベルではなく、かといって設定が重たいだけの似非ライトファンタジー(ライトノベルの軽妙さも、本格ファンタジーの濃厚な楽しみもないもの)に堕することもなく、単に本格ファンタジーとして優れた作品であるというようにわたしには受け止められたのですが、いかがでしょうか。
岩井志麻子『魔羅節』
岩井は売れてはいるのでしょうが、読者層の想像がつかない作家なんですよね。わたしは好きです。これはまだ読んでおりませんでした。候補に加えさせていただきますね。
> タイトルを明かすのに憚るようなものばかり。
収録作品名を調べてきたのですが、さすがにここには書けませんね。こうしたところでも楽しませようとしているのでしょう。
> 舞台が整った彼女ならではのエロくてグロい世界。
エログロはわたしも大変好むところです。
> 彼女は昔、ライトノベルを書いていたようですよ(読んだことはないのですが)。
わたしも読んだことはないですが以下のあたりがそれなり出はしたようです。あ、こちらの名義は旧姓ですね。
ISBN:4086118327(同名マンガのノベライズでしょうね。マンガのノベライズはたいていライトノベルの賞などでデビューしたものの泣かず飛ばずの作家がやらされます)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3f3b8348595e10...
オンライン書店ビーケーワン:李陵 山月記 小学館文庫
中島 敦の「山月記」が好きです。
わずか8ページ程度ですが格調高い文章で己の尊大な自尊心から落ちぶれてゆく男の物語。
「理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ」
というようなところが人生を感じさせてくれます。
既読です。
日本の短編百選、などと短編の優れた作品を並べる時に必ずと言ってよいほど選ばれている佳作です。芥川など似たことをやった作家は数多いのですが、古典や民話などに材を取り(中島の場合は中国古典です)短編の形で仕上げたものです。言葉の時代的なものや、さらには大正期文芸を経ているかいないかという大きな違いがあるので公平な比較とは言えないでしょうが、似たことをやった作家としては、芥川よりも腕(技術)は上ではないでしょうか。一方でその腕のよさが中島の弱点でもあります。
端的に言って短編の作法が教科書どおり完璧に過ぎるのです。きれい過ぎると言ってよい。「山月記」など最後の叫びまで上手に組み立てられすぎている。一方でそうした仕掛けを分析にかけてしまえば、作法どおりきれいに作ってある分だけたやすく分解されてしまう。こうした綺麗な骨組みの上でまた別の癖のあるものや重たいものがあるならそれはひとつ上のランクの読み物にもなりえたのでしょうが、残念ながらこの作家にはそれがない。中島にそれを求めるとするなら磨かれた文体と言うことになるのでしょうが、こちらもきれい過ぎる嫌いがある。またこの文体の重たさもこの程度では力が弱い。描かれている内容は確かに人生の上で重たいものではあるのですが、小説の題材としては多くの作家に扱われてきた陳腐なものとも言うことができます。ならば同じ題材を使ってより掘り下げが行われていればまた名作ともなりうるのですが、残念ながらこうしたテーマに特有と言える、その悩みの普遍性と特異性のところまですら深められてはいないでしょう(このあたりが、このようなよくある人生テーマにおいて、テーマだけで勝負できる最低線とわたしには思われます)。
綺麗な仕掛けと文体を持っているがそれだけでは力が弱い、また描かれているテーマもそれを補う深みがない。短編の名手の中の名手と呼ばれるような作家は、完璧な作法を組み立てたとしても(もちろん、故意に崩す場合も多々あります)、それが滑ってしまわないだけの強烈な癖があるものです。残念ながら中島にはそれがありません。
完璧に型どおり演技された芸は綺麗だけれど詰まらないという面もあります。短編の場合その典型と言えるのが「山月記」になるかと思います。
一応補足として述べさせていただきます。あくまで以上のことは、短編の優れた作品という水準の範囲での話です。その中では弱いというだけの話で、これが佳作であることは間違いありません。そこらの雑多な短編の中でこれに太刀打ちできるものはほとんど無いのは断言できます。
ところで好みの問題ですが、わたしは中島は嫌いではありません。この短編集であればむしろ「李陵」の方が好きです。「山月記」もなかなか面白いと思います。
『AHEADシリーズ』終わりのクロニクル。
電撃文庫系はまったく手をつけていない分野だと仰っておりましたので敢えてお薦めさせて頂こうかと思います。
この作品を敢えてジャンル分けするならば、近未来SF、ギャグ、学園もの、戦闘もの、単にライトノベルとも言えると思いますが、とにかく多彩な要素を含んでいます。
話の流れ的には『世界を救う使命を持たされた主人公(悪役志望)が仲間と一緒に戦う』話なのですが、そんな普通に聞こえる目的などどこに行ったかと思えるほどに要所に入る笑いのポイント、役どころ、かわいいキャラが魅力。
その中で特にこの小説の面白いところは、主人公たちのひねくれまくった会話だと私は思っています。
笑いのツボが一点集中型だったり、揚げ足を取り捲る返答だったり、会話が成り立っていなかったり、単にエロスな会話だったりもしますが台詞回しとその情景が浮かんで来そうな描写は秀逸。メイドやボクっ子というマニア受けしそうなキャラを生かした役作りと言うのもまた見所です。
そして戦闘シーンの奇抜な発想もまたお薦めしたい箇所です。『概念空間』というその世界のルール(文字が力を持つ、など)を利用して読者が発想し難い方法で敵となるものを撃破する様はついつい深く読み込んでしまい、また敵との和平交渉も想像を超えることをやらかしてくれて見事。
小説にはやはり、王道な話も必要だとは思いますが、予測がつかずにいたことが判明した瞬間の楽しさも必要だと感じさせてくれます。
注意点として、
ひとつ、電撃文庫にしては分厚い。400Pというのはこの手の小説にしては珍しいかと。
ふたつ、電車の中で読めない。……これは私事ですがね。笑っちゃって怪しい人になっちゃいます。イラストが可愛すぎて周りの人に誤解されそうという意味でも……。
みっつ、エロチック表現あり。駄目な方は控えましょう。挿絵でも普通にエロチックにしか見えないイラストが入っています。
『グラスハートシリーズ』1巻 「グラスハート」
こちらのレビューが一番そのとおりだなと思えました。
グラスハートシリーズが5冊、短編、GLASS HEARTシリーズが3冊あるのですが、Amazonでもいいので全てのレビューを読んでどんなものだと思ったか感想を聞かせて欲しいなと思う小説です。
コバルト文庫がなかったようなのでチョイスしてみました。
音楽に詳しくない人でもすんなりと入っていける作品です。1巻を読んでみて合わないなと思った方は最後まで無理な話だと思うのですが、読めた方は一気に貪りたくなるタイプの小説かと。
音楽という大本の筋はありますが、その中における感動や天才という人の奇天烈さや、自分も誰か仲間と何かを作り上げられたらいいなという思いは心にずしりと響きます。天才・藤谷の言動と、それをとりまく仲間の、藤谷にだんだん慣れていってしまう扱い方には羨ましい気持ちも。
強気でガンガンイきたいときにも心で小説を読みたいときにもお薦めしたい秀作です。
初めてお薦め系の質問に参加するのでおかしな日本語あったらスイマセン(’-’;)
ともに未読です。
> 電撃文庫系はまったく手をつけていない
一応、誤解は解かせていただきますね。ライトノベルは一時期までは他分野と変わりなく読んでおりました。その頃は電撃(そもそも電撃文庫ができた頃から徐々に読まなくなっていったのですが)、富士見ファンタジア、スニーカーなど(要するに角川系列出版社です。ライトノベルの中でもとりわけ質の低いものが多いかと思います)を比較的多く読んでおり、むしろコバルトなどの方が数は少ないと思います。また離れてしまって以降はどの文庫であれ、記憶の限りではほとんど一冊も読み通してはいないかと思います。
ライトノベル一般については、これまで35. 70. 72.あたりにわたしの感想を書かせていただきましたのでそちらをご覧ください(一般論ではないですが45.に書いた新井の欠点にも、稚拙とも言えるような若い、しかし個性ある文章で勝負するところの多いライトノベルの書き手たちには共通する点があるでしょう)。
川上稔『AHEADシリーズ』(silvervixenさんに習い、簡便のため以下シリーズ名で呼称させていただきます)
作家の名前に聞き覚えが無かったので調べて来ました。電撃賞の第三回受賞者ということは、一応目は通していたはずなのですが全く覚えておりませんでした(四回あたりまで選評は読んでいるはずなのですが)。
> とにかく多彩な要素を含んでいます。
普通は「多彩」であるほど破綻しやすい、物語が壊れやすいとわたしは思います。また読者が覚えなければならない設定も多くなるのではないでしょうか。その上でライトノベルとして成立しているのであれば、恐らくはその「多彩」な要素、例えば「学園もの」だの「戦闘もの」だのの、そのひとつひとつが小説の飾り程度の軽さにしか扱われていないということなのでしょう。それが悪いとは言いませんが、小説をいわば「多彩」に見せかける技術としては余りに程度が低く安っぽいです。
> 目的などどこに行ったかと思えるほどに要所に入る笑いのポイント、役どころ、かわいいキャラが魅力。
「役どころ」「かわいいキャラ」については、読んでみなくては分かりませんね。どのように「かわいい」のか言葉にしてくださるともう少しわたしでも分かることができたかと思うのですが。
> メイドやボクっ子というマニア受けしそうなキャラを生かした役作りと言うのもまた見所です。
あ、これなのかな。だとしたら既製の人物像(ストック・キャラクター)に頼りすぎです。ライトノベルという性格上、そうした既にキャラクターのタイプとして流通している人物造形に頼らざるを得ないのは分かります。ですが、その作品が少しでも楽しめるものであるならば、そうした既製品を下敷きにしながら、どのようなところで既製品を出ているか、既製品と違うかというのがあるかと思います。それを教えてくださると素直に面白そうだと思えるのですが。
> 台詞回しとその情景が浮かんで来そうな描写は秀逸。
これはよいですね。会話や文章のテンポで読者を惹きつけるという部分の多いライトノベルなどでは、反面作家が力任せになり勢いだけになりがちなところがあります。勢いだけで読ませる文を書けるほんの一握りの天才はよいとして、普通はその勢いに読者は置いていかれてしまいます。単に勢いのよい文で引っ張るだけでなく、そこで読者が醒めてしまわないだけのしっかりと計算された組み立てや文章ができていれば、そうした効果も狙えるでしょう。なのでわたしには「その情景が浮かんで来そうな描写」というのは大変興味深く感じられます。
> そして戦闘シーンの奇抜な発想もまたお薦めしたい箇所です。『概念空間』というその世界のルール(文字が力を持つ、など)を利用して読者が発想し難い方法で敵となるものを撃破する
「奇抜」かなあ。
ずいぶんチクチクと、それこそ「揚げ足を取り捲る」ようなコメントで申し訳ありません。大変この作品がお好きで、ご紹介してくださっていることは十分に伝わってきています。その上で一応コメントしておいた方がいいなあと思う点について、わたしの感想を述べさせていただいております。
若木未生『グラスハートシリーズ』
若木は名前をわたしでも知っている作家です。読んだことはたぶん無かったとは思いますが、わたしがライトノベルから離れてしまう前(それ以前にライトノベルを読み始める前)から活躍されている、この分野ではほとんど長老と言ってもよいような方ではなかったでしょうか。作家の寿命の短いこうした分野でこれまで生き残っておられるということ自体にまず敬意を覚えます。
とりあえず、書いてくださったURL(es books)のとAmazonのレビューを全て読ませていただきますね。あ、念のため、回答者さんご自身のお薦めの言葉(面白いと思ったところ、なぜ面白いか、など)をいただきたかったので、本当はルール違反です。もちろんレビューのURLだけではなく、これだけ他にお薦めの言葉を書いてくださっていますので、これについては全く構いません、ルール違反とは扱わないことにさせていただいております。
es booksの方は最初の一冊だけで28件あるのですね。これを九冊分読むのは時間もかかるのでこの28だけでお許しください。Amazonの方はそれぞれ一件程度しか無いようですので九冊分全て読ませていただきます。
まずesの分なのですが、文字数制限があるのでしょうか、ごく短いものが多いですね。わたしのブラウザの設定で三行以下になるものは、ほとんどレビューとして意味を成していないと思います(小説自体の良し悪しではなく、本のよい所を文章で説明できていないという意味です)。
ざっと目を引いたのを挙げると
> 正しい日本語で書く必要がない物語です (ぐるり猫背堂さん:この方が一番長いレビューだったかと思います)
これは論外です。類似の意見が余りに多いのですが、これではレビューとしてお話にもなりません。別にこうした小説でなくとも、面白さを言葉にするというのはなかなか難しいものなのですが、それをやってこそのレビューでしょう、とわたしは思ってしまうのですが。あ、この質問にお寄せいただいた回答については、もちろん厳密なレビューを求めてはいませんのでかまいません。ただ、しっかり言葉にしてくれているものの方がわたしは好きです(偉そうに言いましたが、わたし自身、それが難しくて逃げ出してしまうことも多いです、すみません)。
> 音楽の持つ力を文章で表現する事の難しさを感じる。それでも、若木さんの「音楽、好きなんだ」の精神が伝わってくる秀作 (春来堂さん)
レビューならせめてこのくらいはわたしとしては書いて欲しいですね。もっとも「音楽の持つ力を文章で表現する事の難しさ」と言われてますが、これもともと文章じゃないのか、とわたしは思ってしまうのですが。読んでないのでなんともいえないのですが、この作品をレビュー、紹介されている方々が苦闘しているのは、ここを間違えているからじゃないでしょうかね。難しいのは音楽を言葉にしようとしているからではなくて、そもそもこの小説の面白さを言葉にすること自体が難しいからではないのでしょうか。
さてAmazonを見てみます。概観するに平均がesより長いのですが、こちらはあらすじだけのが多いですね・・・。
ひとつだけ、他と格が違うほどに(レビューとしての話です)際立って素晴らしいものがありました。後はまあ大差ないという印象ですね。
3巻(でいいのかな)についている、「よの」さんという方の「横殴りの一撃」と題されたレビューです。
> いつもは、主人公の朱音の一人称で、世の中の色はきれいにバランスがとれて見えている『グラスハート』の世界。
恐らくさまざまな方がレビューにしづらいと感じておられたのはこれが原因でしょう。(このレビューを読んだわたしの想像でしかありませんが)これは極端な個性と極端な視点を持った主人公(なのかな?)の語る物語なのですね。こうした小説の場合、読者はその小説を語っている人(語り手)の目を通じてでしか世界を見ることはできません。しかし実際のところ、これを突き詰めて物語を書いてしまうと読み得ないものになってしまうことが多く、このように登場人物が物語を語るような小説であっても、ほとんどの場合はそれ以外の視点からの情報というのも語りのなかに上手く組み込まれていきます(ここらへんは、オタク用語で一人称小説と呼ばれているものについての一般的なお作法のようなものです)。
ところが、そうした教科書通のお作法を棄てて、本当にその語り手から見えるもの、その語り手のものの見方だけで物語を語ったとしたらどうなるでしょうか。恐らく小説の文章にした時の語彙や言葉遣いなども、この語り手が使うものだけで組み立てられているはずです。こうなると読者は二つの読み方のどちらかしか選択できません。ひとつはそれを語っている人からある程度距離を置く方法。極端に歪んだ視点を通して読者に与えられている情報から、実際には(つまりもっと中立的な視点からは)どう見えているかを推理しながら読み進めるという手です。もう一つは、その語り手と自分をほとんど重ねてしまい、その人物の中に溺れてしまうことです。小説世界に対して偏った見方を受け入れることにもなりますが、一方でその偏りを味わうことができれば、これほど面白い読書体験はそうはありません。レビューを読んだ限りでは、この小説は後者の方法で読んだ方が楽しめるように作られているのでしょう。ちなみに一人称小説の手法としてはテクニカルな部類に属するものなのですが、珍しいというほどではないくらいには他に例もあります。
この3巻では語り手がどうやら坂本という別の男に変わっているようですが、
> そして彼の思考には、彼の見ている世界には、キリキリとしたフィルターがかかっている。けれどそれは、どこまでもクリアであり純粋なフィルタだ。
> ああ、坂本という男は、こんな風に呼吸をしているのか、と、グラグラと平衡感覚を失いそうになる。
(ともに同じ方のレビューからの引用です)
などといった説明はわたしが予想したことを裏付けてくれるのではないでしょうか。どこぞのレビューでこの小説家を指して「感覚で書く」作家と述べているのを見ましたが、これはとんだ見当違いかと思われます(読んでない身の上であまり大胆なことを言うのはよくないのですが、すみません)。一見すると感覚的な小説に見えても、作者は相当に周到な考えや計算を巡らせて書いた物語というのはいくらでもあります。これもそうしたもののひとつではないのでしょうか。
他のレビューでは、と、もう一つちょっと引っかかったのを書こうとしたのですが、こちらも同じ、「よの」さんが書かれておりました。随分既にコメントが長くなっていますし割愛しますね(『熱の城』というのにつけられた「右脳で読め」というレビューです)。
というところでsilvervixenさんに頂いたご紹介の方に戻らせていただきます。
> 1巻を読んでみて合わないなと思った方は最後まで無理な話だと思うのですが、読めた方は一気に貪りたくなるタイプ
以上を読んで、このことは大変よく分かるようになりました。恐らくそうだろうと思います。
> 天才・藤谷の言動と、それをとりまく仲間の、藤谷にだんだん慣れていってしまう扱い方
類型の一つとは思いますが、ちょっと面白いですね。
> 強気でガンガンイきたいときにも心で小説を読みたいときにもお薦めしたい秀作です。
はい、大変惹かれました。候補に残させていただきます。
> 初めてお薦め系の質問に参加するのでおかしな日本語あったらスイマセン(’-’;)
いえいえ、小説でもそうなのですが、みんな使われる言葉は違います。わたしなどの質問に回答をお寄せくださったみなさんが、それぞれ違う言葉、感覚でお薦めして下さるのがわたしには大変面白いのです。ぜんぜんお気になさらないでください。ところで「お薦め系の質問」というのは初耳の言葉です。こうしたものをこのように言うのですか、わたしも採用させていただきます。
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すみません、また暴走気味に長ったらしくコメントを書いてしまいました。後がつかえているのにごめんなさい。以後、急ぎます。自分の趣味に走っていろいろ書いてしまいました。どうもすみません。
小説スパイラル 推理の絆〈2〉鋼鉄番長の密室 (COMIC NOVELS)
人気マンガ「スパイラル〜推理の絆〜」のコミックノベルです。
題名からして、推理小説なのですが…
かつて、全国の高校が、3人の番長の勢力によって、3分して統治されていた。
そして、まさに3大勢力の衝突が起きようとしていたそのとき-鋼鉄番長は、遺書を残し、密室の中で息を引き取った。
鋼鉄番長は、本当に自殺だったのだろうか!?
それを、何年もたった現在、主人公の歩が調べていきます。
なんとも、現実離れしたようなストーリーですが(笑)
笑える推理小説なので、よろしかったら、読んでみてはいかがでしょうか。
未読です。
この作家はミステリ関係のあたりで何度か耳にしたことがあると思うのですが、まだ一作も読んだことはないと思います。
> なんとも、現実離れしたようなストーリーですが(笑)
うーん、作家を何かで読んだ時のイメージとはぜんぜん違いますね。別の人と間違えているかもしれません・・・本格ミステリ関係で見たような気がしていたのですが。
> かつて、全国の高校が、3人の番長の勢力によって、3分して統治されていた。
> そして、まさに3大勢力の衝突が起きようとしていたそのとき-鋼鉄番長は、遺書を残し、密室の中で息を引き取った。
しかしおっしゃるように「現実離れ」した設定であるのですが(また馬鹿馬鹿しさが光るのですが)、これは目新しくはないですよね。古い番長もののコミックなんかではまあ似たような設定はあるわけです。それをあえて今、しかも推理小説という分野でやるということは、ある程度パロディの要素が強いと思うのですが、そのあたりが面白さ(笑えるところ)とどのくらい関わってくるかを教えてくださると嬉しかったですね。
コメントにお答えしたくて二度目の回答です。ポイントは要りません。(よく仕組みを知らないのですが、回答を開くだけでポイントを消費するのですよね。前回分ポイントからその分を差し引いていただいてけっこうです。)
今回、おそらく既読だと思いながらあえて三作挙げました。前回触れた(ぜったい既読でしかもお好きだと思っていました。当たってうれしいです。)小川洋子のどこが好きかというと、「黒い」話であるにもかかわらず、なにか美しい話を読んだ気にすらなるところです。(いや、それだけではないのですが、うまく説明できません。)この感覚に似た作家は誰かなと考えたところ、マンスフィールドとカポーティを思いつきました。こんなふうに感じるのは私だけかもしれませんが。提示した2冊の短編集は、この二人の魅力を十分味わえると思います。あと一人挙げたかったのですが、読書量が少なく思いつきませんでした。最近読んだ『ラヴ・ストーリーズ』というアンソロジーのトップバッターがレイモンド・カーヴァーで、「愛について語る時に我々が語ること」でした。この作品も似たようなテイストを感じましたので挙げてみました。村上春樹が嫌いなので、今まで読んだことがなく他の作品を知らないのですが。
なお、佐野洋子は絵本作家として有名ですが、私は断然エッセイのほうがおもしろいと思います。前回回答時は、児童文学「も」書く作家の作品でパロディものを三作挙げたかったので(ダールも本当は他にずっとおもしろい作品が多数あるのはご承知のとおりです)『嘘ばっか』を提示しましたが、『ラブ・イズ・ザ・ベスト』『がんばりません』などのエッセイのほうがおすすめです。佐野洋子は知人に手紙をよく書く人で、その内容がおもしろいと評判なのだそうです。ある時、男に惚れて「ぜったい手紙で落としてみせる」と友達に語ったのだとか。(←ここのとこうろ覚えなんですけど)その相手って谷川俊太郎なのかなあとミーハーな私は気になっています。
【おまけ】私が自信を持っておすすめでき、かつ、たぶんお好きなんじゃないかと思う本を挙げてみました。絶版ものあり小説以外ありです。流通していない本には*印をつけています。説明は省いています。たぶん既読の本が多いと思いますし。おまけなのでご容赦ください。はずしているかもしれませんがよろしければご覧下さい。
高野文子『黄色い本』/近藤ようこ『見晴らしガ丘にて』(以上2冊は漫画)/庄野英二*『ロッテルダムの灯』*『メルヘン諸島』(前者はエッセイ、後者は短編集。この人はもっと評価されていいと思います。個人的には潤三氏よりも好き。)/パトリック・ジュースキント&ジャン=ジャック・サンペ『ゾマーさんのこと』(小説/これも「黒い」のに美しい話)/エーリッヒ・ケストナー/『大きなケストナーの本』(アンソロジー)/佐々木マキ*『ぼくのスクラップ・スクリーン』(エッセイ)
眠くなってきたし(笑)きりがないので、このへんで。みなさんからの回答もですが、それにつけていらっしゃるコメントがおもしろく、楽しく拝見しています。それではおやすみなさい。
たくさんのご紹介ありがとうございます(しかもご丁寧に)。全て調べてコメントをつけていくのがそろそろ時間的に厳しくなってきたので、目に付いたところをピックアップしてにさせていただきますね、どうもすみません。
あ、オープンのポイントこのとはお気になさらないでください。ほとんど何も書かずに送られてしまうとわたしも困りますが、ちゃんとした回答として認められることをしっかり答えてくださっているのでまったく構いません(あ、他の方々にもですが、回答が既に締め切られてしまっているので、もしまだ何かコメントなどありましたら、日記などの方へどうぞ)。
> 小川洋子のどこが好きかというと、「黒い」話であるにもかかわらず、なにか美しい話を読んだ気にすらなるところです。
ご慧眼だと思います。付け加えるなら、黒い話を読ませて美しく感じさせてしまうところが、彼女のさらなる黒さでもあるとわたしは思います。
> マンスフィールドとカポーティを思いつきました。こんなふうに感じるのは私だけかもしれませんが
いえ、これはよく分かります。もちろん振れ幅というのがありますし、その中には小川のそうしたところと重なっているところ、ずれているところはあると思います。しかしその幅のことを認めた上で、わたしにはchibitさんのご意見に共感できるところがあります(カポーティ「ミリアム」などは黒さと美しさの関係が小川よりもあらわになっている、あらわになり過ぎている、ところはあるかと思います。反面その関係の緊張感がより繊細にも出ているのですが)。
あ、ちなみに収録作を見たのですが、たぶん7割ほどしか読んでおりませんでした。
> 『ラヴ・ストーリーズ』というアンソロジー
アンソロジーの訳書というのは珍しい部類の本ですね(本としては未読です)。あまり出版されないのではないでしょうか(版権問題などで翻訳出版しにくいのかと思います)。これを訳されている飛田茂雄は、わたしはどうしてもヘラー『キャッチ=22』の翻訳者として思い出されてしまいます。いや、単に自分が大好きな本というだけなのですが、大好きなだけに既に訳されていたのが悔しくもあったので・・・。
> レイモンド・カーヴァーで、「愛について語る時に我々が語ること」
読んだことがあったようななかったような・・・。カーヴァーは比較的よく読む作家の一人なのですが、タイトルと物語がなかなか繋がって覚えていないのですよね。すみません。好き嫌いはあるかと思いますが、しょんぼりとした作風の物語を書く作家です。力量はなかなかある方ではないかと思います。
> 佐野洋子は絵本作家として有名ですが、私は断然エッセイのほうがおもしろいと思います。
> ある時、男に惚れて「ぜったい手紙で落としてみせる」と友達に語ったのだとか。
これは・・・いや、実に面白そうですね。関係ないですがわたしとしては言われてみたいセリフです。このセリフだけで落ちてしまいそうなところがわたしなんかにはありますね。
> 『ラブ・イズ・ザ・ベスト』『がんばりません』などのエッセイのほうがおすすめです。
というわけで、ちょっとこちらも候補に加えさせていただきます(あ、未読です)。
残り挙げてくださった本についてなのですが、いや、見事にほとんど全部未読だと思います(ちょっとひとつひとつ調べていないので確かではないのですが)。それぞれの作家はもちろん知っている人も多いのですが、きれいに読んだところを外れていますね。正直驚かされました。はい、後で時間のある時にゆっくり検討させていただきますね。
> 眠くなってきたし(笑)きりがないので、このへんで。
どうもすみません・・・眠くなるまで。本がお好きなことがよく伝わってくる大変読んでいて面白いご紹介でした。ありがとうございました。
ところで関係ないことをひとつだけ・・・本のチョイスで少し気になったのですが、ひょっとして『英語青年』というオタク雑誌を読まれるような業界の方でしょうか・・・。でしたら何月号か失念しましたが夏前あたりにマンスフィールドについては素晴らしい評論が載っていたかと思います。ご興味があれば探してみてください。
サリンジャーのナインストーリーズをおすすめしようかと思っていたのですが読んでいらっしゃるようなので。
「とらんぷ譚」→これは連作で、トランプの4つのマークに分けられており、それぞれ13この短編が収められています。
わたしはその中のスペードの『幻想博物館』しか読んでいないのですが、
世界観や雰囲気がとても素敵で引き込まれる作品です。
「百夜」→ドストエフスキーのなかでも短く、ロマンティックで切ない恋の話です。
恋をしたときのもどかしい感じや独特の焦燥感でぐいぐいと読ませる作品です。
どちらとも既読かもしれませんが、好きな作品なのでおすすめさせていただきました。
『とらんぷ譚』のみ未読です。
『ナインストーリー』
既読です。サリンジャーのものはほとんど全部読んでいるはずです。この本の中ではやはり冒頭の「バナナフィッシュ」や、「笑い男」などがわたしは好きですね。非常に技巧を凝らすタイプの小説家です。この小説の技術ということで言うなら、最高峰の技量を持っている小説家の一人かと思います(一方でその技巧で描いているテーマの方はそこまでではない気がします。せいぜい「優れた」テーマを持っている作家、というレベルでしょう。それでも十分凄いことなのですが)。
『とらんぷ譚』
これは未読です。しかし挙げてくださるものが実に渋い、いいところを突いておられますね。中井はそれほどは読んでいないのですが、好きな作家の一人です。最近読む人はぜんぜんいないのではないでしょうか。幻想小説と推理小説にまたがって活躍する小説家たちの中では、しっかりとした文体を持った名手の一人と言えるかと思います。
> 世界観や雰囲気がとても素敵
彼の世界を素敵と見るのはなかなか面白い観点かと思います。なるほど、と感心させられるところがあります。
『白夜』
実はドストエフスキーは、数ある著名作家の中でわたしが一番嫌いな作家の一人です。ドストエフスキーに限らずロシア文学は全体的に苦手なのですよね。もちろん苦手なりに好きなものもあったりはするのですが、その中でも一番嫌悪してきたのがドストエフスキーです。『賭博師』などはまだ楽しめるのですが、『カラマーゾフ』がわたしにはもう受けつけませんでした。文章の粘度があまりに高くその中を泳ぐのに疲れてしまうところがあります。そんなところもあって、告白しますと、実は代表作と言える『罪と罰』が未読なのです。代表作を読んでもいずにこの判断はよくないとは思うのですが、やはりどうも、特有の密着感が苦手です。
確かに『白夜』はおっしゃるとおり、短く、またわたしが苦手と思ってしまうようなところは薄いかと思います。
> 恋をしたときのもどかしい感じや独特の焦燥感でぐいぐいと読ませる作品です。
しかしここまでだったかなあ。わたしにはそれでも結構くどいものを感じてしまうところがあるのですが。『とらんぷ譚』についてのご意見と併せて想像してしまうのですが、miduki144さんはひょっとして、ある種の「濃さ」のようなものに免疫のある方なのではないでしょうか。わたしも濃い物語は好きな方なのですが、いや濃いものを自然に読んでしまえるセンスのある凄い方なのだろうなあと思わされました。実に面白いご紹介でした、ありがとうございました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140053623/hatena-q-22
Amazon.co.jp: 白の闇: ジョゼ サラマーゴ, Jos´e Saramago, 雨沢 泰: 本
『白の闇』ジョゼ サラマーゴ
ノーベル文学賞作家の作品で、ある日、突然失明する病気が伝染し、やがて国中の人々が白い闇しか見えなくなってしまうお話です。既読かと思いますが、近頃印象に残った本なので紹介いたします。アマゾンURLを参照ください。
今までノーベル賞作家は川端康成やボルヘスくらいしか知らず、殆ど読んだこともなかったのですが、この本を読んでみたところ、見えることを前提に作られた世界が、あっという間に崩れて行く恐ろしさと、人間が生きるということの醜さが読者に迫ってきて、背筋の凍る思いをしました。カミュのペストがこんな感じだったかと思います。
特に最後の方の教会の描写が秀逸です。
読書の醍醐味として場面が目の前に鮮明に現れることがありますが、私にとってこの場面がそうでした。
『侍女の物語』マーガレット・アトウッド
出生率が著しく低下し、女性の地位が剥奪された未来社会が舞台です。妊娠可能な女性は子供を産むための道具「侍女」として男性の支配化に置かれてしまいます。
厳しい監視の過酷な状況を生きのびようとする「侍女」の物語です。かなり以前に読んだものなのでうまく内容をお伝えできませんが、文庫で復刊されていて改めて読み返したい1冊です。映画化もされています。
紹介した物語はもちろんフィクションですが、近頃の社会情勢を見ますと、こうした理不尽な社会が現実に誕生しないとも限りません。読後に危機感と生きている今の実感とを強く感じさせてくれるものです。
『半身』サラ・ウォーターズ
サマセット・モーム賞を受賞し有名になった作品です。
賞からして物語の雰囲気は感じていただけると思います。
とても良くできた構成の物語です。霊とか監獄といった独特の暗黒面の描写が英国の古い空気を伝えてくれます。好みにもよりますが、一読の価値はあります。
海外の比較的新しいものにはどうも弱いですね。すべて未読です。
『白の闇』
話には聞いていたのですが未読です。どうもあらすじを聞いた限りではすぐに手に入れたくなるほど魅力的にはその時は思えなかったのですが、
> 見えることを前提に作られた世界が、あっという間に崩れて行く恐ろしさと、人間が生きるということの醜さが読者に迫ってきて、
EarlGreyさんのご説明と知っている範囲のあらすじでは『トリフィド』とかぶる部分があるように聞こえますね。小説としての面白さをうんぬんするのであれば、むしろこうした設定のことよりも、おっしゃられている「恐ろしさ」や「醜さ」をどのように読者に提示しているのか、どのように作品の中でテーマとして結び付けているか、処理していくかなどにわたしは興味がありますね。
> 特に最後の方の教会の描写が秀逸です。
> 読書の醍醐味として場面が目の前に鮮明に現れることがありますが、私にとってこの場面がそうでした。
このご説明は魅力的ですね。だいぶ心を惹かれるものがあります。これは候補に残させていただきますね。
『侍女の物語』
> 読後に危機感と生きている今の実感とを強く感じさせてくれるものです
ふむふむ、そうした読後感を与えるだけの力のある小説ということですね。
これはアンチ・ユートピアという文脈での論評を見たことがありますね。
『半身』
これは、立ち読みでぱらぱらめくったことはありそうな気がするな。読んではいませんが。
> 賞からして物語の雰囲気は感じていただけると思います。
むむ、いわゆるイギリス的な(舞台ということではなく、イギリス人が好きそうな)小説ということでしょうか。
> 霊とか監獄といった独特の暗黒面の描写が英国の古い空気を伝えてくれます。
ゴシックになるのでしょうか。これまでの流れでお察しくださるかと思いますが、ゴシックは好きです。
カモメのジョナサン作者、リチャード・バックの『ONE』です。
お薦めは、溢れるイマジネーション。
突然、不思議な世界を旅することになる、飛行機旅行中の夫婦。そこで出会う、自分自身。そして最後は…。
とにかく、タイトルに帰結する本でした。
ちなみに、私もブログで小説を書いてます。
未読です。
おお、『カモメのジョナサン』ですか。実はこれ未読なんですよ。恥かしい話なんですが、かなりの有名どころで読んでいないものが他にもいっぱいありまして・・・。
> お薦めは、溢れるイマジネーション。
> 突然、不思議な世界を旅することになる、飛行機旅行中の夫婦。そこで出会う、自分自身。そして最後は…。
ご紹介いただいたMemenさんのこの言葉だけで想像したのですが、小説の組み立て(章立てとか)が連想的につくられているのでしょうか。そこのところの仕掛けはもうすこし知りたいですね。
> とにかく、タイトルに帰結する本でした。
というのもその仕掛けの一つなのかな。
> ちなみに、私もブログで小説を書いてます。
参考URLの方ですね。さきほどちょっとうかがわせて頂きました。また時間のある時にでもゆっくり拝見させていただきますね。
谷村志穂『十四歳のエンゲージ』
海猫が映画化でそこそこ話題の谷村志穂。初期の作品の中で異質なモノを少々。
周囲に溶け込めなくて寂しい所に唯一の友達であるルーが死に、それにまつわる物語。
続編の『十六歳たちの夜』ISBN:4062647451は、夜学通うようになった彼女が、更に彷徨いながらも生きていく物語が、ナカナカ。
村山由佳『翼―cry for the moon』
直木賞作家のの村山由佳。でも、ジュブナイル出身で、今でもそちらを書いていますが、大きく変わったのが、この作品『翼―cry for the moon』です。
菅浩江『末枯れの花守り』
花をテーマにしたモノですが、表現が非常に綺麗で、着物の描写は一見の価値ありと思います。
すべて未読です。
谷村志穂『十四歳のエンゲージ』
> 初期の作品の中で異質なモノを少々。
なかなか嬉しいチョイスですね。わたしは性格がどこかおかしいのか、「異質」とか「異常」とかそんな言葉に反応してしまうところがあります。
村山由佳『翼―cry for the moon』
村山由佳とは、これは痛い名前ですね。『天使の卵』あたりからいくつか読んだのですが、よくもまあこんな物語が何のてらいもなく書けるもんだと、読んでいる方が恥かしくなるような作家という印象が強くあります。うろ覚えなのですが、『天使の卵』の後書きに村上龍が書いていたと思うのですが、この作家(村山由佳)が「凡庸」から始めることをよしとする、とそんな感じだったと思います。さすがの龍もあまりの酷さに、まさか後書きでけなすわけにもいかないので「凡庸」としか書きようがなかったのだろうなあ、とひとしきり話題になった記憶があります。それでもわたしに分からないだけで、何かいいところがあるのではないかと、『BAD KIDS』をハードカバーでうっかり買ってしまったのが痛い思い出です(さすがに『おいしいコーヒー』までは買いませんでしたが)。高い上場所も取るので滅多なことではハードカバーは買わないのですが・・・せめてもの救いはその後も含めていくつか読んだ内ではこれが一番マシと思えたことくらいでしょうか。正直なところ知っている範囲では、ある程度以上一般読者に複数の本が売れている作家の中で、お話にもならない、最低の位置を争うレベルの作家かと思います。具体的にはこれまで皆さんが挙げてくださったわたしが読んだことのある作家の中で、その箸にも棒にもかからなさで言えば匹敵できるのは秋田、中村くらいのものでしょうか。桜井や新井、長野でももう少しはマシという評価です。
そんなわけで彼女が直木賞をとったときには、心底驚くとともに、直木賞もそこまで落ちたのかと思ったものです。しかし、だからこそ
> 大きく変わったのが、この作品『翼―cry for the moon』です
とadramineさんがおっしゃられているのは大変気になるところです。あのどうにも救いようのない小説を書いていた作家がどう変わったか、大変興味が持てますね。
> ジュブナイル出身で、
あ、確かジャンプ小説賞受賞でデビューのはずです。その後(恐らくはそうしたもの以外のものが書きたくなって、編集に相談したら同じ集英社なのでこちらへ持っていけと勧めを受けたのでしょう)小説すばる新人賞でもう一度(といったら変ですが)デビューしなおしています(このあたりうろ覚えでして、間違っていたらごめんなさい)。
すみません、ずいぶんと酷いことを言い放ってしまいました。ちょっと村山のあまりの酷さにはほとんど感動すら覚えるものがあったので、書かずにはおられませんでした、ごめんなさい。わたしの単なる感想という以上のものではないので、あまりお気にとめないでください。どうもすみません。
菅浩江『末枯れの花守り』
あまりわたしの周りでは聞かない作家ですね。
> 表現が非常に綺麗で、着物の描写は一見の価値あり
これはいい、非常にいいですね。しっかりとした「着物の描写」をしてくれるのは新しいところでは意外にあんまりないんですよね。
これなんてどうでしょうか?
一つ一つが心にじんわりくる短編集です。
GOTHとかZOOとかが有名な乙一ですけど、
この本のようなセツナイ系もいいですよ。
未読です。
乙一は(非常によい意味での)ライトノベルを書ける素養があると思います。軽妙に話をまとめながらその中で楽しませることのできるセンスを持っている。しかし残念ながら(年齢的なこともあるのでしょうが)まだまだ若書きな感が拭えません。構成力はアラが目立ちます。また文章もまだまだ磨かれていないと思ってしまいます。危惧するのはどうも特に文章について、手を抜いているところが多々見受けられる気がすることです。もう少しできると思うのですが。素質はそのくらいには認めるのですが、わたしの読んだ範囲では、現状まだたいして面白くもない作家という評価になります。手抜きをせずまた構成にもしっかり気を配ることができるのであれば将来性については認めなくもありません。何より欠けているように見えるのは書きたいままに書こうとするのを押さえて構成を作る意識でしょう。この意識のない作家はたいていどの分野でもろくなものは書いてません。ここが現在はできていないのが小説としてはかなり致命的です。わたしの感想としてはそういう理由でまだまだかと思います。
『失はれる物語』
まずタイトルが安っぽいです。それを自覚的に狙っているのならまだしも。
> この本のようなセツナイ系もいいですよ
わたしの知る限り「セツナイ」物語をしっかり書けるような技量があるとは今のところ到底思えないのですが。
ルドルフともだちひとりだち―ルドルフとイッパイアッテナ 続 (児童文学創作シリーズ)
ルドルフといくねこくるねこ―ルドルフとイッパイアッテナ〈3〉 (児童文学創作シリーズ)
読書が嫌いだった僕に、本を読むことを教えてくれた1冊です。不思議と本書だけは誰に薦めても好評でした。3作目が14年ぶりに発売されましたが、ファン待望という言葉を残念がらせることのない出来で、待ってただけのことはあります。1冊目は猫の物語として楽しみ、2冊目のラストに待っている真相は、ミステリではないけれど、凄いものが待っています。
『ルドルフとイッパイアッテナ』のみ既読、あと二作は未読です。
この分野のものとしてはかなり有名なものですね、確かしばらく前にちょとしたブームになったと記憶しています。
> 3作目が14年ぶりに発売されましたが、ファン待望という言葉を残念がらせることのない出来で、待ってただけのことはあります
知りませんでした。二作目の存在はしっていたのですが、さらに三作目が出ていたのですね。どこかでそのような記事を見たような気もするのですが、どうも二作目を読んでいなかったためにごっちゃになっていたようです。長い間出されていなかったシリーズの新作を年月を置いて出版するというのは、作者にも出版社にも(そしておそらくシリーズのファンであった読者にも)非常に勇気のいること、つまり冒険となりかねないことなのですが、h-motoさんがこのようにおっしゃられているということは、その冒険は成功に終わったのでしょう。
> 1冊目は猫の物語として楽しみ、
(動物的に)猫としてどうなのかはわたしにはわかりませんが、創作として猫の物語が楽しめる、というのは同意できるご意見です。
> 2冊目のラストに待っている真相は、ミステリではないけれど、凄いものが待っています。
一作目しか読んでいないんですよね、あそこから次にどんな話を書いたか気になりますね。
引いている?とんでも御座いません。ご回答楽しく読ませていただきましたし、とても嬉しかったですよ。
ならば、再度挑戦をば。今度はロックが聴こえる小説。
最初はデビュー作『ブライト・ライト・ビッグ・シティ』で「80年代のサリンジャー」などという、これまた80年代らしい空虚なキャッチとともに登場した、J・マキナニーの3作目。この人サリンジャーほど偏屈でも孤高でもなく、ほいほい来日しては忘れかけの日本語でスピーチしたり、MJ・フォックス主演で『再会の街』(1作目の映画化)の脚本を自ら手がけてドツボにはまったりなんかしてました。この作品の主人公の名がリンダ・ロンシュタットでヒットしたエルビス・コステロの名曲からということでも分るように、曲の使い方が明らかにアメリカのちょっとすねた人(娘コッポラがビル・マーレイに「ピース・ラブ&アンダスタンディング歌わしたような)向けになってます。
また、訳者の宮本美智子さんが作者の友達ということもあり、彼の作品の中では一番マキナニーの意図が伝わる作品ではないかといわれてます。
何はともあれ、このアリスンのどうしようもなさはサカエちゃんと同格でして、僕にとっては実に愛すべき存在です。く
2冊目は、『ジェネレーションX』なる流行語を生み出し、NFLでもその世代のQBが活躍しちゃったもんだから、妙にアメリカで持ち上げられてしまった作者による、疲れた(映画『ビッグ・フィッシュ』の息子みたいに、欧米で言う)大人になりきれない人向けの絵本。
腰が引けたような中途半端に可愛いカヴァーデザインもどこか勝負を投げてるような気がしますまし、また、音がいっぱい詰まってデコラティブでゴージャスな曲にはのれない人向けで、カレッジチャートをにぎわすようなペラペラなギターチューンの曲をBGMとして読むこと想定して書かれているのがありありです。というか、これ自体が書くロック、しかも、ジョン・ライドンの言葉を真に受け脳死してしまったROCKそのものではないかと僕は勝手に思ってます。
3冊目『四重人格』(ISBN: 4794952325)は、御大ロックバンド、ザ・フーのピート・タウンゼントの処女小説集。この映画やロックオペラを企んだり、オーケストラとコラボやったりした多才な人が文章でもその才能を発揮してしまった作品。
周囲の人間との距離感をとりかねている、都市生活者の軽い疲労感が、彼の名言「僕がギターを壊したのは観客とのコミュニケーションを絶つためだ」とあいまって泣かせます。
ついでながら、タイトルは映画『さらば青春の光』の原作となったコンセプトアルバム『四重人格/QUADROPHENIA』から勝手に晶文社がつけており、原題はまったく別というのも何かさまざまな人々の思惑が感じ取られて、出版された当時にそれだけでなんだかなあと言う気分にさせられたものでした。
おそらく、既読もしくはパスされたものと予想されますが、何だかこういう話が書きたくなりましたもので。
すべて未読です。
どこかで書いたような気もするのですが、実は新しいめ(70年代以降に活躍し始めた、つまりコンテンポラリーな)の海外作家は現状ほとんど追いつけていないんですよね・・・わたしのたくさんある弱点のひとつです。気になっている人は書評などでチェックしてはいても、本の方は一二作しか読んでいなかったりと、そんな感じです。
マキナニー『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』
> 「80年代のサリンジャー」などという、これまた80年代らしい空虚なキャッチとともに登場
まさにそんな感がありますね。まだまだ追いかけられていないので詳細に分かっているわけではないですが、80年代は空虚さ不毛さを正面から書くのではなく空虚さに浸って書くという作家が多かった印象があります。一方でその時期のものは作品自体、作家自体が空虚になってしまっている感もあります(もともと正面から向き合える作家などこの時代に限らずほとんどいなかったわけですが、迂回して語ろうとすることすらせず、むしろ空虚さを文学的な飾りのように使っている、という意味です)。具体的にはミニマリストと呼ばれた作家の一群、白人の貧困層をほとんど何も書けていないんじゃないかというくらい空疎な文章で綴るような作家が多い印象があります。もはやミニマリストという呼び方自体が聞かれなくなってしまいました。この中で成功した(商業的にも、また意味のあることを書けたという意味でも)と言えるのはカーヴァーくらいのものではないでしょうか(どうもわたしにはブコウスキーがミニマリストなのかどうか確証が持てないので彼は除外しています)。その他この時期の小説的な流行としては、例えば「あなた」「きみ」など二人称に話し掛ける形式の語りが多く書かれたなどがありましたね。これもほとんど成功せずに消えてしまったと言って良いでしょう。
それ以前から書いていた多くの作家たちはそうした80年代的な空気を通過してしまうと、多くは(生き残った人々は)また何事もなかったかのように(本当はそんなことないのですが)書き綴っていったわけですが、ある意味不幸なのはこの時期にデビューしてしまった作家たちです。マキナニーもそうだと思うのですが、そうしたひとつの80年代的と言える空気が失せたあとも、強くその影をどこかで引きずっている気がするのですよね。小説自体のことを言えば、むしろ80年代に一線で活躍した(つまりそれ以前にデビューしていた)作家がその時代に書いたものの方が80年代的色彩は分かりやすく濃いのですが、マキナニーらこの時期に書き始めた作家というのは世間がその風潮を脱した後になっても、彼らが語ろうとすることの裏に拭い去れないそうした空虚感(意味のなさ)がついてまわっている気がわたしにはします。
> サリンジャーほど偏屈でも孤高でもなく
サリンジャーは偏屈ですからねえ・・・あのようにしか生きられなかったのでしょうけど
> 何はともあれ、このアリスンのどうしようもなさはサカエちゃんと同格でして
そのようにおっしゃられてしまうと、もう読みたいではなくて、読まなくてはならない、になってしまいますね。はい、候補に加えさせていただきます。
クープランド『ライフ・アフター・ゴッド』
この作家はしばらく以前に日本を書いたものがあって、それを知人に見せてもらったんですがかなり読みにくくて(なかなか楽しめはしたのですが)、以来『ジェネレーションX』の人というよりも、なにやらよく分からない日本のことを書いた人、という地位にわたしの中ではなっていました。
> 疲れた(映画『ビッグ・フィッシュ』の息子みたいに、欧米で言う)大人になりきれない人向けの絵本。
ほうほう、絵本というところが、ちょっと今まで抱いていた著者のイメージからずれますね。
> ペラペラなギターチューンの曲をBGMとして読むこと想定して書かれているのがありあり
単にわたしの好みの問題ですが、これは非常にいいですねえ。しかし最近音楽を聞くことがだいぶ減ってきてしまいました(出かけてのことだけでなく、設備面での問題でもありますが)。
ピート・タウンゼント『四重人格』
これはおっしゃるとおり、ちょっと避けて通ってきたところがあります。なんというかピート・タウンゼントの書いたものに興味がないわけではないんですよ。けれどどことなく読んじゃいけないかな、と思ってしまったのも事実で。ところで結構冊数出しているのですね、知りませんでした。
> 周囲の人間との距離感をとりかねている、都市生活者の軽い疲労感が、彼の名言「僕がギターを壊したのは観客とのコミュニケーションを絶つためだ」とあいまって泣かせます。
そんなにザ・フーはよく分かっていないんですが、ハード・ロックなのだけれど、粗暴と取られてしまうようなのとは違うのだ、といったようなところとパラレルになっているのかな。うまく言えないのですがハードロックにならざるをえなくてハードロックになってしまっているようなところとか。
> おそらく、既読もしくはパスされたものと予想されますが、何だかこういう話が書きたくなりましたもので。
いえいえ、面白かったです(全て未読でしたし)。ありがとうございました。
『東京ガールズブラボー』
ISBN:4796605479(JICC版:恐らく版元品切)
ISBN:4796631984(宝島版)
”Alison” Elvis Costello (下から視聴できるようです。試してないので保障できませんが)
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B00005MLU0/
『四重人格』原書 Horse’s Neck ISBN:039538348x (版元品切)
私の一番のお薦めはパール・バックの「大地」です。本当に何度でも読みたいと思う本ってそんなに多くはないのですが、この本はまさに何度でも読みたくなります。4巻までありますが、その中の一巻が最高です。中国のすごく貧しい農民が大富豪になっていくまでを描いたサクセスストーリーなのですが、スケールが大きく、中国の底力を感じさせられます。読み終わった後にいつも、「人間は大地から生まれ大地に帰るんだなあ」とひたってしまいます。(2巻以降はその子、そして孫の世代の話になります)
2、3冊目は児童文学になってしまいますので、おまけです。小学校の時に夢中で読みました。とにかくおもしろかったです!!先日、「今まで読んだ中でおもしろかった本」を主人と語っていて、私がこの本を推し、主人は3冊目にあげてある「魔女がいっぱい」を推し、深夜まで熱く大激論しました。夜中にネットで調べたら同じロアルド・ダールの作品であることが分かり、お互い自分の推す本のおもしろさが分かるだけに今度読んでみよう、というところで決着がつきました。
すべて既読です。
『大地』
わたしは一巻しか読んでおりません。既読というのはその意味ではおこがましいのですが、一応一冊で考えさせてもらいました。
> この本はまさに何度でも読みたくなります。
minami373さんはこうした、いわゆる大河小説と呼ばれるような部類のもの(例えばある一族の歴史などを延々と描くような種の小説)がお好きな方なのですね。わたしはどうもこのジャンル自体にどこか受けつけないものがあります。小説としての評価の良し悪しや面白い面白くないの問題ではなく、単に自分の趣向の問題なのですが。もちろんこのジャンルでわたしにも面白いもの、面白いとは言えなくとも小説として素晴らしいものはいっぱいあるのですが、読んでいてどうもこれは、と思うところが少ない。そんな印象があります。
> すごく貧しい農民が大富豪になっていくまでを描いたサクセスストーリーなのですが、スケールが大きく、中国の底力を感じさせられます。
このようなご意見をうかがうと思うのは、わたしが大河を受けつけないのは読み方の問題なのでしょうね。この種のものをお好きな方はminami373さんのように、物語の中にある大きなまとまり(地域的なものであったり、歴史的なものであったり、あるいは血縁的なものであったり)が大局の中でどのように変化していくのかを楽しまれる方なのかと想像します。それを「スケールが大きい」とおっしゃられているのですよね。どうもわたしの読み方にはこのような大局観が欠けているように思うのです。細部や構成などの枠組みから大局への流れが読めるものならば(つまり、細かい部分での枠組みと大局とのつながりを作る小説の仕掛けをわたしが読み取れるものであるなら)大河小説も楽しめないことはないのです。それにしても本来は大局の方から先に読み解くべきものを、細かな枠組みの方から読もうとする余り誉められたものではない読み方なのかもしれません。
『チョコレート工場の秘密』『魔女がいっぱい』
これは面白い、よくできた物語だと思います。初めて読んだのはかなり小さいころだったかと思いますが、それ以来この作家を意識して本を選んで読んだ覚えがあります。
> 先日、「今まで読んだ中でおもしろかった本」を主人と語っていて、私がこの本を推し、主人は3冊目にあげてある「魔女がいっぱい」を推し、深夜まで熱く大激論しました。
> 同じロアルド・ダールの作品であることが分かり
このやりとりが面白いですね。そうしたお話を日常的にできる環境にいらっしゃるのは大変うらやましいです。ちなみにダールは結構多作でして、傾向の違うものも含めていろいろ書いています。童話にしてもおとぎ話の範囲にありながら、ただ明るいだけのおとぎ話では済まさない、けれど最後は必ずおとぎ話の範囲に収めて物語を閉じてくれる。そんな傾向(と技量)のある作家とわたしは思っています。
もうすでにお読みになっているかもしれませんが、荻原 規子の児童文学です。
「これは王国のかぎ」はアラビアンナイトの世界、「空色勾玉」シリーズは、神々がまだ地上を歩いていた古代日本を舞台としたファンタジーですが、主人公の冒険や葛藤を通して成長していく姿や恋や・・そういった人間の心をよく表していると思えます。
それになんと言っても、分厚い本なのに飽きませんでした。一気に読むことができて、読み終わったときにはポワッとあったかい気持ちになりました。
はじめに読んだのは中学生のときですが、いまでも大好きです。
『空色勾玉』のみ既読です。
この作家についてちょっと見てみたのですが、『空色勾玉』がデビュー作だったのですね。知りませんでした。
これを始めて読んだのはいくつくらいだったか、恐らく小学校の終わりか中学に上がった頃かでしょう。既に挙げてくださった方がいますが『光車』とともに読んだ記憶があります。ちょうどこのくらいの頃から読むものの重点が児童向けのものからだいぶ一般書寄りに移っていった気がしますね。そのせいか作家で追いかけるということはしなかったと思います。
日本のファンタジーの代表格とされているような本の一冊ですね。いわゆる児童書の中では、わたしはやや癖(というか、本来は児童書の中になかったであろう他ジャンルから持ち込まれた要素)が強い印象があります(読み物としての良し悪しとは関係ありません)。よくできた本だと思います。
小野小町と小野篁、伝奇的に語られることも多い二人の物語です。
面を打つ男に一人の女性が語りだすという冒頭部は、ひっそりと静かで暗く、しっとり冷たいという印象が強く、本編中もその空気が持続しているように思います。
そんな雰囲気が、私が感じるこの作品の魅力の一つですが、設定やストーリーそのものも独特の面白さがあります。
物語中の小町は、親に篁と会うことを禁じられて幽閉されたまま死んだ女性の魂を、篁が呪術で土の塊に籠めて命を与えた「くぐつ」です。
その小町が雨乞いをさせられる場面があるのですが、干上がってひび割れた彼女の肌に雨が降り注ぎ、噂どおりの絶世の美女の姿に戻る部分が、
戻ったんだけど何だか救われてなくて、篁の妄執も併せて、物悲しいインパクトがありました。
未読です。
加門は数冊程度読んだでしょうか。最近はまた聞かなくなりましたが、一時少し取り上げられることが多かった作家かと思います。そこそこ名前のある作家への当落線上やや下あたりをさまよっている人、というイメージがあります。
数冊を読んだ限りの印象ですが、なんと言うか間の抜けた作家というのがわたしの感想です。多分に経験の問題もあるのでしょう、それからこのタイプの場合は編集者の腕というのもあるかもしれません。力を入れるところが的外れな作家なのです。むらも非常に多く、なんというか一作にまとまりがない印象にもなるのですが、力を入れて書き込むべきところが違う。読者としてはここを読ませてくれるに違いない、と思うところでふっと力を抜いてしまうので時によっては白けてしまう、そんなところがあるかと思います。一概にけなせないのは、それが味にもなりかかっているところがあるからなのですが。もしかするとその個性を大事にしたまま、他を磨いていけば非常に面白い作家に化けるような気もしてしまうのです。
『くぐつ小町』
> 面を打つ男に一人の女性が語りだすという冒頭部
小説の冒頭の入り方として、工夫を凝らしているとまでは言えませんが、工夫をしていなくはない、くらいは言えます。
> 親に篁と会うことを禁じられて幽閉されたまま死んだ女性の魂を、篁が呪術で土の塊に籠めて命を与えた「くぐつ」です。
まず小野小町などという擦り切れた素材を持ってくる時点で、多少は設定の妙を見せなければお話にもなりません。小町がくぐつである、というのは作者のオリジナルではないですが、目を引く設定であることは確かですし、こうした物語づくりのツボのようなものを押さえているのはある程度確かでしょう。もちろん料理次第ですが。
> 干上がってひび割れた彼女の肌に雨が降り注ぎ、噂どおりの絶世の美女の姿に戻る部分が、戻ったんだけど何だか救われてなくて
ちょっとこれはそのまんますぎるでしょう。本文を読んでいないので分からないのですが、こうしたところがわたしは間が抜けているように感じてしまうのです。オリジナルとは言えないまでも、なかなか目の付け所のよい素材を持ってきながら、それを料理もせずにお客に出してしまう。そんな所があるかと思います。
一つは既読を覚悟しつつも、「野獣死すべし」をおすすめします。
bk1にあたりはしたものの、ISBN番号がないので他で調べたISBN番号を記載します。
大藪晴彦の処女作ながら私にとってはBESTなものです。これ以上の物は彼からは出ていないと思います。
いわゆる「復讐モノ」ですが、ほとんど(作者の)主観的に見ている世間や思想が物語りを面白く進ませます。また、作者が銃マニアであるためか、非常に銃の扱いや描写は見事です。漫画などで「銃」を想像している方は面白いでしょう。最後は・・・まあ、最後の3行(だったかな?)が好きです。
「天界の狂戦士」:川又千秋
コレはどこを探しても、ISBN番号が見つからなかったものです。SFですから、どうかなーっと、ルールは外していますが、読み応えのあるものだと思います。
妻をさらわれた男がある者に拾われ、サイボーグとなって復讐を誓う。という、やっぱり復讐モノ。
共にサイボーグとなる相棒がいるのですが、こいつがまた曲者です。
しかし、読める!と思うのは私だけでしょうか?
『天界の狂戦士』は未読です。
『野獣死すべし』
どのような小説のジャンルにも、巨石のようにそのジャンルの中にそびえ立つ作品というのがあります。振り返った時、それを背景として今の作品群を見ざるを得ない、どれだけそこから離れていようとも、またどれだけそれを嫌悪しようとも、その作品からの絶対的な影響を否定できないような巨大な作品。和製ハードボイルドという分野においてまさにその巨石だったと言えるのがこの『野獣死すべし』です。ハードボイルドに限らず、ミステリー、SFなどさまざまな分野に渡って強い影響を与えた作品だったと言うことができるでしょう。
ところでこうした後々までに影響を与えるような作品というのは、つまりはその後々の時代まで通じるような新しい時代を切り拓いた作品であることが多いです。そのジャンルにおいての、時代の潮流のようなものに共鳴してしまった作品・作家ということが言えるかと思います。こうしたものを書いた作家というのは、もちろん業績として後々までそれは残りますし、また偉大と言ってよい作品なのは間違いのないところなのですが、欧米ハードボイルドにおいてのダシール・ハメットがそうであったように、潮の流れが変われば、作家自体は次の時代に取り残されていくことが非常に多いです。大藪春彦もまた、時代に取り残された、後年になってから書くようなものはほとんど読むに耐えない作家と成り果てています。
さて『野獣死すべし』ですが、読み物としてそこそこ面白い小説であるとわたしも思います。
> これ以上の物は彼からは出ていないと思います。
とtakebiさんがおっしゃられているのは、先に挙げたような理由からも納得できます(わたしはとても彼のものを全て読んではいないので、なんとも言えないところは残りますが)。
> いわゆる「復讐モノ」ですが、ほとんど(作者の)主観的に見ている世間や思想が物語りを面白く進ませます。
これはまだ現代でも読みえる作品かと思います。ここらあたりも、後の彼の作品のようにハードボイルドどころかただの滑稽か阿呆にしか見えない、もっと酷いのになると滑稽にすら見えない、そうしたところがまだ薄く(成立年代のせいはあるでしょう)十分に楽しみ得る作品だと思います。
大藪には哀れですが、ここらのことはほとんどハードボイルドの宿命とも言えるでしょう。もはやハードボイルドであることが自明ではないのです(ミステリにおける探偵もそんなところがあります)。その後の作家は自明ではない世界でどうハードボイルドであろうとするのかを描いて成功しましたが、残念ながら大藪はそれについていくことができなかったのでしょう。
『天界の狂戦士』
川又はSF関係の方でたまに名前が出てくる作家だったと思います。言い方は悪いですが、古くからやっている割に鳴かず飛ばずの作家という印象があります。カッパノベルズなどにでも逃げ込んでいるかと思っておりました。
お怒りを承知で書かせていただきますと、出版の世界には誰でも書ける小説群というのがあります。ある程度枠組みというものが完成されており、その中で物語を作っておけば一定数必ず売れる。以前、72.のコメントにおいてライトノベルというジャンルについて少々書かせていただきましたが、これもそちらで似非ライトノベルと呼んだものに似ています。読者の側もこの出版社のこの文庫のこういう系統のタイトルならば、もう枠組みはこの範囲で外さないということを分かっていますから、特にさほどの負担を感じることなく読むことができる。一方で出版社としては枠組みを用意して物書きに依頼しその範囲で書かせれば、必ず一定数売れる。この必ず一定数売れる、というのは出版社にとって非常に魅力的なのです。
小説を何がしか書いたことのあるものなら、出版社の側で用意した枠組みを与えてやれば誰でも書けてしまうわけで、そのためさまざまなジャンルの食えない作家たち(例えば、ファンタジー浪人たち)がこうしたところに流れ込んでいきます。枠組みの中ででも、しっかりと楽しませてくれるだけの物語を書いてくれればよいのですが、正直なところこの手のものはほとんど不毛と言ってよいでしょう。こうした不毛な小説群というのは、何も一分野に限られた話なのではなくて、さまざまな方面に、こうしたルーチンで売られる低級な小説群があります。具体的な例を挙げますと、先ほど出したカッパノベルズやその類の文庫などは典型的です。読者層が違いますが、ロマンス文庫であるとか、あるいはさまざまな和製ハーレクイン文庫、コミックのノベライズ関係とライトノベル関係を出している文庫、それから児童書、絵本の一部などです。もちろんこれらの分野の全てがそうした読む価値もないくだらないものに占められているわけではありません。むしろ本来こうした分野でその分野の枠組みを守りながら良質な物語を書こうとしている作家にしてみれば、そうした低級な作品を出す作家たちが流れ込んでくることは非常に迷惑なことでしょう。そうした良心的な書き手の中にはこのような文庫から出発しながらも、面白さが認められて世に出て行くような人もいます。しかしほとんどは埋もれて消えていくのが現状でしょう。
この『天界の狂戦士』ですが、出しているのが角川文庫、このタイトルで1985年出版、また書いているのはSFくずれ、ということを考えるとどうしてもわたしにはそうした非常に低級な作品のひとつに見えてしまうのです。読んでもいないのに申し訳がないのですが。
どうもすみません、ずいぶん酷いことばかり書いてしまいました。ここらの事情にはどうしても思うところがあり書かずにはおられませんでした(こうしたものに埋もれて、良書が再版されることもなく消えていくのがとても悲しいのです)。お許しください。
「パルタイ」は初めて読んだ観念的な小説。カフカとカミュを足して2で割ったような作風です。
「トパーズ」は綺麗な話だと思いました。SMとか私ははあまり理解出来ないんですがすごく入り込めた。
「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」は短編集ですがどれも出来がいい。賞とったから既読かも知れませんね。
すべて既読です。
『パルタイ』
倉橋はなんというか、非常にがんばって、努力して小説を書くことのできる力のある作家という印象があります。そしてどれだけがんばっても、なかなか面白いじゃない、という程度にしかならない、ましてや手を抜いたら読めたものではない。頭脳はもちろんとして、恐らくセンスもあるのですが、そうしたものがどちらかといえば悪い方に働いているところがある。つまり、センスなどを抑制してひとつの物語にするところが非常に弱い。ここの部分にしっかりと努力の払われているものは楽しめますし、一方でそこが野放しになっているものは読めたものではないところがある、という感想を持っております。
> カフカとカミュを足して2で割ったような作風です
正直なところ、カフカもカミュもいい顔をしないかと思います。せっかくいただいたお言葉に大変失礼なことを申し上げてしました。どうもすみません。ちなみに個人的には『スミヤキストQ』の方が面白いかと思います。
『トパーズ』
28.の回答に書かせていただきましたとおり、村上龍という作家はほとんどが駄作の山であると思っています。その上で本当にごくわずかだけ、非常に面白い、傑作と呼んでよいのではないかというくらいの作品があります。このように彼の場合は傑作か駄作かにはっきりと分かれる傾向があるのですが、一部に(わたしの知る限りすべて短編及び短編集なのですが)どちらでもない、そんなに評価はできないけれど、他長編のことを考えるとこれを駄作と言うのも気がひける、という程度の作品があります。この『トパーズ』もそのひとつです。これはちょっと惜しい短編集でして、もしかしたら傑作にもなりえたかなあと思ってしまうこともあるんですよ。残念ながら現状、たいしたことはないと言わざるを得ません。面白いところもまあ、あるでしょう。全体通して見ればうーん、つまらないかなあ、になってしまいます。しかし駄作というのはたぶん違う。そんな程度の作品かと思っています。
> 「トパーズ」は綺麗な話だと思いました
この綺麗さを作っているのはひとつには文章とそこで描かれている内容が噛み合っているからだと思います。だらだらと文をつないでいくような文章が、そこで描かれていることの内容、その場面の時間感覚、そしてその物語を語っている話者がどのような距離をその場面に取っているのかに、よくマッチしたところがあるんですよ。場面によってはその語り手の持っている距離感やその感覚が実にすばらしくこの文章に合致するところがある。問題は、まったくメリハリがないんですよね。このだらだらした文章を、要所でしっかりと使うのならばよいのですが、全編がどうにもどうしようもなくそんな感じです。またこれも語り手依存ということなのでしょうが、語彙が貧困すぎます。
> SMとか私ははあまり理解出来ないんですがすごく入り込めた
SMやその他エキセントリックさを狙ったモチーフに共通して言えることなのですが、現代ではどこまで過激にしても陳腐にならざるを得ないところがあります。このことに意識のある書き手というのは、自然過激にすることよりも(過激にしないわけではありませんが)そこで描かれていること自体が過激であろうがなかろうが、それをどう読者に見せるのか、伝えるのかということに腐心します。この作品に関して言えば、なかなか成功しているところもあると思います。SMの過激さが凄いのではなくて(実際凄くもないでしょう)、そこで行われているプレイとその語り手との隔絶感を語りで上手に描いているとわたしは思います(あくまで、成功している箇所についてですが)。もっとも龍は他作を読む限りでは過激にしておけばよいと思っているふしはあります。たぶんこれもそんな意識もなくたまたまできたのでしょう。
『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』
これは大変面白いです。力のある文章というのと、よく刈り込まれ整った文章というのをぎりぎりのところで両立しています。また内容についてもしっかりとした構成の中で描けています。傷を言うとすれば、どれも非常にちまちました世界の物語という感はあります。もっともそうした小さな世界の中での極めて研ぎ澄まされたテーマを扱うというのがこの著者の何よりの魅力であるとわたしは考えています。
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これで全部ですね。回答をお寄せくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。一個一個開いていくのは非常に楽しかったです。またつい酷いことを書いてしまった方々、どうも申し訳ございませんでした。言い訳をさせていただけるならば、なるべく自分の思ったこと、感じたことを素直に出して行こうと思っていたので、どうしてもわたしの中にそう書かざるを得ないものがあったのです。それにしても、どうもすみません。
けなしたものにせよ、ほめたものにせよ、わたしの非常に個人的な感想に過ぎないものですので、どうぞあまりお気になさらないでくださいね。
ポイントについては最初に決めましたルールを大枠にしてつけさせていただきます。途中、想定していなかったこともあり、また頂いたご説明自体に点をつけたくなるほど面白いものもありと、多少点数の枠から外れる方もいるかと思います。
公平のため、一人で複数挙げてくださった方には、中で一番ポイントの高いものの点を基本にさせていただきます。複数の方の二冊目以降の本についてはちょっとだけ色をつけさせてもらいますね。
すみません、推理はルールで書いたようにいちおうNGということにさせていただいてます。そして赤川次郎は結構読みましたが、ひとつとして面白かったためしがありません。